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1章
11,そう思っていた時期もありました
しおりを挟む小春はほぼ確実に聖女でないのだから、聖女に関する詳しい事情など知らなくていい。
「……そう思っていた時期もありましたなぁ」
自分の部屋のベッドに仰向けで倒れ、天井をぼんやりとみつめながらそう呟いた。
「にゃ~」
小春に続いて小さな黒猫が音も立てずベッドに飛び乗ってくる。そして小春の顔元まで来ると、ゴロゴロと喉を鳴らしながら小春にスリスリと甘えてきた。
小春はその黒猫を徐に撫でながら、深くため息をついた。
先程の出来事を思い出すと頭が痛い。
もちろん猫は好きだ。だが、この黒猫が小春に付いてくるに至った経緯が少しばかり、いや、かなり問題なのである。
あれはそう、王立図書館の帰り際、薬草園を抜けたあたりに遡る。
◆ ◆ ◆ ◆
小春は昨日と同様、日没あたりになって何冊か本を借りて帰っていた。
今日はこの国の料理について書かれていた本を見つけたのだが、一番読むのが楽しかった。この国の料理もなかなか捨てたものではないらしい。
ぜひ、あの本に書かれた料理も食べたいなと、浮かれた気分で歩いていた。
昨日はリュカに鉢合わせしたが、今日は朝から視察があるとかでいないという話だ。もちろん、リリアに確認済みである。
ということで憂うことが全く無いのだから多少浮ついていても許されるはずだ。
ちなみにここ数日は、王宮までの行きは馬車で送ってもらい、帰りはいつ帰るか分からないのと太り防止のために徒歩で帰っていた。
離宮までかなり距離はあるが歩けない距離じゃない。せいぜい一駅か二駅ぐらいの距離感だ。この世界に来てからさらに運動不足になりつつあったので泣く泣く始めたが、案外、道中の森の空気が美味しいせいか楽しかったりする。
にゃ~。
と、森を抜けている途中、何やら猫らしき声がどこからか聞こえてきたが、一旦は気の所為だと思い素通りしようと足を進めた。
「にゃ~にゃ~」
すると、だんだん鳴き声は大きくなり、はっきり聞こえるようになったので、さすがの小春も幻聴ではないと気づいた。
実は動物が好きな小春は鳴き声の主を探そうと、ウキウキしながらあたりを見渡す。
「あ、いた」
いろんな高さの木が立ち並んでる中、なぜか一番高そうな木の枝の上で動かない黒色のかたまり。
よく見ると鳴き声の通り猫だとわかる。猫は木から降りたそうに前足を動かしたり腰を上げたりしている。
状況から察するに、猫が木から降りられなくなっているようだ。これまたベタな、などと内心冗談めいたことを呟くものの、実際はどうしたものかと立ち竦む。
なぜわざわざ数ある木の中でその木を選択したのかと思いたくなるぐらい、その木は高くそびえたっていた。高いとこからも降りれるらしい猫でもさすがに厳しいだろう。
動物はそれなりに好きだし、可愛い生き物を見殺しにするのは心苦しいので、できれば助けたい。ただ、何せん小春は幼少期からインドアなタイプで、木登りなどほとんど記憶にない。
ここは脚立がなにか借りてくる必要があると判断し、一度その場を去ろうとした。
が、ふと猫の方を向くと、今にも飛び降りそうな体勢で身構え、タイミングを測っているところが目に入った。
「わ、え?ちょっ」
黒猫のまさかの行動に思いがけず声が裏返る。
あの猫、小さい癖して恐れ知らずらしい。
慌てて猫の元へ駆け寄ろうと足を踏みだした瞬間、猫はピョイッと飛び降りた。
この距離ではほぼ確実には間に合わない。さすがに目の前で猫が死ぬとこなんて見たくない。
「間に合えぇっ!」
気づけばそんなことを口にしながら必死に手を伸ばした。
しかし、その手は猫に届くことはなく、猫はそのまま地面に叩きつけられる──。
ことはなかった。
小春は目の前で起きている信じられない現象に固まった。
「え……?う、浮いて……る……?」
そう。眼前の光景が幻などではないなら、猫は小春の胸辺りのところで浮いている、というよりも止まっていた。
一瞬小春以外の時間が止まっているのかと思ったが、猫以外は普通に動いているのだ。木や、草が風に揺れているし、近くの木に止まっている鳥は羽を広げたり、鳴いたり。その様子は何も変わったところはない。目の前の猫を除いて。
どうすればいいか分からず、とにかく猫のもとまで駆け寄り、受け止められるように猫の背中に手を回すと、
「わっ」
急に手にぐっと重力が加わり、構えてなかった小春はそのまま尻もちをつきながらも猫を落とさないように抱え込んだ。
腕の中の猫が怪我していないか確認してホッと息をついたあと、徐に虚空を見つめた。
一体何が。思考がうまく整理できない。
色んなことが同時に起きて、思考が追いつかない小春に対して、猫は腕の中で呑気ににゃ~と鳴くのだった。
◆ ◆ ◆ ◆
というの先程起きたことなのだが。
何が言いたいかというと、あのおかしな現象は間違いなく小春が原因であるということだ。
あのとき、小春が落ちてくる猫に「間に合え」と言ったと同時に猫だけ動きが止まった。できれば自意識過剰であってほしいものだが。
もし万が一、億が一、小春にそれが可能な能力があるとすればの話だ。
猫が宙に浮いた状態で止めるというのは一体どのような能力なのだろうか。
時間停止系か、もしくは…。
「ものは試し!」
ガバァッと言う効果音とともにベッドから勢いよく起き上がる。近くに寄っていた猫は少し驚いたように小春を見つめた。
「とりあえず……じ、時間よ止まれ~?」
………。
………………………。
……トクニナニモオキナイ。
ただただ恥ずかしい思いをするだけだった。
「ま、まあ?時間停止系じゃないってことが分かったしねっ!」
居たたまれなくなり、一人(猫は一匹いるが)で言い訳をする。
時間停止じゃないとすると、言ったことが現実になる言霊みたいな能力とかだろうか。
近くにある枕を持って、「浮け」と呟いてみる。
すると、間髪入れずフワァと枕が浮かび上がった。
小春はそれを呆然と見つめながら、口を開いた。
「まじかぁ……」
これは万が一とか言うレベルではなく、十中八九、小春に能力が発現したということだろう。
いや、まだ聖女かはわからないけども。
などと苦し紛れに思ってみるが、途方に暮れる他無い。
「あの腹黒王弟殿下め、何が発現に1年かかることもある、だよ。こちらの世界に来て3日で発現したんですけど」
今はいないリュカに悪態をつく。
小春の持つ能力はおそらく言霊とか呼ばれる類のものだ。
さっき時間が止まるよう言ったときに発動しなかったのは、対象が大きかったか、曖昧だったからといったところか。
なんて条件がかなり限定されそうで扱いづらそうな能力だ。だとするとこの能力について、ある程度把握しておく必要があるかもしれない。
猫のときと枕のときで共通しているのは、自分の視界に入っているものという点だ。もしそれが条件なら、小春の視界に入った対象に対し、言霊が発動するということだ。つまり、時間を対象にするなど目で見えないもの、所謂概念のようなものは対象外だろう。
あともう一つ、能力の発動持続時間と解除方法だが。
猫のときと同様に枕に触れてみると、枕はフッと力をなくしその場に落ちた。
解除方法は対象に触れること。他にもあるかもしれないが今のところはそのようだ。
次に発動持続時間を測るため、再び枕を浮かび上がらせる。
これについては借りてきた本でも読みつつ、枕が落ちる瞬間を確認すれば良いだろう。
借りてきた本を開いて数分ほど読み進めていたとき、
コンコン
物静かな自室に軽快なノックの音が響き渡る。
「コハル様。お食事の用意ができました」
扉の外から、落ち着きのある声が聞こえてきた。
リリアだ。
すぐ返事をしようと口を開いて、既のところであることに気づく。
この状況は非常にまずいのではないだろうか、と。
周りを見渡せば、見知らぬ黒猫。それから宙に浮く枕。
「あ!!あっと、ちょっ!ちょっと待って!」
慌てて立ち上がりとりあえず猫にはタンスの中に入ってもらう。
枕は能力を解除すれば問題ないかもしれないが、せっかく持続時間を測り始めたのでできればそのままで隠したい。
とりあえず布団を上からかけるが違和感しかない。
かくなる上は!
「ど、どうぞ~?」
「失礼します。………?……どうかされましたか?」
精錬された動きで入ってきたリリアは、小春の不自然な大勢に小首を傾げた。
「あ、や~さっきまでストレッチしててさ~。あはは」
苦し紛れの即興言い逃れ。
「ストレッチ……?とは何でしょうか」
「えーと、筋肉を伸ばしたりして柔軟性上げたりとか健康に良い運動みたいなものーかなぁ?ははは」
「なるほど、興味深いですね」
「こ、今度!興味あるなら何個か教えるよー」
リリアが興味津々に小春の身体をジィと見てきた。小春は冷や汗がダラダラである。
なぜなら、小春の背後には宙に浮く枕があるのだから。ちょっとでも角度を変えて見られると枕まで見えてしまう。
なんとしてもリリアとこの距離を保ちつつ、その場で帰ってもらわれば。
「そうですね、これからお食事ですし。では後日お願いします」
内心ガッツポーズをした。
「これからもう少しストレッチするから、食事はそこに置いといてくれたら後で自分で食べるよ」
「ですが………」
「いいのいいの!これでも前は全部自分でしてたし!リリアは他の仕事片付けちゃいなよ」
「……わかりました。何かあればす呼んでくださいね」
リリアは少し不満そうな表情を浮かべたが、素直に食事をその場に置くと、引き下がっていった。
再び、部屋に静けさが訪れる。
「はあ~乗り切ったあ……」
「にゃ~」
タイミングを見計らったようにタンスにいた猫が出てきた。
小春はその猫を抱き上げ背中を撫でる。
「君賢いね」
「にゃ」
リリアから隠そうとしているのがこの猫に伝わったのか、リリアが出ていくまで物音一つたてなかった。
そこら辺の子どもより聞き分けがよく、賢い。その上かわいい。完璧だ。
「名前とか付けたほうがいいか。んー、黒猫だから夜っぽい名前がいいか……。ルナ、とか?」
「にゃ~」
猫は満足げに返事をした。
それなら「ルナ」と呼ぶことにするかと思った矢先。
「あ、君性別どっち………。って男の子か!」
オスに「ルナ」はあんまり良くないだろうか。
「ルナじゃないほうがいい……か?」
「にゃにゃー」
「ルナでいい?」
「にゃ~」
小春の勝手な解釈だが、猫はルナでいいと言っている気がする。
それにオスでルナはある意味オシャレな気がするし。
「じゃあ、君は今からルナで!」
「にゃ~」
ルナはそう鳴くと小春の腕から肩へ移動した。
これは、いわゆる「〇〇の宅急便」ではないだろうか。黒猫だし。
ただ思ったより重みが肩にかかる。子猫のうちは大丈夫だろうが、そのうち大きくなるだろうし。
リリアが置いていった食事を机に並べ、とりあえず食事をすることにした。
「検証終わったらルナのご飯も貰わないと」
実はいうと、猫はずっと飼ってみたかったのだ。
小春は上機嫌に合掌し、夕食に手を付けた。
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