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01話「腐れ縁のふたり」
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夕方の商店街は、穏やかな空気に包まれていた。
小さなパン屋から漂う甘い匂いと、八百屋のおばちゃんが飛ばす威勢のいい掛け声。松原陸は大学の講義を終え、自宅へ向かういつもの帰り道を歩いていた。
「兄貴!」
背後から聞き慣れた元気な声が響く。振り返ると、高校の制服を着た星野楓が全力で駆け寄ってくるのが見えた。
「お前か、楓。また寄り道か?」
「寄り道じゃない。兄貴に会いたくて走ってきたんだよ」
息を切らしながらも、楓は屈託のない笑顔を浮かべている。
「……わざわざ、俺に?」
陸は首をかしげたが、その顔には苦笑が浮かんでいる。
「だってさ、兄貴、最近構ってくれないじゃん」
「いや構ってくれないって……お前、高校三年だろ? そろそろ受験の準備でもしてろよ」
「余裕だって。俺、オトナだから」
唐突な言葉に陸は目を丸くした。
「何だそれ、卒業アルバムの抱負か?」
「違うって!」
楓は真剣な表情で陸を見上げた。
「もう! 兄貴にオトナの男として見てほしいってこと!」
その言葉に、陸は思わず吹き出した。
「お前、ほんとに何言ってんだよ……オトナってなんのことだよ」
「オトナはオトナだよ。兄貴に子供扱いされるのはもう嫌なんだ」
楓の目はいつもより真剣で、思わず陸は言葉に詰まった。だが、その一瞬の動揺を隠すように笑顔を浮かべる。
「子供はすぐそういうこと言うし」
「……子供じゃ、ないし!」
楓がむくれた顔で返すと、陸はまたか、と言わんばかりに大きな溜息をついた。
「じゃあさ、オトナだって証拠を見せてくれよ」
冗談めかして言う陸に、楓は真剣そのものの顔で答えた。
「わかった。俺、兄貴を見返すから!」
「何をだよ……」
陸は肩をすくめ、少し呆れたように笑った。
「でさ、俺がオトナだってちゃんと証明したら、兄貴もちゃんと俺を認めてくれる?」
「認めるも何も、別にお前を否定した覚えはないけどな」
「そういうんじゃなくて!」
楓が勢いよく声を張り上げる。陸はその迫力に一瞬たじろいだ。
「……わかったわかった。とりあえず、高校卒業してから言いなさい」
「うっ……」
楓が悔しそうに言葉を飲み込むのを見て、陸は笑いをこらえきれなかった。
「ほら、ちゃんと帰って勉強でもしろ。じゃないと、おばさんに怒られるぞ」
「兄貴こそ。まあいいや。覚悟しとけよ」
「はぁ? 何の覚悟だよ……」
楓はそのまま笑顔を見せながら手を振り、商店街の向こうへ駆けていく。
その背中を見送りながら、陸はふと胸の奥に引っかかるものを感じた。いつもと同じようなやり取りなのに、どこか違うような、妙な感覚。
「……まあ、あいつのことだ。どうせまた何かバカなことを企んでるんだろう」
軽く頭を振り、陸は歩き始める。夕焼けが商店街を赤く染める中、その影はどこか穏やかで、少しだけ揺れていた。
小さなパン屋から漂う甘い匂いと、八百屋のおばちゃんが飛ばす威勢のいい掛け声。松原陸は大学の講義を終え、自宅へ向かういつもの帰り道を歩いていた。
「兄貴!」
背後から聞き慣れた元気な声が響く。振り返ると、高校の制服を着た星野楓が全力で駆け寄ってくるのが見えた。
「お前か、楓。また寄り道か?」
「寄り道じゃない。兄貴に会いたくて走ってきたんだよ」
息を切らしながらも、楓は屈託のない笑顔を浮かべている。
「……わざわざ、俺に?」
陸は首をかしげたが、その顔には苦笑が浮かんでいる。
「だってさ、兄貴、最近構ってくれないじゃん」
「いや構ってくれないって……お前、高校三年だろ? そろそろ受験の準備でもしてろよ」
「余裕だって。俺、オトナだから」
唐突な言葉に陸は目を丸くした。
「何だそれ、卒業アルバムの抱負か?」
「違うって!」
楓は真剣な表情で陸を見上げた。
「もう! 兄貴にオトナの男として見てほしいってこと!」
その言葉に、陸は思わず吹き出した。
「お前、ほんとに何言ってんだよ……オトナってなんのことだよ」
「オトナはオトナだよ。兄貴に子供扱いされるのはもう嫌なんだ」
楓の目はいつもより真剣で、思わず陸は言葉に詰まった。だが、その一瞬の動揺を隠すように笑顔を浮かべる。
「子供はすぐそういうこと言うし」
「……子供じゃ、ないし!」
楓がむくれた顔で返すと、陸はまたか、と言わんばかりに大きな溜息をついた。
「じゃあさ、オトナだって証拠を見せてくれよ」
冗談めかして言う陸に、楓は真剣そのものの顔で答えた。
「わかった。俺、兄貴を見返すから!」
「何をだよ……」
陸は肩をすくめ、少し呆れたように笑った。
「でさ、俺がオトナだってちゃんと証明したら、兄貴もちゃんと俺を認めてくれる?」
「認めるも何も、別にお前を否定した覚えはないけどな」
「そういうんじゃなくて!」
楓が勢いよく声を張り上げる。陸はその迫力に一瞬たじろいだ。
「……わかったわかった。とりあえず、高校卒業してから言いなさい」
「うっ……」
楓が悔しそうに言葉を飲み込むのを見て、陸は笑いをこらえきれなかった。
「ほら、ちゃんと帰って勉強でもしろ。じゃないと、おばさんに怒られるぞ」
「兄貴こそ。まあいいや。覚悟しとけよ」
「はぁ? 何の覚悟だよ……」
楓はそのまま笑顔を見せながら手を振り、商店街の向こうへ駆けていく。
その背中を見送りながら、陸はふと胸の奥に引っかかるものを感じた。いつもと同じようなやり取りなのに、どこか違うような、妙な感覚。
「……まあ、あいつのことだ。どうせまた何かバカなことを企んでるんだろう」
軽く頭を振り、陸は歩き始める。夕焼けが商店街を赤く染める中、その影はどこか穏やかで、少しだけ揺れていた。
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