一般人になりたい成り行き聖女と一枚上手な腹黒王弟殿下の攻防につき

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1章

30,暖かい感覚

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 大量の不審死した死体を見た後、小春たちが川の上流に向かうにつれてそれは顕著に現れるようになった。
 死体が多いため、死体が腐ったにおいなども混ざり合い、あまり気分のいいものではない。

「魔獣が全然いないわけだよな。みんな死んでんだから」

 アルフレッドが道行く魔獣の死体を横目にしながら面白くなさそうにそういった。
 アルフレッドの言っていることは十中八九間違っていないだろう。上流に行くほど死んでいる魔獣が増えてきていることから、上流に行くほど、川の水に含まれる魔素廃棄物の濃度が高いということであり、それは原因となるものへ近づいているということでもある。

 川幅も先ほどより格段に狭くなっていってる。ふと、川の続く方へ目線を向けると、川は途中で途切れている。否、正確に言えば、川は何やら大きな穴の中につながっており、途中で見えなくなっていたのだ。

「あれって洞窟かなんかか?なんでこんなところに」

 小春同様に川の先にある洞穴のようなものに気付いたアルフレッドが頭をかいた。
 その口調から察するに、この森に来たことがあるらしいアルフレッドですら、初めて見るもののようだ。

「川上のほうへ辿って歩いたことないからだろうね。俺も報告でもこの洞窟のことは聞いてないな」

 川は魔獣の水飲み場になっているだろうから、特に目的がない限り川沿いを辿ることはないだろう。川上の洞窟が見つかっていなかったのも納得できる。

 それにしても、川沿いを辿るのはかなり危険だったのではなかろうか。小春というお荷物を抱えたまま向かおうとするということは、2人はかなり腕が立つということなのか。

「川はこの先に続いているし、入ってみよっか」

 ですよねー。

 この流れで洞窟に入らないわけもない。当然と言えば当然なのだが、あまり気乗りはしない。
 なんというかあの洞窟、薄暗いし、何やら風が通る音が不気味に聞こえるし、絶妙にやばそうな雰囲気が漂っているというか。 
 
 小春のその様子を察したのか、リュカが楽しそうに口角をあげた。

「コハルさん、もしかして怖いの?」
「……怖いというか、あれに積極的に入りたい人いると思います?」

 またもやリュカに付け入られそうになっている状況に腹立たしい気持ちもあるが、今は遠からず小春の気持ちを言い当てているリュカの発言を否定できない。

「確かにあまり気分のいいものではないよね」
「なら私の反応はむしろ正常だと思います」
「うん。そうは言っても入るんだけどね」
「………はい」

 取り付く島もないとはこういうことだと思う。
 どれだけ口がうまく回ろうが洞窟の中に入らないといけない事実は変わらない。

 生きている魔獣が今のところでてきてないとはいえ、ここで小春一人待つというのも非現実的だろうし。

「はいりますよー」

 リュカと小春がくだらないやりとりをしているうちに、アルフレッドはすでに洞窟へと足を踏み入れており、姿が見えなくなっていた。
 
 こちらに向けた声も洞窟の中から発せられているため、かなり反響して聞こえてくる。

「いこっか」

 リュカはそう言いながら笑顔でこちらに手を差し出していた。
 差し出されたその手の意図が分からず、ただただ固まったままそれを見つめる。

「その手は何ですか……?」
「何って、手をつないでた方が安心するでしょ?」
「いやだから怖いとかじゃないんで」
「そう?」

 わざとらしいほど残念そうに眉尻を下げるリュカを鬱陶しく見上げる。
 こんなところで手をつないでしまえば、それこそこの先、一生ネタとしてこすられそうだ。

 小春は芝居じみたリュカの横をするっと抜け、洞窟の方へ向かうことにすると、そのあとをリュカが機嫌良さげに付いて来る。

「遅いですよー」

 先に洞窟に入っていたアルフレッドが小言を呟くとその声が反響していく。
 
 その反響具合から奥まではそこそこ距離があるように思える。
 先の方を見れば、川の流れる音と外からの光で僅かに先に川が続いているのはわかるが、光源がそれしかないため、ほとんど真っ暗である。
 ただ、ある程度暗いところにいれば目が慣れてくるだろうし、光がないわけではないので歩くことはできそうではある。

 洞窟へ入る前もある程度覚悟していたが、想定以上に洞窟内は暗く狭い。思わず足が竦みそうになるのをぐっとこらえる。

 アルフレッドはというと、特に躊躇することなく暗闇の方へ足を進め始めたので、気乗りしない小春といつも通りのリュカもそのあと続く。

 洞窟の中を進んでいくほど外からの光が遠のき、視界がさらに暗くなっていく。空気の抜け道がなくなっていくため、どんよりとした空気が立ちこもっている。
 周りを見回したところで暗すぎて景色はよくわからない。しかし、目が慣れたせいだろうか。洞窟が入口より狭くなっていること、川の幅もすでに1mほどしかなくなっていることは把握できる。
 
 それにしても本当に息が詰まりそうだ。この空気にも、この暗さにも、そしてこの狭さにも。

「……っ」

 いい加減慣れてしまえばいいのに。こんなのはただ暗くて狭くて、それだけだ。……それだけ。
 埃臭くて、狭くて、暗い。
 ただそれだけの感覚を思い出すだけのこと、なのに。
 それだけのことでなぜこんなにも呼吸の仕方も体の感覚すら忘れそうになるのだろうか。


 ──ふと。


 小春の左手の感覚だけが蘇るような、温かいという感覚だけが伝わってきた。
 その感覚を思い出すことで消えていた手足の感覚も自然と戻っていく。あれほど息苦しいと思っていたのに、自然と呼吸ができ、体の中に酸素が巡っていく。気づけば切迫感も失せていく。

 停止していた思考が戻っていくと、その左手にある温かい感触が何なのか気になり、左手に視線を向ける。

 小春の手を包み込んでいる大きくて少し骨ばった手の存在に気づき、その手の持ち主の方へ目線を移動する。

「………なんで」

 小春の目線の先にいたのは暗がりでもわかるほど美しく透き通る白銀の髪と恐ろしいほど整った顔立ちの青年。

「安心するでしょ?」

 ついさっきと同じことを言い、同じような表情で微笑むリュカ。
 なぜだろうか。先程と全く同じことをしているのに今はそれが心地よいと感じているのは。この手を無下に離したくないと思うのは。

 それでも、リュカのこの行動は、小春の様子がいつもと違うことに目ざとく気づいてのものだと思うと、それはそれで不服ではあるのだが。

「……ありがとうございます」

 不服な気持ちはあるが、リュカにフォローされたのは間違いなく事実である。リュカに何か返そうと思って開いた口は消え入るほどの声量で感謝を紡いだ。

「ふふ。素直でよろしい」
「……黙っててください」

 照れくさくて俯いている小春の声はリュカの耳には届いたらしく、小さく笑う声が聞こえた。
 そのむず痒い態度もまた照れくささを助長し、小春はただ悪態をつくことしかできなかった。リュカがそんな小春を生暖かい目で見つめてくるような気がして、居心地が悪い。

 周りが暗くて本当に良かった、などと小春が思う日が来るとは。人生何があるか本当にわからない。

 ドンッ

「むふっ」

 突然、何かにぶつかったようで虚を突かれた声が小春から漏れた。
 ぶつかった感触から、無機質なものではなく。

「どうした、アル」

 そう、前方を歩いていたはずのアルフレッドがなぜか立ち止まっていたのだ。意識を別のところに向けていた小春はそのまま気づかずその背中に思いっきりぶつかったというわけだが。

 止まるなら事前に何か言ってから止まってくれないと、ただでさえ暗いのだから気づかないではないか。
 などと心中悪態をつきながら、アルフレッドの背中から離れる。
 
「いや、なんか急に広いとこに出たみたいで」

 少し困惑したようなアルフレッドの声は確かに先程よりも反響しているように聞こえた。

「うーむ、さすがに明かりが欲しいね」

 リュカはそんなことを言ったかと思うと、突然辺りが明るくなった。
 暗いところに慣れていた目は急な明かりに対応できず、思わず眉をひそめる。

 何があったのか、徐々に明るさに慣れる目で見渡すと、洞窟の中に炎が点々と灯っていたのだ。

 そのおかげで洞窟の中がよく見える。
 今まで通ってきた細い道から広い空間に出てきていたのは本当らしい。一つの部屋のようなものに近いといえばいいのか。
 そして、道はこのフロアで途切れており、それと同時に川の水もここから湧き出していることが分かる。

 どうやらたどり着いたらしい、のだがその前に。

「参考までに聞きますけど、なんで今までその魔法使わなかったんですか?」

 こんな魔法があるなら、洞窟に入ったあたりで使えばよかった話だ。それを意図的に使わなかった理由について確かめなければ気が済まないというもの。

「んー?」
「……」

 間違いなくこの男確信犯だ。
 そのきれいな顔を危うくぶん殴りそうになるのをこらえる。
 分かっていたことではないか。この男はそういう人間だと。まんまと絆されるところだった。
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