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1章
37,他人の色恋に口出しするのは野暮である
しおりを挟む「コハル様」
これまで小春を「お嬢さん」と呼んでいたモルガンが初めて名前を呼んだことに内心驚く。
何だろうかと目を見張っていると、モルガンは静かにゆっくりと頭を下げた。
「え、あの……?」
唐突に頭を下げられたことに動揺し、おろおろする。さっきまで領主を顎で使おうという豪胆さを見せていたにも関わらず。
「感謝を、言わねばなるまいな。わしが50年間一度も解決できなかったことを、あなたは一瞬でその糸口を与えてくれた」
「……いやぁ、感謝されるようなことはなにも」
「いいや、間違いなくあなたのおかげだ。わしがしてきたことは貧民街に融通を聞かせた店をおいたり、慈善事業と謳った水や食料の配布だけだよ。……なんの解決にもならない」
もしかしたら。
アンナが言っていた貧民街の人々に融通を聞かせた商人というのは、モルガンが手引きしていたのかもしれない。
小春は呆れたように笑みを浮かべた。
「やっぱり、私なんかよりルゥセラールさんはすごいと思います。私ならせいぜい理想を提示するだけで何一つ実行しようとは思わなかった。貧民街なんてとるに足らないと簡単に見過ごせてしまえますから」
貧民街を実際に目にしても、同情こそすれど、結局は見過ごしてしまえる程度のものでしかない。
モルガンに聞かれなければ、そもそも打開策なるものすら意見することもなかっただろう。
モルガンがしたことは確かに問題そのものを解決するには至らなかったかもしれない。だが、間違いなく貧民街の人々たちの支えになっている。
アンナ含め、食料を得られる場があるということがどれだけ彼らの拠り所になっていたか。
「もし私が打開策を出せたとしたら、それはルゥセラールさんが引き出したってことですよ」
「……ふむ、ならばそういうことにしておこうか。だが、それを差し引いてもわしがあなたに感謝することは変わらないとも言っておこう」
モルガンは満足したように笑顔を浮かべた。
お互いに譲る気はないということだろう。ここら辺の引き際はやはり人生経験の差なのか。
「ルゥセラール卿。コハルさんの案に乗っかる気なら、治癒師数名と井戸を作るための指導者はこちらが手配しよう」
話が落ち着いたことをいいことに、リュカは平然と提案した。
「しかし……、宜しいのですか?」
「今回のは魔法省の管理不足とウェルズリー侯爵を泳がせていた王家の不徳と致すところですので。それぐらいは貢献すると保証させてほしいかな」
「それでは有り難く協力をお願いしたい」
この男、それぐらいの慈悲はあるのか、などと思いながらじとーっと見る。
すると、その視線に気づいたらしい目ざといリュカは胡散臭そうにしている小春になにやら笑顔を向けた。
その笑顔の不気味さに居心地の悪さを覚え、サッと視線を外した。
「じゃあ詳しい取り決めなどは書面を送りますので、ルゥセラール卿はウェルズリー侯爵の動向を窺うのと貧民街のケアをお願いします」
「承知しました。コハル様も病み上がりに悪かったの」
「…、あ、いや全然」
話がまとまっていくなと他人事のように眺めていたら、モルガンが急に謝ってきたので、うまく返答できない。
「体調が落ち着くまではしっかりこちらで休養なさってくだされ」
「ありがとうございます」
モルガンは目尻のシワを深くして微笑んだ。
体調はもうそこまで不調ではないが、気遣いは素直に受け入れるほうが礼儀だ。
「コハルさん、王宮に帰るのは明日にするから、ルゥセラール卿の言う通りゆっくり過ごすといい」
「はい。リュカ様は?」
「俺は今回の件をまとめたりしないといけないから一回帰ろうとは思ってる。一応、アルフレッドは置いていくから」
予想通りリュカは先に王宮へ帰るようだ。
別にアルフレッドも帰ってもらって良いのだが。本人も胡散臭い聖女もどきより主人のもとにいたいだろうに。
「というわけで、ルゥセラール卿。コハルさんをお願いします」
「あぁ、もちろん。恩人2人へ報えるのならいくらでも」
という感じで、半ば小春の意志関係なく、小春はモルガンのもとで居残ることが決定したのだった。
「こちらが中庭です」
小春は今、先ほど混乱させてしまった侍女二人に中庭に案内されていた。
そう。ちょうど、一人で部屋を出たときに窓から見えた中庭である。
「王宮の庭ほど豪華ではないかもしれませんが、このルイストンでしか咲かない花々もあって結構素敵だと思うんです!」
溌剌として全体的に幼めの侍女が得意げに笑う。
「コハル様は花がお好きですか?」
もう一人、物静かで背の高めの侍女が尋ねる。
「まあ人並みには好きかな。この中庭もとてもきれいだと思う」
「それは良かったです」
近くで咲いているコスモスのような花を眺めながら小春は言った。
あの後。リュカは言った通り、王宮へ帰っていき、小春とアルフレッドは残った。アルフレッドは一応主人に頼まれたことということで、不服そうにしつつも視界の端あたりに控えている。
真横にいられても嫌だが、視界の端というのもまた何か監視されているような感じがして、絶妙に気が散るので困るのだが、今は侍女二人に屋敷を案内されているので放っておくことにした。
ちなみにこの2人の侍女はマーガレットとユリという名前だ。元気な方がマーガレット、落ち着いている方がユリで2人とも花の名前だったので大変覚えやすかった。
そして、初めは一応年上そうな二人に敬語で話していたが、ほぼ強制的に気さくに話すよう言われてしまったので、砕けた口調になっている。
「私、自分の名前にもなっているマーガレットが一番好きなんですけど、コハル様は何のお花が好きですか?」
「好きな花……」
「はい!」
好きな花なんて考えたことがなかったのですぐさま出てこない。もちろん目の前のコスモスもかわいいと思うし、マーガレットやユリだってきれいだと思う。しかし、どれか一つを選ぶというとなると違うと言わざるを得ない。
「うーん、どれが1番好きってなると分からないかも」
「確かに考える機会がないとなかなか難しいですものね。じゃあ例えば、コハル様は名前にハルという響きがありますのでハルに咲く花なんかはどうでしょうか」
「いいねそれ!だったら、サクラなんかはどうですか?ここら辺では咲かないのですが、山間部の村ではハルに見られますよ!」
こちらにも四季はあるのか。桜も。
楽しそうにユリに同調するマーガレットの言葉を聞きながらそんなことを思った。
桜か。異世界に来て、その響きを再び聞くとは思わなかった。
もしかしたら、過去の聖女が名付けたのだろうか。
『───春に、君の季節になったら、桜を見に行こう!ね、小春』
そんな声が聞こえた気がした。
「……桜は、あまり好きじゃないかな」
心ここにあらずといった表情でコスモスに触れながら、静かにそう告げた小春を唖然と見つめる2人の侍女。
少し後ろにいるはずの2人の声が聞こえなくなったことで我に返った小春は慌てて笑う。
「や、桜って、きれいだけどすぐ散っちゃうからなんか悲しいよねっていう」
「あぁ!確かにあれだけの花びらが落ちると思うと後々が大変かもですね!」
「ふふ、花びらの散る様もそれなりに美しいものでしたよ」
「それはそうかも。桜吹雪とかいうよね」
取り繕った言葉に同調するマーガレットと、優しく笑うユリ。
「これで一通りは案内できたと思いますがどうされますか?」
「うーんと、じゃあごはんまで部屋に戻ってゆっくりします」
話題をかえるようなユリの提案に小春が言う。
「じゃあ部屋までご一緒に!」
「あーいや、一人で全然戻れるので大丈夫ですよ」
景気よくそう告げたマーガレットにやんわり断りを入れる。何も2人に部屋まで同行してもらうのが嫌だったというわけではないが。
「え、ですが…」
「大丈夫。アルフレッドさんもいるしね…」
後ろの方で控えているアルフレッドのほうへと視線を向けながら言うと、他2人が「あぁ…」と微妙な顔をして小春の視線の先へ意識を向ける。
「では、お言葉に甘えて私たちはこれで。また何かありましたらいつでもお呼びください」
「はい、お仕事中ありがとうございました」
2人が申し訳なさそうに小春に頭を下げ、チラリと後ろの方にいる大男を控えめに見ると、心なしか颯爽と踵を返した。
小春は、なかなかにあからさまな嫌いようだと、ユリとマーガレットの後ろ姿をあきれ顔で眺めた。
そう。小春が2人に部屋まで同行してもらうのを断ったのは、別に2人と一緒にいたくなかったとかではなく。
なぜか2人はアルフレッドを避けているようだったからだ。アルフレッドもさすがに避けられているのは察していたらしく、2人がいる間は小春の視界の端に控えて存在感を消していた。
少しでもアルフレッドが近づくと、すぐさま距離を置いたりとかなりわかりやすく嫌がっていたので、これ以上一緒に来てもらうのもユリとマーガレット、それからアルフレッドが気の毒だと思ったので、小春は気を遣ったわけだ。
「……なあ、なんで俺あんな嫌われてんだと思う?」
いつの間にか小春のすぐ近くまで来ていたアルフレッドが心なしか落ち込んだような声色で尋ねる。
どうやら本人にも覚えがないらしい。
「さあ?圧を感じるんじゃないんですか?」
「……あつ……?」
心当たりがないのか、そう呟きながら呆けるアルフレッド。
正直、貧民街での対応を見る限り、初対面でアルフレッドが何か圧を感じるような何かをした線が濃厚ではないだろうかというのが小春の読みだが。
小春からしてみれば、アルフレッドが嫌われていることよりも、そのことをアルフレッドが気にしていることの方が意外というかなんというか。勝手な想像だが、興味のない人間にどう思われようと気にもしない無神経なタイプかと……。
興味のない……。つまり、彼女らはアルフレッドにとって、少なくとも興味のない人間ではないということではなかろうか。とすると、アルフレッドは──。いや、これ以上根拠のない邪推は野暮というもの。
「さてと、戻りますか」
ピンと来ない様子のアルフレッドに声をかけると、微妙な顔をしながらも頷き、小春の後に続いた。
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