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1章
29,常人離れ
しおりを挟む「それでその魔物の森とやらに行くんですよね」
アンナにはお礼を言ってから別れたところで、小春はリュカに確認をとる。
あてもなく、モネール川を辿っていくというよりは、可能性が高い場所にしぼって調査する方が効率的だろうし、リュカもそう考えると予想できる。
案の定、小春の思った通り、リュカは小さくうなずいた。
「ここからどれぐらいかかるんですか?」
「ん-と、3秒」
「は?」
少なくとも1時間ぐらいはかかるだろうとみていたところ、想定外の答えに唖然とする小春。
所要時間3秒など聞いたことない。分ですらなく秒。単位すら違う。
固まっている小春を面白そうに見たリュカは、すっと小春に近づき、突然腰に手を回し抱き寄せた。
さらに訳の分からない行動に頭がパンクしそうになり、小春の声が上ずる。
「な?!いきなり何ですかっ?!」
慌ててリュカの手から逃れようとするが、意外や意外、リュカの腕力は思っていたよりも強いようで小春が暴れたぐらいではびくともしない。
しかも、抱き寄せられたことで、普段よりも薄着のシャツを着ているリュカの胸板が背中に当たっていた。こうしたことに免疫のない小春からすれば、動揺しざるを得ない。言わずもがな、顔はすでに赤くなっている自覚はある。
「アルは一人で行く?」
「はあ????無理に決まってんでしょ!」
「冗談だって。はい」
リュカはアルフレッドをからかいながら、小春の腰に回している手とは反対の手をアルフレッドに差し出す。
からかわれたアルフレッドがしぶしぶその手を掴むと、リュカは短い呪文のようなものを唱え始めた。
これはさっきアンナが見せてくれた魔法を発動する時のような。
そう思った矢先、突然目の前の風景が歪み始めた。
ちょうど、ルイストンに来るためにゲートをくぐったときのような既視感を感じるのと同時に眼前に深緑が広がった
「はい、到着」
リュカの一声にようやく小春たちが瞬間移動をしたということを理解する。
目の前に広がっているのは紛れもなく森だ。木々が鬱蒼と茂っているのでまるで無限に広がっているようにも見える。
黒い森などと悪趣味な名前だなんて思ったものだが、なるほど。この何処までも深く広がる光の閉ざされた森は黒いと表現するのには十分だろう。
しかし、今小春にとって気になった点はそこではない。横にいる涼しい顔をした青年のしたことのほうがよっぽどおかしいということ。
「……今のって瞬間移動ですか?」
「びっくりした??」
「びっくりというか。瞬間移動ってかなりの魔力が必要で1人でできるようなものなのでは」
瞬間移動の魔法は存在しているが、それを行うためには膨大な魔力が必要があり、その必要量は一人で補えるようなものではない。それゆえにゲートが重宝されているのだ。
ゲートはコストが相当かかるので量産はできないということをマルセルから聞いたが、そのコストというのは建築に必要なものではなく、ゲートを稼働するための魔力や魔素のことである。
「俺でも転移はなんて芸当は一日2,3回が限度だよ。それにあんまり距離が遠くても疲れるし」
答えになってないが。
距離が遠いなどと言っているが、先ほどまでいたところからこの森までは数十㎞ぐらいはあったはずだ。
その距離を軽いノリで瞬間移動できる時点で常人離れしていると言っても過言はない。
まあ、リュカの常人離れした魔力量のおかげで歩く必要がなくなったので良しとしよう。
ていうか言うまで抱きしめられているのだろうか。
転移後、なんの疑問もなくそのままだったが、その事実に気づくと妙に恥ずかしくなり、リュカからそっと離れた。
「ここからは俺とアルが先頭と後方にいてコハルさんは必ず真ん中にいるように」
「おう、俺が前でジャンジャン倒しますぜ!!」
リュカが指示をだすと、アルフレッドが意気揚々と声を上げる。
調査など頭の使うことばかりで肩身が狭かった反動で、ようやくアルフレッドの輝ける役回りに腕を鳴らしているのだろう。
戦闘力のない小春は案の定真ん中で二人に守られるような形になるわけだが。
男2人に守られるいわゆる姫ポジ的ヒロインの立ち位置とほぼ同じ状況に何とも言えない感情が渦巻く。
守られるというこそばゆい立場を少し馬鹿にしている小春としては今の状況は屈辱というのか、心外というのか。そもそも小春がこれ以上同行する必要なんてないのではないか。
この調査における小春の役割は原因究明までの道筋を立てることだ。そしてその役割は十二分に果たしたと言って相違ないだろう。ならば、2人についていかず、ここで待っておけばいいだけのことだ。
「……あの、わたしはここで待ってるので2人で見てきてください」
小春が控えめにそう訴えると、リュカはじいと小春の方を見つめて柔らかく笑いながら首を傾げた。
「なんで?」
「私が行く意味は別にないでしょう?下手に行く方が2人は私をかばいながら進むことになって効率が悪いです」
「はっ、別にあんたがいようがいまいが何も関係ないぜ。確かにここじゃあんたは役立たずだけどよ」
「一言余計です」
至極当然のことのように小春が答えると、それをきいたアルフレッドが眉を顰めながら口をはさむ。
「俺とリュカ様いるのにそんなことになるわけねーって言ってんだ。なんなら俺一人でも余裕だしな!」
「アルだけだとコハルさん置いてきぼりになると思うけど。まあ、アルの言う通り、コハルさん一人ぐらいいたところで不具合が生じるほど、俺たちは弱くはないから安心して?」
「……さいですか」
小春が言いたかったのはそのことではないのだが……。だがまあ、小春を守る側の人間がそういうのなら、これ以上引き下がらないのも失礼か。
甘んじて姫ポジというものを受け入れようではないか。
「じゃあ進もうか」
「おうよ!……ところでどこに向かうんですか?」
「「……」」
相変わらずだなと、数日の付き合いの小春すらもそう思うのだった。
歩き始めて30分ほど。
人が通らないような森の奥に足を踏み入れるほど、太陽の光も差し込まないような鬱蒼とした雰囲気が広がっていく。
人が足を踏み入れるような場所でないため、もちろん足元はぬかるんでいるし、木の根や大き目の石がごろごろと転がっているので、いつ足をとられてもおかしくない。
木の枝もそこら中伸びきっており、行く手を阻んでいたが、先頭を歩くアルフレッドが背中に携えた剣を抜いて、邪魔な枝をいとも簡単に切り落としていく。その後ろを小春とリュカはただついていくだけ良いのでものすごく楽に歩けている。
川に沿って歩いてはいるが、今のところ特に変わったところはなく、原因となりそうなものは見つかっていない。
「妙だね」
「え?」
今ちょうど小春が何も変わったところがないと感じているところに、背後からリュカの声がして目をパチクリとさせる。
「森の中枢に入ってるにしては魔獣がいなさすぎる」
「確かに今のところ1匹も出てきてないっすねぇ」
リュカの指摘にアルフレッドも賛同した。
小春もリュカの言葉になるほど、と納得する。
小春からすれば、魔獣すら見たこともないのでこの森の異常さは分からなかったが、森のことを知っている二人から見れば気づける違和感だろう。
「……ん?リュカ様あれ。……魔獣じゃねぇっすか?」
前方にいたアルフレッドが何かに気付いたらしく、急に足を止めたので、小春の視界が大きな背中で埋まった。
アルフレッドが指している方向を体をずらしながら凝視してみると、少し離れた川沿いに明らかに大きい動物が横たわっているのが見える。
「あれが魔獣……、ですか?」
「そうみたいだね。アル、ちょっと見に行ってくれる?」
「へーい」
リュカがそういうと、アルフレッドは面倒くさそうに返事をして走り出した。
それを見るや否や、リュカは魔獣からかばうように小春の前にふっと出た。小春はその自然な動作に思わず呆けて見惚れた。これぞ姫を守る騎士ではないだろうかと。まあ、実際その姫のポジションが小春であるのが悔やまれるところではある。
一方アルフレッドは魔獣のもとまでたどりついていたが、一向に魔獣は動く様子もない。
アルフレッドが不審そうに剣で魔獣をつついてみるが、それでもピクリともしない。
どうやらすでに死んでいるらしい。
「来て大丈夫でーす!!!こいつもう死んでますー!」
魔獣が無害であることを確認したアルフレッドは手を大きく振りながら声を張り上げてそう言った。
その声を合図にリュカはちらっと小春を見て小さく笑った。
「いこっか」
「……はい」
いちいち顔面の良さをひけらかすような行為は慎んでいただきたいと思いつつ返事をすると、リュカが歩き始めたのでそれについていく形でアルフレッドのもとへ向かった。
近くで見ると魔獣はオオカミなどの大型犬のような見た目をしており、ただの動物のように見える。しかし、動物と異なる点、鋭くとがったまがまがしい角が視界に入ると、この世界の住民が魔獣を忌避しているのも理解できる。
魔獣はすでにこと切れているが、どこにも外傷はない。また、まだ死んでからそんなに経っていないのか肉が腐っている様子もなければ、死臭のようなものも感じない。死んでから1時間経っているか経っていないかだろうか。
「今回の魔素廃棄物と何か関係あると思う?」
「……これだけではなんとも。ただ、無関係とも思えないですけど」
死体を解剖しないことには死因を正確に把握はできないが、魔素廃棄物を調査している小春たちからすれば、関連性を感じないはずもない。ただこの魔獣1匹だけで関連付けるのは早計だろう──。
「リュカ様ー!!こっちにも魔獣がいますよ!」
リュカと小春が話をしている中、いつの間にかかなり遠くの方まで言っていたらしいアルフレッドの声が耳まで届く。
リュカと小春は特に示し合わせることもなかったが、顔を見合わせアルフレッドの方へ向かった。
「え、これ……」
アルフレッドが見ている方向を見てみると、魔獣の死体が転がっている。1匹どころではなく、見える範囲で10匹近く。
その光景に思わず言葉を失う小春。
そして驚きと同時に理解する。これは──。
「どうやら今回の件と関係あるみたいだね」
小春と同じ結論にたどり着いたリュカが困ったように息をつきながらそう言った。
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