渇望の檻

第2章

07話「聖域」

　薄暗い地下室の扉が静かに閉まり、重々しい鍵の音が響き渡った。優希は冷たい床に腰を下ろし、再びこの場所に戻された現実を痛感した。

　――また、ここにいる。

　心の中で何度も逃げなければ、と叫んでいたが零の執着と力に抗えなかった自分への無力感が、強く胸を締めつける。

　部屋を見渡すと、以前にも増して厳重に整えられた監視の痕跡が目についた。窓のないこの空間に、零が用意した家具が無機質に並ぶ。その整然とした静けさが、優希には異様な重圧としてのしかかる。

　――逃げる。今度こそ。

　どれだけ零の支配が強まろうと、自由を奪われ続けるわけにはいかない。優希は冷静に次の手を探るため、自分の心を奮い立たせた。


　扉の向こうから足音が近づき、しばらくして扉がわずかに開いた。零が静かに顔を覗かせる。

「具合はどうだ？」

　彼の声は表面的には優しかった。しかし、その裏に潜む支配の意図を優希は痛いほど感じ取っていた。

「……何も変わりません」

　優希は感情を押し殺し、冷静に答えた。零に心の内を悟られないよう、必死で自分を抑え込む。

　零は言葉を続けることなく、水と食事のトレーを机に置いた。その姿は一見すると穏やかな態度だが、その言葉には冷たい決意が込められていた。

「優希、今度は本当に……逃がさない」

　その言葉に優希の背筋が凍る。
　零は、優希の意思や感情を認める気がない――その事実が、彼の心を絶望で満たした。

「僕は……僕は、ここにいたくありません」

　優希は震えながらも、必死に言葉を絞り出した。零の目が細まり、低く静かな声で言う。

「ここは、お前を守るための場所だ。他の誰にも邪魔されず、俺が守れる唯一の場所なんだ」

　優希の心はその言葉に揺れた。
　かつての零との穏やかな思い出が、一瞬だけ胸の奥で微かに疼く。しかし、その感情を振り払うように目をそらし、口を開く。

「守るって……それは、ただの言い訳です」

　その言葉に零は一瞬だけ表情を曇らせたが、すぐに冷静さを取り戻し、静かに言った。

「別にいい。それでも……俺はお前を守りたい」

　零の決意を前に、優希は心の中で再び決意を固めた。

　――この場所から、必ず抜け出してみせる。


　扉が閉まり、再び鍵の音が部屋に響いた。優希はゆっくりと立ち上がり、部屋を見渡した。わずかな可能性でも見逃さず、今度こそ脱出のチャンスを掴まなければならない。

　机の引き出しを開けると、紙とペンが入っているのを見つけた。優希の指先が一瞬震える――もしメッセージを残し、それが零に見つかれば……。


　――危険すぎる。

　頭の中でリスクを冷静に分析しながらも、紙に目を落とす。

　――いや、それを逆手に取るんだ。

　優希はペンを取り、慎重に短い文字を走らせる。記載したは、零の心を欺くための言葉――頼っていると解釈させるための、曖昧な一言。

　その紙を机の上にわざと目立つように置いた。もし零がこれを見れば、自分を必要としていると思い込み、監視の隙が生まれるかもしれない。それは、優希にとって危険な賭けだった。


§

　扉の外で、零は鍵を握りしめ、静かに佇んでいた。彼の瞳の奥には、不安と安堵が交錯する。

「……お前はもう、俺の聖域から出られない」

　零は静かにそう呟き、鍵をゆっくりと回した。