一般人になりたい成り行き聖女と一枚上手な腹黒王弟殿下の攻防につき

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1章

66,琴線に触れたその先

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 アルファに聞き、なぜ後天的に魔力を付与した際に身体が耐えられないのか理解した。
 理解すればイメージは容易い。
 聖女の力を収められる器を、大きすぎる力を全て収められるほどの大きな器、それを作るイメージ。

 あとは言語化するだけで良い。

 存在しない、あり得ない事象を構築する意味。概念を、既に決まっている運命を書き換えるということだ。
 人体蘇生とまでは行かないだろうが、神の領域に触れようとしている。

 神の領域に触れた聖女たちの末路を知っている。それでも躊躇う理由には成り得ない。

『……膨大な聖女の力を収める器を構築。聖女の力を行使するための回路を器から生成。そして、その回路以外での力の行使は不可能とする。身体に負担となる判断した場合、強制的に力の行使を中断するよう設定する』

 頭でイメージしながら単語を羅列していく。
 手のひらから溢れ出た仄かに暖かい光はやがて鈴乃の身体全てを包みこんでいくのが目を閉じていてもわかった。

 それと連動していくように、小春の力が少しずつ鈴乃の額に翳した手のひら収束していくのを感じる。
 同時に、体の力も奪われていくような感覚にも苛まれる。初めての感覚だ。

 身体の感覚はどんどん失われていくのに、妙に頭は冴えている。
 これもきっと小春の能力が正しく使えていることを意味しているのだろう。

 やがて淡い光が消えていき、小春から力が絞り出されるような感覚がなくなっていき、静かに瞼を開けた。

 鈴乃を一瞥するが、穏やかに眠ったままで大きな変化は見られないように思う。
 果たして成功したのか。概念の書き換えなど初めてのことで少し不安になる。

 が。

「っ……!」

 それは唐突だった。
 視界が歪みだしたと思った瞬間、全身に劈くような痛みが襲った。
 思わずその場で蹲り、身体を丸くし、胸を抑えた。
 
 息をすることもままならないほどの痛み。焼き付くような感覚。

 完全に倒れないように、胸を抑えていない方の手でベッドにすがりつくが、力はうまく入らず、ほとんどもたれかかるような姿勢になる。
 
「かっ………はぁはぁ……。っ……、はぁ……はぁ……」

 なんとか、身体の中に酸素を取り込もうと口を大きく開けて、呼吸を整えようとするが、なかなか息が整わない。
 それどころか、酸素がうまく取り込めていないせいか、頭の奥もガンガンと殴られているよう痛みが響く。

「ぐぅ……。はぁ……、」

 目を閉じ、落ち着くのを待つ。
 この程度で死ぬわけがないのだ。小春だって人体蘇生するまでは平気そうにしていた。こんなものは耐えられる範疇だ。

「……っ、……はぁはぁ」

 生唾を呑み込み、息を整える。額には脂汗が滲み出ていた。
 少し落ち着いてきたようで、顔をゆっくりと上げ、チラリと鈴乃に視線を向けた。
 特に変わった様子はない。

 小春は苦悶表情を緩ませ、口角を上げる。

「……これが……っ、代償……ね」

 この苦しみを鈴乃が耐えていたというのか。たかが鈴乃の命運を書き換えただけでこの反動なら鈴乃のは……。

 こんなのただの女子高生が受ける苦しみではない。こういう苦しみは救いようのない人間が受けるべきものだ。

 ベッドを支えにその場でゆっくりと立ち上がる。ふらつきそうになるのは無視して、鈴乃の髪に優しく触れた。

「……っ、はぁ……、はぁはぁ」

 痛みのピークは過ぎ、ゆっくりと息を整える。

「これで……、君はなんのしがらみもなくなった。っ……はぁはぁ。……次はもっと自分のことを大切にして、ね。……君は多くの人に望まれてるのだから」

 鈴乃本人に聞こえていなくても構わなかった。これは小春の独白みたいなものだ。 

 鈴乃は小春の過去の懺悔に付き合ってもらっただけ。これはただの独りよがりだ。小春にただ一つだけ残った願いを叶えるための。
 こんな醜悪なものを押し付けるつもりはない。

「じゃあ……、元気になったらまた会おうね、鈴乃ちゃん」
「……」

 小春は手を離しそう言うと、少し鈴乃の瞼がピクリと動いたような気がした。



 完全に息が落ち着き、平然とできるようになってから、静かに部屋を後にして、セルジュの下へ一瞬顔を出し、自身の部屋まで戻る。
 扉を閉めた瞬間、緊張の糸が切れたように扉にもたれかかりながら、ゆっくりと尻もちを付いた。

 そして、少しだけ感覚が薄れた震える指先を無情に眺めた。

「……これなら」

 消え入るような小さな声は、誰にも届かず空に消えていった。




   ◆   ◆   ◆   ◆




 他人と距離を置き、可愛げのなかったであろう小春に何度も何度も話しかけ、笑いかけてきたあの人は、無機質な石の箱になってしまった。
 その墓石には「佐々木愛花 享年24」と無機質な文字が彫られている。

 その真新しい墓石には既に溢れかえりそうなほど綺麗な花々が飾られていた。

 せっかく少ない小遣いで初めて花を買ってきたというのに、とんだ無駄金にしてしまった。
 飾るところがなく花を持ったままその場で立ち尽くしていると。

『……あなたは』

 声がしたほうにゆっくり顔を向け、僅かに目を見開いた。
 佐々木愛花にどこか雰囲気が似ている中年の女性と同い年ぐらいの女の子。
 愛花の親族だとすぐに理解した。

 相手も中学の制服をきた小春に心当たりがあったのか、同様に目を見開いていた。

『あなた、もしかして愛花が言ってた……』
『……相楽小春といいます』

 そう言って軽く頭を下げる。
 女性は優しげな表情を浮かべ、小春を見つめた。

『小春ちゃん。あなたのことはよく愛花から聞いてたわ。私よりも賢くて可愛い子がいるって』
『……そう、ですか』

 あの人は相変わらずだ。
 小春の反応が悪いのを気にしたのか、女性は首を傾げた。 
 が、すぐに心当たりがあったらしく、大げさに手を叩いた。 

『ごめんなさい、名乗ってなかったわね。私は、佐々木花菜。愛花の母親です。こっちが佐々木結花。愛花の妹で、確か貴方と同い年だったかしら』
『愛花さんの……』

 そういえば、愛花はよく小春と同い年の妹がいると言っていた。それにすごく可愛いやら天使やらよく惚気けていた。

 チラリと花菜の後ろにいる愛花の妹に目を向け、固まった。
 結花は小春を睨んでいるように見えたからだ。

『その花、愛花に手向けに来てくれたのね。ありが──』
『なんのつもりよ!!』

 小春の腕の中に花があると気づいた花菜が声をかけたとき、後ろに控えていたはずの結花が声を張り上げた。

『お姉ちゃんはあんたと一緒に行かなければ死ななかった。あんたのせいじゃない……!どの面下げて花なんか持ってきてるのよ!』
『結花っ……!』

 結花はそれだけ言うとその場から走り去っていった。

 ──あんたのせい。

 八つ当たりといえばそうかも知れない。結花はただでさえ、中学生で思春期真っ只中だ。大好きだった姉の突然の死を受け入れることができず、その要因となった相手に怒りを向けるのは当然の行動だ。

 あの日、あの場所に行こうと提案したのは小春なのだから。
 愛花の死は、小春が招いたことに間違いはない。

 元々予定していた花見が愛花の体調不良で行けなくなってしまい、やたらと落ち込んでいたから。いいや、きっと小春は期待していたのだ。愛花と花見をすることを。
 だから魔が差してしまった。それだけだ。
 

 桜の時期が過ぎつつあり、街中の桜の名所はすでに花は大分散り葉桜になってしまっていた。

『ごめんねぇ、せっかく小春が誕生日に花見したいって言ってくれたのにぃ。不甲斐ない大人でごめんよぉ……くすん』
『わ、私は愛花さんが誕生日誕生日しつこいから、花見でいいって言っただけだし別に』

 妥協みたいな思いで願っただけなのにそんな自分よりも落ち込む愛花。

『でもぉー!小春が自分からせっかく言ってくれたのにぃ……』

 桜なんてそこら辺にでも咲いてるし、物珍しくもない。誕生日だってそんな祝うようなものでもないだろうに。
 彼女は小春が持っていない感覚を当然のように持っていて、小春の分まで一喜一憂してくれる。
 小春だって愛花と一緒に桜を見たいと思っていたのだと気づかせてくれる。

『……山の方ならまだここより寒いし、桜もまだきれいに咲いてるんじゃないの?』
『それだー!!相変わらず小春は頭いいね!』

 一緒に行けなかったことを少し残念に思う気持ちと、愛花をフォローしようと口をついて出てしまっただけ。
 でもそれが間違いだったのだと今ならよく分かる。

 愛花と出会って、自分の存在を肯定してくれる人と出会って。自分にも価値はあったのだと無意識に思っていたのかもしれない。

──あんたなんかいなければよかったのに。

 小春を産んだ人にすら望まれなかったくせに。
 結局、あのときと似た言葉を、あのときとは違うシチュエーションで、あのときとは違う人物に投げつけられた。

 散々小春という人間を否定し続けた母親あの人は、小春が無価値な人間であることを知っていたのか。あるいは、ああいう環境に置かれた小春が、無価値な存在になることを予見していたのか。

 自分の境遇を理不尽だと思うことはあっても恨みなどはない。
 だって生まれたときの環境は小春のせいではないが、愛花を彼女らから永遠に奪ったのは小春のせいだ。
 まあ、あの環境が今の小春を形作ったのだとしたら、多少の恨み言ぐらいはあるかもしれないが。

『小春ちゃん本当にごめんなさい。あの子、まだ整理ができてないだけなの。愛花はいつも貴女のこと話してくれてて、私もあの子もずっと会ってみたいって思っていたの。……こんな形で会うことになるとは思わなかったけれど……』

 残された花菜は小春を気遣うように言葉を選びながら言った。
 やはり愛花の母親だ。どこまでも優しい。
 けれどその優しさが今はとても痛い。

『愛花ね、春からようやく担任になれるって喜んでいたの。去年まで副担だったから。……これから……、これからだったのに……』
『………』
『……だからね、小春ちゃんは助かって本当に良かったわ。愛花が大事にしていた子まで失ってしまったらあの子、救われないもの。……そう、わかってはいるのよ、……けれど、けれどねっ』

 花菜は愛花と一緒で、どこまでも優しくて、どこまでも誠実だ。

 小春を気遣うだけなら嘘の言葉だけ、上辺だけの言葉を羅列してしまえばいい。
 割り切れていないのなら、結花と同じように罵ってしまえばいい。
 理解しようとしなくて良い。
 愛花がどれだけ小春を大切に思ってくれたとしても、彼女らにとっては完全に赤の他人なのだから。
 何度か会う機会はあったのにそれを拒否し続けたのは、他ならぬ小春自身なのだから。
 
 花菜の優しさが痛い。痛くて痛くて、その度に小春の矮小さが刻み込まれる。八つ当たりでも良かった。小春を蔑んでほしかった。そうすればこんな惨めな気持ちにはなりなかったのに。

『……花菜さん』
『うん?』
『これ、お願いします』

 行場をなくしていた花を花菜に渡す。
 これを渡す権利は価値なき小春には持ち合わせていなかった。

『……それではこれで』

 そう一言だけ告げて、花菜の隣を通り過ぎた。

 もう、ここには来ない。来れない。

 あの溢れかえるほどの花々を見ただろう。愛花は多くの人に慕われいた。
 それを無価値な人間が奪ってしまった。
 
 物心ついたときから散々言われていたはずなのに、愛花と出会って忘れかけていた。
 忘れてはならない。忘れてなければきっと間違わなかった。

 幸せだった。愛花と出会って毎日が少しだけ色づいたようだった。彼女はただ話し相手になってくれただけなのに。
 だから、気づかなかった。いつの間にか愛花に依存していたことを。自分に価値があるのだと思い始めていたことを。
 何もかもが終わってから気づいた。
 愛花と出会った小春は幸せだったのだと。その些細な幸せに焦がれていたのだと。幸せの中に価値ある自分を虚像していたのだと。

 愛花は優しさをくれた。それに報いなければならない。
 彼女がこれから先、与えるはずだった多くの優しさを小春が代弁しよう。生かされたことに意味を見いだせるように。

 そして、もう二度と小春自身が勘違いしないように、愛花のような可哀想な人間を生まないように、他人とはある程度線引しなければ。
 今までも他人とは距離を置いていたが、愛花だけは小春を放って置かなかった。
 きっと愛花のようにできた人間は、可哀想とか助けてあげたいとか、そう思ったら手を貸さずにはいられないのだ。
 ならそう思われないような人間になれば良い。幸い、人の顔色を伺うのは得意だし、取り繕うのも得意だ。

 さも、順風満帆で苦労を知らない脳天気で平凡な人間。相楽小春はそういう人間であると思わせる。

 きっと愛花はそれを望まないだろう。それでもこれは小春自身への戒めだ。愛花のためなどという言葉に縋りつくだけの身勝手で独りよがりな償いだ。
 でもそれでいい。それを咎める人間はもうこの世にはいない。後ろ指を指すのは小春自身だけで良い。

 

 ──そして。
 この日から、相楽小春は相楽小春価値なき人間を否定し、佐々木愛花価値ある人間の仮面を被り偽るようになった。





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