おてんばプロレスの女神たち

ちひろ

文字の大きさ
上 下
6 / 8

温泉の都にレジェンド降臨

しおりを挟む
 イケメンプロレスとの抗争がきっかけで、世間から一段と熱い視線を浴びるようになった、おてんばプロレス。涼子は仲間のレスラーたちと臨時のミーティングを開いていた。ミーティングの会場は、例によってニューおてんば温泉自慢の露天風呂である。浅子のお父さんにお願いし、一般のお客さんが来場する前の一時間に限り、貸切で使わせてもらえることになったのだ。しかも全員水着着用という条件つきで、男女混浴が認められ、晴れてめでたくジュリーも女湯での温泉デビューを果たせることになった。
 「ああ、ようやくジュリーと一緒に温泉に入れた」と涼子。ジュリーは女子用の水着を身につけていたが、どうやらパッドを埋め込んでいるらしく、胸もとは少しふくらんで見えた。
 「イケメンプロレスの青山君って、高校時代は野球部のエースだったんだってね。ジュリーはどこを守っていたの?」という涼子の質問に、本物の女子たちに囲まれて恥ずかしいのか、ジュリーは頬を赤らめながら答えた。
 「私はサードです。中村君が四番バッターで、私は三番を打っていました」。
 「恐怖の三、四番と恐れられていたんですって。すごいじゃない」と浅子が突っ込みを入れた。「いえ」と口ごもるジュリー。
 ミーハー的高校野球通の浅子によると、高校三年生の夏の県大会で、ジュリーらの高校は準決勝までコマを進めたらしい。準決勝の相手は甲子園の常連校だったが、エースの青山の力投によりスコアボードにはゼロの行進が続き、試合は延長戦へともつれ込んだ。引きわけ再試合かと思われた十五回の表に、なんとジュリーがタイムリーツーベースを放ち、貴重な一点を先制。「あとは俺にまかせろ」といい、十五回の裏のマウンドに立った青山だったが、四死球を連発してしまい、押し出しで同点に。最後は中村のエラーでサヨナラ負けを喫してしまった。
 あの日、七打数四安打の活躍でひとり気をはいたジュリーに対し、しきりに「すまない」といいながら、涙にむせぶ青山と中村。ジュリーは「いいのいいの」となだめながら、「大学へ入ったら、またそれぞれの道でガンばりましょう」と声をかけたという。
 やがて自分の心と体に違和感を覚えていたジュリーは、男子でも入学できる女子大学を志望し、かつてのチームメイトでもある青山や中村とは、明らかに違う道を選択したのだった。ジュリーがカミングアウトしたのは、高三の秋になってからで、当時のクラス担任に「私は女子大学へ進みたいです」と告げたことがきっかけらしい。当初はクラスメイトの間でも戸惑いはあったようだが、「できれば俺も女子大学へ行きたい」などと冗談半分にいう輩が次つぎと現れる始末。何を勘違いしたのか、休日のミニスカート姿のジュリーにひとめぼれをして、デイトを申し込む男子生徒までが現れるようになった。
 そんな大きな分岐点を経て、かつての高校球児だったジュリーと青山らが、今や女子プロレスのリングで闘っている。この運命的な再会は、もはやドラマかもしれないと涼子は考えていた。
 もしかすると、イケメンプロレスの青山と中村は、自分たちのせいで甲子園への道を絶たれてしまったことを気に病み、せめて「ジュリーのいるプロレスを盛り上げよう」と加勢してきた可能性もある。青山と中村のふたりには、涼子自身、男気のようなものを感じていた。元・高校球児の男子たちと、女子になりたい男子・ジュリーの間の摩訶不思議な友情。
 そうした中、今日の温泉内ミーティングのテーマは、これから先イケメンプロレスとの関係をどう構築していくかということと、ジュリーの人気にあやかって、おてんばプロレスを全国で通用する団体に押しあげていくかどうかの二点だった。イケメンプロレスとは今後も交流を深めていくことで全員の合意が得られたが、おてんばプロレスのメジャー化は時期尚早との結論が出た。
 「まぁ、スポンサーがいるわけじゃないしね。せめて地元の企業が何社か、私たちのことをバックアップしてくれるといいんだけど。いっそのことボランティアの営業でも入れようかしら」という涼子に、「ニューおてんば温泉の資金力だけじゃ、どう考えても無理だしね」と浅子が苦笑いを浮かべた。
 資金不足に頭を悩ませながらも、チャリティーだけは続けたいと涼子らは考えていた。特に学校へ行きたくても行けない子どもたちのことをもっと支援できないかと、あれこれ想いを巡らせている涼子だったが、「チャリティーはチャリティーでも、私たちへのチャリティーが必要だったりして」というカー子のひとことに、涼子は苦笑するしかなかった。月並みないい方ではあるが、世のため人のため、できることを見つけていきたい。資金ぐりが立ち行かないという大問題は抱えていたが、ここは知恵と工夫とガッツで乗りきるしかないでしょ。涼子は「これからもよろしくね」というと、みんなの体を引き寄せながら、青空に向かってグーパンチをした。
 イケメンプロレスとの第二戦は、おてんば市の協力もあり、市の文化センターを借りて開催されることになった。温泉の宴会場だけでも大満足なのに、今度の収容人数は最大四百人。しかも驚いたことに、地元のカー用品の会社や焼肉レストラン、フラワーショップなどが協賛をしてくれることになった。いつものごとく浅子は、すっとぼけた顔をしていたが、どうやら浅子のお父さんが立ちまわってくれたらしい。壁面には「魅せろ、おてんば魂」と書かれた垂れ幕までが掲げられている。
 「えー、なんだか本物のプロレスみだいだわ」とカー子がはしゃいでいた。「青森のお母さんに画像を送らなくちゃ」なんていいながら、しきりにスマホのシャッターボタンを押している。リングは相変わらずマットレスを加工したものだったが、いつもよりちょっと広めで、ロープこそないものの、一応はコーナーポストに見立てたアルミ製の脚立が設けられていた。
 大会をプロデュースしてくれているのは、もちろんニューおてんば温泉の社長兼レフェリー兼レスラー(自称)の浅子のお父さんだった。レスラーのIKEMENアサコズファーザーとしての立場は微妙だったが、なんだかんだいいながら、おてんばプロレスのことを全面的に支援してくれているのである。
 一時は浅子のお父さんの発案で、レスラーたちのサイン会を開こうという話も持ちあがったようだが、ひとり娘の浅子が即刻だめ出しをしたらしい。「いずれレスラーオリジナルのグッズでも売り出すつもりなんじゃないかしら」と浅子は心配顔だったが、そこは地域を生き抜く社長としての商魂か。観客はほぼ満員。地元紙のカメラマンらしき人物が何人か見てとれた。
 メインイベントは「ジュリー vs イケメン中村」の一戦だった。おてんばプロレスナンバーワンの超絶美人レスラーと、イケメンプロレスの絶対的エースの直接対決。かつては甲子園に想いを馳せていた高校時代の野球部の三、四番対決でもあった。じつは試合の直前、イケメン中村からの申し出により、正式に髪切りマッチとして開催されることになった。この試合で負けた方が、無残にもリング上で髪を切り落とされるのだ。
 イケメン中村の入場時には、青山らの親衛隊という女子学生が五人ほどセコンドについた。正体は同じ大学のラクロス同好会の学生らしく、リングに仁王立ちする中村に対して黄色い声援を送っていた。「案外もてるのね」と感心する涼子。中村の相棒であるイケメン青山も、リングサイドならぬマットレスの至近距離で臨戦態勢を整えていた。
 一方のジュリーには、涼子と浅子、カー子というおてんばプロレスのフルメンバーがセコンドについた。今日の試合に向けて揃えたお揃いのトレーナーが目を引いた。色はショッキングピンク。背中には「We ♡ おてんば」の文字がクレヨンタッチで描いてある。デザインを考案したのは、メンバーの中で一番手先が器用な浅子だった。ちなみに最近では、おてんばプロレスの公式ホームページも浅子が作成。愛情たっぷりのIT(愛ティー)技術を採り入れながら、女子大学発のプロレスの情報発信に力を注いでいたのである。
 「カ~ン」というけたたましいゴング音。「ファイト」といい、IKEMENアサコズファーザーがリングを仕切った。IKEMENアサコズマザーの姿は見えなかったが、目立ちたがり屋の浅子のお母さんのこと、きっとどこかのタイミングで乱入してくる可能性は高い。
 いつもはポーカーフェイスのジュリーも、今日ばかりは緊張しているように見えた。長い髪をかき分けながら、妙に色っぽいしぐさで、イケメン中村のことを挑発するジュリー。イケメン中村は、一瞬やりにくそうな表情を見せたが、自分で自分に気合を入れるつもりなのか、バンパーンと頬っぺたを叩くと、「さぁ、こい」と臨戦態勢を整えた。それに呼応するかのように、いきなりジュリーが張り手をくり出した。
 「なんだよー」と絶叫しながら、やり返すイケメン中村。バンパーン。パーン。女子同士の闘いとは、比べものにならないほど、激しい張り手の応酬。もちろんジュリーの心は女子だったが、やはり体力的には男子だと涼子は思っていた。
 不意討ちともいうべきジュリーのトラースキックが、イケメン中村の顔面に襲いかかった。ふらっと立ちあがるイケメン中村にショートレンジのラリアット。意外にも打撃系の技で序盤戦はジュリーが優位に立った。
 しかしながら、パワーでまさるイケメン中村は、巧妙な反則技(急所攻撃)もおりまぜながら、ジュリーのことを追い込んでいった。女子選手のジュリーに急所攻撃というのも変ちくりんな話だが、あくまでもジュリーは男子なのである。悶絶するジュリーを手玉にとったイケメン中村は、アルゼンチン・バックブリーカーからのエアプレーン・プレスへ。それをなんとかカウント二で返したジュリーに対して、イケメン中村は切り札のフランケンシュタイナーに打って出た。もはや万事休すかと思われたジュリーが、カウント二・九で返すと、会場からは「おおっ」というどよめきが起こった。
 「ジュリー、動いて」と絶叫する涼子たち。イケメン中村の親衛隊であるラクロス同好会の女子たちも、声を枯らしながらエールを送っている。
 「よっしゃ~。これで終わりだー」と雄たけびをあげるイケメン中村が、決め技としてくり出したのは、ランニングスリーという大技だった。相手を持ちあげ、指をさしてから三歩前へ走り、その勢いで相手をマットに叩きつける荒技中の荒技。バーンという激しい音がリング上で鳴り響いた。「あっ、もうだめ。ジュリーこらえて」と涼子は祈るような想いでリング上を見つめた。
 ワン、ツー、ス‥‥。レフェリーの手がカウント二・九九で止まった。オーッという歓声の中、大の字になりながらも、ジュリーは劣勢からの一発大逆転を狙っていた。半ば頭を抱えて、一体どんな技を出せば決まるんだといわんばかりの顔を浮かべていたイケメン中村が、ジュリーの体をコーナーポストもどきの脚立の近くにたぐり寄せると、「今度こそおしまいだぞー」と絶叫しながら、ひねりをくわえながらのムーンサルト・プレス-イケメン中村の改良型ムーンサルトで「イケメン・スター・プレス」と呼ぶらしい-をくり出した。ジュリーとの対戦に備えて練習を積み重ねてきたという必殺技だったが、イケメン中村がジュリーの体をとらえる直前に、ジュリーがひざを立てた。ジュリーの膝に砕かれて悶絶を打つイケメン中村。
 これをチャンスと見たジュリーは、すぐさま立ちあがり、イケメン中村をファイヤーマンズギャリーで肩に担ぎあげると、そのまま横に倒れ込んでイケメン中村の頭部をマットに沈めた。名づけてラスト・オブ・ザ・ジュリー。IKEMENアサコズファーザーが、大きく手を振りかざすと、スリーカウントが入った。ジュリーの大逆転劇に、会場は割れんばかりの大々々歓声。
 まっ先にリングインして、ジュリーの肩を抱き寄せたのは涼子だった。ジュリーのことが大好きという想いが、不意に涼子の中で燃えたぎった。チャンスは今しかないと思い、涼子はジュリーの唇にキスの嵐を浴びせた。一部のファンが気づいて、「キャ~」という歓声があがったが、そんなことはおかまいなし。涼子の一方的なベーゼ攻撃に、ジュリーの頬はド・ピンクに染めぬかれた。
 やがて浅子やカー子もリングに駆けあがり、ジュリーの勝利をたたえた。「やったわね。観ていて鳥肌が立っちゃった」といい、浅子はジュリーの肩を叩いた。「うん、うん」とうなずきながら、歓喜にむせぶジュリーの手をカー子が握りしめた。浅子やカー子との固い友情。そして涼子とジュリーの間に芽生え始めた不可思議な感情。誰がなんといおうと、ジュリーのことは私たちが守ってみせるからねと涼子は自分にいい聞かせていた。
 ジュリーがかつての同級生と闘うのには、さまざまな葛藤があったことだろう。性の壁を越えて、新たな可能性を追求しようとしているジュリーに、イケメン中村がマイクを通して語りかけてきた。汗にまみれながら、ぜいぜいという荒い息。
 「ジュリー。今日は俺の完敗だ。いくらやられそうになっても、あきらめずにはね返し続ける、そんなお前の姿に俺は心を打たれたよ。今日は負けてしまったが、俺たちにとって、ここは“もうひとつの甲子園”なのかもしれないなぁ。お前はもっと強くなれる。そしてもっといい女になれ、ジュリー。今日はありがとうなー」。
 イケメン中村がジュリーにかけ寄って、握手を求めると、ひときわ大きな拍手に包まれた。「もっといい女になれ」と叫んだときの中村の表情には、どことなく照れのようなものが感じられた。場内で交錯する「ジュリー」コールと「中村」コール。
 髪切りマッチの約束通り、中村はリング上でバリカン刑に処したが、その姿はすがすがしいものだった。バリカンで髪を刈ったのは、例によって浅子のお父さんだった。とにかくなんでもやる人。ひとり十役ぐらい。「こうなったら、もう一回、甲子園をめざすか」という丸刈り頭の中村のマイクに場内が沸騰した。
 ところが、そんなタイミングでのこと。今日の大一番が、なんとか無事に幕を閉じようとしているところへ、まっ赤なコスチュームを身にまとった女性が花道を駆け抜けてきた。すぐさまリングに立つと、マイクをわしづかみにし、「おい、何を青春ごっこやってんだよ。じゃじゃ馬どもめが」とけしかけてきたのは、なんとIKEMENアサコズマザーこと浅子のお母さんだった。あらら。またしても出てきたと顔を見合わせる涼子と浅子。
 「ふん、笑わせるんじゃない。今日はなー、もっとすごい選手を連れてきた。お前らが十人ぐらいでタッグを組んでも、太刀打ちできない。そんなすごい選手のお出ましだ。聞いて驚くんじゃねえぞ。女子プロレス界のビッグボスが、おてんば市にやってきたんだよ。スーパースター、花・形・結・衣入場~っ!」という浅子のお母さんのアナウンスに合わせて、なんと信じられないことに女子プロレス界のレジェンド・花形結衣が会場に姿を見せた。女子プロレスファンなら誰もが知っているテーマ曲。浅子のお母さんと同じように、まっ赤というよりも深紅のスーツを身にまとっていた。
 「えーっ、まさか」と絶叫する涼子。カー子やジュリーも驚きのあまり言葉を失っていた。まるで大きな波が押し寄せたかのように、会場全体がどよめいたのはいうまでもない。悠然と姿を見せる、プロレス界のレジェンド。超大物レスラーの登場に、おてんば市が騒然となった。
しおりを挟む

処理中です...