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真相編
信じていたもの
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※フリードリヒ視点になります。
「さて。言いたいこともあるだろうけどまずはこちらの用を済ませようか」
そう言ってにっこりと笑うのは学園長だ。
ならばその“用”とやらをさっさと終わらせては貰えないだろうか。
「フリードリヒ君。イライラするのは分かるけどそんな事だと色々聞き逃しちゃうよー?」
「無駄話はいい。その用とやらをさっさと話せ」
レイジスと一緒にいるときには絶対に出さない冷たい声でそう告げれば「やだー! フリードリヒ君が反抗期だー!」と両手で顔を覆う。
何なんだこいつは。
早くレイジスの所に行かねばならないというのに。
そもそもなぜメトルと一緒なのだ。一緒に行かせるのならばソルゾかハーミットの方が適任だろうに。
思わず爪を噛みそうになるのをぐっと耐えていると「フリードリヒ君が爆発しちゃう前に話そうか」とけろりとした表情で学園長が私を見る。だがその表情はふざけている物ではなく、表情を消したもの。
「君たちをここに呼んだのはレイジス君のお父様、フォルス君の話だ」
フォルス君? 学園長のその言葉に驚いたのは私だけではない。ソルゾもハーミットもぎょっとしている。
たかが学園長がフォルスを『君』つけで呼ぶとは…。
「フリードリヒ君以外は知ってると思うけどね。一応説明しておこうと思って」
「なに?」
学園長のその言葉に思わず隣にいるアルシュを視線だけで見れば「申し訳ございません」と瞳が伏せられた。
「その続きは私が」
「うん。その方がいいだろうね」
そう言って話の続きをフォルスが引き継ぐ。
「フリードリヒ殿下以外には話してあるがもう一度説明をしておこうか。私がここに来たのはリーシャ君とソルゾ君の『報告』があったからね」
「報告?」
何のことだ?とリーシャとソルゾを見ればこちらも「申し訳ございません」と頭を下げる。
それに眉を寄せていると「いや。あれは報告しないとダメな奴だよ」と学園長も苦笑いを浮かべている。
「君たちは…学園長も含めてレイジスが『先祖返り』している事を知っているね?」
「学園長も?」
フォルスの言葉にフォルス以外の全員の視線が向けられると「いやー、お恥ずかしい」と照れているが、私の視線は冷ややかだ。
「彼はまぁ…なんというか信頼できるからね」
そう言って後頭部を掻くフォルス。どういうことだ? 学園長が信用できる?
「その辺りはまた後でね」
「まぁそう言うわけでリーシャ君とソルゾ君の『報告』を調べた結果、私がいるということになるね」
うん、と頷くフォルスと学園長。
だがリーシャとソルゾの報告は私には届いていない。と、なるとそれは私の耳には入れたくないものか。
「レイジスに関しての報告は殆ど義務みたいなものだからね。怒らないでくださいね」
「そう言えば、レイジス様に関しての情報は機密扱いでしたね」
フ―ディ村でレイジスが『先祖返り』していることを告げられた時にフォルスからそう言われたことを思い出したのか、アルシュがそう言えば「そうなんですか?!」とリーシャが驚いていた。
「ああ、だから王宮に報告しましょうって言われたのか!」
「すみません。リーシャ君」
ソルゾがリーシャに謝るが「いや、義務ならしょうがないし」と告げる。
「それで? レイジスに何が?」
「まずはこちらを見ていただいた方が早いですね」
そう言って胸の内ポケットから何かを取りだすフォルス。その手には魔石が一つ乗せられていた。
「それが何か?」
「殿下。ここに書かれている文字は読めますか?」
「文字?」
フォルスから魔石を受け取り、そこに彫られている文字を読んでみることにした。
だが。
「…読めないな」
「私たちも読めないんです」
「なに?」
ソルゾが「読めない」と言葉にした瞬間、これを『誰』が作ったのかを理解した。
「レイジスか」
「はい。レイジス様がこれを作ったのを私とリーシャ君、それとユアソーン卿が見ています」
「……………」
なるほど。だとすればリーシャとソルゾの『報告』はこの文字と言うことになる。だがなぜレイジスはこの文字を知っていたのか…。
そこで『先祖返り』の話になるのか。
「レイジスの『先祖返り』の影響が出たのか」
「はい。しかもレイジスの『先祖返り』はかの『聖女』と同じ文字だということが確認されました」
「なに?!」
フォルスの言葉に私だけが驚く。なるほど。これが私以外知っていた事なのだろう。
しかしレイジスが、かの『聖女』様と同じ文字を書けると言うことにはそれほど驚きはない。
「リーシャ」
「はい」
「お前の様子がおかしかったのは『これ』を知っていたからか?」
「…はい。レイジス様に渡された『やりたいことリスト』が既に読めていませんでした」
「なるほど」
だとすればリーシャは混乱しただろう。いくら『先祖返り』したことを知っていてもいきなり読めない文字で書かれたものを渡されれば戸惑う。
「ああ。だから海へ行ったときに別行動をとったのか」
「はい。これはまずソルゾ先生に報告すべきだと考えました」
「そうか」
「その調査の結果がフォルス、と言うことだとすれば…」
「はい。王宮からレイジスを連れてくるように言われています」
「だから『監視』と言うわけか」
レイジスが逃げることなどしないことは父上も分っている。だがあえて『監視』という名目で学園にフォルスを送ったのはレイジスの負担を減らす為。
元気になったとはいえ王宮で倒れている。それを考慮し、体調を整えてから再び王宮に行くためだろう。
「さて、フォルス君がここにいる理由が分かったところで少し場所を変えようか」
「場所を?」
突然何を、という言葉を告げる前にぱちりと指が鳴らされると空気が一瞬にして変わった。
場所は変わらないのに、空気だけが変わったことに警戒をするが「ああ、大丈夫。危なくはないよ」と学園長が笑う。
「さて、次は私だね。聞きたいことはたくさんあると思うけど、まずはメトル君の事からかな?」
「立ってるのも何だし、座って座って」とソファに座るように言われどうしたものかと迷えば「お言葉に甘えて座ろうか」というフォルスの言葉に従うことにする。
そのまま立っていてもいいが「お茶しながらの方が話しやすいでしょ?」と告げると何もなかったテーブルに人数分のティーカップとポットが置かれ、更には菓子まで用意をされてしまう。
「そのお菓子、レイジス君に好評だったからね」と言われればリーシャがそわっとするのが目に入ったのもある。
まず私がソファに座れば全員が座る。それを確認してからソルゾがポットからカップへと紅茶を注ぎ、リーシャが置いていく。
「フォルス君にはもう言ってあるけど、メトル君は信用してくれていい」
「なぜ?」
「身内贔屓じゃないけど、彼はレイジス君を傷付けることはしないよ。絶対に」
「そう言いきれるのは?」
「彼以上に強力な味方はいないからね」
「味方?」
どういう意味ですか?とノアが首を傾げれば、学園長がふっと笑う。
「ということだ。フォルス君の疑問は解けたかな?」
「なるほど。やはりそうか…」
「どういう意味だ?」
にっこりと笑う学園長とは逆に肩を落とすフォルス。二人の意味が分からず問えば「そうだなぁ」と学園長が一度天を仰ぐ。
「まずは君たちがメトル君を疑っている事」
「あんなに怪しいやつを疑わないことがおかしいと思うが?」
「うん、やっぱりそうだ。フォルス君。これはチャンスだね」
「そうですね」
そう言って頷き合う二人の言葉の意味が分からない。
フォルスも学園長も何を言っているんだ?
「フリードリヒ君。君も『先祖返り』している可能性が高いってフォルス君に言われたでしょ?」
「え?!」
「…そう言えば言われた気がする、な?」
レイジスが『先祖返り』していることが衝撃すぎてすっかりと忘れていたが。本当なんですか?!というノアとリーシャ、それにソルゾとハーミットに「ああ。確かに言われたな」と返せば「ええー…」と困惑している。
「私の『先祖返り』の可能性などほとんどなかったからな。言われるまで忘れていた」
「うんうん。フリードリヒ君の場合はフリードリヒ君自体がそうなんだから気付かないのも当然だよ」
「それはどういう意味ですか?」
そうアルシュが問えば「それは私から聞いちゃダメでしょ」と笑う。
「聞きたいなら君のお父様に聞きなさい」
「……………」
それはそうなのだが、なぜこの男がそのようなことを知っているのか。それが気になる。
「それよりも、君たちに伝えなければならないことがあるんだ」
ころころと笑っていた笑顔が消え失せたその表情は酷く冷たい印象を与える。
感情の起伏が激しいのかそれともこちらが本当の姿なのか分からない。
「君たちはレイジス君が命に関わる出来事に度々遭遇してるよね?」
静かにそう告げる学園長に、誰もが押し黙る。
フォルスでさえ黙るということは報告が入っているのだろう。
「初めは侍女。それから食虫花、コカトリスに薔薇。そして…ワイバーンにレヴィアタン。これら全てが偶然だと思っていた?」
「………………」
にこりと笑う学園長の表情にぞわりとしたものが背中を駆け抜けていく。
「侍女…も偶然ではない?」
「もちろん。誰かが故意にそうさせた」
レイジスに薬を盛った侍女。ノアの調べで逆恨みの犯行だと結論付けたがそれが間違っていた? それにフ―ディ村へと出かけた帰りに出会った花売りの少女。あの時も少女の親が「俺は何もしていない! 子供にレイジス・ユアソーンにこの薔薇を売れと書かれた手紙があっただけだ!」と言っていたようだし。更にワイバーン。王都へと向かう途中に襲われた時もアルシュが「うさぎ耳フードを被った奴を乗せているワイバーンを狙え!」という言葉を聞いている。
薔薇とワイバーンでレイジスが狙われている事は分かっていたがまさか侍女の件も偶然ではなく故意だった、としたら一体誰が…。
「だが薔薇は突然現れた、と…」
「そうだろうね。そうとしか表現できないからね」
「…レイジスを狙った黒幕を知っているのか?」
「もちろん」
私の問いに頷く学園長に全員が息を飲む。フォルスもギリ、とひじ掛けに置いた手に力が入り指の色が変わっている。当然だろう。息子の命が狙われたのだから。
私もレイジスを傷付ける者に対して怒りを感じているが、フォルスを見てそれを爆発は免れている。
ふう、と一度息を吐き気持ちを落ち着かせる。
「それは誰か、と聞いても?」
「構わないよ。君たちを残したのはそれを知ってもらうためだからね」
「では…!」
食い気味にアルシュが学園長にそう言えば、ゆっくりと口を開いた。
「ロゼッタ。ロゼッタ・ウィンシュタイン」
「は?」
彼から出た名前にぽかんとしてしまうのは仕方ないだろう。
ロゼッタ・ウィンシュタインと言えばすでにこの世にはいないのだから。
「ふざけるのもいい加減にしてもらおうか」
私の口から出たのはそれだった。
ロゼッタ・ウィンシュタインは私の先祖に当る方だ。
「王族を侮辱するな!」
「彼女が本当に王族だったらね」
「な?!」
「今の王族に彼女の血は一滴も流れていなくてもフリードリヒ君、君は侮辱するなと?」
「な…に?」
学園長の言葉に目の前が赤くなっていく。どういうことだ?
王族であるロゼッタ様の血が今の王族に入っていない?
どういうことだ?
ロゼッタ様の血が入っていないのならば相手は誰だ?
「混乱するのも分るけど事実だよ。君の先祖はヴァルヘルム王の血が入っているだけなのだから」
「な…?!」
何?!と瞬間的に怒りか侮辱か分からない感情が込み上げ、椅子から立ち上がる衝動をなんとか押しとどめる。
いま聞いたことは本当に事実なのか?
その前になぜそんなことをただの学園長ごときが知っている?
それにレイジスの事もそうだ。
なぜ。 なぜ。 なぜ。
「なぜ」と混乱する頭をフル回転させ、学園長の言ったことをまずは整理することにする。
落ち着いて深呼吸を一つ。それから学園長を見た。
「なぜ、そんなことが分かる?」
「私が嘘をついている、と?」
「そうだろう? 王族でもない者がそんなことを知っているというのだ?」
「うん。そうだね。それはそうだ。だけどね」
一度そこで言葉を切ると、私たちをぐるっと見る。
「信じる信じないは君たちの自由だ。けれどロゼッタの悪意がもう見過ごせない所まで来ているんだ」
そう告げる学園長の表情は茶化すものではない。じっと私たちを見つめる瞳に動けなくなる。
だが…レイジスの身に起きたことは事実だ。
それに確かにこの男は『悪意』だとはっきりとそう言った。
だがなぜ230年前にいたロゼッタ様がレイジスに悪意を向けるんだ?
この男の言葉の真意が分からずフォルスを見れば、彼はただ静かにカップを傾けている。
「…そもそもロゼッタ様は生きておられない」
「この世界ではね」
「この世界?」
「そう。彼女は違う世界で生きている」
「………………」
もう訳が分からない。
彼の話を信じるならばロゼッタ様はなぜ王族に名を連ねているのだろうか。
仮に。そう、仮に学園長の言葉が正しければウィンシュタイン王家の歴史が間違っている事になる。
それを嘘だと言ってしまえばそれで終いだ。
それも気になるが今はレイジスの事だ。
「違う世界とは一体?」
「簡単に言えば、レイジス君が持つ知識の世界だね」
「…なるほど」
そう告げることしかできない。
レイジスの知識は確かに我々が考えもしないことばかり。それが『聖女』様のいた世界のものならなぜか納得できてしまう。
そう言えばなぜ学園長は『聖女』様はここではない違う世界から来た、ということを知っているのだろう?
それを考えればレイジスの『先祖返り』はその世界の物だろう。
しかし。
ロゼッタ様がなぜレイジスに悪意を向けるのか。
そもそも『聖女』様のいた『世界』とは何なのか。
たくさんの疑問はあるが、ただ一つ分かることがある。
「…レイジスが狙われていたのは確かだ」
「殿下…」
今まで信じていたものが崩れる感覚。全てを信じることができないのはあまりにも突拍子のないことだからだろう。
だがレイジスの命が狙われているとしたら。
「混乱してる所悪いね」
「どうした?」
学園長の視線がなぜか天井に向かれている。その眉間に皺を寄せて。
「レイジス君に何かあったみたいだ」
「何?!」
「空間を戻すから直ぐに行ってくれ。場所は図書室脇の階段だ」
「レイジス…!」
すると空気が再び代わり『戻ってきた』と感じた。なぜそう感じたのかは分からない。けれどもそうとしか言えない。
いや。そんなことよりも。言われた場所へと向かうためにガタリと勢いよく椅子から立ち上がると全員が立ち上がり扉へと走る。
「またおいで。待ってるから」
そう告げる学園長はいつもの通りで。ひらひらと手を振る彼を一度だけ見ると廊下へと飛び出した。
学園長の言う通りならば図書室脇の階段。授業中ということもあり全速力で走ってもぶつかることはない。
だが如何せん図書室は特別棟にある。特別棟とは魔法練習場や騎士科の訓練場があり、本棟とは少し距離が離れている場所にある。レイジスに何があったのかは分からないが、胸騒ぎがする。
無言でただばたばたと廊下を走り角を曲がれば階段、と言う所でメトルの叫び声が聞こえてきた。
「レイジス! おい! レイジス!」
その叫び声に全身の血が引く。
「落ち着きなさい!」
「俺よりもレイジスを見てくれ!」
女性とメトルの声。はぁはぁと肩で息を吐きながらそこへとたどり着けば、暴れるメトルを女性が押さえつけようとしている。
その近くには倒れたままの小さな影と本とキラキラとした破片。
それを見た瞬間、怒りが爆発した。
「メトル!」
怒りのまま叫べば、私の声にハッとしたメトルがこちらを見ると「フリードリヒ! レイジスを…!」と取り乱しながら女性を手で押しのけ、縋るように見つめてくる。
「レイジス…様は動かしてはいけません! 階段から落ちたようです!」
「レイジス!」
階段から…落ちた?!
女性の言葉を聞きレイジスを抱き上げ無事かどうかを確かめたかったが、高い場所から落ちたのなら頭を打っている可能性がある。だからこそ動かせないのだろう。
フォルスが駆け寄り、レイジスの様子を伺う。ハーミットも駆け寄りレイジスを診ている。
この二人ならば任せても大丈夫だ。それよりも。
つかつかとメトルに近寄り膝を折って胸元を掴むと「お待ちください!」と押しのけられた女性が青い顔をして話すがそれを無視する。
「貴様…!」
「悪い。咄嗟にこうするしかなかった」
「何を…!」
ぐっと引き寄せればその顔色が悪いことに気付いた。
「フリードリヒ殿下! 彼の治療をさせてください!」
そう言って有無を言わさずソルゾが強引に私から掴んだ胸元を剥がせば、ポケットから淡く光る魔石を手にした。
「…治癒の魔石?」
「メトル君。右腕を見せなさい」
「俺より…!」
「いいから見せなさい!」
ソルゾから聞いたこともない怒声が発せられると、びくりとメトルの肩が跳ねた。それから押しのけた女性がメトルの腕を持ち上げるとその眉が寄った。
そして。
ぱたり、ぱたりと滴り落ちる赤。右腕からとめどなく溢れるそれに瞳を見開けば「そのままで」とソルゾが告げる。
そして治癒の魔石を傷へと翳すと、淡い緑色の光が発せられた。
「動かないで下さいね」
「…ああ」
「…フリードリヒ殿下」
ぼんやりとメトルの治療をするソルゾを見ていると、レイジスを診ていたフォルスの声に振り向けば「大丈夫です」と深く頷く。ハーミットも「大丈夫ですよ。気を失っているだけです」と頷いているのを見て、ほっと息を吐く。
先程までの激情はフォルスとハーミットの頷きだけで治まった。
そこでようやくほっと安堵の息を吐けた。
「メトル」
「…分かってる。説明はする」
「でしたらレイジス様のお部屋に行きましょうか。医者もいますしね」
「…そう、だな」
気を失っているレイジスと、怪我をしているメトル。
その二人を同時に見せられる医者がいるのだ。メトルをレイジスの部屋に入れるのは正直嫌だったがそんなことを言っている場合ではない。
「では私が先に部屋に戻り侍女に言付けてきます」
「ああ。頼む」
アルシュの申し出に頷くと、踵を返し走っていく。その背中を見送るとソルゾが「どうですか?」とメトルに聞いている。
「大丈夫だ。痛みもない」
「医者には見せますからね?」
「分かった」
滴っていた赤の筋で汚れた腕を見ながらそう告げているメトルが私を見る。
「…悪かった」
「そのことは後で聞く。今はレイジスを休ませたい」
「…ああ」
硬い声でそう告げるメトルが立ち上がると、足元がふらつく。それをソルゾが支えると「悪い」とだけ告げる。
「貧血でしょうね。今日はもう休んだ方がいいでしょう」
「そうする」
ソルゾに支えられたまま苦笑いをするメトルから視線を後ろへと向ければ、フォルスがレイジスを背負っていた。
「できるだけ衝撃を与えたくないので、殿下には申し訳ありませんが私が運ばせていただきます」
「ああ」
眠っているだけのように見えるレイジスに眉を下げると「殿下、行きましょう」とフォルスに言われ頷く。
そう言えばノアとリーシャの姿が見えないな、と視線を動かせばリーシャは既に水魔法で赤を洗い流しながら同時に風魔法で乾かしている。それにノアは階段の踊り場で何かを見つめていた。
そしてその踊り場の窓ガラスが割れている事に気付いた。
まさかメトルは…?
そうだとすれば説明はつくが、今は気を失っているレイジスだ。
頭を打っていない可能性はゼロではないのだ。
「ノア!」
「ああ。すみません。殿下」
ここからだと確信はないがノアの瞳が細くなっていた。
と言うことは何かを見つけたのだろう。
トントンと階段を軽やかに降りた後、オロオロとしている女性にノアが声をかけた。
「風魔法で破片を隅に集めておきました」
「ありがとう」
「申し訳ありませんが片付けをお願いしてもよろしいでしょうか?」
「そのことなら問題ないわ」
「ありがとうございます」
にこりと笑みを浮かべ女性にそう告げると「では行きましょうか」とノアが言う。
それに頷きゆっくりと歩き出す。
メトルも女性に「すみません」と頭を下げれば「気にしないで。お大事に」と言われていたから知り合いなのだろう。
だがそれもすぐに興味を失い、瞳を閉じているレイジスは大丈夫なのかと部屋へと急いだ。
「さて。言いたいこともあるだろうけどまずはこちらの用を済ませようか」
そう言ってにっこりと笑うのは学園長だ。
ならばその“用”とやらをさっさと終わらせては貰えないだろうか。
「フリードリヒ君。イライラするのは分かるけどそんな事だと色々聞き逃しちゃうよー?」
「無駄話はいい。その用とやらをさっさと話せ」
レイジスと一緒にいるときには絶対に出さない冷たい声でそう告げれば「やだー! フリードリヒ君が反抗期だー!」と両手で顔を覆う。
何なんだこいつは。
早くレイジスの所に行かねばならないというのに。
そもそもなぜメトルと一緒なのだ。一緒に行かせるのならばソルゾかハーミットの方が適任だろうに。
思わず爪を噛みそうになるのをぐっと耐えていると「フリードリヒ君が爆発しちゃう前に話そうか」とけろりとした表情で学園長が私を見る。だがその表情はふざけている物ではなく、表情を消したもの。
「君たちをここに呼んだのはレイジス君のお父様、フォルス君の話だ」
フォルス君? 学園長のその言葉に驚いたのは私だけではない。ソルゾもハーミットもぎょっとしている。
たかが学園長がフォルスを『君』つけで呼ぶとは…。
「フリードリヒ君以外は知ってると思うけどね。一応説明しておこうと思って」
「なに?」
学園長のその言葉に思わず隣にいるアルシュを視線だけで見れば「申し訳ございません」と瞳が伏せられた。
「その続きは私が」
「うん。その方がいいだろうね」
そう言って話の続きをフォルスが引き継ぐ。
「フリードリヒ殿下以外には話してあるがもう一度説明をしておこうか。私がここに来たのはリーシャ君とソルゾ君の『報告』があったからね」
「報告?」
何のことだ?とリーシャとソルゾを見ればこちらも「申し訳ございません」と頭を下げる。
それに眉を寄せていると「いや。あれは報告しないとダメな奴だよ」と学園長も苦笑いを浮かべている。
「君たちは…学園長も含めてレイジスが『先祖返り』している事を知っているね?」
「学園長も?」
フォルスの言葉にフォルス以外の全員の視線が向けられると「いやー、お恥ずかしい」と照れているが、私の視線は冷ややかだ。
「彼はまぁ…なんというか信頼できるからね」
そう言って後頭部を掻くフォルス。どういうことだ? 学園長が信用できる?
「その辺りはまた後でね」
「まぁそう言うわけでリーシャ君とソルゾ君の『報告』を調べた結果、私がいるということになるね」
うん、と頷くフォルスと学園長。
だがリーシャとソルゾの報告は私には届いていない。と、なるとそれは私の耳には入れたくないものか。
「レイジスに関しての報告は殆ど義務みたいなものだからね。怒らないでくださいね」
「そう言えば、レイジス様に関しての情報は機密扱いでしたね」
フ―ディ村でレイジスが『先祖返り』していることを告げられた時にフォルスからそう言われたことを思い出したのか、アルシュがそう言えば「そうなんですか?!」とリーシャが驚いていた。
「ああ、だから王宮に報告しましょうって言われたのか!」
「すみません。リーシャ君」
ソルゾがリーシャに謝るが「いや、義務ならしょうがないし」と告げる。
「それで? レイジスに何が?」
「まずはこちらを見ていただいた方が早いですね」
そう言って胸の内ポケットから何かを取りだすフォルス。その手には魔石が一つ乗せられていた。
「それが何か?」
「殿下。ここに書かれている文字は読めますか?」
「文字?」
フォルスから魔石を受け取り、そこに彫られている文字を読んでみることにした。
だが。
「…読めないな」
「私たちも読めないんです」
「なに?」
ソルゾが「読めない」と言葉にした瞬間、これを『誰』が作ったのかを理解した。
「レイジスか」
「はい。レイジス様がこれを作ったのを私とリーシャ君、それとユアソーン卿が見ています」
「……………」
なるほど。だとすればリーシャとソルゾの『報告』はこの文字と言うことになる。だがなぜレイジスはこの文字を知っていたのか…。
そこで『先祖返り』の話になるのか。
「レイジスの『先祖返り』の影響が出たのか」
「はい。しかもレイジスの『先祖返り』はかの『聖女』と同じ文字だということが確認されました」
「なに?!」
フォルスの言葉に私だけが驚く。なるほど。これが私以外知っていた事なのだろう。
しかしレイジスが、かの『聖女』様と同じ文字を書けると言うことにはそれほど驚きはない。
「リーシャ」
「はい」
「お前の様子がおかしかったのは『これ』を知っていたからか?」
「…はい。レイジス様に渡された『やりたいことリスト』が既に読めていませんでした」
「なるほど」
だとすればリーシャは混乱しただろう。いくら『先祖返り』したことを知っていてもいきなり読めない文字で書かれたものを渡されれば戸惑う。
「ああ。だから海へ行ったときに別行動をとったのか」
「はい。これはまずソルゾ先生に報告すべきだと考えました」
「そうか」
「その調査の結果がフォルス、と言うことだとすれば…」
「はい。王宮からレイジスを連れてくるように言われています」
「だから『監視』と言うわけか」
レイジスが逃げることなどしないことは父上も分っている。だがあえて『監視』という名目で学園にフォルスを送ったのはレイジスの負担を減らす為。
元気になったとはいえ王宮で倒れている。それを考慮し、体調を整えてから再び王宮に行くためだろう。
「さて、フォルス君がここにいる理由が分かったところで少し場所を変えようか」
「場所を?」
突然何を、という言葉を告げる前にぱちりと指が鳴らされると空気が一瞬にして変わった。
場所は変わらないのに、空気だけが変わったことに警戒をするが「ああ、大丈夫。危なくはないよ」と学園長が笑う。
「さて、次は私だね。聞きたいことはたくさんあると思うけど、まずはメトル君の事からかな?」
「立ってるのも何だし、座って座って」とソファに座るように言われどうしたものかと迷えば「お言葉に甘えて座ろうか」というフォルスの言葉に従うことにする。
そのまま立っていてもいいが「お茶しながらの方が話しやすいでしょ?」と告げると何もなかったテーブルに人数分のティーカップとポットが置かれ、更には菓子まで用意をされてしまう。
「そのお菓子、レイジス君に好評だったからね」と言われればリーシャがそわっとするのが目に入ったのもある。
まず私がソファに座れば全員が座る。それを確認してからソルゾがポットからカップへと紅茶を注ぎ、リーシャが置いていく。
「フォルス君にはもう言ってあるけど、メトル君は信用してくれていい」
「なぜ?」
「身内贔屓じゃないけど、彼はレイジス君を傷付けることはしないよ。絶対に」
「そう言いきれるのは?」
「彼以上に強力な味方はいないからね」
「味方?」
どういう意味ですか?とノアが首を傾げれば、学園長がふっと笑う。
「ということだ。フォルス君の疑問は解けたかな?」
「なるほど。やはりそうか…」
「どういう意味だ?」
にっこりと笑う学園長とは逆に肩を落とすフォルス。二人の意味が分からず問えば「そうだなぁ」と学園長が一度天を仰ぐ。
「まずは君たちがメトル君を疑っている事」
「あんなに怪しいやつを疑わないことがおかしいと思うが?」
「うん、やっぱりそうだ。フォルス君。これはチャンスだね」
「そうですね」
そう言って頷き合う二人の言葉の意味が分からない。
フォルスも学園長も何を言っているんだ?
「フリードリヒ君。君も『先祖返り』している可能性が高いってフォルス君に言われたでしょ?」
「え?!」
「…そう言えば言われた気がする、な?」
レイジスが『先祖返り』していることが衝撃すぎてすっかりと忘れていたが。本当なんですか?!というノアとリーシャ、それにソルゾとハーミットに「ああ。確かに言われたな」と返せば「ええー…」と困惑している。
「私の『先祖返り』の可能性などほとんどなかったからな。言われるまで忘れていた」
「うんうん。フリードリヒ君の場合はフリードリヒ君自体がそうなんだから気付かないのも当然だよ」
「それはどういう意味ですか?」
そうアルシュが問えば「それは私から聞いちゃダメでしょ」と笑う。
「聞きたいなら君のお父様に聞きなさい」
「……………」
それはそうなのだが、なぜこの男がそのようなことを知っているのか。それが気になる。
「それよりも、君たちに伝えなければならないことがあるんだ」
ころころと笑っていた笑顔が消え失せたその表情は酷く冷たい印象を与える。
感情の起伏が激しいのかそれともこちらが本当の姿なのか分からない。
「君たちはレイジス君が命に関わる出来事に度々遭遇してるよね?」
静かにそう告げる学園長に、誰もが押し黙る。
フォルスでさえ黙るということは報告が入っているのだろう。
「初めは侍女。それから食虫花、コカトリスに薔薇。そして…ワイバーンにレヴィアタン。これら全てが偶然だと思っていた?」
「………………」
にこりと笑う学園長の表情にぞわりとしたものが背中を駆け抜けていく。
「侍女…も偶然ではない?」
「もちろん。誰かが故意にそうさせた」
レイジスに薬を盛った侍女。ノアの調べで逆恨みの犯行だと結論付けたがそれが間違っていた? それにフ―ディ村へと出かけた帰りに出会った花売りの少女。あの時も少女の親が「俺は何もしていない! 子供にレイジス・ユアソーンにこの薔薇を売れと書かれた手紙があっただけだ!」と言っていたようだし。更にワイバーン。王都へと向かう途中に襲われた時もアルシュが「うさぎ耳フードを被った奴を乗せているワイバーンを狙え!」という言葉を聞いている。
薔薇とワイバーンでレイジスが狙われている事は分かっていたがまさか侍女の件も偶然ではなく故意だった、としたら一体誰が…。
「だが薔薇は突然現れた、と…」
「そうだろうね。そうとしか表現できないからね」
「…レイジスを狙った黒幕を知っているのか?」
「もちろん」
私の問いに頷く学園長に全員が息を飲む。フォルスもギリ、とひじ掛けに置いた手に力が入り指の色が変わっている。当然だろう。息子の命が狙われたのだから。
私もレイジスを傷付ける者に対して怒りを感じているが、フォルスを見てそれを爆発は免れている。
ふう、と一度息を吐き気持ちを落ち着かせる。
「それは誰か、と聞いても?」
「構わないよ。君たちを残したのはそれを知ってもらうためだからね」
「では…!」
食い気味にアルシュが学園長にそう言えば、ゆっくりと口を開いた。
「ロゼッタ。ロゼッタ・ウィンシュタイン」
「は?」
彼から出た名前にぽかんとしてしまうのは仕方ないだろう。
ロゼッタ・ウィンシュタインと言えばすでにこの世にはいないのだから。
「ふざけるのもいい加減にしてもらおうか」
私の口から出たのはそれだった。
ロゼッタ・ウィンシュタインは私の先祖に当る方だ。
「王族を侮辱するな!」
「彼女が本当に王族だったらね」
「な?!」
「今の王族に彼女の血は一滴も流れていなくてもフリードリヒ君、君は侮辱するなと?」
「な…に?」
学園長の言葉に目の前が赤くなっていく。どういうことだ?
王族であるロゼッタ様の血が今の王族に入っていない?
どういうことだ?
ロゼッタ様の血が入っていないのならば相手は誰だ?
「混乱するのも分るけど事実だよ。君の先祖はヴァルヘルム王の血が入っているだけなのだから」
「な…?!」
何?!と瞬間的に怒りか侮辱か分からない感情が込み上げ、椅子から立ち上がる衝動をなんとか押しとどめる。
いま聞いたことは本当に事実なのか?
その前になぜそんなことをただの学園長ごときが知っている?
それにレイジスの事もそうだ。
なぜ。 なぜ。 なぜ。
「なぜ」と混乱する頭をフル回転させ、学園長の言ったことをまずは整理することにする。
落ち着いて深呼吸を一つ。それから学園長を見た。
「なぜ、そんなことが分かる?」
「私が嘘をついている、と?」
「そうだろう? 王族でもない者がそんなことを知っているというのだ?」
「うん。そうだね。それはそうだ。だけどね」
一度そこで言葉を切ると、私たちをぐるっと見る。
「信じる信じないは君たちの自由だ。けれどロゼッタの悪意がもう見過ごせない所まで来ているんだ」
そう告げる学園長の表情は茶化すものではない。じっと私たちを見つめる瞳に動けなくなる。
だが…レイジスの身に起きたことは事実だ。
それに確かにこの男は『悪意』だとはっきりとそう言った。
だがなぜ230年前にいたロゼッタ様がレイジスに悪意を向けるんだ?
この男の言葉の真意が分からずフォルスを見れば、彼はただ静かにカップを傾けている。
「…そもそもロゼッタ様は生きておられない」
「この世界ではね」
「この世界?」
「そう。彼女は違う世界で生きている」
「………………」
もう訳が分からない。
彼の話を信じるならばロゼッタ様はなぜ王族に名を連ねているのだろうか。
仮に。そう、仮に学園長の言葉が正しければウィンシュタイン王家の歴史が間違っている事になる。
それを嘘だと言ってしまえばそれで終いだ。
それも気になるが今はレイジスの事だ。
「違う世界とは一体?」
「簡単に言えば、レイジス君が持つ知識の世界だね」
「…なるほど」
そう告げることしかできない。
レイジスの知識は確かに我々が考えもしないことばかり。それが『聖女』様のいた世界のものならなぜか納得できてしまう。
そう言えばなぜ学園長は『聖女』様はここではない違う世界から来た、ということを知っているのだろう?
それを考えればレイジスの『先祖返り』はその世界の物だろう。
しかし。
ロゼッタ様がなぜレイジスに悪意を向けるのか。
そもそも『聖女』様のいた『世界』とは何なのか。
たくさんの疑問はあるが、ただ一つ分かることがある。
「…レイジスが狙われていたのは確かだ」
「殿下…」
今まで信じていたものが崩れる感覚。全てを信じることができないのはあまりにも突拍子のないことだからだろう。
だがレイジスの命が狙われているとしたら。
「混乱してる所悪いね」
「どうした?」
学園長の視線がなぜか天井に向かれている。その眉間に皺を寄せて。
「レイジス君に何かあったみたいだ」
「何?!」
「空間を戻すから直ぐに行ってくれ。場所は図書室脇の階段だ」
「レイジス…!」
すると空気が再び代わり『戻ってきた』と感じた。なぜそう感じたのかは分からない。けれどもそうとしか言えない。
いや。そんなことよりも。言われた場所へと向かうためにガタリと勢いよく椅子から立ち上がると全員が立ち上がり扉へと走る。
「またおいで。待ってるから」
そう告げる学園長はいつもの通りで。ひらひらと手を振る彼を一度だけ見ると廊下へと飛び出した。
学園長の言う通りならば図書室脇の階段。授業中ということもあり全速力で走ってもぶつかることはない。
だが如何せん図書室は特別棟にある。特別棟とは魔法練習場や騎士科の訓練場があり、本棟とは少し距離が離れている場所にある。レイジスに何があったのかは分からないが、胸騒ぎがする。
無言でただばたばたと廊下を走り角を曲がれば階段、と言う所でメトルの叫び声が聞こえてきた。
「レイジス! おい! レイジス!」
その叫び声に全身の血が引く。
「落ち着きなさい!」
「俺よりもレイジスを見てくれ!」
女性とメトルの声。はぁはぁと肩で息を吐きながらそこへとたどり着けば、暴れるメトルを女性が押さえつけようとしている。
その近くには倒れたままの小さな影と本とキラキラとした破片。
それを見た瞬間、怒りが爆発した。
「メトル!」
怒りのまま叫べば、私の声にハッとしたメトルがこちらを見ると「フリードリヒ! レイジスを…!」と取り乱しながら女性を手で押しのけ、縋るように見つめてくる。
「レイジス…様は動かしてはいけません! 階段から落ちたようです!」
「レイジス!」
階段から…落ちた?!
女性の言葉を聞きレイジスを抱き上げ無事かどうかを確かめたかったが、高い場所から落ちたのなら頭を打っている可能性がある。だからこそ動かせないのだろう。
フォルスが駆け寄り、レイジスの様子を伺う。ハーミットも駆け寄りレイジスを診ている。
この二人ならば任せても大丈夫だ。それよりも。
つかつかとメトルに近寄り膝を折って胸元を掴むと「お待ちください!」と押しのけられた女性が青い顔をして話すがそれを無視する。
「貴様…!」
「悪い。咄嗟にこうするしかなかった」
「何を…!」
ぐっと引き寄せればその顔色が悪いことに気付いた。
「フリードリヒ殿下! 彼の治療をさせてください!」
そう言って有無を言わさずソルゾが強引に私から掴んだ胸元を剥がせば、ポケットから淡く光る魔石を手にした。
「…治癒の魔石?」
「メトル君。右腕を見せなさい」
「俺より…!」
「いいから見せなさい!」
ソルゾから聞いたこともない怒声が発せられると、びくりとメトルの肩が跳ねた。それから押しのけた女性がメトルの腕を持ち上げるとその眉が寄った。
そして。
ぱたり、ぱたりと滴り落ちる赤。右腕からとめどなく溢れるそれに瞳を見開けば「そのままで」とソルゾが告げる。
そして治癒の魔石を傷へと翳すと、淡い緑色の光が発せられた。
「動かないで下さいね」
「…ああ」
「…フリードリヒ殿下」
ぼんやりとメトルの治療をするソルゾを見ていると、レイジスを診ていたフォルスの声に振り向けば「大丈夫です」と深く頷く。ハーミットも「大丈夫ですよ。気を失っているだけです」と頷いているのを見て、ほっと息を吐く。
先程までの激情はフォルスとハーミットの頷きだけで治まった。
そこでようやくほっと安堵の息を吐けた。
「メトル」
「…分かってる。説明はする」
「でしたらレイジス様のお部屋に行きましょうか。医者もいますしね」
「…そう、だな」
気を失っているレイジスと、怪我をしているメトル。
その二人を同時に見せられる医者がいるのだ。メトルをレイジスの部屋に入れるのは正直嫌だったがそんなことを言っている場合ではない。
「では私が先に部屋に戻り侍女に言付けてきます」
「ああ。頼む」
アルシュの申し出に頷くと、踵を返し走っていく。その背中を見送るとソルゾが「どうですか?」とメトルに聞いている。
「大丈夫だ。痛みもない」
「医者には見せますからね?」
「分かった」
滴っていた赤の筋で汚れた腕を見ながらそう告げているメトルが私を見る。
「…悪かった」
「そのことは後で聞く。今はレイジスを休ませたい」
「…ああ」
硬い声でそう告げるメトルが立ち上がると、足元がふらつく。それをソルゾが支えると「悪い」とだけ告げる。
「貧血でしょうね。今日はもう休んだ方がいいでしょう」
「そうする」
ソルゾに支えられたまま苦笑いをするメトルから視線を後ろへと向ければ、フォルスがレイジスを背負っていた。
「できるだけ衝撃を与えたくないので、殿下には申し訳ありませんが私が運ばせていただきます」
「ああ」
眠っているだけのように見えるレイジスに眉を下げると「殿下、行きましょう」とフォルスに言われ頷く。
そう言えばノアとリーシャの姿が見えないな、と視線を動かせばリーシャは既に水魔法で赤を洗い流しながら同時に風魔法で乾かしている。それにノアは階段の踊り場で何かを見つめていた。
そしてその踊り場の窓ガラスが割れている事に気付いた。
まさかメトルは…?
そうだとすれば説明はつくが、今は気を失っているレイジスだ。
頭を打っていない可能性はゼロではないのだ。
「ノア!」
「ああ。すみません。殿下」
ここからだと確信はないがノアの瞳が細くなっていた。
と言うことは何かを見つけたのだろう。
トントンと階段を軽やかに降りた後、オロオロとしている女性にノアが声をかけた。
「風魔法で破片を隅に集めておきました」
「ありがとう」
「申し訳ありませんが片付けをお願いしてもよろしいでしょうか?」
「そのことなら問題ないわ」
「ありがとうございます」
にこりと笑みを浮かべ女性にそう告げると「では行きましょうか」とノアが言う。
それに頷きゆっくりと歩き出す。
メトルも女性に「すみません」と頭を下げれば「気にしないで。お大事に」と言われていたから知り合いなのだろう。
だがそれもすぐに興味を失い、瞳を閉じているレイジスは大丈夫なのかと部屋へと急いだ。
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