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91.やまおろしのかぜ

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 あゆたは不安を隠しきれずに眉を下げた。

「兎に角、八月一日宮くんと懇意にするのはよくないです。あとで思い込んでいるあっちから責められて、あなたが悲しくなるなんて、僕は嫌ですからね」

 裏切る……?
 あゆたは唇を噛んだ。
 
 信夫は言い過ぎたと思ったようで、俯くあゆたの頭を撫でた。

「……じゃあ、あゆたさん、今度こそ、おやすみなさい」

「……ん、信夫も気をつけて、お食事会」

 革靴がきゅっと三和土を踏んだが、すぐに思い直したようにあゆたの方をむいた。

 闇の中で光る獣の目のような光はなりをひそめ、いつもの貴公子然とした信夫だった。

 信夫は何も言わないまま、肩越しに微笑んで後ろ手に硝子戸を閉めた。摺りガラスの向こうにある彼の白っぽい影が遠ざかっていく。

「お節介な信夫……」

 あゆたは上がり框に腰をかけた。

「……そうだ、検診の予定、カレンダーに入れとこう」

 尻のポケットから携帯を出して打ち込む。
 指が震えてうまくタップできない。
 あゆたは泣きそうになって息を吐いた。

(……そもそも八月一日宮は関係ないし、そんなに親しいわけではない)

 思考がどうしてそちらに流れていくかわからなかった。
 
 八月一日宮はオメガに怖い目に合わせられた。そしてオメガを近づけなくなった。

 胸が痛くなる。

 オメガだと知られれば、あゆたにはもう笑いかけてくれなくなるのだろうか。
 
 あゆたはぶるりと震え上がった。

「俺は八月一日宮を騙してない……」

 自分に言い聞かせるようにあゆたは声に出した。
 頭の中が麻痺したように何も考えられない。

「大丈夫、俺には発情期がないし……」

 黙っていれば、今まで通りだ。
 何も変わらない。何も。

 靴ひもを解く手元がぼやけてきて、あゆたは夕闇が濃くなるのを感じた。

 摺りガラスの向こうは暗い。秋の日暮れの早さが、季節の移り変わりを示していた。
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