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1章

69,単純な話

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 小春がニコニコと意味ありげに笑っていると、背後に人の気配が現れた。

「……あの」

 気まずそうに紡がれた言葉に、やっと来たかと振り返る。
 声をかけてきた人物を見上げると、複雑そうな顔を浮かべた国宝級イケメン。

「頭は冷えましたか?」

 その複雑そうな顔はおそらく鈴乃との後半の会話を聞いていたからだろう。
 小春は意地悪げにセルジュに笑みを浮べ、尋ねる。
 鈴乃は先程のことでセルジュと顔を合わせづらいのか、小春の方を見たまま小春の言葉に首を傾げていた。
 セルジュは楽しげな小春にもの言いたげにしつつ、ぐっと堪え息をついた。

「……はい。それはもう」
「それはそれは、良かったです」
「………」

 さぞ小春が目障りなことだろうに、セルジュは何も言わない。
 流石に人をいじめる趣味はないので、セルジュの凹みようを眺めたあと、「よっと」と小さく呟き立ち上がる。

「さてと、お邪魔虫はお暇しますかな」

 わざとらしくそう言って歩き出そうとすると、小春の袖が控えめに引っ張られた。
 その先には不安げにこちらを見上げる鈴乃。
 美少女の上目遣い。美少女に控えめに止められる。最高のシチュエーションだ。
 内心そんなことを思っていることをおクビにも出さないで、安心させるように微笑んだ。

「もう、大丈夫だよ」
「……、……はい」

 鈴乃はじっと小春を眺めたあと、決心づいたように小さくも力強く頷いた。
 鈴乃の手が袖から離れるのを見て、そのまま会釈しセルジュの横を通り過ぎた。

 そして、そのセルジュの背後には。

「あれ、リュカ様もいたんですか」
「一応ずっといたけどね」
「いやぁ、気づかなかったなぁ」
「楽しそうだったもんね」
「……あはは」

 性格悪いところしっかりと見られてしまったらしい。
 リュカが含みのある笑顔を向けていたので、ごまかすように空笑いをする。
 そのままリュカの隣に並び、鈴乃とセルジュの動向を遠巻きに眺めると、セルジュが膝を付き、頭を下げている最中だった。鈴乃の方は顔を赤らめながらあわあわしているようだが。
 ただ、鈴乃の表情は先程のような後ろめたさみたいなものはなくなっていた。

 こういう高校生のピュアな恋愛を間近で見ることになるとは。なんともまあ微笑ましい。
 きっと幸せを形にしたらこんな光景だろうか。

 その光景につい浸ってしまったせいなのか、いつになく気が抜けていて。
 心の奥底でずっと気になっていたことが湧き上がって離れなくなり、口にせずにはいられなかった。

「……一つ聞いてもいいですか」

 初々しいやり取りを眺めながら、隣にいる男に声をかける。
 
「なに?」

 特に驚いた様子もなくいつもの調子で聞き返すリュカ。

「災厄をもたらす悪魔ってなんですか?」
「………」

 今日の夕食のメニューを聞くかの如く、なんの含みもなく平坦な口調でそう尋ねた。
 返事がないため少し上にあるリュカの顔を見上げると、珍しく分かりやすく目を見張っていた。

 きっと小春がこんなことを聞いてくると思っていなかったのだろう。
 だってそうだ。小春はいくらでも機会はあったのに、今まで一回もそんなことを聞いて来なかったのだから。
 この世界で聖女がどう言われていようがどうでも良かったのだから。必要にないことはしない主義なのだし。

 別に今だってそれは変わらない。しかし気になっていたことは事実で、それが今どうしようもなく溢れ出していて。
 知ってどうするんだと理性は言うけれど、感情がそれを否定していた。

 こんなのは相楽小春ではない。きっと幸せそうな鈴乃たちにあてられただけだ。過去の愚かな頃の小春が一時的に引きずり出されただけなのだ。

 冷静に自身を分析していても後の祭りだ。もう口に出してしまったのだから。もうなるようにしかならない。

 それにこの疑問はきっとリュカは答えられない──。

「……表向きは未曾有の大災害として語り継がれているんだ」
「え」
「かつてアリステッドは国土の4分の1を失った。人類史において最も忌むべき記憶だ」

 まさかリュカがすんなり真実を語るだなんて思わなくて思考が停止していた。

 この男は何の話をしている?

「君はマルセルに地理について教わっているよね」
「え…、は、はい。一応」
「アリステッドの一部に広大な荒野があるはずだ」

 小春はあ然とリュカを見つめたまま固まった。

 確かに地図の一部に枯れた土地があった。
 そのときは未開拓地域なのかと気にも留めてなかった。
 
 でもよく考えれば不自然だ。別にその土地は気候が悪いわけでもない。栄えた街もすぐ横にあり立地も悪くない。それなのに土地開発が一向に進んでいないのも不思議だ。

「その土地はかつて、第二の都市もあり、農作物や工芸品など様々な物が流通し、様々な種族が暮らしていた」
「……」
「一瞬だった。すべてが無になるのは。一瞬すぎて当事者は一人もいない。だから秘匿され災害扱いとなった。……今はもう魔物以外は住めない死の土地と化してる。その原因になったのが──」
「もういいですっ」

 物分かりが悪いわけじゃない。淡々と感情のない声で語るリュカが言わんとすることを理解し、言葉を遮った。
 
 アリステッドの4分の1の土地を、人々を、文明を、歴史を。それらを一瞬にして奪ったのは小春と同じ聖女。

 なるほど、恨まれるわけだ。真実を知っているものからすれば小春たちは爆弾でしかない。
 災厄をもたらす悪魔、たしかに言い得て妙だ。

「……なんでそんなことを」

 聖女に選ばれるぐらいだ。きっと鈴乃のように、崇高な理想や慈悲深き感情の持ち主だったはず。まぁ小春も選ばれているので一概には言えないが。

「真実を知った者は何も君だけじゃなかった。過去の聖女の中には何人か聖女の扱いを理解した者もいた。まぁ君ほど早くはなかったけれど」
「……」
「真実を知った者が皆、コハルさんのように冷静で物分かりが良いわけじゃない。勝手に呼ばれた挙げ句、勝手に利用され使い潰される。そんなの、この国に憎悪の念を抱くのは当然だよね」

 嘲るような笑みを浮べるリュカ。
 確かに普通は聖女の扱いについて知れば恨みを持つだろう。 
 聖女たちにとってこの国のことなどどうでもいいことだ。だから例え関係ない多くの人間が死のうが、その恨みを昇華しようと思う者もいたかもしれない。

「実に胸糞悪い話ですね。……聞かなければよかった」
「だよね。俺も出来れば言いたくなかった」

 折角鈴乃たちのお陰で心穏やかになったばかりだったというのに。まぁそれも自業自得ではあるが。
 ぼそっと呟いた小春に、リュカは小さく息をつき複雑そうな笑みを浮べ、そう言った。

 ますます、この男が小春に優しくする理由が分からなくなった。例え恨みを抱かなくても、体が聖女の力に耐えきれなくなり暴走する可能性だってある。
 つまり、小春がリュカの大切なものを奪う可能性など十二分にあり得るということだ。ならば小春はもっと厭うべき存在なはずだ。
 その方が小春としても助かる。あまりリュカに振り回されたくないのだから。

 妙にしんみりしてしまった空気の中、リュカは口を開いた。

「俺からも1つ聞いても良い?」
「……なんですか?」

 この状況で聞いてくることなどろくなことがなさそうだ、と微妙な顔を浮かべながら返答する。

「君は幸せだったことがあるの?」
「は?」

 予想の斜め上から来た質問に目が点になる。
 幸せ?宗教の勧誘かなにかだろうか。

「さっき、スズノさんに言っていたでしょ。人のことを考えるのは自分が幸せになってからって」
「あぁ、聞いてたんですか」

 盗み聞きとは悪趣味な。

「そういう考えがあるのに、なんで君は自分自身に無頓着なんだろうって」
「……そうでしたっけ」

 心当たりがない。小春は利己的な人間だ。むしろその逆では。

「そうだよ。なのに君、人には幸せになってからで、なんて言うし。でも俺はとても君が幸せそうには見えない」
「不幸顔とでも言いたいんですか」

 唐突にディスってきたリュカをジトッと見上げる。

「……何が言いたいのか知りませんけど、ここに来るまで私は普通の人生を普通に歩んできただけです。そういう当たり前の日常っていうのは、一般的には幸せ、と定義されるのでは?」
「さも他人事みたいに言うんだね」
「……」

 面倒くさそうに話す小春を、何故か物悲しげに見つめるリュカ。
 その視線をどうも後ろめたく感じ、目線を僅かにそらす。

「仮に君の言う通り、召喚される前が幸せだったとして、普通は前の世界に未練があるはずでしょ」
「……まぁ、それは」

 小春とて、まだ完結していない小説の結末を知りたかったなとかいろいろとやり残したことはある。

 リュカが言いたいことを珍しく察していない小春に、リュカはまた哀しげに見つめた。
 小春はさっきから一体何だと見返す。

「……ならなぜ君は、今まで一度たりとも
「──っ」
 
 真剣な眼差しを向けられ告げられた言葉に、小春はただ目を丸くして固まる他なかった。

 酷く単純な話だ。
 
 小春はこの世界に来て一度たりとも元の世界に帰りたいなどと言ったことはない。帰れないものだと決めつけ、聞くこともしなかった。
 普通の人間なら聞くはずだ。なんならこちらに来た時点で元の世界での自分はどうなるのかとか、疑問に思う点はいくらでもあったはず。
 それを聞きもせず、平然としている小春はどう見ても異質だ。なんで今の今でそのことに気づかなかった。

 うまい言い訳すら出てこない。だって帰れるか否かなど本当にどうでも良かった。あの世界に未練などあるわけがない。既に未練になるようなものは失っているのだから。

「……幸せだったんです」

 顔を伏せたまま独り言のようにつぶやいた。

「確かに幸せなときはありました。何にも代え難いそれが」
「……」

 息をつき、弱音やら迷いやらの悪感情を心の奥底へ追いやる。
 そして、顔を上げ再びリュカを見返した。良くできた笑顔が張り付けて。

「既に無くしているものに未練も何もありません。私が元の世界に未練が全く無いように見えるのならそういうことです」
「……そう」

 これ以上追求する気はないのか、リュカはそう一言告げて再び鈴乃たちの方へ視線を向けた。それに倣うように小春も視線を向ける。

 すると、鈴乃とセルジュは上手く和解できたのかお互いに朗らかに笑っていた。
 
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