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17.お弔いの夜の邂逅
しおりを挟むあゆたが梅渓に引き取られたのは、祖母が死んですぐのことだった。
入院していた祖母は急変して、そのまま逝ってしまった。心の準備しているつもりだったが、そんなことなかった。
悲しくて悲しくて、祖母が死んだことが信じられなくて涙も出なかった。だって約束していた。すぐに退院するって。あゆをひとりにはしないから。またあゆの卵焼き食べたいから。そう笑っていた。あまりの動揺に心が凍り付いたようになっていた。
(これから、どうしよう……)
その死に現実感はないのに、あゆたの前から祖母はいなくなった。幸い祖母の家は残されている。いくばくかの預金もあって、明日にはすぐ困窮するというほど差し迫ってはいない。
それでも一人で広い世界に放り出されたように心細かった。中学は忌引きでしばらく休みだ。その間に必要な手続きや後始末、お弟子さんたちへお稽古が継続できなくなったことのお詫び状も出さなければならない。途方に暮れながら、骨になった祖母の小さな骨壺を胸に抱きしめてひとりで帰宅した。
寒い、みぞれ交じりの雨の降る黄昏。タクシーを降りると、墨絵のように下町の平屋はひっそりしていた。祖母が手入れしていた垣根も闇に沈んでいる。
火葬場に行く前はどうにかこらえていた天が漏らしたような涙雨だった。寒くて指はすぐにかじかんだ。路地に雨は跳ねてあゆたの制服の裾を濡らした。ポケットの鍵をごそごそ漁り、引っ張り出した途端かちりとぬかるみに落ちてしまった。
あゆたはしばらくそれを眺めていた。急ぐ理由もなかった。急に鍵を拾うのが億劫になったのだ。吐く息が白いもやになる。いつまでもぼうっとしても体が冷たくなるばかりだ。
(このまま、俺も冷たくなればいいのかな)
馬鹿なことを考えて、あゆたはへらりと笑った。心にもないことだ。祖母の骨に縋るように抱く力を強くする。
「あゆたくん……? 鶯原あゆたくん、だね?」
不意に名前を呼ばれて、あゆたは顔を上げた。
小さな玄関の軒下に誰かが立っていた。黒い大きな傘を差している。墨絵のような色の中、ぱっと明るい赤い襟巻をつけた、黒っぽい和服の老人だった。
「ああ、大きくなって……」
感極まったように老人は何か呟いた。こちらへ歩み寄る老人は背が高くて、いつか見た浮世絵の海坊主のように外灯で大きな影が落ちていた。
「そのままで風邪をひいてしまう。さ。こちらへおいで」
それでも濡れながら立ち尽くすあゆたへ、老人は傘を差しかけてくれた。皮の手袋をした手が慰めるように背中に添えられる。
「ささ吉さん……、おばあさまのことは残念だったね」
ささ吉、という懐かしい名前に、あゆたは顔を歪めた。祖母がまだ現役の芸妓だったときの名前だった。あゆたが生まれる前の話だ。その頃の知り合いなのだろう。引退してここに祖母が暮らしているのを知っているぐらいだ。あゆたの事情を何もかも承知しているという雰囲気だった。
「大変だったね、本当に」
そう言う彼の表情のほうが沈痛だった。どのくらいそこにいたのか、見上げた老人の顔色は寒々しく白かった。あゆたは我に返って鍵を拾い、老人を硝子戸の中へ招き入れた。
それが大旦那様との出会いだった。
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