渇望の檻

第3章

07話「執着の理由」

　秋の夕暮れが、大学のキャンパスを美しい赤に染めていた。少し肌寒い風が吹く中、五十嵐零は一人、校舎裏のベンチに座っていた。周囲の喧騒をよそに、静かに目を閉じて考えごとにふけっている。

　そんなとき、ふと聞き慣れた声が彼の耳に届いた。

「五十嵐先輩、また一人で考え事ですか？」

　目を開けると、そこには後輩の早坂優希が立っていた。その顔には、無垢でまっすぐな笑顔が浮かんでいた。

「……ああ、早坂か」

　零は軽く微笑み返し、手で隣のベンチを示す。優希は躊躇なく座り、何気ない会話を始めた。
　二人の間に流れる時間は穏やかで、零にとって特別なものだった。

　彼は小さな頃から他人と距離を置くことが多かった。
　彼の家庭環境が複雑だったこともあり、人を信じることが厳しいものがどこかにあった。しかし、優希は彼の心にそっと入り込んできた。誰に対しても素直で、まっすぐなその姿に、零は次第に惹かれていった。

　いつしか零にとって、優希はかけがえのない存在となっていた。

　――早坂がそばにいると、自分は他の誰とも繋がることができる気がする。

　そんな思いが、彼の心の中で静かに芽生えていた。


　ある日、零が言葉を選びながら優希に尋ねた。

「早坂、お前は……俺のこと、どう思っている？」

　優希は一瞬驚いたような顔を見せたが、すぐに微笑んで答えた。

「五十嵐先輩は、信頼できる人です。……俺にとって、とても大事な先輩ですよ」

　その言葉が零の胸に深く響いた。彼は目を伏せながら、心の奥で確かなものが揺らぎ始めるのを感じた。

　――信頼。優希が自分を信頼してくれている……その事実が、彼の心を満たしていく。

　だが、それがいつしか歪んだ形に変わっていったのは、優希が他の友人と楽しそうに笑っている姿を見たときだった。

　――早坂は、俺だけを見ていない。

　その思いが、彼の中で小さな焦燥と執着を生み出していた。優希が自分のもとから離れていくかもしれないという不安が、日に日に強まっていく。自分を信頼し、大切にしてくれる存在が他に向けられることを、零は耐え難く感じていたのだ。

　気がつけば、零は優希を手元に置いておきたいと強く思うようになっていた。彼にとって優希は、孤独から自分を救ってくれる唯一の存在であり、手放すわけにはいかない存在だった。

　――優希がいなければ、また一人に戻ってしまう。

　その考えが、零の中で執着へと変わり、やがて優希を『聖域』として閉じ込めるという形に行き着いた。

　現実の中、冷たい地下室で再び一人佇む零は、優希に対する愛情と執着が入り混じった感情を抱き続けていた。彼の心の中で、優希だけが聖域を守る存在であり続けることが、何よりも重要だと感じていた。

「……優希、お前は俺のそばにいればいい。それが一番、お前のためなんだ」

　その呟きが、冷たい壁に吸い込まれていった。