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1章
34,目覚めて、そして。
しおりを挟む知らない天井、知らないベッド、知らないエトセトラ。
目が覚め、目に飛び込んできた光景に対して、小春は妙に冷静な頭でこう考える。
果たして、何故小春は知らない空間で寝ているのだろう、と。
確か、小春はルイストンという港町の貧民街にて、流行っていた病の原因究明のため、リュカとアルフレッドと魔獣の森に入ったはずだ。
そこで気分が悪くなった小春が、一人で休んでいたところ、やばそうな魔獣が現れ、追い払ったところまでは記憶にある。
そのあとは。…………、そのあと……?
ふむ。思い出せないなら今のこの状況を逆算してみればよいのだ。
小春は今、知らない場所でベッドに寝ている。まさか小春が無断で知らないお宅へ突撃訪問して寝たわけでもあるまい。
つまり、誰かにこのベッドに寝かされたということだ。
誰かに寝かされたということは何者かにここまで連れてこられたわけで、その人物は状況的におそらくリュカとアルフレッドのどちらかだろう。
魔獣を追い払ったあとからの記憶がないということから、あのあと小春は気絶した可能性が高い。リュカたちは気絶した小春を連れてこのベッドに寝かせた、と言うのが1番ありそうな展開ではなかろうか。
どうやらこの部屋には小春以外は誰もいない。リュカたちはどこか別のところにいるのだろう。
知らない場所に加えて状況もよくわからない。できれば早いとこ合流したいところだ。
身体をのっそりと起こす。目眩や痛みはない。すでに体内に吸い込んだであろう魔素は抜けきっているということだろう。
扉を開け、部屋から顔を覗かせる。
「……これまた広いなあ」
王宮や離宮ほどではないが、それでもかなり広い廊下をみて、その途方もなさにぼそっと呟いた。
とにかく今いるところ確認するため、廊下にある無駄に大きなガラス窓から外を見る。
そこに広がっているのは外ではなく、中庭のような景色だった。見ている高さからしてここは2階だろうか。
「……。……!」「…………、……」
外を見ている小春の耳が、遠くから話し声を微かに聞き取り、その方向をじっと見つめると広く長い廊下の奥の方に2つの人影が見えた。
話し声はどんどん大きくなっており、どうやらこちらに向かって来ているらしい。
小春はあまりを見回し、咄嗟に近くにあった柱の陰に身を隠した。
状況もわからないのでとりあえず隠れたのはいいが、このあと一体どうするつもりなのだろうか。
無意識に隠れた無計画な小春に自問自答する。
「お客様まだ寝てるかな~?」
「さあ?でもまあ異常もなかったみたいだし、そろそろ目が覚めるんじゃないかしら」
こちらに近づいていた2人の話し声がはっきりしたあたりで2人とも立ち止まった。
小春はそれを柱の陰からこっそり覗く。
あれは小春の寝ていた部屋の前ではなかろうか。
つまり、あの2人の言っている「お客様」というのは小春のことか。
そのことに気づいた小春は、まずいなとただそう思った。
彼女たちは小春の様子を見に来ているわけだが、小春がいるはずの部屋は既にもの家の殻である。つまり……。
「ななな!?!?お客様がいない!!!」
ああ。見事に予想通りの展開になってしまった。
小春は思わず頭を抱えてしまう。
「ど、どうしよ!!!!怒られちゃうよー!!!」
「とにかくまずは領主様と殿下に報告しましょう」
そうこうしているうちに、慌ただしく2人の侍女らしき人物は来た道を戻っていく。
小春は2人が戻っていくのを見て、ハッと我に返る。
リュカと、領主様とやらに伝わったらそれこそ大事になるに違いない。
小春はただ単にここがどこか知りたかっただけなのに。
いや、今はとにかく悲観すべきときではない。あの2人がリュカたちと合流する前に止めなければ。
そう思い、少し遅れて2人の後を追っていった。
「領主様!お客様が忽然と姿を消していました」
「申し訳ありません。リュカ様のお連れ様が部屋からいなくなっておりまして……。私たちの落ち度です」
小春が息を上げながら、侍女たちが入っていった部屋の前にたどり着いた時には、中からそのような声が聞こえてきた。
間に合わなかったか。
今は自身の体力のなさが恨めしいと思う。
「ふむ、今のところお客人の目撃情報は届いておらん。屋敷からは出てはいないじゃろうて。して、殿下。わしの責任ですのでこの者たちを責めないでやってください。いますぐ捜索し保護をいたしますゆえ」
扉に近づき、聞き耳を立てていると、中から、厳かな老人の声が聞こえてきた。話を聞く限り、この屋敷の主、つまり領主様とやらだろう。話している相手は……。
「うーん。それはまあ俺の連れが勝手にいなくなったのが悪いから別にいいですよ」
やはりリュカだ。しかも小春が悪いなどと。確かにあの侍女たちに落ち度はないのだが、もう少し言い方とかあっただろうに。
すぐにでも文句を言ってやりたいところだが、今出ていくのはあまりに体裁やらタイミングやらが悪いので、ただその場で怒りを募らせることしかできない。
「しかし…」
「それに捜索する必要もないですしね」
「というと?」
中での会話が中断したかと思うと、部屋の中で足音がスタスタとなり始めた。その足音はなぜかだんだん近づいていると気づいたところ。急に音がやんだ。
何だろうか。何か嫌な予感がする。
そう感じつつ、扉に体を寄せて耳を澄ましていたが、無情にも体から扉が離れていった。
──そう、目の前の扉が開いたのだ。
恐る恐るその開いていく扉の先を見やる。
扉のドアノブに手をかけていたのは、何やらとても楽しそうな顔を浮かべているリュカだった。
「君は一体何をしてるんだろうね?」
「アハハ……、ほんと何してるんでしょうね!アハハ……ハハ…」
「入りなよ」
「はい」
見つかった後のことを何も考えていなかった小春はリュカの一言に返す言葉もなく。
ニコニコしながら小春を部屋の中へ誘導するリュカにただただ引き笑いを浮かべることしかできない。
部屋の中で唖然としている侍女2人と何を考えているのかわかりにくい表情を浮かべる厳格な老人、多分状況的に屋敷の主であろう。彼らにはうしろめたさしかなく、顔を伏せながら部屋の中まで入った。
「とまぁ、俺の連れがお騒がせしました。彼女は気を抜くといつもどこかに行ってしまうものでして」
気まずそうにしている小春をよそにリュカは、悪びれることもなく微笑んだ。
今回のことは小春に非があるのであまり言えた立場ではないのだが、それでもリュカは好き勝手言い過ぎだと言いたい。
別に小春は一人で何処かへ行くといったことはしていない。風評被害も甚だしい。
「……すいません、お騒がせしました」
とはいえ、危うく大事になりかけたので素直に謝っておく小春。
それを少しの間無言で見ていた領主は、今までとはうってかわって、柔らかく深みのある笑みを浮かべた。
「は、はは。いやはや、病み上がりのお嬢さんなのに姿を眩ませるとはなかなかにやりますなぁ」
「………」
先程まで厳かな印象のあった老人が愉快げにそう言ったので、小春は思わず面を食らう。
「あぁそうだ、これはこれはすまなかった。まだ名乗っておらなんだ。わしはモルガン・ルゥセラールという。ルイストンの領主をさせてもらってるだけの老骨ですがのぉ」
小春の無言が、知らない人間に対する戸惑いだと受け取ったモルガンは、柔らかく目を細めながら名乗った。
ルゥセラール。
確か、リュカがルイストンの魚の流通を止めるよう伝えていた相手だ。
「私はコハル・サガラと言います。訳あってリュカ様に同行させてもらってます。寝ている間お世話になっていたみたいで………、えーっと。ありがとうございます」
モルガンに引き続いて、小春も名乗り小さく頭を下げた。
それを肯定するように頷くモルガン。
「なに、殿下の大事なお客人ということなら、いくらでも手を貸しましょう。………それに今回の一件はお嬢さんの貢献が大きいと聞きましてな」
それを聞いて、小春ははて?と自分の記憶を探る。
今回の一件とは魔素廃棄物のことだろう。確かにそれなら小春が道筋をたてたのは間違っていないが。
ただ小春は水に原因があると気づいただけで、そこから魔素廃棄物にたどり着き、原因元を抑えたのはリュカの手腕でしかない。
「それなら、私は大したことはしていないと思いますよ。流行り病の正体を見つける手伝いぐらいしかしてないですし」
「もちろんそのことも感謝しているが、わしが言いたいのはその件ではありません」
ますます分からないなと小首をかしげる。
それ以外に何か感謝されるようなことをした覚えはない。
「魚の件といえばよろしいかの。市場に出ている魚を今すぐ回収したほうが良いと言ったのはお嬢さんだと聞いたがね」
「あぁ」
なるほど、と納得する。それは確かに間違いなく小春の出した提案だった。
「殿下もそうだが、お嬢さんのおかげで領民たちの被害を少なくすることができた。つまり、お嬢さんをここで療養させたのは、恩人である貴女に対する当然の対応だと思ってくれて良いのです」
「お気遣い感謝します」
筋道がよく通った言葉に素直に感心し、そして納得する。
なるほど、モルガンは聡明で正当な統治者だ。
港町において、主流な魚の流通を止めろなどという、大半の人間が正気の沙汰とは思えないような指示を有無を言わず呑んだ人間。
モルガンが道理の分かる聡明さと領民たちを第一に考えている人情を持ち合わせているからこそ、リュカの突拍子のない指示が正当であるとしたのだ。
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