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オバさん軍団との抗争勃発
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「オバさん軍団だなんて、なんなのよー、もう」。
突如として火の粉があがったオバさん軍団との因縁。女子大生によるチャリティープロレスが開催され、そこに謎のオバさん軍団が乱入したというニュースは、地元紙の「とぴっくす」というコーナーでもとりあげられた。
しかし、冷静になって考えてみると、涼子らにとっては謎でもなんでもない。オバさん軍団の正体は浅子のお母さんと、そのお友達なのだ。これはあとになって知ったことだが、地元メディアに対して記事のネタを売り込んだのは、どうやら浅子のお母さん本人らしい。県内ではそれなりに有名な温泉施設を営む社長夫人のルートは、なかなかどうしてあなどれず、地元紙の記者連中には、あらかじめ話をつけてあったようだ。取材という形をとれば、広告費がかからず、大きくとりあげてもらえる。おてんば温泉にとって、これほど好都合なことはない。さすが経営者の奥さん。
桜前線の北上に伴い、おてんば市のある南東北エリアでも桜の開花宣言が発表された四月中旬のこと。おてんばプロレスに、ふたりの新メンバーが加わることになった。カー子とジュリー。どちらも新入生である。涼子や浅子は二年生になり、晴れてめでたく、かわいい後輩を迎えることになったのだ。
りんごのようにまん丸顔のカー子(本名:鶴崎加奈子)は青森県の出身で、天性の明るさに加えて、どこかコミカルな雰囲気をかもし出していた。「浅子先輩が覆面なら、わだす(私)はペイントレスラーになりたいです」といい、自らのレスラー像を熱く語り始めた。なまりがひどく、たまに聞きとれないフレーズはあったが、なんでもチャップリンが大好きで、笑いによって観客を幸せにできるレスラーが目標だとか。身長は百五十三センチ。体重はそれなり。「これ実家から送られてきたんで」とかなんとかいいながら、いきなり大量のりんごを持ってきてくれたのには驚いた。ほっぺもまっ赤、りんごもまっ赤。プロレスに対する情熱もまっ赤っかっかの純情娘だった。
もうひとりのジュリー(本名:木村樹里亜)は、かなりの訳ありで、おてんば女子大学としては初の“男子の女子学生”だった。というのも涼子らの大学では、全国に先がけてジェンダーフリーを宣言し、身体的には男子でも精神的には女子という学生の入学をこの春から認めるようになったのである。ジュリーは、その入学生第一号というわけだ。
正直いって、法律上男子の入団を認めるかどうかでは、涼子もずいぶんと頭を悩ませた。ジュリーは、いつもミニスカートを履いていて、誰がどう見ても“いまどきの女子”なのだが、身体的にはあくまでも男子なのである。ジュリーには、男子のシンボルもついているはずだし、のどぼとけもしっかりとあった。そんなジュリーをどう扱うか、涼子は答えに迷ったが、多様化といわれるこれからの時代に対応してこそ、新しいプロレスの風と思い、涼子はジュリーの入団を認めた。ジュリーの身長は百六十五センチで、体重は五十三キロ。すらりとした体型で、さながらアイドルのような風貌だった。つい一か月ほど前までは、ひとりの男子として高校生活を送っていたジュリーが、まさか女子大学へ入学し、女子のプロレス団体もどきに参加するなんて、「世の中わからないものだわ」と涼子は思っていた。
大学のサークルとしては未公認のおてんばプロレスだったが、これでメンバーは四人に増えた。格闘技は全員が未経験だったが、プロレスに対する想い入れだけは人一倍、いや人十倍ぐらい強い。
浅子の発案で「せっかくだから四人で新歓コンパでもやろう」という流れになったが、考えてみると、メンバー全員がアンダー二十歳。法的にお酒は飲めないが、四人とも甘いものには目がないという事実が判明し、それならばということで、大学近くのケーキ屋でスイーツの食べ放題パーティーを開くことになった。お店の名前は「SAKURA」で、浅子のクラスメイトのおじさんがマスターを務めているという。お店の窓からは蔵王連峰が一望でき、ケーキの味もさることながら、眺望のよさが魅力の人気スポットでもあった。
いざ食べ放題のゴングが鳴ると、いちごのショートケーキ、モンブラン、レアチーズケーキ、ティラミス、フルーツタルトetc。これがまたいくらでも食べられる。涼子自身、ふだんから自分の体重やカロリーには気を遣っていたが、今日は年に一度あるかないかの特別な日ということもあり、自らの食欲を「食べ放題」モードに切り替えていた。女子四人(うちひとりは男子)による必殺の食べまくり攻撃。
「おてんばプロレスの皆さんのことは、僕もよく知っています」といい、最初のうちはお店のマスターもウェルカムだったが、「ああ、おいしすぎて止まらない」とかなんとかいいながら、みんなでスイーツをたいらげているうちに、マスター自身これはまずいと思ったのか、「いちごもモンブランも、あいにく今日は品切れなんです」と大慌てで詫びてきた。
「じゃあ、あるものを全部ください」だなんて、まさに底なし沼の胃袋をアピールする浅子。とにかく食うわ食うわ。ふだんからよく「一度でいいからバケツサイズのプリンを食べてみたい」なんて口にしている浅子だったが、案外それって本気だったりして。 「これはたまらない」と察知したのか、やがてお店側がギブアップを宣告し、新歓目的のスイーツコンパはお開きとなった。
「すみません。皆さんが、まさかこれほどまでにスイーツ好きだとは、夢にも思っていませんでした。あはは、あははは。さすが女子プロレスラー」と苦笑いでごまかすマスター。「今度いらっしゃったときは、最高級の紅茶をサービスしますので、それで勘弁してください。お願いです」と最後は深々と頭をさげてきた。
「まだまだイケたのに、ちょっと残念ねー。仕方がないので、今日はこのままみんなで味噌ラーメンでも食べに行こうか。じつはおいしいお店があるのよ」という浅子に対し、「えっ、いくらなんでもおかながパンクする」といい、今度はカー子やジュリーが白旗をふってきた。噂では盛岡名物のわんこそばを百八十一杯も食べたことがあるという、スーパーアサコこと浅子の大食いはケタ違いだったのである。
「オバさん軍団だろうがなんだろうが、みんなで蹴散らしちゃいましょう」。ゴールデンウィークが明けてすぐのこと、名実ともに団体の長となった涼子は、おてんばプロレスのミーティングを開いていた。場所は大学の七十周年記念館の一階である。ふだんは学食としてにぎわっているスポットだが、午後の四時過ぎともなると、食堂は閉じられ、学生の数も閑散としていた。おてんばプロレスの知名度はそれなりと見えて、涼子らの姿を見かけると、女子学生の間で「あっ、あの人たち知っている」なんていう声が聞かれた。
「来週から本格的な練習に入るわよ」と怪気炎をあげる涼子に、新人のカー子とジュリーがうなずいた。テーブルの上には、自販機で買った紙カップ入りのジュース。女子大生らしく、色とりどりのバッグがテーブルや椅子の上に置かれていた。カー子のバッグから、ちらっと見えている新しい教科書が、初々しさを感じさせた。
ジャージ姿の涼子を除き、他の三人は春らしく、ちょっと明るめのファッションを誇示していた。ボーイッシュな格好が好きな浅子はジーンズ姿で、桜を思わせるようなピンクのスカーフを首に巻いていた。カー子は、りんごへのこだわりがあるのか、赤を基調としたいで立ち。耳もとには、りんごマークのイヤリングをつけている。ジュリーは、花柄をあしらったミニスカート姿で、女子歴二十年の涼子から見ても、かわいい(うっとり)。みんなプロレスだけでなく、自分なりのファッションを楽しみながら、大学生活を謳歌しているのだ。
私も少しはおしゃれに気を配らなくちゃと、反省することしきりの涼子だったが、オバさん軍団を束ねているのが、実のお母さんということもあり、どことなく複雑な表情を浮かべているのは浅子である。心なしか顔色が悪い。
「ごめんね、みんな。うちの母がふりまわしちゃって。とにかく目立ちたがりでどうしようもないの。父も母も、まわりの空気が読めなくて、本当に困ってしまう」という浅子に、「なんのなんの、ドンマイだよ。地元が活気づくんなら、それでいいじゃん」と涼子が笑顔で応えた。
「私たちって、ほら、敵対する団体がいなかったし、会場を盛りあげる意味では、オバさん軍団の襲来はよかったのかもしれない。話題づくりとしては絶好の機会になったと思うし、カー子やジュリーも加わって、メンバー的には恐いものなしだよ」という涼子に、何弁なのかよくわからないが、「んだす。おもしろい展開になってきたっす」とカー子が同調した。方言丸出しのカー子の口ぶりがおかしくて、ついさっきまで湿りがちだった浅子がくすりと笑った。
浅子は「そうね。そうだよね」と自分にいい聞かせると、まるで吹っきれたような表情で「よっしゃ~!」と叫び声をあげた。スーパーアサコの雄たけびならぬ雌たけびに、通りすがりの大学職員が驚いて目を白黒させていた。気持ちの入れ替えが早いこと、それはスーパーアサコの大きな強みでもあった。
翌週から本格的な練習が始まった。あいにく「おてんばプロレス」には道場がなく、涼子らはキャンパスの芝生の上や近くの公園の隅っこで、地道なトレーニングに励むしかなかった。プロレスというよりも、女子の娯楽系サークルが、ただじゃれ合っているだけにしか見えない練習ぶり。大学の警備員に「危ないことはしないでください」と注意されたこともあった。
ところが、それを聞いてたまりかねたのか、浅子のお父さんが温泉の空きスペースを使ってもいいといってくれたのには驚いた。きっと浅子が相談を持ちかけてくれたのだろう。温泉施設を運営する会社の社長でもある浅子のお父さんの英断には、ただただ感謝である。ていうか、ひとり娘の浅子には甘いのかなぁなんて思ったりも。
それからというもの、涼子らは大学の授業の空き時間をうまく使って、おてんば温泉の小宴会場の一室を借り、対オバさん軍団を想定しながらのトレーニングに集中した。大学からおてんば温泉までは、距離にして五キロほど離れていたが、浅子のお父さんの特別なはからいで、温泉用のシャトルバスが大学まで迎えにきてくれることになった。もちろん実際のお客様の送迎のついでではあったが、とてもありがたいことだった。
涼子らは温泉施設内の小宴会場を借りきって、畳の上にマットレスを重ね、投げ技やスープレックスなどの練習に励んだ。体力づくりやプロレス技の研究、リング上の演出、団体の広報など、やらなければいけないことは山ほどあったが、団体の長でもある涼子が重きを置いたのは、ただの一点、ケガをしないことだった。とにかく無理はしないこと、そして対戦相手のことをおもんばかること。それがおてんばプロレスの真骨頂でもあると涼子は考えていた。
自分自身の得意技をきわめることも重要なテーマのひとつだった。もっといえば、他の人には真似のできない必殺フルコースを完成させること、それが涼子らの目標でもあった。打撃技。スープレックス系。飛び道具‥‥。涼子らは何度もスマホで本物のプロレスの映像をチェックしながら、技のバリエーションを増やすことに専念した。こうなったら習うより慣れろだ。まずはやってみようというスピリットが実を結んだのか、やがて全員が闘う女の顔になり、いかにもプロレスらしくなってきたから不思議である。
六月半ばの日曜日。浅子のお父さんの後押しもあって、「おてんばプロレスvsオバさん軍団」の対抗戦が行われる運びとなった。「どうせなら、おてんば温泉の開湯三百年を記念して、大々的にやろう」と提案してきた浅子のお父さんの言葉通り、世紀の対抗戦はおてんば温泉観光協会協賛のもと、夏祭りを前にした一大イベントとして開催されることになったのである。
「結局、ニューおてんば温泉の宣伝材料だったりして」という涼子に、社長の娘でもある浅子が苦笑した。
「お父さんとお母さん、近ごろは仕事のことで喧嘩ばかりなのよね。仲直りのきっかけとしては、ちょうどいいのかしら」と続ける浅子。やや曇りがちの浅子の表情に、これは何かあったに違いないと、涼子は女の勘を働かせるのであった。
「んでもー」と前置きしながら、未知なる軍団との対抗戦に向けて、めずらしく不安を口にしたのはカー子だった。「オバさん軍団の素性がよぐわがんねえし、どういう試合になるのか、まったく想像ができなくて。その部分を詰めておかないと、大変なことになるべした」。最後の「~べした」は青森弁ではなく、たしか福島弁だったような気もするが、おてんば市で暮らすようになってから、カー子の口ぶりには青森弁と標準語と、その他もろもろの東北弁が入り混じるようになっていた。それだけ交友関係が広がり、学生生活にも溶け込んできた証というわけね。
「それならば、まず話し合いが必要でしょ」と考えた涼子は、試合前の談合に打って出た。プロレスとしては、よくある話。詳しくは書けないが、例えばメインイベントは誰と誰が激突をして、最後はああなってこうなるみたいな。
まぁ、私が決めてもいいんだけど――と思いながら、涼子はとりあえず対抗戦の共催者で、本番ではレフェリーも務める浅子のお父さんに相談してみることにした。ところが浅子のお父さんから返ってきた言葉というのが、「プロレスは筋書きのないドラマ。だからおもしろいんだよ、ガハハハ」だなんて。えー、それってすごく無責任。プロレスのこと、全然わかっていないじゃん。
浅子のお父さんにかけ合っても仕方がないと思った涼子は、浅子と浅子のお母さんにマッチメイクをお願いすることにした。マッチメイクは、プロレスの興行を司る重要な役目。それこそ「ガハハ」のひとことで済ませるわけにはいかないのである。浅子のお母さんも「うちのお父さんは何もわかっていないので、任せてなんかいられない」といい、全面的に協力してくれることになった。浅子は「できるだけ公平な立場で考えてみます。私に任せてください」といい残すと、しばらく大学に姿を見せなくなった。浅子とメールで連絡をとろうとしても、「現在このメールは使われていません」なんていう返信が届く始末(なんのこっちゃ)。だけど、それだけ真剣だということ。ここは浅子親子に任せてみようと涼子は思っていた。
それから一週間後のことである。浅子と浅子のお母さんが提示してきたのは、次の三試合だった。
〇第一試合
カー子 vs エプロン翼
〇第二試合
スーパーアサコ vs しとしとぴっちゃん
〇第三試合
RKクイーン vs アサコズマザー
エプロン翼というのは、どうやらエプロン姿のあのオバさん。しとしとぴっちゃんというのは、乳母車を押していた女の人かな。そしてアサコズマザーだなんて、なんなのよ、これ。日本語訳すると、浅子のお母さんだなんて、そのまんまじゃん。
涼子が「ジュリーの試合がないのは、なんでなの?」と浅子に尋ねると、「ジュリーは男子だから、今回の対戦は見合わせますだって」と浅子。「うーん、ちょっと複雑ね」と口ごもりながら、涼子がジュリーの方を振り向くと、ジュリーは「あたし平気です」といい、笑顔をのぞかせていた。
「プロレスを通じて、性の違いを撲滅していくことが、あたしの願いですから。今回はセコンドでも何でもこなします」だなんて。おおっ、ジュリー。よくぞいってくれた。さすが女の中の女(いや、女の中の男かな)。
オバさん軍団との対抗戦当日。いざふたをあけてみたら、第一試合に出場するはずだったカー子が急熱を出してしまい、急きょ対戦カードが次の二試合に変更された。
〇第一試合
スーパーアサコ vs しとしとぴっちゃん
〇第二試合
RKクイーン ジュリー vs アサコズマザー エプロン翼
ジュリーがメンバー入りしたのは、「まぁ、タッグマッチなら」ということで、浅子のお母さんが折れてくれた結果である。入団以来、涼子が接してきた限り、ジュリーは女子以上の女子だった。よく気が利く。身のこなしが女子そのもの。ミニスカートが抜群に似合う。どれをとっても文句なしの女子なのだ。
「いいわ。私たちがジュリーを本物以上の女子にしてみせる」といい、涼子が試合前の控え室でジュリーの肩を抱き寄せると、ジュリーの頬はたちまち薄紅色に染まった。
第一試合。赤ちゃんの人形を乗せた乳母車を押して入場してきたしとしとぴっちゃんと、「おてんばプロレス」の副将・スーパーアサコとの試合は、意外にもハイレベルな試合になった。しとしとぴっちゃんは高校時代、どうやら柔道部に所属していたらしく、本格的な柔道技を武器に、浅子に襲いかかってきたのである。全身汗まみれで、しとしとぴっちゃんのしぶとい技の応酬に耐え抜いた浅子は、最後の最後でアサコラリアットなる決め技で、しとしとぴっちゃんから大逆転のスリーカウントを奪った。
「アサコラリアットでスーパーアサコの勝ち~!」と吠えたのは、浅子ではなく、浅子のお父さんだった。浅子の右腕をあげると、「うぉー」という地声を発し、「本気だ、本気だ」とまくしたてる浅子のお父さん。会場からは笑い声とともに「よっ、社長」という声が飛んだ。観客をてのひらの上に乗せるなんて、さすが社長の心意気。
第二試合はタッグマッチである。RKクイーン ジュリー vs アサコズマザー エプロン翼。四人の女子プロレスラーもどき(約一名は男子だが)が勢ぞろいすると、安物のマットレスの上に、パッと花が咲いたようだった。
エプロン翼は予想通りのエプロン姿で、手にはなぜか大根を持っていた。あっ、よく見ると、大きめの電卓も手にしている。まさに買い物中の主婦そのもの、それがエプロン翼のモチーフらしかった。
アサコズマザーは、ハードロックが好きらしく、まっ黒な革ジャンに身を包み、超ド派手な曲に合わせて入場してきた。バイクなんてありゃしないのに、まるでバイクを運転しているかのようなゼスチャー。ブォンブォーンなんて。ほとんどハーレー気どり。浅子のお母さんは今日もフルスロットルだった。
一方のジュリーは、ショッキングピンクの水着を着て、誰がどう見ても女子にしか見えない。ていうか、みんなジュリーのことを本物の女子大生と思っているらしく、「かわいい」という声があちこちから聞こえてきた。席の前の方でスマホのカメラを向けるオジさん連中。浅子のお父さんまでがスマホを持ち出して、一体何をやっているのやら。アイドルの撮影会じゃないんだからさぁ。
そんな中、RKクイーンこと涼子は、試合のことよりも、とにかくこの大会を成功させなければ、という想いでいっぱいだった。人口が減り、観光収入も落ち込んでいる、おてんば市。そんな地元のために、なんとか渇を与えたい。地域の活性化の糸口を見いだしたいという地元愛が、今の涼子を突き動かしていたのである。
これまで涼子の家族のことには、あまり言及してこなかったが、何を隠そう、涼子んちは正真正銘の母子家庭だった。母親の旦那、つまり涼子の父親は、涼子が小学生になる前に交通事故で亡くなっていた。生粋のおてんばっ子でもある母親は、昼間はデイサービスで働き、夜は友人が営んでいるスナックでの仕事を手伝いながら、なんとか涼子と、涼子よりも六歳年下の弟を育てあげてきたのである。
「家から通える大学であれば、学費ぐらい私がなんとかするから、ふたりとも大学へ行きなさい」というのが母親の口ぐせだった。
「いや、私が働いて、弟を大学へ行かせる」と涼子はいい張ったが、頑として受け入れなかったお母さん。そんな母親が大好きなこの街のことをもっと愛し、父親が亡くなってからは、決していいことばかりではなかったはずの母親に恩返しがしたいという想いは、つねに涼子の心の支えとなっていたのだ。今日は涼子の弟も会場に足を運んでくれている。
おてんばプロレスの未来を賭けた大一番。例によって「カーン」ではなく、「バ~ン」というバケツの音が鳴らされた。
先発は、いきなりのエース対決。涼子はアサコズマザーと技の探り合いを始めた。涼子が浅子のお母さんと初めて会ったのは、団体の旗揚げ戦の前だったが、当初は普通のお母さんだとばかり思っていたのに、まさかまさかのプロレスラー(ごっこ)転向。アサコズマザーは、プロレスらしい大技をくり出しながら、涼子らを攻め立ててきた。モンゴリアン・チョップ。バックドロップ。アルゼンチン・バックブリーカー。スピニング・トー・ホールド。サソリ固め。
えっ、えー。「一体どこでそんな練習してきたの」と涼子は慌てふためいた。エプロン翼との連係プレーもなかなかのもので、涼子らは終始劣勢に立たされた。パイプ椅子ならぬ座布団を使った攻撃までくり出してきたアサコズマザー。ジュリーの体に座布団を重ね、その上にプランチャを放ってきた。
「翼くん、座布団もう一枚持ってきて」というアサコズマザーに対し、涼子は「どこかの落語番組じゃねーんだよ」とわめき散らすと、至近距離からのドロップキックを一発。アサコズマザーが場外へ転げ落ちた一瞬の隙をねらって、涼子はエプロン翼を電光石火の逆さ抑え込みで丸めた。
ワン、ツー、スリー。浅子のお父さんがスリーカウントを数えると、エプロン翼は「えっ、嘘でしょ」という表情を浮かべながら、両手をマットに打ちつけて、悔しさをあらわにした。やったよ、やった。勝ったんだわ。
「六分五十三秒、RKクイーン、ジュリー組の勝利です」というアナウンスに、涼子とジュリーが笑顔で応えていると、アサコズマザーこと浅子のお母さんが、マイクで口撃を仕かけてきた。
「おい、RKクイーン。今日はなー、そんなんで勝ったと思うな。あたしたちがめざしているのは、もっとハイレベルな闘いなんだよ。今度こそは容赦しないから、首を洗って待ってろ」というと、アサコズマザーはマイクをマットレスの上にぶん投げた。
プロを彷彿とさせるような浅子のお母さんのパフォーマンスに、「社長の奥さん、かっこよすぎ」という声がかかった。マイクが壊れたら大変といわんばかりの表情を見せながら、大慌てでマイクを拾いあげるのは、浅子のお父さんだった。せ、せこいと思ったが、モノを大切にする心だけは偉いような。
涼子は浅子のお父さんから強引にマイクを奪いとると、「オバさん軍団か何かしらねえけど、私たちのことをなめるんじゃねえぞ。お前らとはなー、若さが違うんだよ。こっちの平均年齢は、十九歳と四か月。お前らは、その二・五倍はイッちまってんだろ。ババぁ軍団。それが今のお前らだよ」とまくしたてた。こともあろう、その一部始終を浅子が動画に撮り、おてんばプロレスのSNSにアップしていた。これはあとでわかったことだが、「いいね」「いいね」「いいね」の嵐だったもよう。
「ババぁ軍団」という言葉にカチンときたのか、「なんだと」といいながら、涼子らに食ってかかるアサコズマザー。ジュリーとエプロン翼もやり合った。くしくも沸き起こる「おてんば」コール。
気がついてみると、いつしか「おてんばプロレス vs オバさん軍団」は、おてんば温泉の名物のひとつになっていった。市制四十周年を迎えるおてんば市の広報紙でも「湯のまちで沸騰!女子プロレスの熱き闘い」という特集が組まれる始末。あれ。おてんば市民って、こんなにプロレス好きだったっけ。それに私たちは女子プロレスじゃなくて、女子プロレス“ごっこ”なんだけどなぁ。そう戸惑いながらも、涼子は地元で渦巻き始めた新たなうねりに、わくわく感を覚えずにはいられなかったのである。
突如として火の粉があがったオバさん軍団との因縁。女子大生によるチャリティープロレスが開催され、そこに謎のオバさん軍団が乱入したというニュースは、地元紙の「とぴっくす」というコーナーでもとりあげられた。
しかし、冷静になって考えてみると、涼子らにとっては謎でもなんでもない。オバさん軍団の正体は浅子のお母さんと、そのお友達なのだ。これはあとになって知ったことだが、地元メディアに対して記事のネタを売り込んだのは、どうやら浅子のお母さん本人らしい。県内ではそれなりに有名な温泉施設を営む社長夫人のルートは、なかなかどうしてあなどれず、地元紙の記者連中には、あらかじめ話をつけてあったようだ。取材という形をとれば、広告費がかからず、大きくとりあげてもらえる。おてんば温泉にとって、これほど好都合なことはない。さすが経営者の奥さん。
桜前線の北上に伴い、おてんば市のある南東北エリアでも桜の開花宣言が発表された四月中旬のこと。おてんばプロレスに、ふたりの新メンバーが加わることになった。カー子とジュリー。どちらも新入生である。涼子や浅子は二年生になり、晴れてめでたく、かわいい後輩を迎えることになったのだ。
りんごのようにまん丸顔のカー子(本名:鶴崎加奈子)は青森県の出身で、天性の明るさに加えて、どこかコミカルな雰囲気をかもし出していた。「浅子先輩が覆面なら、わだす(私)はペイントレスラーになりたいです」といい、自らのレスラー像を熱く語り始めた。なまりがひどく、たまに聞きとれないフレーズはあったが、なんでもチャップリンが大好きで、笑いによって観客を幸せにできるレスラーが目標だとか。身長は百五十三センチ。体重はそれなり。「これ実家から送られてきたんで」とかなんとかいいながら、いきなり大量のりんごを持ってきてくれたのには驚いた。ほっぺもまっ赤、りんごもまっ赤。プロレスに対する情熱もまっ赤っかっかの純情娘だった。
もうひとりのジュリー(本名:木村樹里亜)は、かなりの訳ありで、おてんば女子大学としては初の“男子の女子学生”だった。というのも涼子らの大学では、全国に先がけてジェンダーフリーを宣言し、身体的には男子でも精神的には女子という学生の入学をこの春から認めるようになったのである。ジュリーは、その入学生第一号というわけだ。
正直いって、法律上男子の入団を認めるかどうかでは、涼子もずいぶんと頭を悩ませた。ジュリーは、いつもミニスカートを履いていて、誰がどう見ても“いまどきの女子”なのだが、身体的にはあくまでも男子なのである。ジュリーには、男子のシンボルもついているはずだし、のどぼとけもしっかりとあった。そんなジュリーをどう扱うか、涼子は答えに迷ったが、多様化といわれるこれからの時代に対応してこそ、新しいプロレスの風と思い、涼子はジュリーの入団を認めた。ジュリーの身長は百六十五センチで、体重は五十三キロ。すらりとした体型で、さながらアイドルのような風貌だった。つい一か月ほど前までは、ひとりの男子として高校生活を送っていたジュリーが、まさか女子大学へ入学し、女子のプロレス団体もどきに参加するなんて、「世の中わからないものだわ」と涼子は思っていた。
大学のサークルとしては未公認のおてんばプロレスだったが、これでメンバーは四人に増えた。格闘技は全員が未経験だったが、プロレスに対する想い入れだけは人一倍、いや人十倍ぐらい強い。
浅子の発案で「せっかくだから四人で新歓コンパでもやろう」という流れになったが、考えてみると、メンバー全員がアンダー二十歳。法的にお酒は飲めないが、四人とも甘いものには目がないという事実が判明し、それならばということで、大学近くのケーキ屋でスイーツの食べ放題パーティーを開くことになった。お店の名前は「SAKURA」で、浅子のクラスメイトのおじさんがマスターを務めているという。お店の窓からは蔵王連峰が一望でき、ケーキの味もさることながら、眺望のよさが魅力の人気スポットでもあった。
いざ食べ放題のゴングが鳴ると、いちごのショートケーキ、モンブラン、レアチーズケーキ、ティラミス、フルーツタルトetc。これがまたいくらでも食べられる。涼子自身、ふだんから自分の体重やカロリーには気を遣っていたが、今日は年に一度あるかないかの特別な日ということもあり、自らの食欲を「食べ放題」モードに切り替えていた。女子四人(うちひとりは男子)による必殺の食べまくり攻撃。
「おてんばプロレスの皆さんのことは、僕もよく知っています」といい、最初のうちはお店のマスターもウェルカムだったが、「ああ、おいしすぎて止まらない」とかなんとかいいながら、みんなでスイーツをたいらげているうちに、マスター自身これはまずいと思ったのか、「いちごもモンブランも、あいにく今日は品切れなんです」と大慌てで詫びてきた。
「じゃあ、あるものを全部ください」だなんて、まさに底なし沼の胃袋をアピールする浅子。とにかく食うわ食うわ。ふだんからよく「一度でいいからバケツサイズのプリンを食べてみたい」なんて口にしている浅子だったが、案外それって本気だったりして。 「これはたまらない」と察知したのか、やがてお店側がギブアップを宣告し、新歓目的のスイーツコンパはお開きとなった。
「すみません。皆さんが、まさかこれほどまでにスイーツ好きだとは、夢にも思っていませんでした。あはは、あははは。さすが女子プロレスラー」と苦笑いでごまかすマスター。「今度いらっしゃったときは、最高級の紅茶をサービスしますので、それで勘弁してください。お願いです」と最後は深々と頭をさげてきた。
「まだまだイケたのに、ちょっと残念ねー。仕方がないので、今日はこのままみんなで味噌ラーメンでも食べに行こうか。じつはおいしいお店があるのよ」という浅子に対し、「えっ、いくらなんでもおかながパンクする」といい、今度はカー子やジュリーが白旗をふってきた。噂では盛岡名物のわんこそばを百八十一杯も食べたことがあるという、スーパーアサコこと浅子の大食いはケタ違いだったのである。
「オバさん軍団だろうがなんだろうが、みんなで蹴散らしちゃいましょう」。ゴールデンウィークが明けてすぐのこと、名実ともに団体の長となった涼子は、おてんばプロレスのミーティングを開いていた。場所は大学の七十周年記念館の一階である。ふだんは学食としてにぎわっているスポットだが、午後の四時過ぎともなると、食堂は閉じられ、学生の数も閑散としていた。おてんばプロレスの知名度はそれなりと見えて、涼子らの姿を見かけると、女子学生の間で「あっ、あの人たち知っている」なんていう声が聞かれた。
「来週から本格的な練習に入るわよ」と怪気炎をあげる涼子に、新人のカー子とジュリーがうなずいた。テーブルの上には、自販機で買った紙カップ入りのジュース。女子大生らしく、色とりどりのバッグがテーブルや椅子の上に置かれていた。カー子のバッグから、ちらっと見えている新しい教科書が、初々しさを感じさせた。
ジャージ姿の涼子を除き、他の三人は春らしく、ちょっと明るめのファッションを誇示していた。ボーイッシュな格好が好きな浅子はジーンズ姿で、桜を思わせるようなピンクのスカーフを首に巻いていた。カー子は、りんごへのこだわりがあるのか、赤を基調としたいで立ち。耳もとには、りんごマークのイヤリングをつけている。ジュリーは、花柄をあしらったミニスカート姿で、女子歴二十年の涼子から見ても、かわいい(うっとり)。みんなプロレスだけでなく、自分なりのファッションを楽しみながら、大学生活を謳歌しているのだ。
私も少しはおしゃれに気を配らなくちゃと、反省することしきりの涼子だったが、オバさん軍団を束ねているのが、実のお母さんということもあり、どことなく複雑な表情を浮かべているのは浅子である。心なしか顔色が悪い。
「ごめんね、みんな。うちの母がふりまわしちゃって。とにかく目立ちたがりでどうしようもないの。父も母も、まわりの空気が読めなくて、本当に困ってしまう」という浅子に、「なんのなんの、ドンマイだよ。地元が活気づくんなら、それでいいじゃん」と涼子が笑顔で応えた。
「私たちって、ほら、敵対する団体がいなかったし、会場を盛りあげる意味では、オバさん軍団の襲来はよかったのかもしれない。話題づくりとしては絶好の機会になったと思うし、カー子やジュリーも加わって、メンバー的には恐いものなしだよ」という涼子に、何弁なのかよくわからないが、「んだす。おもしろい展開になってきたっす」とカー子が同調した。方言丸出しのカー子の口ぶりがおかしくて、ついさっきまで湿りがちだった浅子がくすりと笑った。
浅子は「そうね。そうだよね」と自分にいい聞かせると、まるで吹っきれたような表情で「よっしゃ~!」と叫び声をあげた。スーパーアサコの雄たけびならぬ雌たけびに、通りすがりの大学職員が驚いて目を白黒させていた。気持ちの入れ替えが早いこと、それはスーパーアサコの大きな強みでもあった。
翌週から本格的な練習が始まった。あいにく「おてんばプロレス」には道場がなく、涼子らはキャンパスの芝生の上や近くの公園の隅っこで、地道なトレーニングに励むしかなかった。プロレスというよりも、女子の娯楽系サークルが、ただじゃれ合っているだけにしか見えない練習ぶり。大学の警備員に「危ないことはしないでください」と注意されたこともあった。
ところが、それを聞いてたまりかねたのか、浅子のお父さんが温泉の空きスペースを使ってもいいといってくれたのには驚いた。きっと浅子が相談を持ちかけてくれたのだろう。温泉施設を運営する会社の社長でもある浅子のお父さんの英断には、ただただ感謝である。ていうか、ひとり娘の浅子には甘いのかなぁなんて思ったりも。
それからというもの、涼子らは大学の授業の空き時間をうまく使って、おてんば温泉の小宴会場の一室を借り、対オバさん軍団を想定しながらのトレーニングに集中した。大学からおてんば温泉までは、距離にして五キロほど離れていたが、浅子のお父さんの特別なはからいで、温泉用のシャトルバスが大学まで迎えにきてくれることになった。もちろん実際のお客様の送迎のついでではあったが、とてもありがたいことだった。
涼子らは温泉施設内の小宴会場を借りきって、畳の上にマットレスを重ね、投げ技やスープレックスなどの練習に励んだ。体力づくりやプロレス技の研究、リング上の演出、団体の広報など、やらなければいけないことは山ほどあったが、団体の長でもある涼子が重きを置いたのは、ただの一点、ケガをしないことだった。とにかく無理はしないこと、そして対戦相手のことをおもんばかること。それがおてんばプロレスの真骨頂でもあると涼子は考えていた。
自分自身の得意技をきわめることも重要なテーマのひとつだった。もっといえば、他の人には真似のできない必殺フルコースを完成させること、それが涼子らの目標でもあった。打撃技。スープレックス系。飛び道具‥‥。涼子らは何度もスマホで本物のプロレスの映像をチェックしながら、技のバリエーションを増やすことに専念した。こうなったら習うより慣れろだ。まずはやってみようというスピリットが実を結んだのか、やがて全員が闘う女の顔になり、いかにもプロレスらしくなってきたから不思議である。
六月半ばの日曜日。浅子のお父さんの後押しもあって、「おてんばプロレスvsオバさん軍団」の対抗戦が行われる運びとなった。「どうせなら、おてんば温泉の開湯三百年を記念して、大々的にやろう」と提案してきた浅子のお父さんの言葉通り、世紀の対抗戦はおてんば温泉観光協会協賛のもと、夏祭りを前にした一大イベントとして開催されることになったのである。
「結局、ニューおてんば温泉の宣伝材料だったりして」という涼子に、社長の娘でもある浅子が苦笑した。
「お父さんとお母さん、近ごろは仕事のことで喧嘩ばかりなのよね。仲直りのきっかけとしては、ちょうどいいのかしら」と続ける浅子。やや曇りがちの浅子の表情に、これは何かあったに違いないと、涼子は女の勘を働かせるのであった。
「んでもー」と前置きしながら、未知なる軍団との対抗戦に向けて、めずらしく不安を口にしたのはカー子だった。「オバさん軍団の素性がよぐわがんねえし、どういう試合になるのか、まったく想像ができなくて。その部分を詰めておかないと、大変なことになるべした」。最後の「~べした」は青森弁ではなく、たしか福島弁だったような気もするが、おてんば市で暮らすようになってから、カー子の口ぶりには青森弁と標準語と、その他もろもろの東北弁が入り混じるようになっていた。それだけ交友関係が広がり、学生生活にも溶け込んできた証というわけね。
「それならば、まず話し合いが必要でしょ」と考えた涼子は、試合前の談合に打って出た。プロレスとしては、よくある話。詳しくは書けないが、例えばメインイベントは誰と誰が激突をして、最後はああなってこうなるみたいな。
まぁ、私が決めてもいいんだけど――と思いながら、涼子はとりあえず対抗戦の共催者で、本番ではレフェリーも務める浅子のお父さんに相談してみることにした。ところが浅子のお父さんから返ってきた言葉というのが、「プロレスは筋書きのないドラマ。だからおもしろいんだよ、ガハハハ」だなんて。えー、それってすごく無責任。プロレスのこと、全然わかっていないじゃん。
浅子のお父さんにかけ合っても仕方がないと思った涼子は、浅子と浅子のお母さんにマッチメイクをお願いすることにした。マッチメイクは、プロレスの興行を司る重要な役目。それこそ「ガハハ」のひとことで済ませるわけにはいかないのである。浅子のお母さんも「うちのお父さんは何もわかっていないので、任せてなんかいられない」といい、全面的に協力してくれることになった。浅子は「できるだけ公平な立場で考えてみます。私に任せてください」といい残すと、しばらく大学に姿を見せなくなった。浅子とメールで連絡をとろうとしても、「現在このメールは使われていません」なんていう返信が届く始末(なんのこっちゃ)。だけど、それだけ真剣だということ。ここは浅子親子に任せてみようと涼子は思っていた。
それから一週間後のことである。浅子と浅子のお母さんが提示してきたのは、次の三試合だった。
〇第一試合
カー子 vs エプロン翼
〇第二試合
スーパーアサコ vs しとしとぴっちゃん
〇第三試合
RKクイーン vs アサコズマザー
エプロン翼というのは、どうやらエプロン姿のあのオバさん。しとしとぴっちゃんというのは、乳母車を押していた女の人かな。そしてアサコズマザーだなんて、なんなのよ、これ。日本語訳すると、浅子のお母さんだなんて、そのまんまじゃん。
涼子が「ジュリーの試合がないのは、なんでなの?」と浅子に尋ねると、「ジュリーは男子だから、今回の対戦は見合わせますだって」と浅子。「うーん、ちょっと複雑ね」と口ごもりながら、涼子がジュリーの方を振り向くと、ジュリーは「あたし平気です」といい、笑顔をのぞかせていた。
「プロレスを通じて、性の違いを撲滅していくことが、あたしの願いですから。今回はセコンドでも何でもこなします」だなんて。おおっ、ジュリー。よくぞいってくれた。さすが女の中の女(いや、女の中の男かな)。
オバさん軍団との対抗戦当日。いざふたをあけてみたら、第一試合に出場するはずだったカー子が急熱を出してしまい、急きょ対戦カードが次の二試合に変更された。
〇第一試合
スーパーアサコ vs しとしとぴっちゃん
〇第二試合
RKクイーン ジュリー vs アサコズマザー エプロン翼
ジュリーがメンバー入りしたのは、「まぁ、タッグマッチなら」ということで、浅子のお母さんが折れてくれた結果である。入団以来、涼子が接してきた限り、ジュリーは女子以上の女子だった。よく気が利く。身のこなしが女子そのもの。ミニスカートが抜群に似合う。どれをとっても文句なしの女子なのだ。
「いいわ。私たちがジュリーを本物以上の女子にしてみせる」といい、涼子が試合前の控え室でジュリーの肩を抱き寄せると、ジュリーの頬はたちまち薄紅色に染まった。
第一試合。赤ちゃんの人形を乗せた乳母車を押して入場してきたしとしとぴっちゃんと、「おてんばプロレス」の副将・スーパーアサコとの試合は、意外にもハイレベルな試合になった。しとしとぴっちゃんは高校時代、どうやら柔道部に所属していたらしく、本格的な柔道技を武器に、浅子に襲いかかってきたのである。全身汗まみれで、しとしとぴっちゃんのしぶとい技の応酬に耐え抜いた浅子は、最後の最後でアサコラリアットなる決め技で、しとしとぴっちゃんから大逆転のスリーカウントを奪った。
「アサコラリアットでスーパーアサコの勝ち~!」と吠えたのは、浅子ではなく、浅子のお父さんだった。浅子の右腕をあげると、「うぉー」という地声を発し、「本気だ、本気だ」とまくしたてる浅子のお父さん。会場からは笑い声とともに「よっ、社長」という声が飛んだ。観客をてのひらの上に乗せるなんて、さすが社長の心意気。
第二試合はタッグマッチである。RKクイーン ジュリー vs アサコズマザー エプロン翼。四人の女子プロレスラーもどき(約一名は男子だが)が勢ぞろいすると、安物のマットレスの上に、パッと花が咲いたようだった。
エプロン翼は予想通りのエプロン姿で、手にはなぜか大根を持っていた。あっ、よく見ると、大きめの電卓も手にしている。まさに買い物中の主婦そのもの、それがエプロン翼のモチーフらしかった。
アサコズマザーは、ハードロックが好きらしく、まっ黒な革ジャンに身を包み、超ド派手な曲に合わせて入場してきた。バイクなんてありゃしないのに、まるでバイクを運転しているかのようなゼスチャー。ブォンブォーンなんて。ほとんどハーレー気どり。浅子のお母さんは今日もフルスロットルだった。
一方のジュリーは、ショッキングピンクの水着を着て、誰がどう見ても女子にしか見えない。ていうか、みんなジュリーのことを本物の女子大生と思っているらしく、「かわいい」という声があちこちから聞こえてきた。席の前の方でスマホのカメラを向けるオジさん連中。浅子のお父さんまでがスマホを持ち出して、一体何をやっているのやら。アイドルの撮影会じゃないんだからさぁ。
そんな中、RKクイーンこと涼子は、試合のことよりも、とにかくこの大会を成功させなければ、という想いでいっぱいだった。人口が減り、観光収入も落ち込んでいる、おてんば市。そんな地元のために、なんとか渇を与えたい。地域の活性化の糸口を見いだしたいという地元愛が、今の涼子を突き動かしていたのである。
これまで涼子の家族のことには、あまり言及してこなかったが、何を隠そう、涼子んちは正真正銘の母子家庭だった。母親の旦那、つまり涼子の父親は、涼子が小学生になる前に交通事故で亡くなっていた。生粋のおてんばっ子でもある母親は、昼間はデイサービスで働き、夜は友人が営んでいるスナックでの仕事を手伝いながら、なんとか涼子と、涼子よりも六歳年下の弟を育てあげてきたのである。
「家から通える大学であれば、学費ぐらい私がなんとかするから、ふたりとも大学へ行きなさい」というのが母親の口ぐせだった。
「いや、私が働いて、弟を大学へ行かせる」と涼子はいい張ったが、頑として受け入れなかったお母さん。そんな母親が大好きなこの街のことをもっと愛し、父親が亡くなってからは、決していいことばかりではなかったはずの母親に恩返しがしたいという想いは、つねに涼子の心の支えとなっていたのだ。今日は涼子の弟も会場に足を運んでくれている。
おてんばプロレスの未来を賭けた大一番。例によって「カーン」ではなく、「バ~ン」というバケツの音が鳴らされた。
先発は、いきなりのエース対決。涼子はアサコズマザーと技の探り合いを始めた。涼子が浅子のお母さんと初めて会ったのは、団体の旗揚げ戦の前だったが、当初は普通のお母さんだとばかり思っていたのに、まさかまさかのプロレスラー(ごっこ)転向。アサコズマザーは、プロレスらしい大技をくり出しながら、涼子らを攻め立ててきた。モンゴリアン・チョップ。バックドロップ。アルゼンチン・バックブリーカー。スピニング・トー・ホールド。サソリ固め。
えっ、えー。「一体どこでそんな練習してきたの」と涼子は慌てふためいた。エプロン翼との連係プレーもなかなかのもので、涼子らは終始劣勢に立たされた。パイプ椅子ならぬ座布団を使った攻撃までくり出してきたアサコズマザー。ジュリーの体に座布団を重ね、その上にプランチャを放ってきた。
「翼くん、座布団もう一枚持ってきて」というアサコズマザーに対し、涼子は「どこかの落語番組じゃねーんだよ」とわめき散らすと、至近距離からのドロップキックを一発。アサコズマザーが場外へ転げ落ちた一瞬の隙をねらって、涼子はエプロン翼を電光石火の逆さ抑え込みで丸めた。
ワン、ツー、スリー。浅子のお父さんがスリーカウントを数えると、エプロン翼は「えっ、嘘でしょ」という表情を浮かべながら、両手をマットに打ちつけて、悔しさをあらわにした。やったよ、やった。勝ったんだわ。
「六分五十三秒、RKクイーン、ジュリー組の勝利です」というアナウンスに、涼子とジュリーが笑顔で応えていると、アサコズマザーこと浅子のお母さんが、マイクで口撃を仕かけてきた。
「おい、RKクイーン。今日はなー、そんなんで勝ったと思うな。あたしたちがめざしているのは、もっとハイレベルな闘いなんだよ。今度こそは容赦しないから、首を洗って待ってろ」というと、アサコズマザーはマイクをマットレスの上にぶん投げた。
プロを彷彿とさせるような浅子のお母さんのパフォーマンスに、「社長の奥さん、かっこよすぎ」という声がかかった。マイクが壊れたら大変といわんばかりの表情を見せながら、大慌てでマイクを拾いあげるのは、浅子のお父さんだった。せ、せこいと思ったが、モノを大切にする心だけは偉いような。
涼子は浅子のお父さんから強引にマイクを奪いとると、「オバさん軍団か何かしらねえけど、私たちのことをなめるんじゃねえぞ。お前らとはなー、若さが違うんだよ。こっちの平均年齢は、十九歳と四か月。お前らは、その二・五倍はイッちまってんだろ。ババぁ軍団。それが今のお前らだよ」とまくしたてた。こともあろう、その一部始終を浅子が動画に撮り、おてんばプロレスのSNSにアップしていた。これはあとでわかったことだが、「いいね」「いいね」「いいね」の嵐だったもよう。
「ババぁ軍団」という言葉にカチンときたのか、「なんだと」といいながら、涼子らに食ってかかるアサコズマザー。ジュリーとエプロン翼もやり合った。くしくも沸き起こる「おてんば」コール。
気がついてみると、いつしか「おてんばプロレス vs オバさん軍団」は、おてんば温泉の名物のひとつになっていった。市制四十周年を迎えるおてんば市の広報紙でも「湯のまちで沸騰!女子プロレスの熱き闘い」という特集が組まれる始末。あれ。おてんば市民って、こんなにプロレス好きだったっけ。それに私たちは女子プロレスじゃなくて、女子プロレス“ごっこ”なんだけどなぁ。そう戸惑いながらも、涼子は地元で渦巻き始めた新たなうねりに、わくわく感を覚えずにはいられなかったのである。
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