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1章
62,利他的な聖女と利己的な聖女
しおりを挟むそれからまた数日が経った。
リュカたちが入念に準備してきた証拠のお陰で、ウェルズリー侯爵の罪は公となり表向きは廃爵され、絞首刑にされるとか。既にウェルズリー侯爵はいないため今更ではあるが。
ウェルズリー家は侯爵位を剥奪され、領地の返上が決まった。それにあたり、家宅捜索や侯爵が統括していた研究場の捜査が行われている。
リュカやローランたちはその捜査の指揮をとっており、離宮を不在にすることが多かった。
ウェルズリー侯爵と繋がっていた可能性のある人物や、人間が魔獣に変容する件についてはまだ何も情報が上がってきていない。
恐らく、これらは侯爵と繋がっていた人物が証拠を残さないようにしていたか、証拠を抹消した可能性が高い。そのため、捜査を続けても出てくることはないだろう。
ただ、一旦は小春や聖女を狙う者は排除され、小春も図書館に行くときですら護衛が付くという堅苦しい状況からは開放された。
これまでは護衛がいるのも落ち着かないので、基本部屋に引きこもり、借りた本を読み終えたときにだけ図書館に出向いていた。
そのため自由の身となった途端、リフレッシュに薬草園でのんびり過ごそうと思うのは至極当然なことだ。
小春と同様に呑気にしていたルナも引き連れ、薬草園に向かった。
王宮に来ると、普段よりなんとなく騒々しい印象を受けたが、特に気にすることなく目的の場所へ足を進めた。
その日は珍しく先客がいた。
小春が毎回座っているテラスにその人はソワソワとしながら座っていた。
その人物がいることに虚をつかれたものの、小春は静かに微笑んだ。
「……鈴乃ちゃん、帰ってきてたんだ」
「はい。……なんだかお久しぶりですね」
小春に気づくと、鈴乃は嬉しそうに笑いそう言った。
小春は鈴乃の向かい側の席に腰掛ける。
「そうだね。数週間ぶり?かな。元気、ではないか」
ただでさえ色白の肌は、以前より幾分か青白くなっており、少し痩せたようにも見える。
確実に聖女の力によるものだろう。
「そ……そんなこともない、ですよ。皆さんのお力に立てて、それで皆さんが笑顔になってくれて。本当に嬉しいんです」
それは小春に対する答えではなかった。
鈴乃は小春の言わんとする事を分かっていて、敢えて論点をずらしている。
「……そう。鈴乃ちゃんは優しいね。私にはとてもおぞましくて醜悪に見えるけどな」
「え……」
「前にも少し言ったけれど。誰かの犠牲のもと成り立つ救済なんて本当はおかしいんだよ。救われた側は何も知らず何事もなかったかのようにそれを享受する。それが私には酷く気味が悪い。だから本当は、」
──鈴乃ちゃんにはそうなってほしくなかった。
その言葉は紡がれることはなかった。
それは小春のエゴでしかないのだから。
優しい人間から全てを奪った事があるからこそ、同じような優しい人間に同じような結末を迎えてほしくなかった。
優しい人ほどそんなことは望まないだろうから、その言葉を告げることは憚られた。
小春の独白にも似た言葉を黙って聞いていた鈴乃は、思案するように目を伏せた。
「……小春さんは、私のこと心配、してくれてるんですよね。だからずっと警告してくれていた。……この世界で初めてできた友達に、憧れた人に気にかけてもらえて、すごく嬉しい、です」
「……」
「……だから。何度も警告してくれた小春さんを振り切って力を使ったのは私自身の意思です。私が選んだんです。私のことは私自身が責任を取るべきなんです」
だから気にするな、とそう言っているのだと他人事のように理解した。
鈴乃は思っていたよりずっと意思の強い子だ。彼女は初めから何も変わっていない。変わることもない。
搾取されていることに気づいたとしても、それでも他者を救わんと手を伸ばす。
小春は利己的な人間だ。どこまでも利他的な鈴乃とは相反する。鈴乃が小春に憧れたのもきっと、自分とは真逆な存在だったからだろう。
「……後悔はしてないんだね」
「はい。自分が正しいと思うことをしたつもりです」
向かい合った鈴乃の目は一切曇りがなかった。
小春は躊躇することなく答えた鈴乃に、呆れながらも笑みを返した。
「そっか、なら私からはもう何も言わない。鈴乃ちゃんの好きなようにやったら良いと思う」
「……はい」
意外にもすんなり引き下がった小春になにか思うところがあったのか、鈴乃は少し見つめ返したが、静かに首肯した。
「……後悔はないよう生きれたらどんなに良いだろうね」
「え……?」
鈴乃には聞こえないだろうボリュームでボソッと呟いたため、鈴乃はキョトンとして聞き返した。
「鈴乃ちゃんは次はどこに行くの?」
「へ……あ、はい。次は国境沿いの魔獣被害が多発している街へ騎士団の方達と一緒に」
「国境沿いってことはかなり遠いね。ゲートを使っていくの??」
「あ、はい。ただ、ゲートがある街から少し離れているので数日はかかると言ってました」
いつものように他愛のない話題を始めた小春に初めは困惑していた鈴乃も、気づけば楽しそうに話していた。
「騎士団の人たちと一緒ってことは男の人ばっかだよね。鈴乃ちゃんかわいいから心配だなぁ」
「……へ、な!や、あの!!……そんなことは、ない……ですよ?」
「ふーん??」
「ほ、ほんとですよ!……せ、セルジュさんもいて、くださってるので」
なんにもなさそうとは思えない反応に訝しげな目線を送ると、慌てふためきながらもそう返す鈴乃。
まぁセルジュも一緒なら大丈夫だろう。王子がいる手前、そんな不埒なことをするバカはいないだろうし。そのセルジュ自身も鈴乃に惚れてるが、誠実そうだしヘタレそうだったのでそこも大丈夫だと思う。
「セルジュさん、ねぇ」
「……な、なんですか……?」
「いやぁ、あんなかっこいい人に守られて優しくされたらコロッといきそうじゃない?」
「……っ。そ、それは……」
面白がって言ってみたが、満更でもなさそうだ。
脈はありそうだが、セルジュに言ってやるつもりもない。
セルジュには思うことが色々あるし、素直に応援などできない。せいぜい四苦八苦すると良い。
そんな感じでいつもの調子の会話を続け、時間だけが過ぎていった。
お互いが不自然なほどいつも通りだった。
「……もうこんな時間ですね」
ふと、すっかり朱くなった空を見上げながら鈴乃が穏やかに言った。
「だね。あっという間だ」
感慨深くなりながら、鈴乃に同意する。
小春と違って鈴乃は忙しい身だ。そろそろ帰らねばならないだろう。
残っていた紅茶を口に入れ、立ち上がろうとすると、鈴乃が顔を伏せたまま口を開いた。
「ありがとうございました」
「え」
「……私、この世界にきて、小春さんと出会えて、大嫌いだった自分と向き合えた。感謝してもしきれません」
唐突な感謝だった。いや、きっと唐突でもない。このタイミングでしかなかった。それだけだ。
小春はやんわりと笑った。
「そんなのは感謝することでもないよ。鈴乃ちゃんが頑張った結果だし」
「いいえ、小春さんがなんと言おうと感謝はしていることをどうしても伝えたかったんです。あなたに会えて良かったと」
まっすぐと。ただその純粋な瞳に小春が揺らいで見えた。
「そっか」
小春は今一体自分がどんな顔しているのか分からなかった。
少なくとも、真っ直ぐで繊細ながらも誰よりも高潔な鈴乃を通して見る小春は、酷く歪んで見えた。
「……小春さんは?」
「ん?」
「小春さんは私と出会ってどう、でしたか」
夕陽に照らされ少し赤らんで見える頬をゆるませながら、控えめにそう訪ねた鈴乃。その物言いはなぜか有無言わさぬように思えた。
そういえば、小春はそんなこと考えたこともなかった。鈴乃にとっての小春という存在、そういった視点でしかお互いの関係性を考えたことなかったのだ。
その逆。小春にとっての鈴乃について今、問われているのだと理解し、微笑んだ。
鈴乃は、その反応を不思議そうにみつめた。
「もちろん、鈴乃ちゃんと一緒だよ。君に会えて良かったよ」
一方は前向きに、一方は後ろ向きに。
この出会いに意味はあったのだと示し、笑った。
この後必ず訪れるであろう終幕から目を背けて。否、目を背けたのではなく、見据えていたからこそ、お互いの意を示した。
小春も鈴乃も、これが最期になると直感でわかっていた。
「それじゃあまたね、鈴乃ちゃん。身体には気をつけてね」
「はい。小春さんもお元気で」
立ち上がった二人は、憂いのない笑顔で、淡々と別れを告げ、それぞれの帰路へ向かっていった。
──そして、1週間後。
聖女、有栖川鈴乃が倒れたと報告があがった。
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