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1章

53,もう一つの物語③〜憧憬〜※鈴乃視点

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 手を引かれ、連れてこられたのは薬草園と言われる場所だった。

「はい、どうぞ」
「……あ、ありがとうございます………」

 鈴乃を座らせ、なぜかあるお茶を淹れ始めた女性を眺めていると、紅茶の入ったカップを差し出された。

 女性は鈴乃の向かい合わせに座り、自分で淹れたお茶を一口飲む。それをみて、戸惑いつつも鈴乃は紅茶に口付けた。
 コップを口元に持っていっていた鈴乃の方に視線を向ける女性。

「それで、ずっと聞きそびれてたんだけど名前聞いてもいいかな?」

 女性の言葉にハッとする。お互いにまだ名前すら名乗っていなかった。

「あ!……すいません、私……」
「私は相楽小春。年はちょうど20歳で大学生です」
「……有栖川鈴乃です。18歳……です。がっ、こうは……行ってま……せん」

 鈴乃はできる限り吃らないように意識したが、引きこもりであることに後ろめたさしかなく、後半は声が小さくなる。
 小春、と名乗った女性の反応が怖くて目線を下げる。が、帰ってきた返答は意外なものだった。

「鈴乃ちゃんかぁ、可愛い名前だね!名は体を表すって言うけどまさにって感じだ~」
「へ……?」

 触れられたのは名前の方で、しかも嬉しそうに話すものだからつい呆けて小春をみた。

「18歳かぁ………若いね……。鈴乃ちゃん心なしか肌もスベスベもちもちだよね、なにかしてるの?」
「え、や、別に、なにも……」
「え?!それ自前なの?やっぱり美人は肌もきれいなのか……」
「あ、あの!!」

 小春はそのままテンション高く話し始めたので、それまで困惑気味だった鈴乃は、少し大きい声で小春を止めた。
 なんとなく。
 なんとなくこの人には誠実でありたいと思い、口を開いた。

「……へ、変じゃないですか……?」
「ん?」
「その……、本当だったら高校……行ってる年なのに……その……私は行って……なくて……」

 小春の反応を恐る恐る窺うように言い淀む鈴乃。
 ほんの数秒、小春は何かを思案するように鈴乃を眺めていた。

「鈴乃ちゃんは高校行ってないことを私に責めてほしいの?」
「……!……いえ、そういうわけでは……」

 小春の言葉に下げていた目線をあげる。
 小春は鈴乃を馬鹿にするでなく、まっすぐ真剣に見つめていた。

「なら、私の意見は"思わない"かな」
「え……」
「学校なんて行かなくていい、とか極論は言わないけど、別にそれが全てだと私は思わない。ようはさ、本人と……まあその周囲の人たちが良いと思うなら良いんだよ」
「………」
「中卒で仕事をする人もいれば、70歳とかで大学に入る人だっているわけだ。それが良いか悪いかなんて結局本人しか分からない。……鈴乃ちゃんはどう?学校に行っていないことは鈴乃ちゃんにとって良いこと?」

 静かに聞いていた鈴乃は、ゆっくりと目線を横にそらした。
 そんな考え方をしたことはなかった。学校に行っていない、それはつまり一般的なごく普通のことができていないということだ。みんなと同じことができないのはイコール悪だと。
 自分がそう思い込んでいたのだと、思い知らされる。

「……良いこと……では、ない……と思います。家族にも…迷惑かけてた………そんな自分……がいや……で」

 言葉に詰まりながらも静かに告げる鈴乃。
 鈴乃は学校に行かずにいることを正当化できない。家族を沢山困らせた。それは鈴乃の望んでいたことではなかった。

「そっかぁ、鈴乃ちゃんは偉いね」

 なぜか小春は鈴乃の答えに笑みを浮かべ、そう言った。否定されるのは分かる。それなのに肯定するどころか、褒められるなんてまるで意味がわからない。

「……え??そんなこと……」
「あるよ。今まで引きこもって逃げてきた自分を変えようとしたから今こうして部屋の外に出て私と話してるんでしょ?」
「……っ!!」

 目を見開いた。
 小春と鈴乃はほとんど初対面のはずだ。それなのに、たった一つの行動で鈴乃が何を思ってしたのかを把握した。

 たかが一歩。一歩踏み出しただけだ。
 それでも、これまで一度も踏み出せなかった一歩を他者に認められる。
 それだけのことだと言われればそうなのかもしれない。小春だって大した事を言ったつもりなんてないだろう。けれど、鈴乃はそんな些細な一言が嬉しいとそう思った。

 目元に涙が溜まっているのに気づく。こんなことで泣くなんてきっと小春も困ってしまうだろうに。
 鈴乃の様子に気づいた小春は案の定目を見開いた。

「………鈴乃ちゃん」
「ご、ごめんなさい……!これは、その……ちがっ」

 声が上ずって涙が溢れるのを必死に防ごうとする鈴乃。
 すると、驚いていたはずの小春は、なぜか優しく笑っていた。

「ふふ、鈴乃ちゃんがせっかく頑張って出てきたのにあんな男に絡まれるなんて災難だったね」
「さ、さっきはありがとうございました!!」
「いやいや~お礼なんていいよ」

 そういえばお礼を言ってなかったということを思い出し、慌てて頭を下げる。
 小春はなんてことのないように笑った。
 その笑顔が目に焼き付いて離れない。

「……相楽さん、すごくかっこよかった、です。……それに比べてわたし……黙ってるだけ……で」
「小春でいいよ、ここの人たちにはそう名乗ってるし」
「は、はい……!こ……小春……さん」

 鈴乃は遠慮するようにもじもじとしながら名前を呼んだ。
 こんな尊敬できる人を名前で呼べるなんて、罰当たりじゃないか、などと思いながら。

「鈴乃ちゃんはさ、かっこいいって言ってくれたけど、私がやったのって大人げないことだからね。ちゃんとしてる人はもっとうまいことやってたと思うし」
「………そう……かもしれません」
「………」

 この言葉に小春の行動を思い出し、思わず口をついて出る。
 引き笑いを浮かべる小春を見て、しまったと気づく。今までならそんな不躾なこと言わなかったはずだ。つまり、鈴乃は小春相手には気を張らずにいれたということ。
 少しだけ自分を変えられたような気がして、不思議と笑みがこぼれる。

「それでも、私にとってはかっこよかったんです。……自分の意見を、堂々と言える………こ、小春さんが。……私もああなりたい………です」

 今までと比べてしっかりとした声色で鈴乃は告げた。
 小春は目を丸くしたあと、少し照れくさいのか頬を掻く。

「ええと、そう言ってもらえて嬉しいけど……私をあまり参考にしないほうがいいよ?さっき言ったとおり、世間一般的に褒められたことじゃないからさ」
「………で、でも、私には尊敬できることです!……小春さんも言いましたよね……、良いか悪いかは本人にしかわからない、本人が良ければいいって。だから私……!」
「んん?!………た、たしかにそう言った……けども」

 今までが何だったのだろうかというように次から次へと思ったことが口からこぼれる。
 小春ははっきりした物言いに圧倒され、視線を右往左往させる。

 きっと、些細なきっかけさえあればどうとでもなっていたのだ。はじめの一歩さえ踏み出せば、簡単に世界は広がっていくことを今まで知ろうともしなかった。
 過去は変えられない。これから先も。こうして変わろうとするたびに後悔は募るのだろう。それでも。

「わ……私、この世界……では、頑張ってみたい……です!だから……小春さんを、少しでも……見習いたい……というか」

 過去の自分を視て、未来の自分を見限るのは止めにしよう。
 小春のように、見ず知らずの人を助け、セルジュのように人に優しい、そんな尊敬できる人間になりたい。
 そんな人間になれば、両親に胸を張って会えるだろうか。

 小春は柔和な表情を浮かべた。

「鈴乃ちゃんは可愛いね」
「へっ!?か、かわ??!」

 人と関わりがなかった鈴乃は、家族以外から「カワイイ」などと言われたことがあまりなく、免疫は皆無だった。
 耳まで赤面させ、アタフタしている鈴乃を見て笑みをこぼす小春。

「ふふ、せっかくかわいいのに、私を見習って可愛げがなくなっても困るからほどほどにね?」

 急に口説き始めた小春を茹でたこのように真っ赤にして仰け反った。

 今人生で1番赤面しているかもしれない。
 前にセルジュが鈴乃をお姫様抱っこしたときも動揺したが、あのときは異世界に来たという状況のほうが驚きだったので、それどころではなかった。
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