おてんばプロレスの女神たち

ちひろ

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おてんば温泉最強の女は

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 「今回の対抗戦は、なんとか及第点よね」といいながら、数日後、涼子は温泉の露天風呂につかっていた。もちろん浅子とカー子も一緒である。残念ながらジュリーだけは、フィジカル的に男子なので、一応男湯につかっているはずだった。涼子にしてみれば「いつかみんなで女湯に入ろうね」と願わずにいられなかった。ジュリー自身、女子大生としては認められたわけだから、あとは「あそこだけの問題だわ」と涼子は思っていたのである。官能小説ではないので、あまり詳しいことは書けないが、あそこというのは、つまりあそこのことだった。
 温泉のお湯をパシャパシャともてあそびながら、「それにしても浅子のお母さんは元気よね」という涼子に、「んだす。あまりにも元気すぎ」とカー子が同調してきた。今回は出番のなかったカー子だが、ふだんから団体の裏方の仕事を手伝ってくれている。レスラーとしては、コミカルな役まわりを希望しているカー子だったが、その素顔は“超”がつくほど真面目な性格だった。
 「そうなの。これがまた元気なんだよね、まったく」と前置きした浅子は、意外なことを話し始めた。
 「うちのお母さん、じつは元・市役所の商工観光課の職員で、街おこしが大好きなのよね。エプロン翼さんとか、しとしとぴっちゃんさんとか、今回のメンバーも元・市役所の同僚で、この街を元気にしようという想いから立ちあがったんだって。プロレスは、もちろん観よう観まね。昔のビデオを何回も観て、それはそれは大変だったんだから。まぁ、私自身、いろいろなビデオを観せられて、ずいぶん勉強にはなったけどね」。
 「えへへ」と笑いながら、浅子はザバッという音を立てて、露天風呂から長身のボディーをせり出すと、「ふ~、気持ちいい」とひと息ついた。マスクウーマンに変身しているときは、コスチュームのせいもあるのか、結構引き締まって見えるスーパーアサコだったが、その肢体は意外にもふくよかだった。浅子の背中越しに見える蔵王山に沈みかけている夕陽が、あたかも後光のごとく輝いて見えた。
 「へぇ、そうなんだ」と涼子は驚きを隠せなかった。まさか浅子のお母さんが元・市役所の職員で、地元の活性化のためにひと肌脱いでくれていたなんて。きっと浅子も、その血を引いているのかな。浅子の地元愛も相当なものだと涼子は思っていた。涼子や浅子ファミリーの中で燃えたぎる郷土愛と、カー子やジュリーの心の奥底にあるプロレスLOVE。きっとそれらが結実して、大きなパワーを呼び覚ましているのだろう。
 「オバさん軍団とのコラボは、今後も続けたいわね」というと、涼子は何か新しいことをひらめいたらしく、「うーん、次はあの手かな」と意味深な笑みを浮かべた。「あの手って何‥‥!?」と浅子とカー子が、ほぼ同時に涼子の顔をのぞき込んだが、当の涼子はすっとぼけた表情で「いい湯だな~。あははん」と口ずさむだけだった。「教えてくださいよ」というカー子の声を聞き流しながら、梅雨どきのしっとりとした空気に包まれた温泉も、なかなか風情があっていいものだと涼子は感じていた。おてんば温泉。そのお湯が私たちにパワーを与えてくれている。
 涼子の次の一手というのは、チャンピオンベルトの創設だった。その名も「おてんばプロレス女子ヘビー級チャンピオン」。厳密にいうと、メンバーの中にヘビー級の選手はひとりもいないのだが、まぁ、そこは半分遊びということで。
 新設されたチャンピオンベルトをめぐり、RKクイーン、スーパーアサコ、カー子、ジュリー、アサコズマザー、エプロン翼、しとしとぴっちゃん、温泉ウーマンの八人がトーナメントで闘うことが決まった。温泉ウーマンというのは、オバさんプロレス第四のレスラーで、チャンピオンベルトの争奪トーナメントが事実上のデビュー戦となる。浅子情報によると、やはり温泉ウーマンも市役所の元・職員(非常勤)らしい。
 いつもの宴会場を会場に熱い闘いがくり広げられたのは、お盆の帰省客で賑わう八月中旬のことである。素人の団体としては、まさにミラクルの満員御礼。総人口は二十万人ほどのおてんば市だったが、お盆のこの期間中だけは、大都市並みに人口がふくれあがっているのではと思えるほど、街全体が活況を帯びていた。そんな最中にあっての一大興行ということもあり、場内はまさに熱気むんむん。飲んべえのオッさんや、敬老会の皆さん、ヤンキーのカップル。多様な市民の輪に交じって浴衣姿の子どもたちもいたりして、つい心が和む。
 市政だよりや、市の広報ポスターなどでもとりあげられるようになった涼子らは、ちょっとした地元のスターだった。数日前は地元のコミュニティーFMから声がかかり、代表として涼子が出演したのだが、緊張のあまり舌をかんだかと思えば、突然鼻がむずがゆくなり、「ハックション」なんて、大きなくしゃみをしてしまう始末。ああ、生放送なのに。私のくしゃみが、おてんば市中に流れてしまったわん。わんわん。
 見た目がアイドルのようなジュリーには、いつの間にか私設のファンクラブが創設されていた。青年団の男連中や、酔っぱらいのオジさんたちなど、その数四十名近く集まったというのだから、まったくもってして驚きである。ジュリーのことを完全に女子だと思っているのか、あるいは男子だろうがなんだろうが、好きなものは好きと思っているだけなのか。ファンの中には、ジュリーに憧れを抱いている女子中学生も多かった。
 朴訥さが魅力のカー子は、自分のレスラー姿の写真を青森の実家へ送ったところ、近所で話題になり、それがいつしか「カー子さん、プロレスのチャンピオンになったんだっきゃ」とかなんとか、噂が勝手にひとり歩きを始めているという話だった。ちなみに「~だっきゃ」は青森弁。いずれは青森の新聞社が、カー子の活躍ぶりを取材したいと申し出ているらしいが、当のカー子は「あらまー、恥ずかしい」といい、マスコミの取材は一切受けつけなかった。ためしにネットで「カー子 青森」と検索してみると、これがまた出てくる、出てくる。カー子はカー子で人知れず、多くのファンから注目され始めていたのだ。
 気になる一回戦の結果は次の通りだった。
〇RKクイーン vs ×しとしとぴっちゃん
 八分十七秒 二段式ドラゴンスープレックスからの体固め
〇スーパーアサコ vs ×温泉ウーマン
 五分二十二秒 アサコラリアットからの体固め
〇アサコズマザー vs ×ジュリー
 七分五十四秒 パワーボムからの体固め
〇エプロン翼 vs ×カー子
 十分四十一秒 フライングネックブリーカーからの体固め
 おてんばプロレス、オバさん軍団ともに、双方からふたりずつが準決勝へ進出。準決勝は「RKクイーン vs アサコズマザー」、「スーパーアサコ vs エプロン翼」の対戦となった。
 「決勝戦はRKクイーン vs スーパーアサコで決めましょう」と意気込んでいた涼子だったが、「RKクイーン vs アサコズマザー」の両エース対決を制したのは、あいにくアサコズマザーの方だった。RKクイーンの決め技でもあるムーンサルトプレスをかわしたアサコズマザーが、投げっぱなしのジャーマンスープレックス三連発という、超人的な技をくり出し、おてんばプロレスのアイコンでもあるRKクイーンからスリーカウントを奪ったのだ。アサコズマザーこと浅子のお母さんは、すでに四十代の半ば。年齢をかえりみずに、無謀きわまりない技を仕かけてくるなんて。涼子はリング上でひれ伏しながら、「なんであんなに無茶なのよー」と悔しがった。年齢をかえりみない浅子のお母さん。それだけ地元への愛情が深いということか。
 準決勝のもう一試合。「スーパーアサコ vs エプロン翼」戦は、意外にもエプロン翼の善戦が光り、フルタイムドローという結果になった。これに納得できなかったスーパーアサコが「決着がつくまで延長をお願いします」と要求し、最後は浅子渾身のアサコラリアットからのパワーボムで、食い下がるエプロン翼を仕とめた。思わず「ウォ~ッ」という雌たけびをあげ、ガッツポーズをとるスーパーアサコ。気がついてみれば、決勝戦は浅子んちの親子対決となった。
 アサココールとマザーコールが交錯する中、なぜかどういうわけか浅子のお父さんがマイクをつかんだ。沸きあがる「社長」コール。
 「おてんば温泉へお越しの皆さん。明日の決勝戦は、スーパーアサコとアサコズマザーの一騎打ちとなりました。親子対決であると同時に、これが『おてんば温泉最強女子決定戦』でもあるわけです。最強女子‥‥。いや、アサコズマザーの実年齢を考えると、女子というよりは熟女でしょうか。いや、これはちょっと失礼かもしれませんが、いずれにせよ、おてんば温泉最強の女が決まる頂上決戦になることだけはたしかです」。
 「皆さん、どうか熱い声援を」といいかけたところで、いきなりアサコズマザーが乱入し、「まだ若いんだよ、あたしは~。熟女とはなんだ。とり消せよ」とか何とかわめき散らしながら、プロモーター気どりの社長に襲いかかった。ボディースラムひとつで、リング上に大の字になる社長。ワーワーという歓声に交じって、「バンバンバーン」とバケツの音が鳴り響いた。本物のプロレスであれば、無謀な動きを制止するためのゴングの音である。鳴らしているのは誰だろうと思ったら、なんと浅子だった。「んもうっ」と口にしながら、やたら頬っぺたをふくらませている。ひとことでいうと、夫婦喧嘩を止めるひとり娘の図。浅子のふくれっ面を見て、「娘としては複雑だわね」と涼子は苦笑した。
 世紀の一戦は、翌日の午後二時から。浅子のアイデアで売り出した「選手との握手会つき!飲み放題観戦チケット」は大盛況だった。当然のことながら、お替わりを求めてくるお客さんがたくさんいて、カー子やジュリーまでが手伝いに駆り出された。
 「姉ちゃん、かわいいケツをしてるじゃねえか」といい、ジュリーのことを冷やかす酔っぱらい客。「ケツをさわったら容赦しないからなー」といって、ジュリーを守ろうとするファンクラブの面々。男が男に向かって、何をやっているのかしらと思ったら、涼子はおかしくて笑ってしまった。
 「おてんばプロレス vs オバさん軍団。真の王者は誰なのかを決める一戦。世界の注目が、おてんば温泉を熱くする!」というアサコズファーザー(今回からそう改名したらしい)のマイクパフォーマンスを皮切りに、スーパーアサコとアサコズマザーがそれぞれ入場してきた。
 アサコズマザーの入場曲は、驚いたことに「おてんば音頭」に変更されていた。昭和の時代から受け継がれている、おてんば市の音の宝物。なるほど、オバさん軍団全員が市の関係者だからね。地元LOVEのオバさんたち。よく見たら、会場の最前列には副市長や議員さんたちも陣どっていた。ローカルとはいえ、すごい政治力。
 浅子のセコンドについた涼子は「浅ちゃん、いつもの調子でね」と声をかけた。いつものように寅のマスクをかぶっているので、浅子の表情まではわからなかったが、心なしか口もとが震えているようにも見えた。
 アサコズファーザーが「国歌斉唱」というと、場内に君が代が流れた。いや、国家だなんて、いくらなんでもオーバーでしょと涼子は思ったが、そこは愛嬌ということで。アサコズファーザーによるタイトルマッチ宣言。そして両者の記念撮影(メディアなんてきていないのに)。
 バケツのゴングがけたたましく鳴ると、いよいよ世紀の一戦が始まった。リング内を見渡すと、浅子だし、浅子のお母さんだし、浅子のお父さん。そっかー、全員が浅子の一家だなんて、ものすごく変な感じかも。これは半分想像だが、浅子のお父さんの経営戦略にハマっちゃっていたりして。いくらおてんば温泉が国内有数の温泉地とはいえ、観光という一面では苦戦しているはず。そこに女子プロレスを持ってきたのは、案外、大当たりかもしれないと涼子は思っていた。
 「あああっ」と叫びながら、しょっぱなからスーパーアサコがドロップキックをくり出した。じつの母親に対する強烈なカウンターパンチ。ところが、この一撃によって思わぬアクシデントが起きてしまった。なんとアサコズマザーが鼻血を出してしまったのだ。自分のまっ赤な血を見て、今度はアサコズマザーが「うぉ~~~~っ」という悲鳴をあげた。い、いきなり。これはまずい。
 出血量がハンパないと思った涼子は、すぐさま試合をストップしようとしたが、アサコズマザー自らが「やれるだろっ」と叫んで、試合続行をアピールした。浅子のお母さんの鬼気迫る態度はすさまじいものがあり、涼子同様、試合を止めにかかった浅子のお父さんも場外に吹き飛ばされてしまった。演技とは思えないリアル感。アサコズマザーは「ガッデム(こんちくしょう)!」という言葉を投げつけながら、アサコズファーザーのことをキッと睨みつけた。悪意に満ちた表情。「止めたら、こ・ろ・す」だなんて。
 げっ、まさか。浅子のお母さんとお父さんって、本当に仲が悪かったりして。アサコズファーザーも、ここで一発、何かかますんじゃないかと思っていたら、なんのリアクションを見せることもなく、会場の渦の中に消えてしまった。
 えー、やめてよね。レフェリーはどうなるのよ。父親の寂しい背中の幻影だけが残る中、スーパーアサコは、ひたすらリング上でうろたえ、どうしていいかわからないような素ぶりを見せていた。
 結果的には六分十六秒。涼子が代理で急造レフェリーを務める中、スーパーアサコが、血まみれのアサコズマザーをフォールして、初のチャンピオンベルトを腰に巻いた。失神寸前のアサコズマザー。エプロン翼らアサコズマザーのとり巻きが、慌てふためきながら、出血の手当てにあたっていた。浅子は自らマスクを外し、観客の声援に応えていたが、どこか浮かない表情を浮かべているのがわかった。その表情からは、せつなさや、やりきれなさが感じられる。たとえ“ごっこ”といえども、プロレスはプロレス。敵対する相手レスラーを介抱するわけにはいかないのだ。
 「浅子のお母さん!」と叫びながら、涼子は必死の思いで浅子のお母さんの介抱に加わった。「うーん」というアサコズマザーのうなり声。見た限り、なんとか大丈夫そうではあったが、「ケガだけはしない、させない」がモットーの涼子は、思わず「救急車~っ」と金切り声をあげた。
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