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106.恋の自覚と喪失

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(俺は――)
 
 モズの声が甲高く上がった。
 草の匂いに興奮した神経が震える。

(俺……、馬鹿だ……)

 八月一日宮は蜂須賀を振ったことにほっとしている。
 あゆたはきゅっと唇を噛んだ。

 そんなこと、あゆたが気にしても仕方ないことのなのに。

 本当は八月一日宮は断るだろうと心のどこかで信じていた。いいや、断って欲しいと望んでいたと言っていい。

 でもあんなふうに冷酷にも思える八月一日宮の一面を覗き見るとは思っていなかった。
 
 ――八月一日宮くんはオメガが嫌いなんですよ。
 
 信夫の声が頭の中で反響する。
 
 発情期を迎えていなくても、あゆたはオメガだ。その事実は変えられない。

 八月一日宮がオメガが嫌いでも、あゆたには優しかった。
 今まで出会った誰よりも。

 しかしやっぱりあれは、ただ償いの為だったのだろう。

 八月一日宮は言っていたではないか。怪我をさせた罪悪感、自分がやるべきことをやらなかったことへの不甲斐なさを解消したいから、だからあゆたの面倒を見たいのだと。

 あれはただ単にあゆたの心への負担を減らしたかっただけの方便だと思っていた。しかし本当のところはどうだろう。誰にもわからない。八月一日宮の心は彼にしかわからない。

(八月一日宮は、オメガを嫌っている。それでは、自分はどうなのだろう)

 八月一日宮のことを知った気でいて。自分が恥ずかしかった。

 八月一日宮がどんな人間か。どういう性格なのか。どういう嗜好をもっているのか。

 勝手にわかったつもりになっていた。

 馬鹿だ。
 全然わかっていなかったくせに。

 あゆたはわかりたかったのだ。彼がどういう人なのか、知りたかったのだ。

 八月一日宮仁乙のことを理解したかった。

 どういう過去が彼の背後にあるのか、あゆたが出会うまでの十六年間を知りたかった。

 かわいいところも、素敵なところも、情けない所も、知らない顔をもっと見たい。
 
 もっと傍で。
 もっと長く。
 
 あゆたは震えた。

(俺は、馬鹿だ)

 明白だった。

 いつの間に、こんなに貪欲になってしまった。

 自分だけは……、オメガでも自分だけは、八月一日宮の特別ではないのだろうか、だなんて。大それた妄想を膨らませてしまった。

 家族以外の他人のことを、こんなに気にするなんて。

 ひとりの人間として、八月一日宮仁乙のことが知りたい。

 いつの間に、こんなに八月一日宮のことが気になってしまうようになってしまったのか。

 自分が底の見えない真っ暗な谷を覗き込んだような、そんな心細さにあゆたは立ち尽くした。

 初めての恋があゆたを奈落に叩き落そうとしていた。


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