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1章
56,もう一つの物語⑥〜終幕〜※鈴乃視点
しおりを挟む変わりたいと思って行動してみたが、根の根は変わるわけではない。鈴乃は臆病者のそれだ。
苦しんでいる人を救える力があるくせに、自分への不利益と天秤にかけて。いくら助けたいという気持ちで取り繕ったところで、事実が覆るわけではない。
鈴乃は今、彼等を見殺しにしている。
有栖川鈴乃という人間は、その状況を受容し、死にゆく彼等を横目に、偽善者を演じているだけのしょうもない人間だ。
鈴乃は後ろめたい気持ちを残したまま、サラやヨシュアたちの下へ何度も足を伸ばし、上辺だけの情を向け続けた。
そうして、ただただ時間だけが過ぎていくと思われた中、小春はやってきた。
驚きはなかった。もともと、この貧民街を救うために貢献したのが小春だと聞いていたのだから。小春は面倒くさがって来ないという話も聞いたが、彼女はそんな不義理な人間でもあるまい。
やはり尊敬に値する人だと感心して嬉しくなった。だがそれと同時にそんな尊敬できる一面を素直に喜べない自分がいることに気づき、愕然とする。
小春は貧民街の人々に特に怖気づくこともなく、すぐに自前のコミュ力で馴染んでしまっていた。
鈴乃はといえば、たまたま聞こえたセルジュとリュカの会話に居ても経ってもいられず、ここに来たいと言った。
が、実際に話しかけてみてもいい顔をされない状況に怖気づいて簡単に動けなくなってしまった。
サラとヨシュアという父娘が優しく話しかけてくれなければ、とうに逃げ出していたことだろう。
それを一瞬で打ち解ける小春はやはり尊敬する気持ちはあるが、それと同時にやるせない気持ちも芽生えていた。
変わりたいと思うきっかけになった尊敬している同郷の友人は、鈴乃よりずっと先を悠々と歩いている。あまりにも眩しくて、あまりにも敵わない。
気持ちを入れ替えた程度で小春と並び立とうとするなんて思い上がりも良いところだ。この差を素直に受け入れ、自分のペースで少しずつ変わっていければ良い。小春と鈴乃は違う人間なのだから。
そう思おうとしていたのだと今なら思う。
──決定打は唐突だった。
小春は女の子が抱えていた子犬に水を与えていたのを見た。あの子犬のことは鈴乃も知っていた。サラとヨシュア同様に見殺しにしていたのだから。
何気なく見ていると、小春に与えられた水を飲んだあと、あろうことか、すぐに子犬は元気になっていた。
周囲にいた人間は皆、子犬の変わりようはあの水のおかげだとそう認識していた中、遠くから見ていた鈴乃だけは理解した。
あの奇跡は紛れもなく、小春の力だ。
小春の能力は言霊のようなもので、言ったことがそのまま起きるというものだったはず。ならば、あの子犬を元気になるよう念じれば治すことも可能だったのだろうか。
いや、そんなことはどうでもいい。
そんなことよりも、小春は命の灯火が消えかけた子犬を無条件で助けた。
見知った人間が苦しんでいるところを見ていながら何もしなかった鈴乃と違い、小春は初対面の、しかも犬に対し、あれほどリスクがあると言っていた聖女の力を躊躇なく使ったのだ。
その事実に元々焦燥していた鈴乃は打ちのめされるほかなかった。
小春と鈴乃の間にあまりに立ちはだかるどうにもならない差。
人のために何かできることがしたい。人のためになにかできる人間になりたいと軽率に宣ったくせに、いざそれを目の前にしたとき、何もせず静観する自分。
そんな自分が嫌いだったはずなのに、変わろうとしたところで、その嫌いな自分が浮き彫りになっただけで。
追い打ちをかけるようにあれほど世話になったサラの絶望する声。ヨシュアの身に何かあったのは間違いない。
助けたい。
助けなきゃヨシュアやサラに何もお礼ができないまま、また手遅れになる。
助けなきゃ。
鈴乃には助けられる力がある。力を使うことで生じるリスクなどもうどうでもいい。助けられるのに助けないのは間違っている。
衝動に駆られるがまま、その場を立ち上がり走り出した。
その矢先に手を掴まれた。後ろを振り返らなくても分かる。小春だ。小春が止めに来たのだ。
鈴乃は、手を掴んだまま何も言わない小春に静かに告げる。
「………離してください」
背後で息を呑む気配がしたが、小春はその手を離すことなく、話し始めた。
「鈴乃ちゃん、あの力を使おうとしてるよね」
「………」
「なら行かせてあげられない。言ったよね、使ったら鈴乃ちゃんは……、」
言いたいことは分かる。小春からは曖昧な言葉でしか伝えられてこなかったその言葉の先。
──利用され、壊れるまで使い潰される。
顔を伏せる。
優しい小春のことだ。ありのままの事実を鈴乃に突きつけることに後ろめたさを感じている。
「……利用されるかも、ですよね。わかって、ます。小春さんが、いう……ことですから、根拠もあるんでしょう……?」
「なら」
「でも、わ、私は。助けたい、と思うんです」
震えながらも自分の意志を明確に伝える。
もう何もしない自分を許せない。許したら駄目だ。本当に嫌いな人間になる。
鈴乃の腕を掴む小春の手に力が入ったのが分かる。
「じゃあ、助けるために自分はどうなってもいいってこと?」
伏せた目をわずかに見開いた。
自分のことなんて頭になかった。むしろ、自分のことと彼らの命を天秤かけること自体が後ろめたかったからだ。
「……そ、れは……」
「私も彼らには同情するし、できれば助かってほしいと思うよ。だから、私も自分にできることならやりたいと思う。けどそれは自分を無下に扱うのとは違う。誰かの犠牲の上で成り立つ救済なんて、救済なんて陳腐な言葉で呼ぶのもおこがましい」
「………」
「だから、鈴乃ちゃん。できる範囲で自分にできることをやろう?」
黙り込む鈴乃。
小春の言っていることは間違っていない。きっと鈴乃の大切な人が犠牲にならなければ見知らぬ人を救えないというなら、鈴乃だって小春と同じように止める。
「………そう、ですね。そう、かも……しれません」
そのとおりだと自分に言い聞かせるようにつぶやく。小春が心配してくれている。ここで留まって、一度頭を冷やしてそれで……。
そして、頭にサラとヨシュアの顔がよぎる。
無意識のうちに唇を噛みしめる。
「鈴乃ちゃ、」
「でも!……私にはそれができるでしょう???私なら助けられる、この状況を一瞬で変えられる!!」
呼びかけを遮った鈴乃は溜めていた思いを吐き出した。
小春がその勢いに若干気圧される様子はあったが、優しく言葉を続ける。
「それで、鈴乃ちゃんが傷つくことになったらどうしようも、」
「小春さんは仔犬を助けていたじゃないですか!!」
「!!」
見ていたとは思わなかったのか、小春は目を見開いた。そして、予想外なことで腕を掴んでいた手の力が緩んだ。
その機に鈴乃は小春の手を振り払うと、後ろを振り向き、小春と向き合った。
「小春さんは、自分の危険を顧みず、見ず知らずの人を助けてました。初めて会ったときも、自分だって理由の分からない状況だったずなのに真っ先に私の身を案じてくれて、2回目にあったときもまた助けられて!」
「……それは」
鈴乃の言葉に居心地悪いように目を反らしながら言い淀む小春に少しの苛立ちを覚える。
「ちがうっていうんですか??何が??………私、初め何かの役に立ちたいと思ってここに来たのに、足がすくんでしまって。そんな私に初めて声をかけてくれたのがサラさんとヨシュアさんです」
サラとヨシュアの名前を出したことで、小春が動揺するのが見えた。
「知っている、人なんです。2人がルイストンに来た理由も知っているんです。知っているんですよ!………見知らぬ人にすら手を差しのべる小春さんに、変わりたいと願った私を肯定してくれたあなたに、憧れているんです。………あなただけは見捨てろだなんて言わないでください!」
長い前髪の隙間から強い意志を孕んだ目を小春にむけた。
気づいたときには鈴乃は吃ることなく、はっきりとした声で話せていた。
目を見開いたまま何も言わない小春に、鈴乃は小さく頭をさげ、迷うことなくサラの声がした部屋に入っていく。
もう、小春が止めに来ることはなかった。
部屋に入ると、部屋の中心で泣き崩れるサラと目を閉じたまま苦悶の表情を浮かべているヨシュアが視界に入った。
「ヨシュアさん!!!」
鈴乃は迷うことなく慌てて駆け寄る。
鈴乃に気づくと、サラの泣き腫らしいた目からさらに涙が溢れ出る。
「す、スズノさん……っ、父さん……が!」
「………はい。わかってます」
嗚咽を漏らしながらも状況を説明しようとするサラの手を優しく包み、安心してもらえるよう微笑んだ。
いつもと違う鈴乃の様子に、サラの言葉が詰まる。
鈴乃はヨシュアの方を改めて見る。
まだ、息がある。
ここまでの自分の優柔不断さが彼等を苦しめてきた。
だからもう迷うつもりはない。今ならまだ手遅れにはならないから。
ヨシュアの冷たくなった手に触れる。
身体の力を手のひらに集めるような意識をする。
すると、手から淡い光が溢れ出した。なんとなくでしか使ったことのない力がきちんと使えるか不安だったが、これならきっと。
(お願い治って!元気になって……!)
目を閉じてそう念じた。
身体からごっそりと力が抜けていくの感じる。
力を出し切ったあと恐る恐る目を開けると。
視界の先にいたヨシュアの表情は和らぎ、明らかに顔色が良くなっていた。
「父さん!!!」
鈴乃の様子を呆然と見ていたサラは、いても経ってもいられなくなったようでヨシュアに駆け寄り、声を張り上げた。
サラの声にきつく閉じられていたヨシュアの瞼が開き、涙を流す娘を見てふにゃっと笑った。
「……なんつぅ顔してんだよ……俺の娘が」
「っ!!!と、父さん!?大丈夫なの?」
穏やかな笑みを浮かべるヨシュアに驚きを隠せないサラ。
「あぁ、なんか身体中の痛みがなくなったなぁ。元々あった腰痛もなくなってるみたいだしよ」
と言いながら、軽々と立ち上がりニカッと笑った。
その様子をみて、鈴乃はほっと息をした。うまくいった。それが分かって全身の力が抜ける。
「……うそ………、ほ、ほんと??もう大丈夫なの……?」
「……わりぃな、心配させて。俺はもう大丈夫みたいだ」
「……ぅ…………。と、父さん……!!」
今まで我慢してきたぶん一気に耐えきれなくなったサラは人目も気にせず抱きつき、泣きじゃくっていた。ヨシュアも、そんなサラの頭を撫でながら、目を細めて微笑んでいた。
良かった本当に。彼等は優しい人たちだから、苦しんでほしくなかった。鈴乃がしたことは間違ってない。間違っていたとしても、これが鈴乃の意志だ。
「……き、奇跡だ………」
誰かがつぶやくように言った言葉が伝染し、辺りが騒然とし始めていく。
「み、皆さんもかならず直しますので!」
鈴乃は目を輝かせた貧民街の人々に笑顔を向けてそう言い放つ。
苦しんでいる人たちを助けたい。
きっとそれがこの力を与えられた意味なのかもしれない。
一人ずつ力を使い、治すと誰もが泣きながら鈴乃に感謝してくれた。
それだけで嬉しかった。
騒ぎを聞きつけたセルジュが駆けつけた頃にはその場にいたほとんどを治していた。
セルジュは鈴乃が人を助けて感謝されたとき、いつも自分のことのように喜んでくれた。
だから、今回もきっと喜んでくれるだろうと、セルジュに少し得意げに微笑んだ。
「……?」
しかし、セルジュはいつものような優しい笑顔ではなく、何故か今にも泣き出してしまいそうな思い詰めた顔で鈴乃を見た。
なぜそんな顔をするのだろうか。
鈴乃が力を使ったことで、みんながこんな幸せそうに微笑んでくれているというのに。
鈴乃は今にも悲鳴を上げそうなほど、軋んで全身に激痛が走るのを気づかないふりをしたまま感謝を告げる人に笑みを向けた。
──そうしてその日、1人の聖女が誕生した。
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