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学園編
閑話 それぞれの思い
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side.メトル
レイジスとの密会から部屋に戻ってくしゃりと髪をかき上げる。
思ったよりもレイジスがまともでよかった。噂に聞いていたままだったら、とも思ったがそれはそれである意味いい結果だっただろう。
テラスで見た時もそうだったが、見た目はまぁイラストそのままだったからさして動揺もせずいられたがその中身が予想よりもはるかに幼いことに動揺した。密会も断られること覚悟で行ったがまさかあっさりと会ってくれるとは思わなかったが。
それもそうか。レイジスはこのゲームをプレイしたことがないと言っていたのだから。会ったのも情報が欲しいからだろう。
それは俺も同様なので嫌な気分にはならない。俺も『レイジス』に関する情報が欲しかったのだから。
(それにしても…)
ドアを開けた瞬間、うさぎの耳を付けたフードを被った愛らしい人形が目の前にいたらビビるだろ。
それにイラストとは違い、きょとんとしている表情は歳よりも幼く庇護欲を掻きたてた。
(ぬいぐるみを抱いてたらもっと可愛いんだろうな)
うさぎ耳だったから、うさぎのぬいぐるみを抱いてほわほわと笑うレイジス。スチルにはない笑みを浮かべている画が俺の目の前に広がる。ってなにやってんだ。
ぱっぱっとそれを手で空中を払うと、ほわほわとしているレイジスを思い出す。
『この世界に来たら精神が幼くなった…気がするんだ…』
そう瞳を伏せて話すレイジスの言葉に思い当たることはある。そして病弱になったとも言っていた。
転生したキャラが前世に引っ張られることはあるはずだ。そういったものを俺も読んだことがある。だが『逆』はどうなのだろうか。
元々のキャラに転生者が引っ張られる。
ない、とも言えないが少ないことは確かだ。だがレイジスには『前世の記憶がない』。
ならばその可能性はゼロではない。
開発以外の人間が知る由もないレイジスの設定は細かく、もちろん過去についても設定されている。
その中に10歳ほどまでは『病弱』だと書かれていた。だからフリードリヒが毎日見舞いに行き、ぬいぐるみや花などをプレゼントしていた。幼いレイジスが両親や使用人たち以外の人で、知っているのはフリードリヒだけ。後にアルシュ、ノア、リーシャと出会うが。
だがプレイしたこともない人間がそれを知ることは不可能に近い。
(レイジスに転生したのが開発の人間…?)
いや。そんな偶然は自分だけだろう。
偶然は重なりすぎると必然に変わる。
なら。
いや。やめておこう。これ以上は考えても無駄だ。
それに。
開発の人間しかしらない、レイジスが隣国カマルリアへと嫁いでいった後日談。
あれがゲームのままならば大変マズイ。まずいどころの騒ぎではない。
しかしそれをうっかりと開発の人間がSNSで呟き炎上した。あの時ほど人間を強く恨んだことはない。だがその人間も今はいない。
それを回避するにはレイジスとの共闘がカギになる。これはゲームと同じだ。
“裏ルート”はレイジスがカギになる。
彼の行く末で攻略者も、この国も大きく左右される。
それ程までに重要な役割を持っているのだ。知らないのは本人だけだが。
だからこそ『プレイをしていない人間』が選ばれたのだろう。それを知っていてかつ面白半分でこの“裏ルート”以外へと突入すればどうなるか。
想像するだけで寒気がする。
この国が煙と瓦礫。そして――。
いや。これ以上は考えないようにしよう。ふる、と頭を振って想像を振り払う。
「フリードリヒ。頼む。何があってもレイジスの手を離さないでくれよ」
それは願いであり、祈り。
前世でもほとんど神頼みをすることのなかった俺がつい神様にまで頼るくらいのもの。
闇夜に浮かぶ銀の月に祈りをささげる俺はきっと『それ』から見て滑稽に映るのだろう。
■■■
side.ソルゾ
「レイジス・ユアソーンの家庭教師を頼まれてはくれないか」
そう言われたのは一ヶ月ほど前。フリードリヒ・ヴァル・ウィンシュタンからの頼みだった。
それを受けた時は「正気ですか?」と問うてしまうくらいには動揺していた。
なんせあのレイジスだ。フリードリヒ殿下の婚約者だが、極度の人間嫌いで姿を見ただけで物を投げる、魔法を放つという危険極まりないことをしでかす。知性のない魔物と言っても過言ではない。
そんな理性もない人間という形をしただけの『物』に知性を与えろとおっしゃった時には本気で見限ろうとさえした。
だが暗くいつも絶望を背負っていたフリードリヒ殿下がある日を境に明るく、希望に満ちた表情へと変わった。それがあのレイジスがまたもや豹変したためと聞いた時には、眉を寄せてしまった。
約六年。フリードリヒ殿下を苦しませ続けたレイジスが私には許せなかった。
レイジスがああなったのは自分のせいだと責め続け、周りからも冷たく失望された視線をただ一人受け続けた。
そんなレイジスがまたもや豹変した。それだけで信じられなかった。
だがフリードリヒ殿下の変わりようがそれが本当だと知らしめた。だからそれを引き受けた。
私の目で見なければ信じられなかったからだ。
宮廷魔導士団、副団長の私に声をかけられたのも恐らくレイジスに魔術を教えるためだろう。だが、それにしては不可解なことだと眉を寄せた。
彼は『魔法』が使えるのではなかったのか?
それなのに私に声がかかるとはどういうことなのか。
ついに精神を病んでしまわれたのかとさえ思ったが、あの日。そう、レイジス・ユアソーンに会った時全てがひっくり返った。
「氷魔法か」
氷魔法を封じた魔石。白く、ひんやりと冷気が溢れているそれを見つめていると、ひょいっとそれを奪われた。
「なんだ? さすがの宮廷魔導士さんも若者に先を越されて悔しいのか?」
ん?とにやにやしながら私を見るのはハーミット・ブレイブ。騎士団の副団長なんぞをしている。
川で凶暴と名高いアンギーユを「食べる」と言い出したレイジスに瞳を丸くしたのはつい最近。貴族の彼が平民と一緒になって「勿体ない!」だの「美味しいものを食べるのに身分など関係ない!」と力説したことに瞳を丸くしたのは私だけではないだろう。
平民からたたき上げで騎士団副団長まで上り詰めたハーミットも言葉を失っていた。
まさかあんなことを言う貴族がいるとは思わなかったからだ。私もハーミットも元平民。その為、貴族からは嫌がらせを受けることが多かった。その度に苦言を告げたのがフリードリヒ殿下だった。
だからこそ私の持てる知識や技術を殿下に教えることを厭わなかった。そんな私が殿下以外にそうしたいと思わせてくれるレイジスがいや、レイジス様が本当に変わったのだと実感した。
「ああ。そうだな」
魔石から属性が漏れ出すことなどほとんどない。そう、殆ど。だがその封じられた魔法が強くあればあるほどたまにこうして属性が漏れることがある。
つまりレイジス様の魔法は強く、それでいて完璧なのだ。
宮廷魔導士でも氷魔法を完璧に扱える魔導士は少ない。しかもそれを会得するまでに数年、下手をすれば数十年努力に努力を重ねた結果なのだ。それをたった数時間で会得したレイジス様を同じ魔導士であるリーシャが尊敬のまなざしで見ていた。たぶん私も傍から見ればそうなっていただろう。
なんせ氷魔法など初めて見たのだから。しかも学園の魔石はいわゆるクズ石と呼ばれるもの。初心者用のものだが、この石は少しでも封じ込める魔法の力加減を間違えれば割れてしまう脆さなのだ。それなのにレイジス様は崩れる寸前まで魔法を注いだ。これができる宮廷魔導士は何人いるだろうか。
更に提案された魔法。氷魔法の応用だが笑いながら初めてでもやってのけるその魔力の高さと制御の緻密さに脱帽した。
私はこの子の足元にも及ばない。
そう実力を見せつけられた。
だが悔しさよりも、どこまで成長するかの方が楽しみになった。三種複合魔法をあそこまで完璧に使いこなす魔術師はこの国にはいないだろう。
だからこそ隠すことにしたのだ。そんなことを報告してしまったら何かと理由を付けて実験と称し使い倒されてしまう。
それにレイジス様自身、記憶が曖昧だということもあり素直に何でも言うことを聞いてしまう傾向があった。だからこそ殿下やアルシュ、ノア、リーシャが側にいる。
それをレイジス様は理解していないようでニコニコとされているが。
「けどもう悔しいという感情も湧かないよ」
「ふぅー…ん」
ここまで実力差があるのだから悔しいなどという感情よりも尊敬の感情の方が強い。
リーシャが言っていた光の浄化魔法のこともそうだ。あれも聖職者が何十年と祈りをささげようやく会得できるというもの。それをレイジス様がやってのけたのを見て試したらできたというのだから私は唖然とするしかなかった。
…まぁ私もあの夜こっそりと「お清め!」と叫んで手を叩いたら、できてしまったのだけれども。
くるくると氷の魔石を摘まみ角度を変えながら見ているハーミットが「そういえば」と言葉を続ける。
「あのレイジス・ユアソーンは本人なのか?」
「もう一人いらっしゃれば違うと言えるな」
アンギーユ騒動で意図せず引き合わせてしまったが、レイジス様が思いの外社交的だったためかすんなりと仲良くなっていたと思ったが…。普通はそうなるよな。
あのレイジス様があんなにも大人しく、穏やかだと知ってしまった今では。
「…なぁ」
「なんだ?」
「これ、使えるのか?」
「使えるぞ。それも大して制御はいらない程に」
私の説明にハーミットは「へぇ」と口元を大きくゆがめる。魔法が得意でないこの男は魔石を使うことがほとんどだ。だからこそ、この魔石のすごさに気付いているのだろう。
「なら、いっちょ試してぇもんだ」
「そうそう機会があるとは…っとリーシャ?」
話し込んでいる所にリーシャがこちらに向かって走ってくる。それに瞬きをすると、氷の魔石を試す機会が早々に訪れたことに私は苦笑いを浮かべた。
■■■
side.フリードリヒ
「『大好き』か」
くうくうと眠るレイジスの頬に唇を落としてブレス・オブ・スプリング色の髪をさらりと払う。
先日テラスで昼食をとっていた時に現れた男子生徒。その生徒がレイジスと密室で二人きりで話をしているという報告が入った瞬間、目の前が真っ赤に染まった。
アルシュの言葉も聞かず、部屋を飛び出しレイジスの部屋へと急げばグレープフルーツ・グリーンの瞳からはらはらと涙がこぼれ落ちていた。それにカッとなりつい大声で相手に噛み付けば、レイジスがそいつを―メトルをかばった。
なぜ、どうしてという感情が湧きあがったが「ごめんなさい」という言葉が込められた瞳に見つめられれば何も言えなくなった。
だがメトルの「レイジスが大事ならば、絶対に手を離さないでくださいね」という言葉がやけに引っかかった。
そんなことは分かっている。あいつに言われなくてもそうする。
もちもちとしている頬を撫でてやれば「んむぅ」とむずがるように口が動く。ささくれだった気持ちがそれだけで穏やかになる。
それについ頬を緩めればあの頃のレイジスが戻ってきたのだという高揚が抑えきれない。
レイジスの『大好き』は『愛してる』の代わりだと知っているのは私だけ。
そう、私だけなのだ。
アルシュもノアもリーシャも知らない。
私だけしか知らないのだ。
子供の頃のあの告白を覚えてくれていた。それだけで身体が震える。
たまらずレイジスを抱き締めその頭に口付ける。ああ、口付けても口付けても足りない!
お互い高ぶったものの処理をしないのは、レイジスの知識がまだそこまでないからだ。約六年間の知識を詰め込むだけで精一杯で、そちらの知識まで教える時間がなかった。
それでも卒業までの知識をソルゾがそれとなく教えたから、知識としてはもう問題はない。それに魔法に関してもテストなどと言うものを受けなくても卒業はできる。二種複合魔法を使えるというだけで卒業しているのと同位なのだから。
そちらの知識がないために身体に触れるたびに助けを求めるのだ。だからこそゆっくりと教えることにしたのだが…。やはりレイジスを前にすると自制が効かない。今日はキスだけで済んだが次はどうなるか…。
それに高ぶったものは私の浄化魔法で『なかったこと』にした。
そう、レイジスの首筋と項につけたキスマークと噛み痕以外は。
私の婚約者に手を出すということはそれだけで命を取られてもおかしくはない。だが本当にメトルはレイジスに手は出していなかったようだ。
手を出していたらピアスの色が変わるのだから。
左のピアスが付いていない耳朶にも軽く噛み付き跡を残す。これは直ぐに消えてしまうだろう。ただの自己満足だ。
素直に大人しく穏やかになったレイジスは、その色香が辺りに撒かれていることを理解しているのだろうか。いや、していないからあんな変なものに捕まるのだ。
ああ、やはり私が側にいなければ。
本当なら誰にも見られることなくこの部屋に閉じ込めておきたい。だがそれではレイジスの為にはならない。
本や知識だけでは得られないことをさせなければならない。だが誰にも見せたくない。
そんな矛盾を抱えながら、眠るレイジスを抱きしめる。
可愛い可愛い、私のレイジス。
私だけの、レイジス。
どうか。どうか。
私の腕から消えないでおくれ。
レイジスとの密会から部屋に戻ってくしゃりと髪をかき上げる。
思ったよりもレイジスがまともでよかった。噂に聞いていたままだったら、とも思ったがそれはそれである意味いい結果だっただろう。
テラスで見た時もそうだったが、見た目はまぁイラストそのままだったからさして動揺もせずいられたがその中身が予想よりもはるかに幼いことに動揺した。密会も断られること覚悟で行ったがまさかあっさりと会ってくれるとは思わなかったが。
それもそうか。レイジスはこのゲームをプレイしたことがないと言っていたのだから。会ったのも情報が欲しいからだろう。
それは俺も同様なので嫌な気分にはならない。俺も『レイジス』に関する情報が欲しかったのだから。
(それにしても…)
ドアを開けた瞬間、うさぎの耳を付けたフードを被った愛らしい人形が目の前にいたらビビるだろ。
それにイラストとは違い、きょとんとしている表情は歳よりも幼く庇護欲を掻きたてた。
(ぬいぐるみを抱いてたらもっと可愛いんだろうな)
うさぎ耳だったから、うさぎのぬいぐるみを抱いてほわほわと笑うレイジス。スチルにはない笑みを浮かべている画が俺の目の前に広がる。ってなにやってんだ。
ぱっぱっとそれを手で空中を払うと、ほわほわとしているレイジスを思い出す。
『この世界に来たら精神が幼くなった…気がするんだ…』
そう瞳を伏せて話すレイジスの言葉に思い当たることはある。そして病弱になったとも言っていた。
転生したキャラが前世に引っ張られることはあるはずだ。そういったものを俺も読んだことがある。だが『逆』はどうなのだろうか。
元々のキャラに転生者が引っ張られる。
ない、とも言えないが少ないことは確かだ。だがレイジスには『前世の記憶がない』。
ならばその可能性はゼロではない。
開発以外の人間が知る由もないレイジスの設定は細かく、もちろん過去についても設定されている。
その中に10歳ほどまでは『病弱』だと書かれていた。だからフリードリヒが毎日見舞いに行き、ぬいぐるみや花などをプレゼントしていた。幼いレイジスが両親や使用人たち以外の人で、知っているのはフリードリヒだけ。後にアルシュ、ノア、リーシャと出会うが。
だがプレイしたこともない人間がそれを知ることは不可能に近い。
(レイジスに転生したのが開発の人間…?)
いや。そんな偶然は自分だけだろう。
偶然は重なりすぎると必然に変わる。
なら。
いや。やめておこう。これ以上は考えても無駄だ。
それに。
開発の人間しかしらない、レイジスが隣国カマルリアへと嫁いでいった後日談。
あれがゲームのままならば大変マズイ。まずいどころの騒ぎではない。
しかしそれをうっかりと開発の人間がSNSで呟き炎上した。あの時ほど人間を強く恨んだことはない。だがその人間も今はいない。
それを回避するにはレイジスとの共闘がカギになる。これはゲームと同じだ。
“裏ルート”はレイジスがカギになる。
彼の行く末で攻略者も、この国も大きく左右される。
それ程までに重要な役割を持っているのだ。知らないのは本人だけだが。
だからこそ『プレイをしていない人間』が選ばれたのだろう。それを知っていてかつ面白半分でこの“裏ルート”以外へと突入すればどうなるか。
想像するだけで寒気がする。
この国が煙と瓦礫。そして――。
いや。これ以上は考えないようにしよう。ふる、と頭を振って想像を振り払う。
「フリードリヒ。頼む。何があってもレイジスの手を離さないでくれよ」
それは願いであり、祈り。
前世でもほとんど神頼みをすることのなかった俺がつい神様にまで頼るくらいのもの。
闇夜に浮かぶ銀の月に祈りをささげる俺はきっと『それ』から見て滑稽に映るのだろう。
■■■
side.ソルゾ
「レイジス・ユアソーンの家庭教師を頼まれてはくれないか」
そう言われたのは一ヶ月ほど前。フリードリヒ・ヴァル・ウィンシュタンからの頼みだった。
それを受けた時は「正気ですか?」と問うてしまうくらいには動揺していた。
なんせあのレイジスだ。フリードリヒ殿下の婚約者だが、極度の人間嫌いで姿を見ただけで物を投げる、魔法を放つという危険極まりないことをしでかす。知性のない魔物と言っても過言ではない。
そんな理性もない人間という形をしただけの『物』に知性を与えろとおっしゃった時には本気で見限ろうとさえした。
だが暗くいつも絶望を背負っていたフリードリヒ殿下がある日を境に明るく、希望に満ちた表情へと変わった。それがあのレイジスがまたもや豹変したためと聞いた時には、眉を寄せてしまった。
約六年。フリードリヒ殿下を苦しませ続けたレイジスが私には許せなかった。
レイジスがああなったのは自分のせいだと責め続け、周りからも冷たく失望された視線をただ一人受け続けた。
そんなレイジスがまたもや豹変した。それだけで信じられなかった。
だがフリードリヒ殿下の変わりようがそれが本当だと知らしめた。だからそれを引き受けた。
私の目で見なければ信じられなかったからだ。
宮廷魔導士団、副団長の私に声をかけられたのも恐らくレイジスに魔術を教えるためだろう。だが、それにしては不可解なことだと眉を寄せた。
彼は『魔法』が使えるのではなかったのか?
それなのに私に声がかかるとはどういうことなのか。
ついに精神を病んでしまわれたのかとさえ思ったが、あの日。そう、レイジス・ユアソーンに会った時全てがひっくり返った。
「氷魔法か」
氷魔法を封じた魔石。白く、ひんやりと冷気が溢れているそれを見つめていると、ひょいっとそれを奪われた。
「なんだ? さすがの宮廷魔導士さんも若者に先を越されて悔しいのか?」
ん?とにやにやしながら私を見るのはハーミット・ブレイブ。騎士団の副団長なんぞをしている。
川で凶暴と名高いアンギーユを「食べる」と言い出したレイジスに瞳を丸くしたのはつい最近。貴族の彼が平民と一緒になって「勿体ない!」だの「美味しいものを食べるのに身分など関係ない!」と力説したことに瞳を丸くしたのは私だけではないだろう。
平民からたたき上げで騎士団副団長まで上り詰めたハーミットも言葉を失っていた。
まさかあんなことを言う貴族がいるとは思わなかったからだ。私もハーミットも元平民。その為、貴族からは嫌がらせを受けることが多かった。その度に苦言を告げたのがフリードリヒ殿下だった。
だからこそ私の持てる知識や技術を殿下に教えることを厭わなかった。そんな私が殿下以外にそうしたいと思わせてくれるレイジスがいや、レイジス様が本当に変わったのだと実感した。
「ああ。そうだな」
魔石から属性が漏れ出すことなどほとんどない。そう、殆ど。だがその封じられた魔法が強くあればあるほどたまにこうして属性が漏れることがある。
つまりレイジス様の魔法は強く、それでいて完璧なのだ。
宮廷魔導士でも氷魔法を完璧に扱える魔導士は少ない。しかもそれを会得するまでに数年、下手をすれば数十年努力に努力を重ねた結果なのだ。それをたった数時間で会得したレイジス様を同じ魔導士であるリーシャが尊敬のまなざしで見ていた。たぶん私も傍から見ればそうなっていただろう。
なんせ氷魔法など初めて見たのだから。しかも学園の魔石はいわゆるクズ石と呼ばれるもの。初心者用のものだが、この石は少しでも封じ込める魔法の力加減を間違えれば割れてしまう脆さなのだ。それなのにレイジス様は崩れる寸前まで魔法を注いだ。これができる宮廷魔導士は何人いるだろうか。
更に提案された魔法。氷魔法の応用だが笑いながら初めてでもやってのけるその魔力の高さと制御の緻密さに脱帽した。
私はこの子の足元にも及ばない。
そう実力を見せつけられた。
だが悔しさよりも、どこまで成長するかの方が楽しみになった。三種複合魔法をあそこまで完璧に使いこなす魔術師はこの国にはいないだろう。
だからこそ隠すことにしたのだ。そんなことを報告してしまったら何かと理由を付けて実験と称し使い倒されてしまう。
それにレイジス様自身、記憶が曖昧だということもあり素直に何でも言うことを聞いてしまう傾向があった。だからこそ殿下やアルシュ、ノア、リーシャが側にいる。
それをレイジス様は理解していないようでニコニコとされているが。
「けどもう悔しいという感情も湧かないよ」
「ふぅー…ん」
ここまで実力差があるのだから悔しいなどという感情よりも尊敬の感情の方が強い。
リーシャが言っていた光の浄化魔法のこともそうだ。あれも聖職者が何十年と祈りをささげようやく会得できるというもの。それをレイジス様がやってのけたのを見て試したらできたというのだから私は唖然とするしかなかった。
…まぁ私もあの夜こっそりと「お清め!」と叫んで手を叩いたら、できてしまったのだけれども。
くるくると氷の魔石を摘まみ角度を変えながら見ているハーミットが「そういえば」と言葉を続ける。
「あのレイジス・ユアソーンは本人なのか?」
「もう一人いらっしゃれば違うと言えるな」
アンギーユ騒動で意図せず引き合わせてしまったが、レイジス様が思いの外社交的だったためかすんなりと仲良くなっていたと思ったが…。普通はそうなるよな。
あのレイジス様があんなにも大人しく、穏やかだと知ってしまった今では。
「…なぁ」
「なんだ?」
「これ、使えるのか?」
「使えるぞ。それも大して制御はいらない程に」
私の説明にハーミットは「へぇ」と口元を大きくゆがめる。魔法が得意でないこの男は魔石を使うことがほとんどだ。だからこそ、この魔石のすごさに気付いているのだろう。
「なら、いっちょ試してぇもんだ」
「そうそう機会があるとは…っとリーシャ?」
話し込んでいる所にリーシャがこちらに向かって走ってくる。それに瞬きをすると、氷の魔石を試す機会が早々に訪れたことに私は苦笑いを浮かべた。
■■■
side.フリードリヒ
「『大好き』か」
くうくうと眠るレイジスの頬に唇を落としてブレス・オブ・スプリング色の髪をさらりと払う。
先日テラスで昼食をとっていた時に現れた男子生徒。その生徒がレイジスと密室で二人きりで話をしているという報告が入った瞬間、目の前が真っ赤に染まった。
アルシュの言葉も聞かず、部屋を飛び出しレイジスの部屋へと急げばグレープフルーツ・グリーンの瞳からはらはらと涙がこぼれ落ちていた。それにカッとなりつい大声で相手に噛み付けば、レイジスがそいつを―メトルをかばった。
なぜ、どうしてという感情が湧きあがったが「ごめんなさい」という言葉が込められた瞳に見つめられれば何も言えなくなった。
だがメトルの「レイジスが大事ならば、絶対に手を離さないでくださいね」という言葉がやけに引っかかった。
そんなことは分かっている。あいつに言われなくてもそうする。
もちもちとしている頬を撫でてやれば「んむぅ」とむずがるように口が動く。ささくれだった気持ちがそれだけで穏やかになる。
それについ頬を緩めればあの頃のレイジスが戻ってきたのだという高揚が抑えきれない。
レイジスの『大好き』は『愛してる』の代わりだと知っているのは私だけ。
そう、私だけなのだ。
アルシュもノアもリーシャも知らない。
私だけしか知らないのだ。
子供の頃のあの告白を覚えてくれていた。それだけで身体が震える。
たまらずレイジスを抱き締めその頭に口付ける。ああ、口付けても口付けても足りない!
お互い高ぶったものの処理をしないのは、レイジスの知識がまだそこまでないからだ。約六年間の知識を詰め込むだけで精一杯で、そちらの知識まで教える時間がなかった。
それでも卒業までの知識をソルゾがそれとなく教えたから、知識としてはもう問題はない。それに魔法に関してもテストなどと言うものを受けなくても卒業はできる。二種複合魔法を使えるというだけで卒業しているのと同位なのだから。
そちらの知識がないために身体に触れるたびに助けを求めるのだ。だからこそゆっくりと教えることにしたのだが…。やはりレイジスを前にすると自制が効かない。今日はキスだけで済んだが次はどうなるか…。
それに高ぶったものは私の浄化魔法で『なかったこと』にした。
そう、レイジスの首筋と項につけたキスマークと噛み痕以外は。
私の婚約者に手を出すということはそれだけで命を取られてもおかしくはない。だが本当にメトルはレイジスに手は出していなかったようだ。
手を出していたらピアスの色が変わるのだから。
左のピアスが付いていない耳朶にも軽く噛み付き跡を残す。これは直ぐに消えてしまうだろう。ただの自己満足だ。
素直に大人しく穏やかになったレイジスは、その色香が辺りに撒かれていることを理解しているのだろうか。いや、していないからあんな変なものに捕まるのだ。
ああ、やはり私が側にいなければ。
本当なら誰にも見られることなくこの部屋に閉じ込めておきたい。だがそれではレイジスの為にはならない。
本や知識だけでは得られないことをさせなければならない。だが誰にも見せたくない。
そんな矛盾を抱えながら、眠るレイジスを抱きしめる。
可愛い可愛い、私のレイジス。
私だけの、レイジス。
どうか。どうか。
私の腕から消えないでおくれ。
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髪色が呪われた黒であったことから両親から疎まれ、隠居した父方の祖父母のいる田舎で育ったアリスティア・ベレニス・カサンドル。カサンドル侯爵家のご令息として恥ずかしくない教養を祖父母の教えの元身につけた…のだが、農作業の手伝いの方が貴族として過ごすより好き。
そんなアリスティア十八歳に急な婚約が持ち上がった。アリスティアの双子の姉、アナイス・セレスト・カサンドル。アリスティアとは違い金の御髪の彼女は侯爵家で大変かわいがられていた。そんなアナイスに、とある同盟国の公爵家の当主との婚約が持ちかけられたのだが、アナイスは婿を取ってカサンドル家を継ぎたいからと男であるアリスティアに婚約を押し付けてしまう。アリスティアとアナイスは髪色以外は見た目がそっくりで、アリスティアは田舎に引っ込んでいたためいけてしまった。
アリスは自分の性別がバレたらどうなるか、また自分の呪われた黒を見て相手はどう思うかと心配になった。そして顔合わせすることになったが、なんと公爵家の執事長に性別が即行でバレた。
公爵家には公爵と歳の離れた腹違いの弟がいる。前公爵の正妻との唯一の子である。公爵は、正当な継承権を持つ正妻の息子があまりにも幼く家を継げないため、妾腹でありながら爵位を継承したのだ。なので公爵の後を継ぐのはこの弟と決まっている。そのため公爵に必要なのは同盟国の有力貴族との縁のみ。嫁が子供を産む必要はない。
アリスティアが男であることがバレたら捨てられると思いきや、公爵の弟に懐かれたアリスティアは公爵に「家同士の婚姻という事実だけがあれば良い」と言われてそのまま公爵家で暮らすことになる。
一方婚約者、二十五歳のクロヴィス・シリル・ドナシアンは嫁に来たのが男で困惑。しかし可愛い弟と仲良くなるのが早かったのと弟について黙って結婚しようとしていた負い目でアリスティアを追い出す気になれず婚約を結ぶことに。
これはそんなクロヴィスとアリスティアが少しずつ近づいていき、本物の夫婦になるまでの記録である。
小説家になろう様でも2023年 03月07日 15時11分から投稿しています。
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