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1章
58,どこまでも紅く
しおりを挟む「………何?」
びっくりするほど低く乾いた声に思わず背筋が凍りそうになる。
恐れ多くもリュカの言葉を遮ったウェルズリー侯爵は、口元を引きつらせながらもなんとか笑みを浮かべる。
「確かにリュカ殿下のおっしゃるとおり、後ろめたいことの1つや2つはあります。ですが、私めは誓ってルイストンの領民には何もしておりません」
「流行り病の話は貴殿も知っているだろうに。それも知らぬ存ぜぬをつき通すつもりで?」
「あぁ、それは知っていますよ。ですが考えていただきたい。私が研究しているものが完成すれば、アリステッドは近隣諸国に大きく優位をとれるのです。私の研究は必ずやアリステッドの繁栄の一助となるでしょう。この国の行く末を憂う聡慧なあなたなら理解いただけるはずだ。この国を盤石なものにするためには、些細なことだと」
リュカが食いつくと確信した口ぶりのウェルズリー侯爵。対して、領民への被害を些細なことだと言われたモルガンは、静かに侯爵に睨みを効かせた。
「貴殿の言う殺戮兵器がこの国のために使われれば、確かに我が国は確固たる地位を得るでしょう。ですが、その後残るのは数多の恐怖と憎悪だけだ。それらからは何も生まれない。生むとすれば、それは終わりなき殺戮の狼煙といったところかな。……そんなものを生み出すために、人的被害に目を瞑るだなんて虫酸が走る」
冷え冷えとしたオーラを纏い、口角だけあげて話す姿はもはやラスボスや裏社会の長だったり、そんな言葉がふさわしい。
侯爵はリュカに賛同を得ようとしていたようだが、今までの言動を考えると、リュカは、誰よりも他人を犠牲にして利益を得る行為を嫌っている節がある。そんなリュカに侯爵の言い分は火に油を注ぐようなものだ。
それを察している小春は身震いをしつつ、リュカから静かに視線を反らした。
「じっ人的被害とはいっても、所詮貧民街の鼠風情が贄になるだけのこ──」
「貴様は大切な我が領民を鼠風情などと宣うつもりか!!!!」
それまで静かにしていたモルガンが、小春の知る限り最大限の声で叱責した。
その声は聖堂の中に響き渡り反響していく。それと反比例するようにそこにいる全員が口を閉ざし静けさだけが広がっていく。
温厚なモルガンを怒らせたウェルズリー侯爵も、その覇気に一瞬圧倒されていたが、嘲るように笑い口を開いた。
「だってそうでしょう?確かその鼠共はまんまと居つき、領民の義務である納税すら怠っているというではないか。貴方もさぞかし困っていてのことでしょう。それを鼠と呼んで何が悪いですかな?」
「……貴様っ───」
「そこまでにしようか。それは今必要のない話だよね」
二人の言い争いが加熱しそうになった矢先、リュカの冷静な言葉が間に入った。
すると、頭に血が上っていたモルガンがハッと我に返り、静かに頭を下げた。
「申し訳ありません。話を続けてください」
リュカは、モルガンの潔い謝罪に小さく頷くと、そのままウェルズリー侯爵の方に向き直した。
「侯爵、貴殿が屁理屈を言ったところで事実はねじ曲がらない。貴殿が魔法省に申告せず、シュバルツの森に魔素廃棄物を不法投棄した。そしてその魔素廃棄物で被害を受けたのは、貧民街の住民だけではないのだから」
「……は…、」
侯爵はリュカの言葉に全く心当たりがないのか呆けていた。
当然といえば当然だろう。侯爵は、違法で作っている殺戮兵器のことが公になることを恐れており、魔素廃棄物の存在は隠したかったはずだ。わざわざ危険なシュバルツの森に捨てに行くぐらいだ。
ルイストンの領民が大勢被害がでるようなことをわざわざしようとは思わないだろう。
つまり、今回のことはウェルズリー侯爵の想定外だったということだ。
「魔素廃棄物が川に蔓延し、その中で生きる魚たちにも毒素が蓄積されていた。ルイストンにおいて魚介類は主要な流通品なことは貴方も知っていますよね」
「……な………」
「まぁ分かりやすく言えば、貴殿は国内外に流通する魚に毒を盛ったテロリストというわけだ」
「……なっ!!!ふざけるのも大概にしろ!!!私にはそんな意思全くなかった!!!」
とうとう取り繕う余裕がなくなったのか、小春のよく知る、口調が荒々しく短気な侯爵がそこにはいた。
態度が豹変した侯爵に動じることなく、リュカはあくまで淡々と言葉を続けた。
「過程なんてどうだって良い。結果が全てだ。貴方も言っていたではないですか。未来を見据えて考えるべきだと。どんな意図があれ、貴殿の行動が招いたのは大勢の人間が苦しみ、敵国に塩を送る未来だ」
「ぐっ…………!」
「先程挙げた罪状に加えて、ウェルズリー侯爵にはテロ罪、傷害、殺人未遂あたりもつけて差し上げよう。獄中でしっかりと己が罪を洗いざらい話すことだ」
歯ぎしりをする侯爵にリュカはそう告げながら、いつの間にやら後ろに控えていたアルフレッド、ノエルに目線を送った。
すると、2人はあっという間にウェルズリー侯爵の身柄を拘束してしまった。
今までどれほど野放しにされていたのかは知らないが、実に呆気ないものだ。
「く……くははははは」
突然、拘束されたはずの侯爵の高笑いが聖堂を駆け巡った。
「……いつまで下らない反抗期を続けるつもりかと思っていたが、本当に最後の最後まで目障りだったよ、リュカ王弟殿下」
「きっ貴様!!リュカ様に何たる無礼を……」
さっきまでの威勢はどこぞに消え、やけに静かに嗤う侯爵は、不気味に映る。
拘束していたノエルが、リュカをバカにした言い方に顔を顰め、声を張ったが、侯爵が気にする様子はない。
「……あぁ、ずっと考えていたよ。貴様を出し抜くにはどうすればいいかと。何をすれば貴様の澄ましたおきれいな顔が歪むのかと」
「………」
「もはや計画は破綻した。私にはもう何も残らないだろう。……ならば、最期に少しぐらい私の好きにしてもいいだろう」
ぼそぼそと告げた侯爵の身体が黒く染まっていき、不自然に膨張していく。
「な……!」「く……っ」
侯爵を拘束していたノエルとアルフレッドは、身体が大きく、人間ではないなにかに変化していくせいで、拘束を継続できなくなり、顔をしかめる。
「1つぐらい生意気な小僧、の、タイセツ……な、もノ、ウヴァわせ、……もらオゥ………!』
深くどこまでも黒い毛並みと鋭い眼光と牙に巨大な体躯から漏れ出る不気味なオーラと息づかい。
完全に侯爵が人間ではない獣の姿に変わったと同時に、それまであったはずの知性は消え去り、本能だけで動く存在に成り果てたのだと、その目をみただけで察する。
目の前で、人間だったものが獣に変容したのだ。その異様な光景に驚いて声も出なかった。
──その鋭い眼光がこちらを捉える。
それを理解したとき、黒く大きい体躯はすでに小春の眼前にそびえ立ち、捕食者としての本能のまま小春を見下ろしていた。
走馬灯というべきか。世界がスローモーションのようにゆっくりと動いて見えて。
侯爵だった物が口を大きく開き、鋭い牙を曝け出し、小春を飲み込もうとしていくのを大きく見開いた目で捉える。
視界は恐ろしくゆっくり鮮明に見えていても、恐らく時間にすればほんの一瞬の出来事に対して、小春ごときに為す術もない。
あぁ、なんてあっけない最後だろうか。
痛いのは一瞬だといいのだけれどと。
そう思いながら、牙が小春の身体に触れるのをただ受け入れる。
──そうして、肉を抉るような鈍い音とともに視界が紅く染まった。
「ぐっ」
深く突き刺さった牙と紅く紅くドクドクと流れるそれを他人事のように見つめる。
その紅は、眼前にいた小春にもかかっており、それを確かめるように、自分のでない紅で染まった利き手をゆっくりと持ち上げ見つめる。
そう。その紅い血は小春のものではなかった。
そのことを理解するまでにかなりの時間を要した。
小春に向けられていたはず狂気は、別の人間が代わりに受けたのだ。この血が何よりの証拠であった。
小春を庇った相手に再び目線を向けたと同時に、悲痛な声が響く。
「リュカさまぁぁっ!!!」
ノエルの声で目の前で小春を庇い、血を流しているのが、リュカ以外他ならないことを知った。
事実を受け入れるのに時間がかかっていた小春は呆然と、牙が腕に深く刺さり、苦悶の表情を浮かべるリュカを眺めた。
どうして。
そう言おうとして口を開いたが、言葉となることなく、霧散してしまう。
リュカはドクドクと血を流しながらも、引きつった笑顔でもう片方の手で獣に触れる。
「……風よ」
そう呟くのが聞こえた瞬間、いくつものつむじ風が巻き起こり、その勢いに思わず押し出されそうになるのを、足に力を入れて留まる。
ザシュッ。
そんな音ともに風は刃のように獣の首を真っ二つに切り裂く。獣は血を吹き出しながら倒れ、リュカの腕に噛みついていた口も力が抜け、首から上もそのまま地面に落ちていった。
牙がなくなったことで、リュカの腕から流れる血の量が比にならないほど増え、美しく磨かれている聖堂の大理石が紅く染まっていく。
紅く、紅く。
どこまでも紅く視界を染めて。
その光景に既視感を覚え、小さく息を呑んだ。
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