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70.あの桜の並木道がこれより長くても短くても
しおりを挟む「日影が丁度いいぐらいですね」
「歩くと暑いよな」
緑の葉がさわさわと涼しい影を投げかけてくる。
「ここら一帯は全部桜みたいだな」
あゆたはついきょろきょろして街路樹を気にしてしまう。見るともなく気を取られて足が遅くなりがちだが、はっと気づくと八月一日宮は歩調を合わせてくれていた。
あゆたが急き込んで足を運ぶと、気にしていないというようににこやかに話に付き合ってくれる。
「九月だと紅葉もまだだな。もう少ししたら、葉の色が赤くなる」
「モミジみたいに紅葉するんですね」
「落ち着いた赤になって、俺は結構好きだ」
イチョウやモミジのような華やかな紅葉ではないが、桜の色の沈んだ赤茶けた色もあゆたは気に入っていた。
「これだけの植樹、大変だったろうな。春は桜が一度に咲き揃って壮観だろう」
何百本と並んでいる桜の並木がトンネルのように枝を差しかけてくる。上ばかり見ていると、やはり足が遅れるが、八月一日宮は同じように桜の枝を見上げていた。
「折角なら桜の時期だったらよかったな」
あゆたほど樹木に興味はないだろうが、八月一日宮にも楽しんで欲しい。
「そうですね。花を見るんだったら、春に、また来ればいいじゃないですか」
木漏れ日の緑が八月一日宮の横顔に落ちている。
さらりとした、まるで次の春も一緒にここを歩くような口ぶりだった。
思わず訊き返したくなったが、あゆたは前を向いたまま言葉を飲み込んだ。
社交辞令だろう。
わかっていても心をくすぐる約束が嬉しくて、あゆたは小さく頷いた。
人付き合いのよい、人気のある八月一日宮だ。色んな人と出かける約束をするのだろう。いつか。そのいつかはきっと来ないだろう。
たくさんある約束のひとつは、他の言葉に紛れて、いつか忘れられるだろう。しかしそれでいいと思う。八月一日宮には八月一日宮の生活がある。友人付き合いもある。人間関係の希薄なあゆたとは違うのだ。
でも、今この瞬間は本物だった。あゆたがいて、その隣に八月一日宮がいて、桜を見にまたここへ来ようと言ってくれた心は本物だから。それだけであゆたは満足だった。
(八月一日宮が言うと、本当になりそうだな……)
しかしそれは困る。そんな春は来ないから。妙な期待をして、いつか訪れる約束が果たされない桜の季節を残念に思うのは嫌だった。
季節の中に身を置いて、その移ろいを肌に感じて働くあゆただから、春を嘆くのだけはしたくなかった。
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