おてんばプロレスの女神たち

ちひろ

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浅子ファミリーの場外乱闘

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 病院で診てもらったところ、浅子のお母さんのケガは何ひとつ心配いらなかった。ほっと胸をなでおろす涼子だったが、「とにかく浅子。よくやったわ、おめでとう」という涼子からの祝福に対し、浅子は苦虫をかみつぶしたような表情をのぞかせていた。ケガ人の母親から勝ったところで、心から喜べはしないというのが本音なのだろう。それはわかるが、あらゆる逆境をはね返した浅子の闘いはたいしたもの。
 「さ、みんなでファイト一発、温泉にでも入りに行こうか」と涼子は浅子やカー子、そして一応はジュリーにも声をかけて、いつもの女湯(もちろんジュリーだけは男湯)へと出向いて行った。勝利の美酒ならぬ勝利の美湯。湯船で「はぁ」という安堵の声を発すると、涼子は浅子に向かって、もう一度「おめでとう」といい、すかさず「ところでさ、なんかあった?」と尋ねた。汗なのか、なんなのか、目にうっすらと涙のようなものを浮かべている素顔の浅子。浅子の大きなバストが、ちょっと荒めの息づかいで、うごめいているように見える。
 「温泉だけは嘘をつかないよ。私たちにできることがあったら、なんでもいって」。そんな涼子の想いが通じたのか、浅子は深いため息を漏らすと、意を決したような表情で、衝撃の事実を打ち明けてきた。
 浅子の話によると、なんと驚いたことに、浅子のお父さんとお母さんの間で“離婚”という話が持ち上がっているというのだ。「いずれ当人同士の問題なので、私にはどうすることもできないんだけど」といい、無理やり笑顔をつくろう浅子。
 「時間の問題かもしれないなぁ、あのふたり。夕べも大げんかが始まって、わが家のお皿が四枚ぐらい割れたかな。その後、お母さんが家を飛び出して、私が探しに行ったら、近所の公園でブランコに乗っていたのよ。まったく、どっちが子どもなんだか、わかりゃあしない」。
 「えっ、あんなに仲がいいのに、どうして!?」と聞き返すと、涼子らはカウンターパンチを食らったかのような表情を浮かべた。
 浅子の話によると、これまでも温泉の経営をめぐって、ふたりの間ではよく衝突が起きていたという。夢物語ばかりを口にする浅子のお父さんと、現実を直視しながら、ニューおてんば温泉の行く末を案じてきた浅子のお母さん。
 「お父さんの夢がふくらめばふくらむほど、わが家の借金も増えていく。それにストップをかけているのがお母さんなの。お父さんは三代目だけど、きっと苦労を知らずに育ったのかもね。ちっとも現実を見ようとしないんだも ん」。
 プロレスで地域おこしをしてはどう?と提案したのは、どうやら浅子本人だったらしい。おてんばプロレスに会場を貸し出し、温泉とプロレスの両方が楽しめるハイブリッド観光の拠点として、ニューおてんば温泉のことを売り出そうとしていたのだ。
 プロレスと温泉という組み合わせが、まさか浅子のアイデアだったとは――。どさくさにまぎれて、浅子のお父さんは「オリジナルのビールを造ろう」といい出したらしいが、わずか二秒で浅子や浅子のお母さんに却下されたという。ひらめきだけで経営を続けてきたお父さん。その甘い考えにブレーキをかけてきたのが、お母さんというわけね。
 浅子のアイデアに対して「プロレスと温泉なら、きっと全国的にも話題になる」と身をのり出してきたのは、浅子のお母さんだったようだ。半ば自暴自棄になっていたせいもあるのか、「私もレスラーになりたい」といい、家事そっちのけで市内のジムに通い始めたというアサコズマザー。エプロン翼さんをはじめとする、かつての職場の仲間も必死で応援してくれたらしい。その姿を目の当たりにして、もともと格闘技好きで司会のセンスに長けた浅子の父親は、それならばと一念発起し、リングアナ兼レフェリーという大役を買って出たというのが、今回のことの顛末である。
 「どうせならレスラーを兼任してもいいんだぞ」という父親の言葉に、これまた一・五秒後には浅子と浅子の母親がステレオ放送で反対したとかしないとか。まぁ、たしかに。同じ♂でもジュリーみたいな可愛い子ちゃんならともかく、オッさん丸出しのリング登場だけは勘弁してほしいわね。
 やがておてんばプロレスの初興行にたどりついた浅子一家。浅子がベビーフェイスのレスラーで、浅子のお母さんがヒールのトップ、そして浅子のお父さんがリングアナ兼レフェリーに。おてんば市という狭い街の中では、注目を浴びないはずがなかった。日本中を見渡しても、これほどまでに摩訶不思議な親子はいないだろう。別に狙ったわけではないのだが、おてんばプロレスの人気は急カーブを描いてあがり始めていた。
 ところが、そう簡単にいかないのが人生というか、夫婦の関係である。お客さんの手前、表立っては仲のいい夫婦を演じながら、じつは舞台裏で反目し合う父と母。そんなふたりの間で、花の女子大生でもある浅子のメンタルは深い闇に包まれていたのだ。
 感きわまったのか、気丈な浅子がとうとう泣き出してしまった。温泉のお湯の中にこぼれ落ちる大粒の涙。おてんば温泉というブランドも、一歩間違えば「汚点だ温泉」になっちゃうわけね。などとダジャレをいっている場合じゃないか。涼子やカー子の目からも涙の川があふれ出してきた。露天風呂で泣く女三人の図。うーん、何か助けになれることはないだろうかと涼子は本気で考えてみた。盟友・浅子のために。そして浅子のファミリーのために。
 それから三日間ほど、大学のレポートそっちのけで考えぬき、涼子が出した結論。それはローカル温泉ならではの「裸のおつき合い」をコンセプトに、さらなるサービスの向上に努めることだった。サービスが向上すれば、お客さんが喜ぶ。お客さんが喜べば、売上がアップする。売上がアップすれば、経営が安定する。経営が安定すれば、浅子のお父さんもお母さんも笑顔になる。両親がハッピーなら、ひとり娘の浅子だってハッピーになれるはず。善は急げとばかりに、涼子はさっそく「裸のおつき合い」作戦を実践することにした。もちろんカー子やジュリーも賛同してくれた。
 目玉はおてんばプロレスのレスラー総動員による“さんすけ”のサービスだ。RKクイーンやスーパーアサコ、カー子、ジュリー。敵対するアサコズマザーまでもが加勢して、お客さんの背中を洗おうというのだから、話題にならないはずがなかった。さすがにジュリーが女湯に入るのだけはご法度だったが、涼子らレスラーは男湯、女湯の区別なく現れ、お客さんの体をきれいに洗い流した。
 何を隠そう、自分たちの体力づくりにもなると涼子は考えていた。お客さんの体を洗い流すときは、力の入れ具合をコントロールすること、そして必ずつま先立ちで行うことなど、涼子らはトレーニングの一環として、自らにルールを課すようにしていたのだ。もちろん涼子らもレディーのはしくれ。男湯に足を踏み入れるのは、ちょっとはばかられるところもあったが、慣れというのは恐ろしいものである。浅子なんかは、今やガテン系男子の体をブラッシュアップすることに、ひそかな悦びを感じているようだった。「ガテン系、だーい好き!」だなんて。おいおい、そんな趣味があったのかよ。なんて。
 にわか仕込みの“さんすけ”の中で、ナンバーワンの人気を誇っていたのは、意外にもカー子だった。天然の明るさと、ぽっちゃりとした笑顔。それがオジさんたちの気持ちをくすぐるのかもしれない。行列のできる“さんすけ”レスラー、カー子。
 「いっそのことリングネームを<ザ・さんすけ>に変えた方がいいのかな」というカー子に、涼子は「いいんじゃないの」とけしかけた。
 「でも、男子みたいな名前だから、やっぱりよします」とカー子。最近は標準語に慣れたのか、カー子の口からエリア不明の方言が聞かれることはほとんどなくなっていた。カー子いわく、「これからの私の目標はレディーかな、うん」だなんて。ちょっと色気づいてきたカー子。聞いたところによると、最近は街場のカフェにも足を運んでいるらしい。
 “さんすけ”のサービス開始に合わせて、涼子らは、ちびっ子たちを対象にしたプロレス教室も開催した。対象は小学生以下の子どもたちで、浅子のお父さんにも手伝ってもらったところ、これがまた明るく楽しい教室になった。ファイティングポーズをとって「本気だ、本気だ」と叫びまくる浅子のお父さんのパフォーマンスぶりは、ちびっ子たちにも人気だったのである。ちびっ子のパパやママたちにも好評で、ついには空き待ちが出るほどの盛況ぶり。子どもたちの中には、RKクイーンやスーパーアサコのようになりたいという声が多く、じわりとではあったが、女子プロレスが温泉街に浸透してきているのを感じずにはいられなかった。
 V字回復は無理でも、もしかするとJを左右反転したような逆J字回復ぐらいは達成できそうな勢いが出てきたニューおてんば温泉。涼子の提案による裸のおつき合い作戦が功を奏し、温泉の財務大臣でもある浅子のお母さんは、少しずつ笑顔をとり戻していった。
 浅子のお父さん自身、ようやく経営に目覚めたとみえて、これまで頼っていたカン(勘)ピュータをかなぐり捨て、「これからは情報化の時代だ」とかなんとかいいながら(気づくのが遅い‥‥浅子談)、近所のパソコン教室へ通い始めた。とはいえ、自他ともに認める三日坊主の浅子のお父さん。予想通り三回ほど教室へ通ったところで、おてんば温泉の情報化計画は、早くも頓挫してしまった。
 こうなったら仕方がない。裸のおつき合い作戦の総仕上げとして、涼子は浅子と話し合い、おてんばプロレスの全レスラーと浅子のお父さん、お母さんらを交えて、大々的にファンの集いを催すことにした。オバさん軍団のエプロン翼や、しとしとぴっちゃん、温泉ウーマンも参加してくれた。会場は、おてんば市内を一望できる、おてんば山公園のキャンプ場。集まってくれたファンは、な、なんと百名近く。「ちょっと、これってキャパオーバーでしょう」と浅子のお母さんが心配するほどの盛況ぶりだった。一日貸切状態にし、バーベキューでも楽しみながら、ニューおてんば温泉の未来へ向かって、浅子のお父さんとお母さんの夫婦タッグを盛り立てようという涼子の目論見はものの見事に的中したのだ。
 ジュリーのファンクラブ(その数三十数名)によるバックアップも大きかった。ジュリーのファンは大半が男子で、「なんで男子が男子に熱狂する!?」という疑問がないわけではないのだが、やはりファンの後押しあってのおてんばプロレス。ありがたいことだと涼子は思っていた。
 温泉が好き、プロレスが大好きという地元民の想いは、ひしひしと伝わってきた。おてんばプロレスもオバさん軍団も、みんな仲間だと涼子らは感じていた。「すごい盛り上がりですね」というカー子に向かって、「この街を元気づけるために、私たちは選ばれたのよ」と明言する涼子。そう、私たちは選ばれたのだ。浅子親子はもちろん、カー子もジュリーも、今はみんなで総力を結集して、地域のことを盛りあげなくちゃ。
 バーベキュー当日。浅子の発案で、じつはひそかなサプライズも計画されていた。それは浅子の両親の結婚二十五周年である。二十五周年にかこつけて、夫婦ふたりのラブラブな関係をとり戻そうというのが、涼子や浅子の狙いだった。夫婦として二十年もやってこれたわけだから、あと十年、十五年ぐらい、どうってことない。これからも幸せを築いていけるというのが、涼子や浅子の偽らざる想いであった。
 浅子のお父さんとお母さんが出会ったのは、今から二十七、八年前。若かりし頃はふたりとも山登りが好きで、市主催の老若男女合同登山へ出かけたときに知り合ったらしい。当時、浅子のお母さんは市役所でアルバイトをしており、老若男女合同登山のアシスタント役として、不慣れな登山に同行していた。ところが運悪く足をくじいてしまい、自分では歩けなくなってしまった浅子のお母さんのことを「大丈夫だ。俺がおんぶしてやる」といい、病院まで運んでくれたのが浅子のお父さんだというのだ。いささか目立ちたがり屋な一面はあるが、気はやさしくて力持ち。それが浅子のお父さんの魅力でもあった。浅子からの極秘情報によると、おてんば山公園は、ふたりのデイトコースのひとつでもあったとか。
 「浅子のお父さんとお母さんには、何がなんでも永遠の幸せを誓ってもらわなくちゃね」と涼子は思っていた。若くして父親を失った涼子としては、必死の想いだったのである。フォア・ザ・浅子。フォア・ザ・浅子のお父さんとお母さん。
 「おめでとうございま~す!」。ヒューヒュー。バンパ~ン。レスラーやファンみんなで祝福したのがよかったのか、すっかり気をよくした浅子のお父さんとお母さんは「おてんば温泉は永遠に不滅です。そして私たち夫婦も、どちらかが死ぬまで愛し続けます。いや、死んでからもラブラブです」と照れまくりながらも愛を誓い合っていた。おてんば温泉の常連らしく、年配のオジさん、オバさんらが、浅子のお父さんとお母さんをとり囲んだ。
 「いいぞ、社長」とか「頑張れ、社長夫人」という声がはじけ飛んだ。感きわまったのか、目に涙を浮かべる浅子のお母さん。ふだんはイケイケのオバさん軍団のトップだが、この日ばかりは神妙な顔つき。どうやら芝居ではなさそうと思ったら、涼子自身、ちょっとウルッときてしまった。
 裸のおつき合いならぬ、気持ち丸出しのホンネのおつき合い。きっとそれこそが、ニューおてんば温泉の魅力なのかもしれないと涼子は感じていた。これまでずっとラブラブを通してきた夫婦の関係に影をもたらしたボタンのかけ違い。それがどういうものか、涼子にはわからなかったが、人間関係を崩すのも人だし、未来を壊すのも人。人の気持ちひとつで何もかも変わってしまうことを考えると、これからの自分たちの未来を切り拓いてくれるのも、きっと人なのかなと涼子は思わずにいられなかった。
 涼子が「お父さんとお母さんの気持ちもひとつになったようね」と声をかけると、久しぶりに浅子が笑顔の花を咲かせていた。「これもファンの皆さんのおかげね」といい、涼子は目を細めた。人と人のつながり、それはおてんばプロレスの最大の武器かもしれなかった。
 ふぅ、これで一件落着。浅子のお父さんとお母さんも、この調子なら、あと五十年ぐらいは夫婦生活をエンジョイできるわと思っていたところへ、思わぬ刺客が現れた。バーベキューの片づけを終え、みんなで山を降りようとしたときのことである。「おてんばプロレスの皆さんですよね。僕らの挑戦を受けていただけませんか?」といって、ふたりの男子が待ち伏せていたのだ。
 えっ、誰なの。逆光でよく見えなかったが、どちらもスタイル抜群で“超”がつくほどのイケメン。
 「僕は、みちのく学院大学のプロレス研究会の青山です。今そちらにいるジュリー君なら、僕らのことを知っているはず。去年まで同じ高校にいましたからね。久しぶりだな、ジュリー。いや、樹里亜」というと、青山と名のる男は、涼子らのもとへ近づき、「おてんばプロレスのベルトに挑戦させてください」と告げてきた。樹里亜というのは、どうやらジュリーの本名だった。もうひとりの中村という男もやってきて、「この際、男女の関係はありません。僕たちと闘ってください。容赦だけはしませんから」と挑発してきた。
 ふたりのイケメンと対峙する涼子や浅子たち。意表をついて現れたふたりの男子学生を前に、ジュリーは表情をこわばらせていた。浅子の両親や、その他大勢のとり巻きのファンたちも固唾を飲んで見守るしかない、そんな雰囲気が充満していた。
 うわ、なんなのよ、一体。「ベルトに挑戦させてください」なんていわれても、そもそもはおてんばプロレスとオバさん軍団の仲介のために創設されたベルト。涼子としては、別にベルトの権威を外部にまで広げようなんて夢にも思っていなかったのだ。ベルト自体、ペーパークラフトで作った急造品だし、そんな狙われるようなものじゃないんだから。
 ようやく浅子のお父さんとお母さんがよりを戻したと思ったら、今度は男子学生が相手だなんて。「もうやめてよねー。これは絶対に無理でしょ」と涼子は心の中で叫んだ。
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