おてんばプロレスの女神たち

ちひろ

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未来を翔るOTENBA魂

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 「花形結衣を連れてくるなんて、浅子のお母さんは何者なのよ」。
 翌日、涼子は浅子を誘い、例によって露天風呂につかっていた。ウィークデーということもあり、温泉客の姿はまばら。こんな天気のいい平日に、大手を振ってお風呂に入っていられるのは、大学生の特権でもあった。ていうか、午後からの講義は自主休講にして、ずる休みをしてしまった涼子ではあったが、おてんば市の山並みは美しく、こうして温泉につかっているだけで、パワーがみなぎってくる。
 「お母さんは“結衣ちゃん”って呼んでるけど、なんでもお母さんの親友の妹の彼氏の親せきらしいの」という浅子の言葉に、なぬ?と涼子は首をかしげた。親友の妹の彼氏の親せき。
 「えーっ、そんな遠い関係なのに、わざわざ片田舎まできてくれたんだ。花形結衣なんて、私にとっては本当にもう、天の上の人でしかないのに」。
 「それが」といい、浅子がため息をもらした。「親友の妹の彼氏というのが、すごい張りきって、今回のリングにあがるように段どりをしてくれたみたい。大切な彼女の頼みでもあったわけだし、きっとガンばったんでしょうね」。
 「ガンばったっていわれても、相手はプロ中のプロだし、浅子のお母さんがいうように、私たちが十人がかりでかかっても、絶対に叶わないわ。だって相手は花形結衣よ、本物の花形結衣」。
 女子プロレス界のトップと対峙することになった、おてんばプロレス。流れる雲を見つめながら、闘う前からプレッシャーに負けそうと涼子は考えていた。せっかく温泉で温まっているはずなのに、ひざがガクガクと震えてくる。
 ところが、いざふたを開けてみると、事態はまるで違っていた。な、な、なんと、あの花形結衣が、おてんばプロレスの非常勤コーチを買って出てくれるというのだ。
 「世界をめざすチャンス」といって、けしかけてきたのはIKEMENアサコズマザーだったが、ここへきてリングネームもHANAGATAアサコズマザーに変えたらしい。あきれ返るほどの七変化ぶり。どうでもいいけど、オバさん軍団はどうなったのよ。浅子のお母さんって本当に何者なのと涼子はあきれ返っていた。
 「RKクイーン。スーパーアサコ。ジュリー。カー子。あなたたち四人は、おてんばプロレスの四天王なんだからガンばって」というHANAGATAアサコズマザーだったが、全員で四人しかいないのに、四天王も何もあったもんじゃない。しかも「あのイケメンの子たちも呼んで、みんなで合宿しようか」なんていい出し、いつぞやの離婚のピンチもどこ吹く風。浅子のお母さんは、どこまでも自由奔放だった。
 それから三週間ほどして、本当に合同合宿が実現した。合宿にはおてんばプロレスの四天王に加えて、イケメンプロレスの中村と青山、それにオバさん軍団の残存兵であるエプロン翼も参加することになった。浅子の情報によると、しとしとぴっちゃんや温泉ウーマンは普通の主婦に戻ったらしい。事実上の引退。今になって思えば、しとしとぴっちゃんなんかは結構いいレスラーだったのに、義理のお母さんの介護があるとかで、無念のリタイアとなった。温泉ウーマンは、なんと四人目のお子さんの妊娠がわかったらしく、ただでさえも人口減少で頭を痛めている市の施策に、自らの体を張って応えていた。
 合宿の会場となったのは、もちろんニューおてんば温泉である。ニューおてんば温泉に宿泊施設は併設されていなかったが、浅子のお父さんのはからいで、三日間に限り、施設を自由に使わせてもらえることになったのだ。
 日本のマットだけでなく、アメリカやヨーロッパのマットでも脚光を浴びた花形結衣による指導は、想像以上に厳しかった。とりわけヒンズースクワットは、地獄以外の何ものでもなかった。ひいひいいいながら、どうにか五十回こなしたと思ったら、「もう五十回」と鬼コーチ・結衣の檄が飛ぶ。女子に比べて、はるかに体力がありそうな中村や青山ですら音をあげる始末。
 「き、きつい」。涼子や浅子らが苦悶の表情を浮かべる中、難なくトレーニングをこなしていたのは、ジュリーとエプロン翼のふたりだった。女子力というよりも“女子になりたい力”を発揮するジュリーと、主婦パワー全開のエプロン翼に対して、「あなたたちのセンスは素晴らしい」と結衣が絶賛した。
 合宿の二日目は、どうやら意識的にジュリーとエプロン翼のスパーリングを中心に練習が組まれたようだった。結衣は何かを企てようとしているのだろうか。レスラーとしてはもちろん、プロモーターとしても手腕を発揮している麻衣なだけに、もしかすると、もしかするかもしれない。でも、まさかね。いくらすごいといっても、とりあえず全員素人だし。おてんばプロレスを率いる涼子としては、直属の後輩であるジュリーの飛躍を願わずにいられなかったが、プロへの道は想像以上に厳しかった。
 合宿の最終日。この日は五分間限定の模擬試合が行われた。カー子 vs HANAGATAアサコズマザー、イケメン中村 vs イケメン青山、RKクイーン vs スーパーアサコの三試合に続いて、エプロン翼 vs 花形結衣、ジュリー vs 花形結衣の二試合。エプロン翼、ジュリーとの二連戦は、花形結衣が自ら買って出たものらしい。
 模擬試合とはいえ、どの選手も真剣そのものだった。開始早々、一分も経たないうちに、HANAGATAアサコズマザーからスリーカウントを奪ったカー子は、おてんばプロレスには自分もいるんだぞといわんばかりの猛アピール。不覚をとったHANAGATAアサコズマザーは、「今度は髪の毛を賭けて勝負だ」といい、再戦を要求した。新たな遺恨マッチの誕生。なんて。本当かな。
 イケメン中村とイケメン青山の一戦は、スピードとテクニックの応酬となった。中村はここぞというときにしか出さないコブラクローまでくり出したが、イケメン対決を制するまでには至らなかった。悔しがる中村。
 余談だが、HANAGATAアサコズマザーは、どうやら本気でこのイケメンズのことがお気に入りのようだ。試合前は「花束の贈呈です」といいながら、中村と青山に花束を渡した浅子のお母さんだったが、コスプレショップで買い込んだというウェディングドレス姿で現れた。花束よりも「私をあげたい」みたいな――。あきれるというか、なんというか。露骨に苦笑いを浮かべる浅子。そんな中にあってHANAGATAアサコズファーザーの苦々しい表情が、ちょっと心配だった。お願いだから、もう離婚話だけはやめてよねと涼子は思わずにいられなかった。
 RKクイーンとスーパーアサコの一戦は、予想通りハイレベルな内容となった。お互いに手の内を知り尽くした選手同士の闘いであったが、手加減はいっさい無用。矢継ぎ早に大技を連発し、最後はRKクイーンの決め技のひとつ、渾身のスコーピオン・デスロックで締めあげたところで時間切れとなった。「浅子、ありがとうね。これからもよろしく」という涼子のひとことに、盟友の浅子が握手で応えた。
 エプロン翼とジュリーを対戦相手として指名した結衣。女子プロレス界のスーパーレジェンドでもある結衣を本気にさせたふたりの闘いぶりには、目を見張るものがあった。
 得意の空中殺法で結衣を迎え撃ったエプロン翼。浅子のお母さんとは単なるママ友で、ごく普通の主婦でしかないエプロン翼が、まさかここまで躍動するとは予想だにしなかった。浅子の極秘情報によると、若かりし頃エプロン翼は新体操もやっていたらしい。どうりで。全身がバネのようにはじけ飛ぶ、しなやかなそのボディーは、とてもン十代の体とは思えなかった。
 ワン・ツー・ス‥‥。最後はカウント二・八まで結衣のことを追い詰めたエプロン翼。その闘いぶりは、もはやプロの域に近かった。「こうして改めて見ると、エプロン翼さんって、もしかすると天才かも!?」と涼子は心を躍らせた。
 結衣が肩で息をしながら臨んだジュリー戦は、意外なことにジュリーがラフ殺法で結衣を追い込んだ。ふだんはめったに出さないチョーク攻撃。どこで覚えたのか、昭和のプロレスを彷彿とさせるような十字チョップでジュリーが追い打ちをかけた。最後は昭和を代表する技の一つ、卍固め。
 「えっ、まさかジュリーが勝っちゃうんじゃない?」と涼子が興奮しまくる中、時間切れのゴングが鳴った。よくよく考えてみると、対戦相手の状況に応じて、ファイトスタイルを変化自在に変えられるのは、ジュリーというレスラーの才能のひとつだった。
 結果的にはエプロン翼もジュリーも大善戦だった。今回の合宿がきっかけで、可能性という名の翼を大きく広げたふたり。結衣は全員をリングに集めると、この三日間の成果を次のような言葉でまとめあげた。ぜいぜいという荒い息。
 「皆さんの闘う姿勢には感銘を受けました(ぜいぜい)。自分のために闘う。地域のために闘う。ライバルを超えるために闘う。闘いの目的は違っても、勝利の向こう側に見える幸せを手にしたいという気持ちだけは、きっとみんな同じなのかなと思います(ぜいぜい)。私自身、これからは世界に目を向けて、チャリティープロレスに力を入れていくつもりです。プロレスを通じて得られた収益の一部を、世界の恵まれない子どもたちの教育のために充てられればと考えています。
 来年はアメリカでの興行を計画中です。できることなら、おてんばプロレスのメンバーの中からも何人か連れて行きたいと思い、今回は皆さんとの貴重な時間を共有させていただきました。本当は全員に協力してほしいのですが、人数に制約があるため、今回はおふたりだけ(ぜいぜい)‥‥ぜひジュリー選手とエプロン翼選手に、アメリカ巡業への参加をお願いできればと思うのですが、どうでしょう?」という麻衣からの呼びかけに、「よし、いいぞ」「賛成」という声がかかった。驚きの表情を浮かべながらお互いの顔を見合わせる、ジュリーとエプロン翼。
 「そしてもうひとつ。私からのリクエストがあります。RKクイーン選手とスーパーアサコ選手のおふたりにはですね、ぜひともプロの世界で活躍していただきたく、私の息のかかった女子プロレス団体への本格参戦を切望します。おふたりとも将来は団体のエースとして活躍していける素養があります。それは私が保証します。本当であれば、イケメンズのおふたりも推薦したいところですが、あいにく男子禁制なので、それはちょっとごめんなさい。あ、一応はジュリーも男子ですけど、そっちはあくまでもチャリティープロレスの世界なのでOKです」というと、結衣は「あはは」と愛らしく笑った。世界を経験してきた女王の貫禄の笑顔。
 「え~っ、私にも何かチャンスをくださいよ」というHANAGATAアサコズマザーの突っ込みに、大きな笑いが起こった。いつの間にやら姿を見せたのか、IKEMENアサコズファーザー-いや、HANAGATAアサコズファーザーに改名したらしい-も満面の笑みを浮かべていた。「僕はダメかな」というHANAGATAアサコズファーザーのひとことに沸き起こる、愛情たっぷりのブーイング。ブー、ブー。ブ~に決まっているでしょ。
 ALL IS WELL。すべてうまくいく。これは結衣の座右の銘らしいが、涼子にとっても好きな言葉のひとつだった。ジュリーとエプロン翼を世界のひのき舞台へと招待してくれた結衣。そして自分と浅子のふたりが、プロの道へ進むだなんて、にわかには信じられなかったが、夢への大きな一歩となっていることだけはたしかだった。
 翌朝のスポーツ新聞。最終紙面のローカル枠に「おてんばプロレス 世界のOTENBAへ」という記事が掲載された。結衣の動向を追い続けていた記者が、特別にスクープしたものだった。それを見たプロレス誌の記者からも取材依頼が入ったりして、涼子らの周辺はにわかに慌ただしくなった。涼子の母親も新聞を見たらしく、「大学だけはやめないでね」と哀願してきた。「まぁまぁ、それは大丈夫だから」と涼子は母親の肩をたたいた。めざすは四大卒の女子プロレスラー。
 数日後。「えー、まさかこんなことになるなんて」と思いながら、涼子と浅子は、とある大物と一緒に、おてんば温泉の露天風呂につかっていた。とある大物とは、もちろん花形結衣その人だ。まさかまさか、憧れのスター選手とお風呂に入れるなんて。おまけ(あくまでもおまけ)として、HANAGATAアサコズマザーこと浅子のお母さんも風呂場に現れた。
 ここ何週間かのできごとを振り返り、涼子も浅子も夢見心地だったが、若い頃、結衣がタイトルマッチで負ったという膝の傷跡を見せられて、とにかく気を引き締めなければ、と自分たちにいい聞かせる涼子と浅子。
 「涼子さんも浅子さんも、これからが勝負だからね」といい、結衣は自分の肩に温泉の湯をかけた。パチャパチャという音がして、お湯が嬉しそうにはじけ飛んでいるかのようだった。
 「これからは、あなたたちの時代よ。地域に根ざしながら世界にも目を向ける。グローカルな視点が大切だと思うの」。グローバルとローカル、それを組み合わせた言葉がグローカルだ。「なるほど」と思い、涼子は大きくうなずいた。
 「ね、みんなで背中を流し合おうか。お互いさまで助け合っていくこと。それがますます必要な時代でもあるしね」という結衣の提案で、涼子と浅子、そして花形、HANAGATAアサコズマザーの四人は、まるで仲よし姉妹のようにはしゃぎながら石鹸にまみれた。おてんば市という、おおらかな土地で生まれ育った涼子と浅子。ふたりの未来には、さらに大きなフィールドが広がっている。それを結衣が後押ししてくれるのは、何よりも心強かった。
 その年の冬。ジュリーとエプロン翼が参加したアメリカでのチャリティープロレスは大盛況だった。ジュリーは“男子の女子大生”で、しかも“男子の女子プロレスラー”というキャラが話題となり、地元の新聞やインターネットテレビ局からも取材を受けることになった。女子としてのジュリーの可愛らしさは、今やインターナショナルなものだった。やがてジュリーのプロモーション映像が話題となり、全米で大ブレイクを果たしたのはいうまでもない。映像は「Sosotte」という謎めいたタイトル。ちょっと妖しいシーンをおりまぜたムービーは、もはや女子プロレスラーの域を超えて、エンタティナ―としての風格さえ感じられた。
 一方のエプロン翼は、得意の空中殺法が評価され、これまた驚いたことにメキシコのメジャー団体からオファーが入ったらしい。とはいえ、おてんば市の市役所を寿退社してから、主婦業をなりわいとしているエプロン翼としては、いくらなんでもメキシコにまで活躍の場を広げるわけにはいかず、残念ながら断らざるを得なかったようだ。
 しかし、しかし。世の中というのはわからないもので、メキシコの団体が日本マーケットへ進出したあかつきには、エプロン翼をメインイベンターとして迎え入れるという、そんな契約がとり交わされたのだった。ン十歳にして、和製ルチャドールとしてのポテンシャルを開花させようとしているエプロン翼。センスのよさは、いくつになっても変わらないのかもしれないと涼子は思っていた。
 「私たちも負けていられないわね」といい、涼子と浅子はタッグを組んで、日本を代表するメジャー女子プロレス団体のひとつ、ジャパンなでしこプロレスのリングに初参戦を果たした。
 涼子らが参戦したのは、新春の東京を揺るがす両国大会でのセミファイナルである。結衣のはからいが大きかったと見えて、プロのデビュー戦としては破格の扱い。結衣がコーチを務める新星・おてんばギャルズの木下涼子&船橋浅子、それがふたりのポジションだ。対戦相手は、ジャパンなでしこプロレスを主戦場に暴れまくる極悪コンビだったが、涼子と浅子は見事なまでの連係プレーで、初陣を勝利で飾ることができた。フィニッシュは、アサコズラリアットのあとに、RKクイーンがムーンサルトプレスを決めるという、おてんばスペシャル。完璧としかいいようがなかった。テレビ映えというか、動画映えも抜群だ。
 汗にまみれながらリング上で抱き合う涼子と浅子。そこに結衣が駆けつけると、ひときわ大きな歓声が起きた。リングサイドには、今ではすっかりマネージャー気どりの浅子のお母さんの姿があった。その隣にはジュリーやカー子、エプロン翼‥‥。浅子のお父さんやイケメン中村、イケメン青山もいる。あれっ、よく見ると、しとしとぴっちゃんや温泉ウーマンもいるじゃない。わざわざきてくれるなんて、うれしすぎ。
 結衣はマイクをつかむと、「将来性抜群のふたり。いずれはチャンピオンベルトに挑戦する日がくると思うので、これからもおてんばギャルズをよろしくお願いします」とアピールをしてくれた。くしくも会場の一部で「おてんば」コールが沸き起こった。今はまだ小さなうねりでしかなかったが、いつかもっと大きな渦となって、女子プロレス界に新風を巻き起こしたいと涼子は考えていた。
 明るく楽しく可憐に――。そのくせどこか乙女ちっくで、泣き虫ながらも、日本中のみんなから羨望のまなざしを向けられる、そんな女子プロレスラーこそ、涼子が想い描いている理想的な女子プロレスだった。私たちの想いは未来へ。闘う女子大生のタフネスぶりを多くの人に見てもらいたいと涼子は願わずにいられなかった。
 おてんばプロレスと、おてんばギャルズの挑戦はまだ始まったばかり。自分には頼もしい仲間がいるという確信、その想いが涼子の自信につながっていた。ふるさとの温泉パワーが育んだ最強のグローカル集団、それが自分たちの力の源泉でもある。
 涼子は同じリングに立っている結衣や浅子に「またみんなで露天風呂に入りましょうね」というと、「青コーナー、おてんばギャルズ~!」というコールに合わせ、満面の笑みでガッツポーズをしてみせた。
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