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経営者・日奈子のSOS

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 「ダメだわ、今月も赤字じゃないのよ」。
 「ふぅ」というため息をもらすと、佐藤日奈子は、まるで一枚のパノラマ写真のような蔵王山が拝める社長室の窓を開け放った。鮮やかな晴天。風薫る五月とはよくいったもので、窓から流れ込んでくる風が心地よかった。
 「売上数字も心地よければいいんだけど、こんなにもマイナスが続くようでは、何か新しい事業にチャレンジするしかないわね」。
 日奈子は人口二十万人ほどの地方都市・おてんば市で、有限会社おてんば企画という編集プロダクションを営んでいた。代表を務める日奈子のほか、社員は十二名。自社媒体の「おてんばだより」の発刊をはじめ、一般企業や自治体、大学などで発行している広報物の編集・制作をサポートしていた。
 広報物全般というと聞こえはいいが、これも時代の流れなのか、紙媒体には逆風が吹き荒れていた。ちょっとネガティブな話題になってしまうが、デジタル化のあおりを受けて、同じおてんば市内の同業他社のうち、何社かは自主廃業へ。印刷にお金をかけるくらいなら、ウェブを活用した方がいいというのが、今般のマーケットの答えだった。
日奈子の会社でもデジタル事業を立ちあげたが、時すでに遅し。雨後の筍のごとく、あらゆる業者がウェブ事業に参画し、市場としてはもはや飽和状態に達していた。
 今からン年前、日奈子が独立を果たした当時は、まだ時代が日奈子の味方をしてくれた。タウン誌やフリーペーパーが花盛りの頃で、コンセプトやターゲットさえ見誤らなければ、事業はうまくまわっていたのである。
 それが今じゃ仕事もお金もまわらず、自分の目だけがまわっているなんて。ああ、笑えない。ていうか、泣きたい泣きたい泣きたい。泣きた~い。
 日奈子は四十代で独身だったが、それなりの美貌で、いい寄ってくる男性陣は少なくなかった。それでも編集の仕事が大好きという理由から、二十代後半で独立を果たし、広報を通じて地域文化の創生とやらに貢献してきたつもりだ。
 とりわけ自社の代名詞でもある「おてんばだより」は、日奈子こだわりの刊行物で、地域の元気おこしという一面では大きな役割を果たしている。例えば次代を担う子どもたちと市長による座談会を実現させたり、地元産業に息を吹き込むべく、地元産のモノがたりをひも解いてみたり、オリジナルの企画を次から次へとくり出してきた。それなのに「赤字続きだなんて」と思いながら、楽天家の日奈子にしては珍しく、メランコリーな表情でため息をもらすのであった。
 何かないか。どこかにチャンスは落ちていないのか。ハイエナのような瞳で日夜獲物を探し求めていた日奈子が、ひょんなことから目をつけたのがプロレスである。何を隠そう、社員のひとりが地元のおてんば女子大学にある女子プロレスごっこ団体・おてんばプロレスの卒業生だったことが引き金となり、たちまちプロレスの世界にのめり込んでいったのだ。
 紙媒体がダメ。ウェブも厳しい。となると、人間を媒介として、感動や勇気を伝えること、それには女子プロレスがうってつけだと日奈子は直感した。プロレスはプロレスでも、あくまでも女子プロレス“ごっこ”だが、強くてかわいいキャラクターを投入すれば、きっと観客のハートを鷲づかみにできるはずだと確信していたのである。
 日奈子が新たなビジネスの決戦の場として選んだのは、タイの首都・バンコクだった。日奈子の姉の旦那がバンコクでIT事業を展開していた関係から、そのネットワークを活かせるのではないかというコン(勘)ピュータが働いた。
 すべては異国でのこと、マーケティングも兼ねてトライをしてみた旗揚げ戦はいささか向こう見ずなところもあったが、バンコク駐在中のジュリー(おてんばプロレスの出身者だ)という社員兼レスラーを中心に、ニュービジネスの小さな芽が顔を出しつつあった。収益と呼ぶにはほど遠かったが、本業(媒体の編集や広告制作など)のマイナスを補填すべく、ここはプロレスに賭けてみるのもありなのではないかと日奈子は考えていた。
 月が替わったある日のこと、日奈子は銀行の融資担当である山田啓介に会っていた。月が替わればツキも変わるだろうなんて、のんきなことを考えながら、融資をとりつけるために銀行へと乗り込んだのだ。
 原資がないのは、あくまでも一時的な問題。今後は脱・紙媒体を見据えながら、海外でのイベント事業に注力していくつもりであることを、しきりにアピールする日奈子。まさに今、日奈子がどっぷり浸ろうとしているプロレスの実況にたとえると、こんな感じになるだろう。

―――プレジデント日奈子とバンキング啓介による天下分け目の一戦。融資に向けて、並々ならぬ闘志をのぞかせるプレジデント日奈子が、まずは挨拶代わりにチョップを見舞うと、おっと、バンキング啓介もチョップのお返しだ。プレジデント日奈子のキックに、バンキング啓介もキックで応戦する。目には目を、歯には歯を。そんな一進一退の攻防を打ち破るように、プレジデント日奈子がショートレンジでのラリアットをぶち込むと、バンキング啓介がたまらずダウン。すぐさまプレジデント日奈子がフォールの態勢に入るも、バイキング啓介がカウントワンではね返した。
 沸きあがる歓声。負けず嫌いのプレジデント日奈子は、早くも勝負に出た。バンキング啓介をロープに振ると、得意のヒップアタックを三連発。マットに崩れ落ちたバンキング啓介を担ぎあげると、そのままトップロープに背中を打ちつけ、その反動でマットに叩きつけた。バーンという大きな振動。リバウンド式のパワーボムだ。これで勝負あったと思われたが、カウントは「ワン、ツー、ス‥‥」。なんとバンキング啓介がカウント二・五ではね返した。
 悔しさを露わにするプレジデント日奈子だったが、攻めの手を緩めることなく、バンキング啓介にストンピングの嵐をくり出すと、すぐさまテキサスクローバーホールドだ。ここぞというときの決め技でギブアップを狙う。狙う、狙う。一千万円の融資。五百万円でもいいから貸してくれ。会社をギブアップさせるわけにはいかないんだから。
 「んもう、なんとかしてよね」と雄たけびならぬ雌たけびをあげながら、プレジデント日奈子が力を振りしぼっても、バンキング啓介がギブアップすることはなかった。
 お願いだから、ギブアップして。お願い‥‥。

 「お願いです、バンキング啓介さん。なんとかなりませんか」という日奈子に、「はぁ!? バンキングって、なんでしたっけ」と苦笑する啓介。
 「いや、あの、山田さん。‥‥山田啓介さんでしたよね。なんとかならないかなぁなんて思っていまして。今回の融資の件」と答えながら、日奈子は「あはは」と笑ってごまかすのであった。
 結局、融資についてはイベントの中でも「バンコクおてんばプロレス」の事業で、半年以内に一千万円の売上を達成し、脱・紙媒体への一歩を踏み出すこと、それが銀行としての融資の条件だった。一千万円だなんて。「トホホホ」というのが正直な想いだったが、そこは楽天家で、小難しいことは気にしない日奈子のこと。「大丈夫です。勝算はあります」と口にしながら、ムンクの叫びのような心境で引きつり笑いを浮かべた。
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