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ダンジョン攻略 3

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ざわざわという音を拾ったところで、瞼が持ち上がった。
よかった。生きてた。
ふ、と息を吐いて自分が今どうなっているのか思い出してみる。
ぼんやりとした頭は覚醒していない。だが視界がはっきりしていくたびに、ずきずきと頭が酷く痛む。

ああ。そうだ。
確かアラクネに頭を…。

そこまで思い出すと、脳を突かれた感覚を思い出しぶわりと嫌悪感が俺を襲う。

「う…ッ、っぐ、うぇ…!」
「ハルト?!」

左手で口元を押さえるけれど、不快感と嘔吐感は増すばかり。

「いい。吐きたいのならそのまま吐け」
「う…っぐ…ぅ…!」

優しいその声に言われるまま、左手を離して横向きになるとその場に嘔吐する。
ああ。服を汚すな、なんて変なことを考える俺もいて。
げほげほと嘔吐を何度か繰り返し、胃の中身が空になったのか、ひくひくと痙攣するだけになった。

「いい子だ」
「ん…」

嘔吐している間、ずっと背中を撫でてもらっていたその手が頭を撫でる。
それに安心して、息を吐くと「起き上がれるか?」と聞かれる。それにこくんと頷くと、横になっていた身体を持ち上げる。
上半身を少し持ち上げたところで、背中に手が添えられ支えてもらう。そのまま上半身を持ち上げ、ふ…と息を吐けば、口の中が不快で。
それに眉を寄せると「口をすすげ」と革水筒を渡された。けどやっぱり片手だとうまくいかなくて、飲み口を支えてもらってからそれに口を付け、うがいをしてから「ぺ」とそれを吐き出す。
吐き出したそれは直ぐに吸い込まれなくなった。
それをぼんやりと見ながら満足するまで口を洗うと「こっちは飲める」と言って違う革水筒を近付けてくれた。水をごくごくと飲んでから「ふは」とようやく落ち着くと、よくできましたと頭を撫でられた。

「ハルト。痺れはあるか?」
「ない…。大丈夫」
「そうか。よく頑張った」
「うん。頑張った…」

労いの言葉をもらって、ふへへと変な笑いをすればさらに頭を撫でられる。

「ふわふわしてるが?」
「まだ頭が…」

覚醒してない、と言おうとしてあの感覚を思い出した。
脳を突かれる、あの奇妙な感覚。一生味わうことのないだろう感覚に、血の気が引く。

「あ…ああ…!」
「ハルト?」

がちがちと歯がかみ合わなくなり、寒気が襲う。
左手でなくした右腕を掴むと、はぁはぁと呼吸を荒くする。

気持ち悪い! 気持ち悪い! 気持ち悪い!

「ハルト!」
「うあ…! あああああっ!」

アラクネに右腕から蜘蛛の糸を入れられて、身体中を中から這われるおぞましい感覚。
それと。

「あああああああっ!」
「ハルト! 落ち着け!」
「怖い…! 怖い、気持ち悪い、怖い…!」

精神が限界を迎えた俺はただ「怖い」と「気持ち悪い」という言葉しか発せられなくなる。
にたにたと笑う女の顔。
それがフラッシュバックして、身体の震えが止まらない。

怖い。気持ち悪い。

それしか考えられなくなった時。
両頬を手で包まれ、上を向かされた。けれど涙でぐちゃぐちゃだった俺は、それが誰なのか分からなかった。
じっと見つめられているのは分かるけど、怖いとは感じない。すると何かが近付いてきて、唇に何かが触れた。
柔らかい何かに嫌悪感はない。不思議なことに感情が落ち着いていくのを感じた。
唇に触れていたものが離れていくと、今度は温かなものに身体が包まれた。

「落ち着け。大丈夫だから」
「あ…ぅあ…」

ゆっくりと右腕を掴んでいた左手を引きはがされると、そのまま首へと回された。そしてその背中に爪を立てると、悲しいのか怖いのか気持ち悪いのか分からないまま、ぼろぼろと涙を流すと顔をどこかに押し当てられた。

「大丈夫だ。もう、大丈夫だから」
「ぅ…あぁ…ぅ…」

とんとんと一定のリズムで背中を叩かれると、ようやくそこでここは『安全』だと気持ちが追いつく。
『安全』だと理解した瞬間。

「こわか…ッ! 怖かった…!」
「怖い思いをさせてすまない」
「うぁああ…っ! うああああぁッ!」

ようやく感情と気持ちが一致して子供のようにわんわんと声を出して泣けば、ただただ背中をゆっくりと叩かれ、撫でられる。
体温を感じるだけでこんなにも安心できるのか…。
しゃくりあげて感情のまま泣いた後、ようやくそこで恐怖よりも安らぎを感じて。

「ごめ…ごめん…」
「もういいのか?」
「ん。…もう、平気…」
「もう少しこのままでいろ」
「…うん」

優しい声と背中を一定のリズムで叩かれると、泣きつかれた俺はそのまま眠るのだった。



「んは?!」
「起きたか」
「あれ?」

すっきりと落ち着いた気持ちで目覚めた俺。
あれ? いつの間に眠った?
確か…。確か?
あれ? 思い出せない。

軽い頭痛を覚えながらも、もぞりと身じろぎをすれば前髪を持ち上げられる。
なんだよ。眩しいだろ?

「ああ。瞼が赤いな」
「え?」

前髪を持ち上げたその人の顔を見て、俺はびしりと固まった。
あえ?

「シモン…?」
「ああ」

あれ? 何でシモンが?
しかもなんか顔が近い…?
瞬きをしてから、現状を把握するためにこうなった理由を思い出す。

えーっと?
一回、目が覚めてから吐いて…。
そうだよ。また吐いたんだ。ダンジョンに入るたびに吐いてるような気がするんだけど、気のせいだろうか。

…気のせいじゃないわ。

まぁもう吐くのはいい。日本だと絶対に見ない物とか体験とかしてんだから。
耐性が付けば吐かなくなる…はず。
じゃなくて。

「俺…」
「一度目が覚めたことは覚えているか?」
「う、うん」
「吐いた後は?」
「…曖昧?」

やっぱり吐いた後からの記憶が曖昧で、思い出そうとすると頭痛が襲う。

「い…ッ、つつ…」
「無理して思い出そうとしなくていい」
「お、おう…」

というか。この体勢…。給餌の体勢じゃねぇか。
つまりはシモンの膝の上に横向きで座って、肩に頭を預けている状態。もしかしてこの体勢でずっと寝てたのか?

「シモン、重くねぇ?」
「? 特には?」
「あ、そう…」

俺の質問にきょとんとしているシモンが可愛くて、きゅんとするけどふと時間が気になった。

「時間…! 俺、どれくらい寝てた?!」
「時間にすれば30分ほどだな」
「30分…」

思った程、寝てなくてほっとしたけど、宙に浮いていたトレバーを思い出してシモンを再び見る。

「トレバー…」
「トレバー?」
「そうだトレバーは?! 怪我してるはずなんだ!」

そうだ。トレバーは俺をかばって怪我をしていた。
ぱたぱたと地面に落ちる赤を思い出して、血の気が引く。

「あいつに両手足を…! シモン! トレバーは?!」
「落ち着け。トレバーは…」
「俺のせいだ…。俺がもっと気を付けていれば怪我もしなかった…!」

突き飛ばされた後、もっと早く起き上がってグレンたちに助けを求めていれば。
後から後から対策が出てきて、自分が嫌になる。なんであの時それができなかったのか。それが悔しくて。

「トレバーは大丈夫だよな?! 生きてるよな?!」
「ハルト」
「死んでないよな?! 大丈夫だよな?!」

シモンに必死に問いかけてもはっきりと答えが戻ってこないことに焦っていた。
トレバーに限ってそんなことはない。絶対に。でも、もしもがあれば…?
ぐるぐると思考が悪い方向へしか考えられなくなってしまった。

「な…!」

「なぁ」という言葉を紡ごうとして、できなくなった。
いや。
正確にはシモンに食べられた、と言った方が正しいだろうか。
そう、俺の口はシモンの口に塞がれているのだから。

突然のことに対処するのは難しい。そして理解をするのに数十秒の時間を要する。

それは本当のようで、次の瞬きの間まで処理が追いつかなかったのだから。
「ちゅっ」というリップ音で、ようやくシモンの唇が俺の唇と重なっていたと理解した。

「ぁぇ…?」
「落ち着け。トレバーはちゃんと生きている」
「ぁ、そ…なんだ…」

落ち着くというよりも、驚きすぎて行動が遅くなった俺をどうとらえたのかは分からないけど、シモンがよしよしと頭を撫でてくる。
ぽかんとしたままシモンを見つめていると「どうした?」と聞かれるけれど「なんでもない」としか答えることしか出来ない。

今…。何をした? いや、何をされた?
顔が近くなって、それから…。それから。

そっと触れられた唇に指を乗せて、ふにと押せば柔らかくて。

「――――~ッ!」

それを理解した瞬間、ぶわっと耳まで熱くなる。

「ハルト? 熱が出たか?」
「ききききき気にすんな! 大丈夫だから!」

きょどりすぎて、どもったけどそんなことは気にしていられない。
え? キス…? だよな?
キス…された? なんで?

混乱する頭で考えても「分からない」としか答えは出なくて。
けれど、トレバーは生きているという言葉を思い出し、キスのことは頭の隅に無理やり寄せておく。

「ト、トレバーが生きてるって言ってたけど…」
「ああ。アラクネを倒した後、ポーションで回復させた。麻痺もあったからな」
「麻痺…そうだ。痺れて…」

身体が動かなくなったんだ。

「そういえば…俺も麻痺が治ってる」
「カバンの中にあった特殊ポーションを飲んだからだな」
「特殊?」
「ああ。全デバフを治せるものだとハワードが言っていた」
「はぇ~…」

そんなポーションあったのか…。
じゃあそれを飲んだおかげで麻痺が治ったのか。
ポーション様様だな。

そんなことを思っていると、そこでようやく周りを見る余裕ができた。
きょろ、と首を動かせば団服を着た人たちや、冒険者がなぜか集まっていて。

「? 人、多くない?」
「無意識にスキルを使ったみたいでな。気を失ったハルトが道標で人を呼んだ」
「そうなんだ?」
「ああ」

あれ? ってことはこの体勢、皆に見られてるのか?
そんなことを考えていた時だった。

「待てやごるぅらああぁぁぁぁぁぁっ!」

そんな声がした後に、爆発やらなんやらの音。
それにぽかんとしていると「団長」と声がした。

「恐らくアラクネは全滅しました」
「そうか。訓練になったな」
「はい」

訓練? 全滅?
どういうこと?とシモン見れば「ああ」と声をかけてきた団員に視線を向けた。

「初めまして…ではないですけど、初めまして。第一騎士団、第五部隊隊長のニノ・リッツォと申します」
「あ、初めまし…て…?」

にこりと笑うニノの顔を見て、あれ?と思った。

「よく睨んできた人だ」
「ああ。あの時は申し訳ございませんでした。右腕の勘違いがありまして」

そう話すニノに俺は「ああ」と納得する。この人も右腕…ルスのことを勘違いしていたのか。

「それよりアラクネが全滅って…?」

そう。気になったのはこの言葉。
全滅って…。

「はい。このダンジョンにいるアラクネは全滅しました。我々と冒険者のせいで」
「なんでそんなことに…」
「トレバー達だ」
「トレバー達?」
「ああ。トレバーが麻痺と怪我を治した後、ハルトのことを教えてくれた。その後にトレバー達が怒ってな…」
「はい。俺たち第五部隊と路に迷っていた冒険者を連れてここまで来たら、アラクネを駆逐する勢いでお三方が戦っておりまして…」

あははと笑うニノに、ぽかんとすると「さっきの戦闘はアラクネとの戦闘ですからお気になさらないでくださいね」とまたもや笑うが、俺はどうしたらいいのか分からず曖昧に笑うことにした。

「元々戦闘狂…血の気が多い第五部隊が来ただけでも殲滅が確定しているのに、さらに血気盛んな冒険者が来たのなら一匹残らず倒されるだろうな」
「あばばばば」
「そうですね。しかもアラクネの、あの蜘蛛の糸がとても高価に売買されるので」
「あわわわわわ」

とんでもないことをさらっと告げるシモンもシモンだけど、にこにことしながら告げるニノもニノだ。
っていうか戦闘狂って…。

「ハルト様がいらっしゃるので、大型魔物が集まってきちゃってましてね。こちらもありがたく訓練させていただいております」
「俺がいるから?」
「…戦えない上に右腕がない。それが恐らく倒されたアラクネを通して魔物に伝わったんだろう」
「ええ。ですが、第五部隊と冒険者によってすべて倒されております。滅多に見ない魔物との戦闘。とても助かりました」
「はぁ…」

それはどうとればいいんだろうか。
戦えないお荷物、と取るべきか、珍しい魔物がいて戦えたというお礼だと取るべきか。
もしくはどちらとも、か。

「ニノ」
「すみません。団長。ですがハルト様には感謝しておりますよ」
「へ?」
「戦闘狂で有名な我々をここに呼んでくださって」

にこりと笑うと「隊長」と呼ばれ、一礼をして去っていくニノにただ口を開けて見送ることしか出来ず。

「悪い」
「何が?」
「ニノのことだ」
「あー…別にいいよ。ああいう人もいるんだなって思っただけだから。っていうか第五部隊って戦闘狂なの?」
「…第五部隊は問題児が多い隊でな。戦闘をこよなく愛するやつらでできている」
「あ…あぁー…」

なるほど。それなら納得?
納得していいのか?
なんて思っていたら、ばたばたと足音が複数聞こえてきた。

「ハルトー!」
「ヒュー!」

ずざっと俺の前で正座をして、ぺたぺたと顔を触るヒューに「くすぐってぇよ」と笑えば、みるみる目に涙を浮かべていく。

「よかったー! ハルトーぉ!」
「悪かったって」
「大丈夫か?」
「うん。平気」
「吐いてたけどな」
「シモン!」

何で言うんだよ!と、ぎろりと睨めば「…迫力は全くないぞ」と言われてしまう。
くそぅ…。
すると、やり取りを見ていたトレバーが苦笑いを浮かべながら頭を撫でてくれた。

「気付くの遅れてごめんな?」
「トレバーのせいじゃないし! 俺がもっと…」
「ダンジョンをまだ両手で数えられる…それも魔物が弱い階層しか行ってないんだ。ハルトに責任はないよ」
「そうそう。それを言ったらオレ達が油断してただけなんだから」
「で…。うん。ごめん」

でも、と言いかけてやめた。トレバー達は冒険者としてのプライドがある。それを俺がどうこういえるはずがない。

「ごめん、じゃないだろ?」
「ありがと」
「それでいい」
「わっ!」

わっしわっしと頭を撫でられて笑う。
その間も、どこかで戦闘をしているのか「いやあぁぁぁ!」という魔物の悲鳴と「待てやおらぁぁぁぁっ!」という声が響いていたのだった。



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