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1章
2,麗しの聖女様
しおりを挟むガタゴトと古めかしい効果音が先程から流れていた。
少し離れたところからは馬が地面を蹄で踏みしめる音も聞こえ、中世の時代に行ったような感覚に陥る。実際には中世の時代など経験したことはないのだけど。
小春は現在、馬車に乗っていた。
どうやら先程いた宮殿とは違う離宮へ向かうということで、先程迎えに来た遣いの男に言われるがまま馬車に乗り移動していた。
乗るときは少し高揚感を感じたものだが、実際乗ってみると乗り心地はあまり宜しいとはいえない。
やはり日本の電車や車、あの平らなコンクリートの道路という優秀な文化は誇らしいものだと改めて感じていた。
そのまま馬車の窓から見える景色を眺めていたが、沈黙が流れていることに段々気まずさを覚え、離宮からの遣いであるマルセルに明るく声をかけた。
「離宮って結構離れたところにあるんですね~、馬車とか初めて乗りました!」
「……離れているというほどではありません、王宮の敷地内ですので」
小春は沈黙を断ち切ろうと愛想良く話しているのに対し、マルセルは表情が一切変わらず、淡々と答える。その上目線も小春に向いていなかった。
「し、敷地内なのに馬車乗るほど遠いってすごいですね!さすが王宮というかなんというか……」
「………」
マルセルの反応の薄さに段々虚しくなり声が小さくなっていく。
出会ってから今まで誰に対しても一切表情が変わっていないことから、マルセルは基本的に顔に出ないタイプなのだと感じていたが、それにしてもあまり歓迎されていないような態度に違和感を覚える。
確かに急遽予定になかった聖女の庇護を押し付けられれば嫌な顔の1つや2つするのも当然というものか。
と結論づけ、改めて王都にでも自分の店を開く心づもりをしておくべきかと再び窓の外を眺めていた。
「申し訳ございません、リュカ様は出払っており少し待っていただくようになるかと。あと数刻で戻られるとは思いますので」
そうマルセルに言われ、客室に案内され早1時間。
暇すぎる。
今の小春の現状はそれに尽きる。
元いた世界だったらスマホいじったりしておけば時間を潰せるだろうが、先程持っていたスマホを確認したところ、無情にも圏外と表示されていた。この世界には充電器もないだろうし下手に使うのも良くないだろうと思い、電源を切った。
やることがないからといってこの部屋をでて勝手にブラブラするわけにもいかないし、呑気に昼寝をするのも成人してる身としてどうかと思う。
そういえば先程マルセルが言っていた「リュカ様」とは誰だろうか。文脈からすればこの離宮の主あたりが妥当か。離宮とはいえ、王宮内に城を構えているということは王族の可能性が高い。
このあと王族と対面することになるかと思うと気が重い。
気を紛らわすために小春の座っている良質なソファの座り心地に意識を向ける。柔らかい質感でありつつ、しっかり弾力性もあり、そのうえ触り心地も良い。一時間座っているが腰やお尻は全く痛くならない。だからこそ横になって昼寝をしたいと言う思考になる訳で。
堂々巡りな思考に、はぁとため息をしつつ、メイドらしき女性が持ってきたクッキーに手を伸ばした。
小春はあまり紅茶やお菓子に対してこだわりはな い方だが、それでも「これは高いやつだ」と分かるぐらい高級感のある味である。また、それらに使われている食器も丁寧な細工がされた陶器でこちらも相当な代物だろう。
(そういえばここ、離宮とか言ってたけど相当大きかったな)
王宮を出たときもその大きさに舌を巻いていたが、離宮についたときも想像を大幅に超える大きさでギョッとしたのだった。
次元が違う、小春は今日まで1DK暮らしだったのだ。この客間ですら小春の家の3倍はあるだろう。
妙な居心地の悪さを覚えていると、客間のドアからトントンとノックの音が聞こえてきた。
「はい、どうぞ」
「失礼します」
つい1時間前に聞いていた声がしたと思うとドアがゆっくり開き、マルセルが無表情のまま姿を現した。
「リュカ様がお戻りになられたので聖女様を迎えに上がりました」
マルセルは数刻はかかると言っていたが、随分早いお帰りである。
自分のせいで業務を繰り上げて帰ってきているかもしれないと思うと申し訳なさを感じる。
「分かりました、いきましょう」
返事をしてから椅子から立ち上がり、マルセルの後に続いて客間をあとにした。
幅が広く長々した廊下をお互い無言のまま歩くとある扉の前でマルセルが止まった。それに合わせて足を止めると、マルセルは扉の前で淡々と告げる。
「聖女様をお連れしました」
「入っていいよ」
マルセルの声に対して間髪入れず、中から落ち着きのある心地の良い声が聞こえてきた。
大きめの扉をマルセルが開け、中の様子が目に入ってくる。
広々とした空間の右に対面できるソファと机があり、左はびっしりと本が並べられた本棚がいくつか並んでいる。真正面の壁には剣が2振り並び、その両隣には大きなガラスの窓が広がっている。そして正面には机といすがあり、書類の山やらペンやらが乗っている。察するにここは執務室か何かだろう。
部屋の様子が一通り視界に入ると、視線は正面に座る男に向かう。
透き通るような白銀の髪に宝石のようなラピスラズリの瞳、眉目秀麗な顔立ちの男に思わず息をするのも忘れる。
男は小春の視線に気づき、温和そうな微笑みを浮かべたことでハッと我に返り、マルセルに続いて頭を下げる。
「その子が噂の聖女様?」
「さようです」
「了解、ご苦労様。下がっていいよ」
「はい、失礼します」
短いやり取りのあとマルセルは再び軽く頭を下げるとそのまま執務室を出ていった。マルセルとは特にやり取りもなかったが、いきなりリュカ様とやらと二人きりにされると心細いものがあるなと思いつつ、再び美麗な青年のほうを見る。
恐ろしく整った顔立ちの青年は女性がたちまち頬を赤くなりそうな笑顔を浮かべ、口を開く。
「初めまして、俺はリュカ・オルタ・アリステッド。アリステッド帝国の一応王弟ってことになるかな」
これまでマルセルが何度か「リュカ様」と言っていたのは王弟殿下のことだったらしい。
リュカはオリヴァーや第2王子と比べると仰々しさはあまりなく、思っていたよりフレンドリーな雰囲気や物言いだと感じる。
「マルセルのほうから君のことは聞いてるんだけど名前を聞いてもいいかな?」
「はい、私は相楽小春と言います。名前が小春で、性が相楽です」
「コハル、だね。俺のことはリュカで」
「……ではリュカ様で」
この世界は顔の良い人間しかいないのだろうか。顔面の良さにいまだに慣れず、美形から名前を呼ばれただけで面食らいそうになる。
それに、一応リュカは高貴な人なのだろうし、いきなり名前を呼ぶのもいかがなものかと思い躊躇ったが、本人がそういうのだし、小春に非はないだろう。
「それにしても麗しの聖女様を長い間お待たせして申し訳なかった、急なこととはいえ」
リュカは誰もが魅了される微笑みを浮かべながら謝る。
しかし何故か小春はその物言いになんとなく棘を感じるような気がした。
「いえいえ、むしろ迷惑をおかけしたのは私のほうなので」
少し違和感を感じつつも、小春側としても申し訳ない状況に頭を下げる。
いきなり見ず知らずの女を預からねばならないリュカの立場からしてみれば、小春の存在は目障りに違いない。こちらも勝手に呼ばれた身とは言え。
「ん?迷惑?君は俺に対して何かしたの?」
小春の発言に対し、リュカはキョトンとした表情を浮かべ、小首をかしげた。
「えーと、直接的に私がしたわけじゃないと思いますけど、リュカ様が私がいることでいらない世話をすることになるわけで。私としても申し訳ないので迷惑かけたくないのが本音というかなんというか」
「ああ、そんなこと。別に君の面倒を見ること自体は迷惑ではないよ。だからそんなに気にしなくてもいい」
なんだろうか。
リュカの物腰は丁寧で、惚れ惚れするほどの柔らかい笑みだって浮かべている。それなのにさきほどから感じるこの妙な棘は。
「私の面倒を見ること自体、ということはそれ以外で都合の悪いことがあるってことですか?」
なんとなくその妙な違和感をそのままにできず、思わず聞き返すと、リュカの目が微かに見開いた。どうやら当たりらしい。
小春は、こういう相手のわずかな態度や表情の違いを読み取るのは比較的得意な方である。
すると、リュカはそれまで崩さなかった余所行きの笑みをやめ、意図的に威圧まで感じるような冷たい笑みを小春に向けた。
「俺のもとに来た聖女様がコハルさんのような子でよかったよ」
「はぁ、どうも……?」
急に雰囲気も変わり、リュカの言葉が何に対するものかいまいち分からないままとりあえず返答する。
「……端的に言うと、聖女が俺のそばにいるこの状況は俺にとっては都合が悪い。君がどうこうというわけではなくてね」
「……」
「要するに俺はね、聖女は要らないんだ」
言葉の節々に感じたわずかな棘、マルセルからの歓迎されていないような態度、その原因が何か理解する。
となぜか同時に過去に何度も言われた言葉と重なり、フラッシュバックのようにふと一場面が頭をよぎる。
『あんたなんかいなければよかったに』
そんな不快な既視感はすぐさま頭から振り払った。
今は関係のないことだ。
なぜリュカが聖女に対して忌避感を感じているかは現状分からない。が、一つだけ言っておきたいことを思い出す。
「リュカ様のお気持ちはわかりました。ですが、私からもひとつだけ言わせていただきたいです」
「どうぞ」
小春はワンテンポおき、淡々と告げた。
「リュカ様も特に気にしなくていいと思いますよ。私、聖女じゃないんで」
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