渇望の檻

第1章

03話「初めての抵抗」

　地下室の空気は、ひんやりとしていた。

　優希はベッドの端に腰掛け、呆然と部屋を見渡す。整然とした家具、生活に不自由しない備品ばかりだった。

　――逃げなきゃ……。

　そう、脳裏には浮かぶが足は動かなかった。

　扉の閉まる音が頭の奥にこびりつき、その重さが心に圧し掛かってくる。

　逃げたい。ここにいるべきじゃない……。
　それは分かっているのに、体はどう動けばいいのか分からなかった。


「……落ち着け」

　自分に言い聞かせるように、小さく呟く。
　ベッドから立ち上がり、ゆっくりと扉に近づいた。恐る恐るノブに手をかけ、そっと回してみる。

　ガチャリ。
　鍵はしっかりと掛かっていて、びくともしない。優希はため息をつき、扉に背を預けて座り込んだ。

「どうすれば……」

　目の前の現実は、思ったよりも重たかった。
　これからどうやって脱出すればいいのか、まるで見当がつかない。だが、このまま諦めるわけにはいかなかった。


　少しして、扉の向こうから微かな足音が聞こえた。優希は反射的に身を固める。

「優希」

　扉越しに聞こえたのは、零の声だった。穏やかな声色だが、その奥にある執着が痛いほど感じられる。

「食事を持ってきた。……開けるから、下がれ」

　優希は黙って扉から離れ、少し距離を取った。鍵の音が響き、ゆっくりと扉が開かれる。その向こうには、食事のトレーを持った零が立っていた。

「ここにいたくなんか……ないです」

　優希の声は低く冷たかった。だが、零は動じることなく淡々と応じた。

「……」

　零はトレーを机に置くと、何も言わずに扉を閉めた。再び鍵の音が響き、優希はその音が自分の心に枷をかけるように感じた。


　優希は机に置かれた食事を見つめたが、食欲は湧かなかった。再びベッドに腰を下ろし、何もない天井を見上げる。

　――逃げなきゃ。今度こそ。

　思わず拳を握りしめたが、その手は震えていた。零のことが、どうしても頭から離れない。彼の静かな目、そして「お前を守る」と言った言葉が、心にしこりを残していた。

　優希は再び立ち上がり、部屋を調べ始めた。壁を叩き、家具を動かし、どこかに脱出できる場所がないか探す。やがて、部屋の隅に小さな換気口を見つけた。しかし、それはあまりに狭く、とても人が通れるようなものではなかった。

「……無理、か」

　優希は膝をつき、無力感に襲われる。だが、そのまま諦めるわけにはいかない。この場所から逃げ出す方法を、必ず見つけると決意した。

　ふと、ポケットに手を入れると、ペンダントが指先に触れた。それは高校時代、零と過ごした日々の中で拾ったもので、優希にとっての小さな思い出だった。

　彼に心を許せた、あの頃の零――。

「……どうして、変わってしまったんだろう」

　そう呟き、優希はペンダントを握りしめる。
　今の零は、自分が知っていた頃の彼とは違う。けれど、どこかで同じ孤独を抱えているような気がしてしまう。


　――でも、ここにはいられない。

　優希はもう一度、自分に言い聞かせた。
　零へのわずかな同情を振り払い、次に扉が開く瞬間を逃さないと決める。

　絶対に逃げ出してみせる――それが、彼との決別のために必要だから。