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今度は自分の意志で引っ越し

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「今までありがとな」
「…そうか」

あの部屋で見つけたペンダントトップをシモンに渡してから、シモンの態度があからさまに変わった。
まず、給餌は続けてくれるけど、本当に必要になった時にしか手伝わなくなった。そんな態度をされて「やっぱり必要以上に給餌されてたんじゃねぇか」と思ったのも確か。
でもそれは左手を毎日嫌でも使えばうまくなるもので。まぁコツをつかんだのも大きいんだと思うんだ。どうしたら効率的に動かせるか、なんて試行錯誤で続けた結果でもある。
お陰で、フォークもそれなりにうまく使いこなせるようになった。褒めてくれ。
それから風呂。これが一番大きい。今までは何が何でも髪と身体を洗っていたシモンが、髪と左半身を洗ったらさっさと風呂場を出ていくのだ。
こっちとしてはありがたいんだけどな。髪も身体もこれまた拭いてもらわないと困るんだが、それはちゃんとしてくれる。
けど、髪を乾かし終わったら髪にキスをしていたそれをしなくなった。いや、されても困るんだけど。
と、いうわけで俺との接触が必要最低限になった。
今までの距離感がバグってたとようやく気付いたらしい。

けど、今までの接触に慣れ切った俺はそれが少し寂しい。おかしいだろ?
でも約1か月近く毎日毎日、これでもかって甘やかされたのに、急に離れていくんだからそう感じるのかもしれない。

そのうち慣れるだろう。寂しいのは今だけだ。

そう思ってたんだけど…。

「…つまらん」

ぼっす、とベッドに仰向けで寝転がって、見慣れてしまった天井を見つめる。
なんだかんだいってすっかりと住み慣れた部屋になった。

「よし!」

読んでいた本を閉じて勢いをつけて起き上がると、決めたことを告げるためにいそいそと執務室へのドアを叩いた。



シモンに魔道具開発部へと送ってもらって、中に入れば厳つい顔の人がぎょっとしたような表情を見せた。む。失礼な。
花村さんは、ペンを動かしながらぺこりと軽い会釈をしてくれた。それに俺も返すと、ハワードの姿が見えなくてきょろきょろとしていたら、奥の部屋からがたがたという少し激しめの音が聞こえてきた。
それから「うわぁ!」という声も聞こえたから、転びかけたのかとはらはらとする。
すると勢いよくドアが開き、俺は軽く手を上げる。

「ハルトー!」
「おう。突然悪いな」
「いいよ!いいよ! こっちはテレンスがいるから話しづらいもんねー」
「んだと?」
「きゃあ☆ 僕に用事でしょ? 入ってー」
「ああ」

どうぞーとドアを開けてくれているハワードの前を通って中へ入れば「お茶持ってきてねー」と厳つい顔の人、テレンスさんにそんなことを言っている。
初めて入った部屋を、きょろきょろと興味深く見回せば、散らばった紙と何かの部品、そして作りかけの何か。
まるで子供部屋だな、と思いながら床を見れば、さっきハワードが転びかけたと思われるものが床に散らばっていて、苦笑いを浮かべる。

「散らかっててごめんねー」
「そう思うなら掃除しろよ」
「無理ー。ここ、基本僕しか入れないから」
「うん?」

じゃあなんで入れたんだ?という疑問を顔に出していたのか「ふふー」と笑う。

「大精霊様が付いてる君なら大丈夫だと思ったんだ」
「付いてなかったら入れてくれないのかよ」

思わずそうツッコめば「違うよー」とハワードがけらけらと笑う。

「ハルトなら入れてもいいなって思っただけ」
「なんでまた」
「だって面白いじゃん」
「…それだけの理由?」

にこにこと笑いながら、ソファに乗せてある様々なものをまとめて近くへと置いていく。その度に埃が舞う…なんてことはなく、どんどんと山積みにされていく書類をただ見守る。
手伝えるなら手伝うけど、片手…しかも慣れてきたとはいえ利き手以下の動きしかできない俺は、手伝ったら逆に崩しそうだから無理なんだよな…。
ばさばさと良く分からない紙の束を山積みにすると「ふう」と右腕で額を拭く。
そんなに汗かいてないだろ。
そんなツッコミを心ですると「適当に座ってー」と綺麗に?されたばかりのソファに座る。ハワードも座ったところで、コンコンとノックされた。

なんつータイミング。

「入ってー」

ハワードがにこにことしながらそう言えば、入ってきたのは何とテレンスさん。
しかもその手には、ティーカップと…。

「クッキー?」
「ふん」

なぜか皿に盛られたクッキーを見てそう言っただけなのに、テレンスさんに睨まれた。それにびくりと肩を震わせると、ハワードは顔を背けて肩を震わせている。

「四刻半だ」
「えー。もうちょっとー」
「お前、今日のノルマ終わってないだろ」
「ぶー」

っていうか仕事終わってないんかい。あ、もしかして俺をここに呼んだのって…。

「もしかしてさぼる口実にされてる?」
「そう言うことだ」
「あ…気付かれた!」

ちぃっと悔しそうに顔をゆがめるハワードに呆れる。

「譲って二刻だ。それ以上は譲れん」
「分かったよー。ぶー」
「ハルト」
「っはい?!」

急に名前を呼ばれてびくっと肩を揺らすと、じっと見つめられた。え? なに?

「…今度は守れ」
「ハイ」

俺がダンジョンに行って約束を守れなかったことを言ったのだろう。それは事実なのだから、小さくなって頷いた。
そしてドアが閉まると、ハワードと2人きりになった。

「もー。テレンスってどうしてああも固いかなー」
「仕事終わってないんだろ?」
「いいの! 僕の仕事は事務仕事じゃないんだから」
「まぁ、だから俺たちを呼んだわけだしなぁ」
「んぐ」

ここに召喚された理由がこれだもんなー。つくづく意味が分からないよな。
今は右腕が動かないし。
でも呼んだ本人は、クッキーを喉に詰まらせてどんどんと胸を叩き、カップを傾けてるけどな。

「でも…。俺はここに呼んでもらってよかったと思うよ」
「ぷえ?」

俺の小さな呟きは聞き取れなかったようで、げほげほと噎せながら涙目になっている。
独り言を聞かれなくてよかったと思いながら「大丈夫かよ」と笑いながら、背中を擦ってやる。

「うへー…ありがとぉー…」
「気を付けろよ」
「はいよー」

本当かよと呆れながら、俺もクッキーに手を付ける。

「あ、うまい」
「それ、テレンスが焼いたんだよー」
「そうなの?!」
「そうだよー。趣味なのかストレス発散なのか分かんないけど、ここの備え付けのキッチンのオーブンで毎日クッキー焼いてるんだ。だから君たちにも毎日おすそ分けしてたんだよー」
「あ。だからクッキー…」

そういえばシモンの部屋にいるとき、毎日クッキー食べてたな。しかも毎回違うやつ。そう考えるとテレンスさんって結構マメだな。
さくさくとクッキーを摘まみながら、紅茶を飲んでまったりとしたおやつタイムを楽しむ。

「そういや。なんでここに来たの? あ、もしかして僕に会いに…?!」

きゃ☆と両手で頬に乗せて照れているけど、違うよ。もちろんおやつを食べに来たわけじゃないんだよ。

「それは違うんだけど。ちょっと相談があってさ」
「ハルトー…。そこは嘘でも「会いに来たよ」って言ってくれてもいいじゃんかー」
「んあ? ごめんて」
「まぁいいや。それで相談だっけ?」
「うん」

カチャとカップを置いて、じっとハワードを見る。それに「おや?」と少し驚いた表情をすると、俺は口を開く。

「そろそろシモンの部屋から別のとこに行ってもいいと思うんだ」
「ふむ?」

俺の言葉にハワードは顎に指を絡め、面白いと言わんばかりに瞳を細める。

「でもまだ何かと人の手が必要じゃない?」
「それはそうだけどさ。でもフォークもだいぶ使えるようになったし、風呂も…まぁ誰かに洗ってもらえれば…」
「だったらシモンで問題なくない?」
「それはそう…だけど…」

ハワードに言われなくても、シモンが何かと世話をしてくれる。それは助かってるんだ。代わりに部屋から出られないんだけどさ。

「ほら、いい加減シモンにも一人の時間が必要なんじゃないかなって」
「一人の時間なら仕事してるときそうでしょ?」
「…それ、一人の時間って言うのか?」
「言うんじゃない? あの部屋でも騎士団の執務室でも一人だし」
「そうなんだ」
「そうなんだよ」

それで?とにこにことしているハワードに、俺は困ってしまう。交渉の材料などそれくらいしかないのだから。

「でも…」
「うん」
「騎士団の人、ずっと睨んでくるし」
「あらら。それはダメだ」
「だろ?!」
「後でシモンに怒ってもらうから安心しなよ☆」

ばちこん☆とウインクするハワードに、俺の淡い期待は消え去った。
それにはぁ、とため息を吐くと「そうだねぇ」とにまにましながらハワードが「じゃあ」と、言葉を続ける。

「ハルトはシモンがいない所ならどこでもいいってこと?」
「え?」

その言葉に、ぱちりと瞬きを一つすれば「え?」と返される。

「違うの? シモンから離れたいんじゃないの?」
「ちが…! わないけど…」

シモンと離れたいんじゃないの?

そうだ。シモンから離れたいのだ。
なぜ?と問われれば「そうしたいから」としか言いようがないのだけれど。

「ふぅーん…。ま、いいや。分かった」
「え?」
「え? じゃないよ。部屋、変えようか」
「いいのか?」

少しだけ震えている声でそう聞き返せば、にっこりとハワードが笑う。

「だってハルトからの『お願い』でしょ? なら聞いてあげなきゃ!」
「マジか」
「まじまじ! なら部屋は…」

そう言っていそいそと「どこがいいかなー?」なんて鼻歌を歌いながら、身体を左右に揺らしている。

「でも、本当にいいのか?」
「いいよー。なんせこっちは2回も無断で移動させちゃってるからねー」

2回。
1回目は世界。2回目は部屋。
そう言うことなのだろう。

「どっちも君の了承を得ずに連れてきたからね。君から何か言われたら断れないでしょ?」
「ハワード…」
「それに。君たちっておかしいよね」
「おかしい?」
「うん。だって普通、こんなところに連れてこられたら、多少なりとも騒ぐと思うんだけど」
「ああー…まぁ…」

ぴたりと揺らしていた身体を止めて、じっと俺を見つめるハワードの瞳は疑問に満ちていて。
それを受けながら俺はようやくそこでおかしい、ということに気付く。

「確かに?」
「でしょ?」

確かにいきなり知らない場所に連れてこられた。
それでもなぜか安心できたのは人がいたからだろうか。

日本人はいつの間にかその国に溶け込んでいなくなる。

なんて言われてるくらいだ。
もしかして俺たちもそうなっているのだろうか。

「だからここに来た時に、怒りもしないし、泣きもしない。取り乱さない君たちを見てちょっとだけ不気味に思ったんだ」
「不気味て…」
「だって問い詰めることもしないし、ユナなんかさっさと仕事始めちゃうし」
「…………」
「君だってそうでしょ? 一通りこの国ことを話せば納得しちゃってるし。もし僕が君たちを使ってとんでもないことを企んでたらどうしたの?」
「どうって…。言うとおりにしてたかな?」
「なるほど。君たちには危機感が皆無だってことが良く分かったよ」

そういって肩を竦めるハワードに、ここでようやく俺たちがとんでもないことをしたと実感する。
俺たちは城とハワード、それにシモンがいたから今まで安全でいられた。
逆にハワードやシモンに出会わなかったら今頃は…。だからこそ、ここにいられるようにしてたんだけどね。

「さて、ハルト。君はどんな部屋がいいのかな?」

頭を切り替えてそう告げるハワードにハッとすると、俺は通るかどうかわからない要求を言ってみた。



そして2日後。
俺の要求は、あっという間に通った。
と、いうか要求していた側が「断る必要などない」と言ってくれたのが大きかった。
それでも条件付きなんだけど。

ハワードの条件は2つ。

1つ目は毎日城に来ること。
2つ目はダンジョンに潜ってもいいけど、必ず申請書を出すこと。

これだけ。
ダンジョンは20階までしか潜れないけど、それだけでも十分だ。
1つ目の城に来ることとは顔を見せるだけでいいらしい。それでも必ず4人で来ること、と言われた。
それと、俺の世話も兼ねてる3人に少しだけ金が支払われるんだって。3人は断ってたけど、俺の我が儘で世話をしてもらうんだから、と言ったら渋々だけど納得してくれた。

3人についてだけど、ハワードからなんか説明があったらしい。俺には教えてくれなかったけど。

「今更だけどさ。本当によかったのか? 俺のせいでこの国から出られなくなったんだろ?」
「うん? それこそ今更だろ?」
「そうそう。迷惑だとか思ってねぇぞ?」
「でも…」

そう。俺はあの3人…トレバー、グレン、ヒュームの所に世話になることに決めた。
なんだかんだ言って心地がいいんだよ。あの3人の側。
それに。

「迷惑も生きてるからこそ、だ」

ばすん、と頭に手を乗せられて、わっしわっしと撫でられた。

「ん。じゃあ、世話になる」
「おうってことよ!」
「食事と風呂、それと着替えの助けは必要だと聞いたが…他にはないのか?」
「今のところは特にないかな? なんかあったら言うよ」
「おう。そうしてくれ」

そんなことを話しながら約1か月いたシモンの部屋に来ていた。
シモンには部屋を変わることは言っていない。たぶんハワードから聞かされてるだろうし。
応接室で待っててくれたシモンが俺に気付き、後ろの3人にも視線が向けられるとなぜか眉を寄せた。
それに気付かず、俺はすぅと息を吸うと頭を深々と下げた。

「今までお世話になりました」

そう言ってから真っ直ぐ見れば、シモンの瞳が揺れた。
それに「うん?」と疑問は浮かんだけど、すぐに元に戻る。さっきのは見間違いだったのかと思えるほどに。

「ああ…。そうか。荷物は?」
「俺の荷物なんかほとんどないから」
「…そう、か。そうだったな」
「んじゃ。俺、行くわ。お礼言いに来ただけだし」
「…ああ」

なんか覇気がないシモンに若干の不審さを感じながら、踵を返そうとしてヒューが俺の頭の上に手を置いた。
ぐえ。重い。

「ヒュー!」
「まぁまぁ。少しの間、ハルトを預かるだけだからさ」
「…そうか」
「2度と会えないわけじゃないからな。毎日城に来るようにハワードさんに言われてるし」
「…そうか」
「それじゃあな。大切な弟さん、借りてくなー」
「っだー!重い!」

会話をしながらも、ぐぐぐと力をかけてくるヒューに腹が立って、ふんっと背を伸ばせば「悪い悪い」と笑いながら頭を撫でられる。ちっくしょー!

「ま。そういうわけだ。本当に世話になった」
「…気にするな。お前を守ることがオレの仕事だからな」
「そ…っか。じゃあ当分は仕事がなくなるな」
「そうだな」
「ほら、行くぞ。お前のベッドとか着替えとか買いに行かないといけないんだからな」
「うん」

じゃあ、と左手を上げてくるりと踵を返すと、グレンが肩を抱いてくる。

「ハルトのベッド、何色がいい?」
「なんでもいいよ。でも、できれば硬めがいい」
「え? いいのか? ふかふかじゃなくて」
「いいよ。その方がいい」
「そうか。なら硬めのにしようなー」
「夕飯どうする?」
「なら…」

3人の会話に加わりながら、俺はどこか寂しさに泣きそうになる。
シモンにとって俺は『庇護対象』。
それが分かっただけでいい。
ハワードにもシモンにも媚びなくても生きていける術をこの3人から学べればいい。

それなのに。

「なんで胸が痛いんだよ…!」

思わず出てしまった言葉にハッとすると、肩を抱いていたグレンに抱きしめられていた。

「兄さんの元を離れるのは辛いよな」
「これも大人になるためだ。我慢だぞー?」

わしわしと頭を撫でられながら、抱きしめられると我慢していたものがあふれ出してくる。

「おう。泣け泣け。兄ちゃんの胸で思いっきり泣け」
「うー…!」

冗談混じりだけど、優しいその言葉に俺の涙腺は決壊した。
そして、寂しさと俺の良く分からない気持ちを吐き出すために、ただ泣き続けた。

それをシモンが見ているとは思わないで。



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