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第2章
02話「常連の探偵」
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朝の空気はひんやりとしていた。
優希は薄明るい街を歩きながら、シフトの二十分前にはカフェに到着した。十時からの仕事の開始時刻にはまだ時間があるが、優希にとってはそれはいつものことだった。
余裕を持って準備を終え、万全の状態で働き始めたい――それが優希の真面目な性格に反映されていた。
店の扉を開けると奥から男性の姿、オーナーが顔を出した。優希を見ると、穏やかな微笑みが浮かぶ。
「おはよう、優希くん。今日も早いね」
「おはようございます」
軽く頭を下げる。しかし、オーナーはその笑顔のまま少し眉をひそめた。
「……顔色が悪いけど、大丈夫かい?」
「えっ……は、はい。大丈夫です。ただの寝不足なだけなので」
オーナーは少し心配そうに頷きながらも、優希の無理を察して、それ以上は問い詰めなかった。
「無理はしないでね。しんどかったら、いつでも言ってくれていいから」
優希は改めて頭を下げ、制服に着替えるためにバックヤードへ向かった。
朝の時間帯から、カフェは次々に来店する客で賑わった。優希は注文を取り、ドリンクを作り、忙しさに追われる中で、心のわだかまりを押し込んだ。
――何も考えない。それが今は一番だ。
そう自分に言い聞かせながら、ただ目の前の仕事に集中する。それだけが、優希にとって心の平静を保つ方法だった。
§
時計が午後六時を指し、夕方の静かな時間が店内に訪れた。客足が少し途絶え、店内に漂う空気も落ち着きを取り戻していた。
そのとき、扉のベルが鳴り、店内に軽やかな音が響く。優希が顔を上げると、そこには見慣れた男の姿があった。
夏目匠――このカフェの常連の男性で、職業は探偵という肩書きを持った人物。
夏目はラフなシャツにジャケットというお決まりの姿で、軽く手を挙げた。
「よ、頑張ってるな」
その声は柔らかでありながら、どこか落ち着いた威厳を感じさせた。優希は一瞬、胸がざわつくのを感じたが、それを隠すように笑みを浮かべた。
「あ、夏目さん……今日は遅いですね」
「まあ、たまには夕方に来たくなることもある。あとは仕事の都合でね」
夏目は肩をすくめ、いつもの席に腰を下ろした。
優希は少しの緊張を抱えながら、注文を取りに行く。
「ご注文は、いつものコーヒーでいいですか?」
「頼むよ」
優希がコーヒーを準備している間、夏目の視線が自分に向けられているのを感じた。背中にその目線が突き刺さるようで、落ち着かない。
「……顔色が、あんまり良くないな。無理、してないか?」
優希はコーヒーを差し出しながら、慌てて笑顔を作った。
「大丈夫です。ただの寝不足なので……」
夏目は一瞬だけ目を細めた。
「そうか……」
その表情には、どこか見抜いているような鋭さがあったが、それ以上は何も言わず、ゆっくりとコーヒーを口に運ぶ。そして彼はジャケットの内ポケットから一枚の名刺を取り出した。
「はい、これ。困ったときは頼って」
彼は軽くウインクしながら、優希に名刺を手渡す。
優希は戸惑いながらも、名刺を受け取る。指先が震えるのを感じるが、それを隠すようにポケットにしまい込んだ。
「えっと、その……。お気遣いありがとうございます。でも、僕……」
何か言おうとしたが、言葉が出なかった。
夏目は微笑んだまま、それ以上追及することなく、静かにコーヒーを飲み続けた。
§
時刻は午後七時になり、バイトが終わる時間が来た。優希は店の鍵を閉め、冷たい夜風に包まれる。ポケットに手を入れると、夏目からもらった名刺が指先に触れた。
――あ、夏目さんの名刺……。昨日のこと、話を聞いてもらった方が……。
そんな迷いが、彼の心に小さな波紋を広げていた。
胸の中には、零の監禁から逃げてきた後悔と、夏目に頼ることへの戸惑いが混じり合っていた。
「……どうするべきだろう」
そう小さく呟きながら、優希は冷たい夜の街へと歩き出した。
優希は薄明るい街を歩きながら、シフトの二十分前にはカフェに到着した。十時からの仕事の開始時刻にはまだ時間があるが、優希にとってはそれはいつものことだった。
余裕を持って準備を終え、万全の状態で働き始めたい――それが優希の真面目な性格に反映されていた。
店の扉を開けると奥から男性の姿、オーナーが顔を出した。優希を見ると、穏やかな微笑みが浮かぶ。
「おはよう、優希くん。今日も早いね」
「おはようございます」
軽く頭を下げる。しかし、オーナーはその笑顔のまま少し眉をひそめた。
「……顔色が悪いけど、大丈夫かい?」
「えっ……は、はい。大丈夫です。ただの寝不足なだけなので」
オーナーは少し心配そうに頷きながらも、優希の無理を察して、それ以上は問い詰めなかった。
「無理はしないでね。しんどかったら、いつでも言ってくれていいから」
優希は改めて頭を下げ、制服に着替えるためにバックヤードへ向かった。
朝の時間帯から、カフェは次々に来店する客で賑わった。優希は注文を取り、ドリンクを作り、忙しさに追われる中で、心のわだかまりを押し込んだ。
――何も考えない。それが今は一番だ。
そう自分に言い聞かせながら、ただ目の前の仕事に集中する。それだけが、優希にとって心の平静を保つ方法だった。
§
時計が午後六時を指し、夕方の静かな時間が店内に訪れた。客足が少し途絶え、店内に漂う空気も落ち着きを取り戻していた。
そのとき、扉のベルが鳴り、店内に軽やかな音が響く。優希が顔を上げると、そこには見慣れた男の姿があった。
夏目匠――このカフェの常連の男性で、職業は探偵という肩書きを持った人物。
夏目はラフなシャツにジャケットというお決まりの姿で、軽く手を挙げた。
「よ、頑張ってるな」
その声は柔らかでありながら、どこか落ち着いた威厳を感じさせた。優希は一瞬、胸がざわつくのを感じたが、それを隠すように笑みを浮かべた。
「あ、夏目さん……今日は遅いですね」
「まあ、たまには夕方に来たくなることもある。あとは仕事の都合でね」
夏目は肩をすくめ、いつもの席に腰を下ろした。
優希は少しの緊張を抱えながら、注文を取りに行く。
「ご注文は、いつものコーヒーでいいですか?」
「頼むよ」
優希がコーヒーを準備している間、夏目の視線が自分に向けられているのを感じた。背中にその目線が突き刺さるようで、落ち着かない。
「……顔色が、あんまり良くないな。無理、してないか?」
優希はコーヒーを差し出しながら、慌てて笑顔を作った。
「大丈夫です。ただの寝不足なので……」
夏目は一瞬だけ目を細めた。
「そうか……」
その表情には、どこか見抜いているような鋭さがあったが、それ以上は何も言わず、ゆっくりとコーヒーを口に運ぶ。そして彼はジャケットの内ポケットから一枚の名刺を取り出した。
「はい、これ。困ったときは頼って」
彼は軽くウインクしながら、優希に名刺を手渡す。
優希は戸惑いながらも、名刺を受け取る。指先が震えるのを感じるが、それを隠すようにポケットにしまい込んだ。
「えっと、その……。お気遣いありがとうございます。でも、僕……」
何か言おうとしたが、言葉が出なかった。
夏目は微笑んだまま、それ以上追及することなく、静かにコーヒーを飲み続けた。
§
時刻は午後七時になり、バイトが終わる時間が来た。優希は店の鍵を閉め、冷たい夜風に包まれる。ポケットに手を入れると、夏目からもらった名刺が指先に触れた。
――あ、夏目さんの名刺……。昨日のこと、話を聞いてもらった方が……。
そんな迷いが、彼の心に小さな波紋を広げていた。
胸の中には、零の監禁から逃げてきた後悔と、夏目に頼ることへの戸惑いが混じり合っていた。
「……どうするべきだろう」
そう小さく呟きながら、優希は冷たい夜の街へと歩き出した。
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