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05話「遥と奏多」
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教室の準備中、遥は調理台を片付けながらふと立ち止まった。
目の前にあるのはいつものキッチン、いつもの調理道具、そしていつもの日常。しかし、その静けさの中で胸の奥がざわついている。
奏多の真っ直ぐな言葉が、昨日もその前の日も、何度も頭をよぎっていた。
『――先生が男でも女でも、好きになったのは天宮先生なんです』
彼の言葉は決して軽いものではなく、その真剣さに遥は少しずつ心を揺さぶられていた。
「俺が……怖がってばかりだから、こんなに動揺するのか」
自分に向けられる純粋な好意にどう答えるべきか、わからない。それでも、心のどこかで信じてみたいという気持ちが芽生えていることに気づいていた。
「……今日、ちゃんと話そう。彼に向き合わないと。でないと、今度は俺が……相手の心を殺してしまうかもしれない――」
そうつぶやき、遥は小さく息を整えた。
☆ ☆ ☆
教室が始まる時間になり、生徒たちが次々と現れる。
「先生、おはようございます!」
元気よく挨拶をする奏多の声に、遥は自然と微笑みを返した。
「おはようございます、篠原さん。本日もよろしくお願いしますね」
他の生徒たちと冗談を交わしながらも、奏多は時折、遥に視線を送っていた。その様子に気づいていながらも、遥はその視線をあえて受け流す。
本日の料理教室が終了し、生徒たちが帰る中、奏多だけがキッチンに残った。
「あの先生、少しお話してもいいですか?」
「……はい、大丈夫ですよ」
珍しく奏多が遠慮がちに声をかける。その言葉には、どこか覚悟のようなものが含まれていた。
「先生、俺……今日で教室に通うの、やめようと思ってます」
突然の言葉に、遥は驚いて目を見開く。
「どうして急にそんなことを?」
「……えっ、と。これ以上、自分の気持ちを押し付けて、先生に迷惑をかけたくないんです。先生の優しさに甘えてばかりじゃダメだって思って」
奏多の表情は真剣で、遥はその言葉に心が痛むのを感じた。
――そんなことは。
そう言いかけて口を閉じる。
自身の気持ちを言葉にするタイミングを探し、遥はゆっくりと口を開いた。
「……あの篠原さん。少し、昔話を聞いてもらえますか?」
遥は過去のことを、静かに話し始めた。
「実は昔、付き合っていた人がいました。でも、その人に裏切られました。好きだと言いながら、私――俺以外の人とも会っていて……所謂、浮気という奴です。それで、その時から誰かを信じるのが怖くなりました」
奏多は黙って話を聞き、やがて静かに口を開いた。
「先生がそんなことを経験していた、なんて……知らなかったです。辛かった、ですよね」
遥は微かに頷きながら、続ける。
「だから、君の気持ちがどれだけ真剣でも、僕はずっと怖かった。信じることができるのか、また裏切られるんじゃないかって」
奏多は遥の目を真っ直ぐに見つめ、きっぱりと言った。
「俺は先生を絶対に傷つけません。それだけは、信じてほしいです。……何も、証明は出来ない、けど……!」
その言葉に、遥の胸が震える。
「君の言葉を信じたい。でも、完全に怖さが消えるわけじゃない」
「……あ……っ」
「それでも……俺のことを真っ直ぐと見る君と、一緒にいる未来を見てみたいと思ったんです」
不器用ながらも真剣な告白の返事だった。奏多は一瞬驚いた表情を見せた後、笑顔を浮かべた。
「俺も、先生と一緒に未来を見てみたいです!」
「っ……! ありがとう、ございます……」
その日、夕暮れの教室と共に二人の時間は溶けていった。
☆ ☆ ☆
翌日、教室の準備をしていると、奏多が早めに現れた。
「先生、事前練習よろしくお願いします!」
「はい。それでは、本日の朝練は野菜を切る練習を頑張ってもらいましょうか。早くマスターして他の生徒さんたちを驚かせましょう。……一緒に、ね」
二人が並んでキッチンに立ちながら、軽口を叩き合う穏やかな時間。
「頑張ります! ……あの、これからもよろしくお願いします、遥さん」
奏多のふいな笑顔と名前呼びに、彼は少し照れくさそうに頷いた。
「ええ。こちらこそ、よろしく。……奏多くん」
――怖さもあるけれど、それ以上に、彼の隣で生きる未来を信じてみたい。
そう心に決めながら、遥は静かに微笑んだ。
目の前にあるのはいつものキッチン、いつもの調理道具、そしていつもの日常。しかし、その静けさの中で胸の奥がざわついている。
奏多の真っ直ぐな言葉が、昨日もその前の日も、何度も頭をよぎっていた。
『――先生が男でも女でも、好きになったのは天宮先生なんです』
彼の言葉は決して軽いものではなく、その真剣さに遥は少しずつ心を揺さぶられていた。
「俺が……怖がってばかりだから、こんなに動揺するのか」
自分に向けられる純粋な好意にどう答えるべきか、わからない。それでも、心のどこかで信じてみたいという気持ちが芽生えていることに気づいていた。
「……今日、ちゃんと話そう。彼に向き合わないと。でないと、今度は俺が……相手の心を殺してしまうかもしれない――」
そうつぶやき、遥は小さく息を整えた。
☆ ☆ ☆
教室が始まる時間になり、生徒たちが次々と現れる。
「先生、おはようございます!」
元気よく挨拶をする奏多の声に、遥は自然と微笑みを返した。
「おはようございます、篠原さん。本日もよろしくお願いしますね」
他の生徒たちと冗談を交わしながらも、奏多は時折、遥に視線を送っていた。その様子に気づいていながらも、遥はその視線をあえて受け流す。
本日の料理教室が終了し、生徒たちが帰る中、奏多だけがキッチンに残った。
「あの先生、少しお話してもいいですか?」
「……はい、大丈夫ですよ」
珍しく奏多が遠慮がちに声をかける。その言葉には、どこか覚悟のようなものが含まれていた。
「先生、俺……今日で教室に通うの、やめようと思ってます」
突然の言葉に、遥は驚いて目を見開く。
「どうして急にそんなことを?」
「……えっ、と。これ以上、自分の気持ちを押し付けて、先生に迷惑をかけたくないんです。先生の優しさに甘えてばかりじゃダメだって思って」
奏多の表情は真剣で、遥はその言葉に心が痛むのを感じた。
――そんなことは。
そう言いかけて口を閉じる。
自身の気持ちを言葉にするタイミングを探し、遥はゆっくりと口を開いた。
「……あの篠原さん。少し、昔話を聞いてもらえますか?」
遥は過去のことを、静かに話し始めた。
「実は昔、付き合っていた人がいました。でも、その人に裏切られました。好きだと言いながら、私――俺以外の人とも会っていて……所謂、浮気という奴です。それで、その時から誰かを信じるのが怖くなりました」
奏多は黙って話を聞き、やがて静かに口を開いた。
「先生がそんなことを経験していた、なんて……知らなかったです。辛かった、ですよね」
遥は微かに頷きながら、続ける。
「だから、君の気持ちがどれだけ真剣でも、僕はずっと怖かった。信じることができるのか、また裏切られるんじゃないかって」
奏多は遥の目を真っ直ぐに見つめ、きっぱりと言った。
「俺は先生を絶対に傷つけません。それだけは、信じてほしいです。……何も、証明は出来ない、けど……!」
その言葉に、遥の胸が震える。
「君の言葉を信じたい。でも、完全に怖さが消えるわけじゃない」
「……あ……っ」
「それでも……俺のことを真っ直ぐと見る君と、一緒にいる未来を見てみたいと思ったんです」
不器用ながらも真剣な告白の返事だった。奏多は一瞬驚いた表情を見せた後、笑顔を浮かべた。
「俺も、先生と一緒に未来を見てみたいです!」
「っ……! ありがとう、ございます……」
その日、夕暮れの教室と共に二人の時間は溶けていった。
☆ ☆ ☆
翌日、教室の準備をしていると、奏多が早めに現れた。
「先生、事前練習よろしくお願いします!」
「はい。それでは、本日の朝練は野菜を切る練習を頑張ってもらいましょうか。早くマスターして他の生徒さんたちを驚かせましょう。……一緒に、ね」
二人が並んでキッチンに立ちながら、軽口を叩き合う穏やかな時間。
「頑張ります! ……あの、これからもよろしくお願いします、遥さん」
奏多のふいな笑顔と名前呼びに、彼は少し照れくさそうに頷いた。
「ええ。こちらこそ、よろしく。……奏多くん」
――怖さもあるけれど、それ以上に、彼の隣で生きる未来を信じてみたい。
そう心に決めながら、遥は静かに微笑んだ。
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