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1章

59,その目はよく知っている

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 覚えていたのは現実では聞いたこともない急ブレーキ音と、衝撃音。 

 その後どのぐらいか時間が経って、ぼんやりと意識が浮上した。
 うっすらとまぶたを開くと、頭から血を流しているのか、左目は流れていた血のせいで開かなかった。

 隣にいた人は?
 誰よりも優しくてたった1人の大切なあの人は?
 朦朧とした意識でもそのことは頭にあって、痛む体に鞭をうち、隣にいるはずの人に目線を向けた。

 そして、頭が真っ白になった。

 自身の隣にはあの人が座って、ニコニコと楽しそうに鼻歌を歌ってハンドルを握っていたのだ。

 なぜ、運転席が
 正確に言えば、小春の右隣は丸々潰れて見る影もなくなっていた。

 頭が朦朧としていたからだろうか。
 あの人はどこに行ったのだろうと、潰れた運転席を眺めながら、見当外れなことを思っていた。
 あの人の存在を確かめたくて、視線を右往左往に彷徨わせると、否が応でも理解するしかなかった。

 辺り一面紅く染まっていること。 
 恐らく小春を庇おうとして差し出されていた手だけがそこに転がっていること。

 その全てが、世界で唯1人だけ小春の存在を肯定してくれた人が、もうこの世にはいないのだと突きつけてきた。

 それらは、朦朧としている意識の中で確かに鮮明に脳裏に刻み込まれた。




   ◆   ◆   ◆   ◆




「リュカ様!!!腕が!!!」

 劈くようなその声に、フラッシュバックしていた意識が無理やり引き戻される。

 その声はノエルのものだ。
 彼女はそう叫ぶとリュカの下へ駆け寄り、常備しているのか懐から包帯を取り出し、慌てて止血を試みていた。
 巻いた途端に包帯がすぐ赤く染まっていく。ノエルはそれを泣きそうになりながら見て、同じくリュカの身を案じているアルフレッドに向かって声を張った。

「アルフレッド!いますぐオレーリアさんを呼んでください!!!」
「あ、あぁ!!待ってろ!!」

 アルフレッドはそういうと、一瞬で走り去っていった。
 小春の横を通り抜ける際、アルフレッドが一瞬、横目で呆然としている小春を捉えたのを見逃さなかった。

「……やられたね、せっかくの情報源を失ってしまった」
「そんなことはどうでもいいのです!いますぐ治療をしないと………!」
「大丈夫、噛まれただけだ。侯爵が魔獣を使う可能性を考えて聖堂にしたんだから。見た目よりかは傷は浅いし」

 傷口を押さえながら、苦水を飲むように煮えきらない表情を浮かべるリュカとそれに寄り添うノエル。

「リュカ様」

 うずくまる2人に近寄ったローラン。
 その顔はいつもよりも幾分か焦っているようだった。

「侯爵のことは僕が痕跡がないか辿るよ。だからオレーリアが来るまではじっとしてなよ」
「……ローランにまでそんなこと言われたら世話ないなぁ。それじゃあよろしく頼もうかな」

 なにか言いたげにしつつも、ローランの言葉を素直に受けいれ、なんとか笑って答えるリュカ。
 ローランはそんなリュカに頷くと一瞬で目の前から消えた。
 転移魔法でも使ったのだろう。
 
 リュカはローランがいなくなったあとを思い耽るようにじっと眺めていた。
 リュカはただ侯爵を捕まえるだけでなく、その裏にいる人間を引きずり出したかったのだろう。

 聞いていた限り、リュカの挙げた罪は、あの侯爵が1人でやっていたこととは思えない。侯爵の裏にはもっと強力な人間がいて、侯爵は良いように踊らされた、と言う方が説得力はある。

 その人物に通じる手がかりが少しでも掴めるよう保険として、相手が欲しているであろう聖女小春を同行させていたのだ。要するに囮として。

 今更利用されたからといって何も思わない。むしろ黙って利用しようとしたから、痛い目にあったのだと嘲笑えばいい話だ。
 それなのになぜこうも心がざわめいているのだろうか。

「近づかないで!!!!」
「っ!」

 甲高いノエルの声に驚き固まる。
 そして今更に気づいた。小春は無意識にリュカに手を差し出しかけていたのだ。
 
「いい加減にしてよ……!!!リュカ様があんたに優しくしてたからいい気になって!!!災厄をもたらす悪魔のくせにっ!!!」
「ノエル、それぐらいに……」

 小春を見るノエルの目は憎悪に満ちていた。
 今までは視線を向けるだけで何も言わなかったノエルが、リュカを庇うようにして、その憎悪を隠すことなく小春に向けていた。
 リュカは見かねて、ノエルを止めようとしたが、ノエルは止まることなく言葉を続けた。


「あんたがいて何かなるの???なんの力だって無いくせに?むしろ迷惑をかけていることを自覚しなさいよ!!!ルイストンのことだってそう。みんなあんたのおかげだって言うけどあんたはただ無責任に意見を言っただけ。実際に身を粉にしてたのはリュカ様とルゥセラール卿だけじゃない!当のあんたは自分の言ったことすら責任も持たずのうのうと過ごして……!!!今だってあんたなんかを庇ったりしたからリュカ様だけが傷ついて……。リュカ様があんたに優しくしてるのはあんたを利用するためだけなのよ!……私だって分かってるのよ、あんたは利用価値があってそれだけのためにそばに置かれているのも。それでも悪魔がリュカ様の側にいるのなんて耐えられない!!!今だってあんたのせいでこうなった。……さっさと殺しておけばよかったのよ。私が今この場であんたを──」

「ノエル!!!」

 リュカの張り上げた声を初めて聞いたような気がして、目を見開く。
 携えていた剣を鞘から引き抜きかけていたノエルも、その声に驚いたように固まり目を伏せた。

「……申し訳ありません。………ですがリュカ様、」
「いい加減にしろ、ノエル。憎悪を向けるべき相手を履き違えるなと言ったはずだよ。君のやっていることは、君が最も嫌ってきたことじゃないの?」
「それはっ……!………申し訳、ありません」

 淡々と話すリュカは静かに怒っているように見えた。
 リュカの雰囲気を察してか、ノエルは唇を噛みながらもそれ以上言うのを辞めた。

 リュカは息を吐き、その様子を他人事のように見ていた小春に目を向けると、小さく微笑んだ。

「……ごめんね。いろいろとショッキングなところ見せてしまったし整理つかないよね」
「いえ……別に」
「ノエルのこともごめんね。君を傷つけてしまった」

 リュカが謝っている横で肩を震わせるノエル。顔を伏せているので表情は分からなかったが、恐らく憤りは感じているだろう。

「……別にリュカ様やルゥセラールさんにめんどくさいこと丸投げしてたのは本当のことですし。私は自分がどうしようもなく自堕落な人間だということも自負してます」

 小春は、なんとも思っていないことをアピールするように、胸を張りながら笑っていった。そんな小春をリュカは複雑そうな目でしばらく見つめたあと、ゆっくりと口を開いた。

「……そういうのは自負しないでいいから。今回は俺の予測が甘かった。この詫びはまた今度返させて」
「別にいいですよそんなの。……そんなことよりも、自分の身を案じたほうが生産性あるかと。いくら傷が浅いといえど、そのままダラダラと血流していたら死にますよ」
 
 チラリと負傷した腕を見て、心配をしているのか悪態をついているのか分からない物言いで返した。
 素直でない小春の言い方に苦笑するリュカ。それに対し本当なら文句の一つでも言いたいところだが、今はそれどころではないので黙り込む。

「ルゥセラール卿。悪いけどコハルさんのこと任せてもいい?」
「はい。責任を持ってコハル様を送り届けましょう」
 
 後ろに控えていたモルガンにリュカが声をかけると、普段と変わらぬ態度で返答し、頭を下げた。
 小春もこれ以上、リュカの負担になることは望んでいないので、素直にモルガンの側についた。
 
「それでは失礼します」
「あぁ」

 モルガンに習うように頭を軽く下げ、聖堂を後にした。聖堂を出る直前、チラリと2人を見ると、リュカが呆れたように何かをいいながらノエルの頭を撫でているのが見えた。




 コツコツと歩く音が静かな廊下に2つ響いていた。
 聖堂周囲は騒ぎにならないように人払いがされていたらしく、やけにシーンとしていた。

「コハル様には色々と謝らねばなりませんな」

 ぼぅとして、心ここにあらずでモルガンのあとを歩いていると、歩幅を緩めたモルガンがそういった。

「……何の話ですか?」
「まずは貴女に何も言わず貴女を利用する形になったことを。我々はウェルズリー侯爵の裏にいる人間に繋がる手がかりを得られればと、コハル様を囮に使いました」

 歩みを止め、モルガンは小春をまっすぐと捉えた。
 その真剣さには誠意が見えて、小春の思いと真逆なように見えて苦笑した。

「あーそんなことですか。いいですよ、別に。私があの場にいる理由なんてあらかた想像ついていましたし、今更というか」

 駒として利用されるなんて今回初めてでもないし、なんならリュカ本人から、小春は駒なのだと言われているわけで。
 今回もまた利用されたなとしか思うことはない。

「本当はあなたに危害が及ばないよう想定しとったのですが、まさか……」

 モルガンは、申し訳無さそうに言葉を詰まらせた。
 リュカたちは、ウェルズリー侯爵が小春に何かしらしようとしていることや、侯爵が魔獣を操る術を持っていることを把握していた。
 侯爵が魔獣を使ってなにか仕掛けてくることを警戒し、魔獣が弱体化する大聖堂を断罪の舞台にしたのだろう。そしてノエルやアルフレッド、ローランなどの主力を念のために控えさせていた。

 そこまでは想定していたが、まさか本人が魔獣に変化するという想定外なことが起きたのだ。

「……どちらにせよ、結果が全てですしね。リュカ様がご自分でその尻拭いをして、結果的に私には被害がないのだし、それ以上責める道理はないかなと。むしろ予想外ではあったとはいえ、お二人としては敵さんの秘密をまた一つ知れたのは収穫じゃないですか?」
「………皮肉なことに、コハル様のおっしゃるとおりです。ウェルズリー侯爵の裏にいる人間、或いは組織には人を魔獣に変化させる術すらもある。それを知れただけでも今後の動き方が変わります。……ウェルズリー侯爵は良いように捨て駒にされたのでしょうな。今回は恐らく後手に回ってしもうた」

 ウェルズリー侯爵は狡猾な男だと聞いていたのに、短気な所も多く、どこかチグハグな印象があった。だが、侯爵のバックにいた人間が良いように侯爵を利用していたとすれば、色々と合点がいく。
 そして今回、ウェルズリー侯爵が本格的にリュカから探りが入った時点でバックにいた人間は早々に切り捨てたのだろう。

 今にして思えば、ウェルズリー侯爵の最後の魔獣化は、リュカを出し抜くだけでなく、バックにいる人間へのある種の意趣返しだったのではないだろうか。
 まあ、当の本人はすでにこの世にいないので、憶測の域を出ることはないが。

「そして………、わしから言うのはどうかと思うが、ノエルの言ったこともどうか気にしないでくだされ。あれは──」
「過去に聖女に家族を殺されたとかで聖女を憎んでいる、とか?」
「……!知っておられたのですか?」

 言いづらそうに伏し目がちに話すモルガンの言葉を代わりに言い放つ小春。
 わずかに目を見開いたモルガンは静かに尋ねる。

「いえ別に。……ただ」

 ──そういう目をしていただけ。

 フッと自嘲じみた笑みを浮かべる小春。
 それを口にするのはなんというか甚だしく思えて、それ以上言葉にはしなかったが。

 そうだ、あの目はよく知っている。

 悲しくて悲しくて、その気持ちを怒りや憎悪に昇華し、その感情の矛先を誰かに向けるしかなかったのだ。
 小春は向けられたその悲しい怒りを、忘れたことは一度もないのだから。

「ノエルさんは私に憎悪を向けるべきではないとはわかっていると思いますよ。それでも心なんてままならない、憎しみを忘れることはきっと生涯できないんです」
「そう……、ですな。それでも、いつまでも過去に囚われるべきではないがの」

 哀愁漂う雰囲気のモルガンの言葉になんとも言えない感情が生まれる。

 小春からすれば、ノエルはむしろ前向きなほうだ。聖女がまた、自分の大切なものを奪うかもしれない。そんな未来を危惧してるからこそ、小春を嫌悪しているだとすれば、それは必ずしも過去に囚われているというわけではないだろう。

 憎悪という感情は悪いものと捉えやすいが、煮えきらない感情を憎悪に昇華できているうちは良いことだ。
 心の奥底にどうにもならない感情を積もらせ続ければ、いずれ破綻してしまうだろうから。

 ならば。
 本当の意味で過去に囚われているの果たして誰なのか。

 そんなことを今更考えたって不毛なことだが。

「送ってもらってありがとうございます。ここまででいいですよ」    
「しかし……、」
「ルゥセラールさんも後始末とか色々あるでしょう。私は眠いんで部屋で寝ますし」

 これ以上人と一緒にいると、何かしらボロを出しそうで、一歩前に出て軽くお辞儀をする。
 歯切りが悪そうなモルガンにもう一声そういうと、渋々頷いた。

 小春はニコっと笑って会釈をし、複雑そうな表情のモルガンを置いて歩き出した。
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