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灼熱のバンコクでの求愛
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「ねぇ、ジュリー。私なんかは、あばずれな生き方しかできないけど、こんな私でもいいと思うんだったら、ずっとついてきていいのよ。ていうか、ついてきて。私とジュリーは永遠のパートナーよ」。
そんな日奈子社長の言葉に、胸を高鳴らせるジュリー。社長と社員、大人の女性と男の娘(こ)という禁断の恋ではあったが、「もう自分に嘘はつけないの」と日奈子がいい放つと、蠱惑的な笑みを浮かべながら、ジュリーのスカートに手をかけた。
ジュリー、ジュリー‥‥。もう我慢できない。タイ・バンコクでの昼下がりのことであった。三十七度はあろうかというアパートの密室で、女装っ子社員のジュリーが桃色吐息をあげ始めた。
なーんて。おっと、いけない。ブレーキブレーキ。
十八禁ではないので、ここから先は読者の皆さんの想像力にまかせるしかないが、ひょんなことからタイのバンコクでルームシェアを始めることになった経営者の日奈子と、その従業員であるジュリー。日奈子社長のバンコク出張にかこつけて、同棲の真似ごとをしているうちに、ふたりの心に炎がともったことだけは、たしかなようだ(これまでの経緯は小説『バンコクおてんばプロレスの女神たち ~バーニングスピリット・イン・タイ~』を読んでね)。
「ジュリーが女子を自認している以上、私が男子になっても構わない。これはパワハラとかセクハラとか、ましてやエキセントリックとか、そういうんじゃなくて、ジュリーのことを本気で愛している証拠よ」と日奈子がいい切った。四十路をさまよい歩いている日奈子が性別を変えた場合は、あくまでも男子じゃなくて、中年男性になるわけでしょという天の声が聞こえてきそうだが、圧倒的な年齢差はどこ吹く風、「これこそが愛の力よ」といわんばかりの不屈のパワーで、まだ二十代のジュリーのハートを攻め立てるのであった。
男の娘(こ)として結婚するのか、はたまた女子として結婚するのかは、ジュリーにとっても大きな問題だったが、人生の成りゆきに任せるしかないのかななんて、案外のんきなことを思っていた。そのへんはジュリーの両親も覚悟を決めているらしく、大学受験を前にして息子のジュリーがカミングアウトしてからは、「好きなように生きていいんだからね」といってくれるのはありがたかった。
日奈子が経営しているのは、日本の南東北にあるおてんば企画という編集プロダクションだった。地域密着型の企業で、地元の企業や学校などの広報誌づくりのお手伝いをしていたが、その一方でバンコクおてんばプロレスという女子プロレスごっこ団体の運営にも携わっていたのである。“ごっこ”とついているのは、あくまでも選手全員が素人だからだが、エンターテイメントとしてのレベルはそれなりに高いと自負していた。
バンコクおてんばプロレスのチャンピオンに君臨するジュリーをはじめ、プリティーコングsの愛称で大人気のアナちゃんとカラちゃんの姉妹、はるばる日本から参加を続けるジャッキー美央など、お客さんを呼び込めるだけの役者は揃っていたのである。バンコクの夜の街(ナナ)が生んだ猛女・レディーコングSAKIは、日本の女子プロレス界をリードする老舗の団体で修行中であった。SAKI自身、いずれはバンコクへの凱旋も考えているようだが、その以上に日本のことが気に入ってしまい、最低でもあと三年ぐらいはエキゾチックジャパンでの生活を謳歌しでもいいかなと思っている節があった。
日奈子のお姉さん夫婦(姉は日本の大手印刷会社の役員としてバンコクの子会社に勤務し、その旦那はバンコクの中心部でIT会社を経営していた)もバンコク市内にいて、夫婦揃って“女子プロレスラー”に変身することがあった。お姉さんはともかく、旦那にいたっては、ほとんど宴会芸のコスプレに近かった。それこそ急場しのぎの「なんちゃってレスラー」ではあったが、それはそれで人気を博していたから不思議である。
ちなみに日奈子のお姉さんは、バンコクおてんばプロレスのキャラたちをモチーフに、ゲームやグッズの製作・販売を手がける会社の共同代表も務めていた。大手印刷会社の役員との二刀流。日奈子と日奈子のお姉さんによる経営者タッグは、ちょっとハチャメチャではあったが、それなりに的を射ていた。女の勘ピュータとでもいったらいいのか、ふたりとも野性的な勘には長けていたのである。ちなみにグッズの中では、やはりジュリー関連のアイテムが人気ナンバーワンらしい。
そんな状況の中、おてんば企画の編集担当兼販促担当兼女子プロレスラーとしてバンコクでの駐在を続けていたジュリー。社長の日奈子と同棲もどきの生活を強いられたのは、日奈子が宿泊費用をケチって、ジュリーのアパートに転がり込んできたからだが、女らしいジュリーと男っぽい日奈子という組み合わせを考えると、それはそれでバランスがとれていたようだ。
今になって思うと、魔性の女社長・日奈子との同居生活は、三か月にも及んだ。飲んだくれの日奈子が大いびきをかいている空間で、せっせと日奈子の洋服にアイロンをかけてあげていたジュリー。スーパーでの買い出しもジュリーの役目だったし、日奈子の大好物-オムライスやら麻婆豆腐やら-も、ほとんどジュリーが作ってあげていた。著者の自分がいうのも変だが、ジュリー以上の女子はめったにいない。事実とりまきの男どもの間でも、ジュリーは“お嫁さんにしたい女子ナンバーワン”だったのである。
「いつもありがとうね、ジュリー」といい、「だから好きなの」なんて口にしながら、キス攻撃を仕かけてくる日奈子。つい興奮すると、キス魔に変身してしまうところが、日奈子にはあったのである。パワハラならぬキスハラ。キス魔の洗礼を受けて、ジュリーの心はますます女子化していくのであった。
十八歳の秋にカミングアウトしたジュリーは、誰がどう見ても女子にしか見えなかった。本人は何もいわないので、真相のほどはわからないが、ひそかに女性ホルモンを投与しているらしく、最近はめっきり女らしい体つきに変貌を遂げていた。ふっくらとした胸もと。丸みを帯びる肩や腰。少し長めの茶髪からは、女の匂いが充満していた。
バンコクおてんばプロレスのPR用ポスターを制作したとき、メインビジュアルとして浴衣姿のジュリーが起用されたことがあったが、あまりの人気でポスターの盗難が続出。ネットのフリーマーケットでは、あっと驚くような高値で売買されていたことがあった。高校時代にジュリーが着用していたというセーラー服なんかも高値で出品されていたが、これは偽ものだからね。もしフリマやオークションで見かけたときは要注意だよ。
ふだんは日本で社長業をこなしている日奈子だが、バンコクおてんばプロレスを立ちあげてからは、一か月のうち二週間はバンコクに駐在しているジュリーと同じ屋根の下で暮らし、会うたびに女性化していくジュリーを目の当たりにしては、「私も男子にならなければ」と焦りまくっていた。
とはいえ、四十ン年もの長きにわたり、ひとりの女として生きてきた日奈子が、肉体的にも精神的にも性別を変えるのは容易なことではなかった。費用面での負担も大きい。仮にタイのバンコクで手術を受けたとして、ン百万円はかかるはずなのだ。
しかしながら、たとえどのような困難が待ち受けていようとも、自分の思った通りに生き抜くこと、それが日奈子という人間の信条だったのである。走り出したら止まらない、日奈子という名の暴走カー。
「わかったわ。やっぱり私が男子になって、正式にジュリーと結婚する。日本での婚姻が認められないときは、タイで籍を入れちゃえばいいわけだし。名前も日奈子じゃなくて、日奈夫に改名しちゃおうかしら」。
そう公言してやまない日奈子だったが、ちょっと待って。ジュリーはまだ♂なわけだから、日奈子が♂になったところで、♂と♂とじゃ釣り合わない。まずジュリーが♀にならないことには、結婚も何もありゃしないというのが本当のところだったのである。果たして日奈子改め日奈夫のお騒がせ婚願望が実を結ぶのかどうか、すべては暗闇の未来に包まれていた。
そんな日奈子社長の言葉に、胸を高鳴らせるジュリー。社長と社員、大人の女性と男の娘(こ)という禁断の恋ではあったが、「もう自分に嘘はつけないの」と日奈子がいい放つと、蠱惑的な笑みを浮かべながら、ジュリーのスカートに手をかけた。
ジュリー、ジュリー‥‥。もう我慢できない。タイ・バンコクでの昼下がりのことであった。三十七度はあろうかというアパートの密室で、女装っ子社員のジュリーが桃色吐息をあげ始めた。
なーんて。おっと、いけない。ブレーキブレーキ。
十八禁ではないので、ここから先は読者の皆さんの想像力にまかせるしかないが、ひょんなことからタイのバンコクでルームシェアを始めることになった経営者の日奈子と、その従業員であるジュリー。日奈子社長のバンコク出張にかこつけて、同棲の真似ごとをしているうちに、ふたりの心に炎がともったことだけは、たしかなようだ(これまでの経緯は小説『バンコクおてんばプロレスの女神たち ~バーニングスピリット・イン・タイ~』を読んでね)。
「ジュリーが女子を自認している以上、私が男子になっても構わない。これはパワハラとかセクハラとか、ましてやエキセントリックとか、そういうんじゃなくて、ジュリーのことを本気で愛している証拠よ」と日奈子がいい切った。四十路をさまよい歩いている日奈子が性別を変えた場合は、あくまでも男子じゃなくて、中年男性になるわけでしょという天の声が聞こえてきそうだが、圧倒的な年齢差はどこ吹く風、「これこそが愛の力よ」といわんばかりの不屈のパワーで、まだ二十代のジュリーのハートを攻め立てるのであった。
男の娘(こ)として結婚するのか、はたまた女子として結婚するのかは、ジュリーにとっても大きな問題だったが、人生の成りゆきに任せるしかないのかななんて、案外のんきなことを思っていた。そのへんはジュリーの両親も覚悟を決めているらしく、大学受験を前にして息子のジュリーがカミングアウトしてからは、「好きなように生きていいんだからね」といってくれるのはありがたかった。
日奈子が経営しているのは、日本の南東北にあるおてんば企画という編集プロダクションだった。地域密着型の企業で、地元の企業や学校などの広報誌づくりのお手伝いをしていたが、その一方でバンコクおてんばプロレスという女子プロレスごっこ団体の運営にも携わっていたのである。“ごっこ”とついているのは、あくまでも選手全員が素人だからだが、エンターテイメントとしてのレベルはそれなりに高いと自負していた。
バンコクおてんばプロレスのチャンピオンに君臨するジュリーをはじめ、プリティーコングsの愛称で大人気のアナちゃんとカラちゃんの姉妹、はるばる日本から参加を続けるジャッキー美央など、お客さんを呼び込めるだけの役者は揃っていたのである。バンコクの夜の街(ナナ)が生んだ猛女・レディーコングSAKIは、日本の女子プロレス界をリードする老舗の団体で修行中であった。SAKI自身、いずれはバンコクへの凱旋も考えているようだが、その以上に日本のことが気に入ってしまい、最低でもあと三年ぐらいはエキゾチックジャパンでの生活を謳歌しでもいいかなと思っている節があった。
日奈子のお姉さん夫婦(姉は日本の大手印刷会社の役員としてバンコクの子会社に勤務し、その旦那はバンコクの中心部でIT会社を経営していた)もバンコク市内にいて、夫婦揃って“女子プロレスラー”に変身することがあった。お姉さんはともかく、旦那にいたっては、ほとんど宴会芸のコスプレに近かった。それこそ急場しのぎの「なんちゃってレスラー」ではあったが、それはそれで人気を博していたから不思議である。
ちなみに日奈子のお姉さんは、バンコクおてんばプロレスのキャラたちをモチーフに、ゲームやグッズの製作・販売を手がける会社の共同代表も務めていた。大手印刷会社の役員との二刀流。日奈子と日奈子のお姉さんによる経営者タッグは、ちょっとハチャメチャではあったが、それなりに的を射ていた。女の勘ピュータとでもいったらいいのか、ふたりとも野性的な勘には長けていたのである。ちなみにグッズの中では、やはりジュリー関連のアイテムが人気ナンバーワンらしい。
そんな状況の中、おてんば企画の編集担当兼販促担当兼女子プロレスラーとしてバンコクでの駐在を続けていたジュリー。社長の日奈子と同棲もどきの生活を強いられたのは、日奈子が宿泊費用をケチって、ジュリーのアパートに転がり込んできたからだが、女らしいジュリーと男っぽい日奈子という組み合わせを考えると、それはそれでバランスがとれていたようだ。
今になって思うと、魔性の女社長・日奈子との同居生活は、三か月にも及んだ。飲んだくれの日奈子が大いびきをかいている空間で、せっせと日奈子の洋服にアイロンをかけてあげていたジュリー。スーパーでの買い出しもジュリーの役目だったし、日奈子の大好物-オムライスやら麻婆豆腐やら-も、ほとんどジュリーが作ってあげていた。著者の自分がいうのも変だが、ジュリー以上の女子はめったにいない。事実とりまきの男どもの間でも、ジュリーは“お嫁さんにしたい女子ナンバーワン”だったのである。
「いつもありがとうね、ジュリー」といい、「だから好きなの」なんて口にしながら、キス攻撃を仕かけてくる日奈子。つい興奮すると、キス魔に変身してしまうところが、日奈子にはあったのである。パワハラならぬキスハラ。キス魔の洗礼を受けて、ジュリーの心はますます女子化していくのであった。
十八歳の秋にカミングアウトしたジュリーは、誰がどう見ても女子にしか見えなかった。本人は何もいわないので、真相のほどはわからないが、ひそかに女性ホルモンを投与しているらしく、最近はめっきり女らしい体つきに変貌を遂げていた。ふっくらとした胸もと。丸みを帯びる肩や腰。少し長めの茶髪からは、女の匂いが充満していた。
バンコクおてんばプロレスのPR用ポスターを制作したとき、メインビジュアルとして浴衣姿のジュリーが起用されたことがあったが、あまりの人気でポスターの盗難が続出。ネットのフリーマーケットでは、あっと驚くような高値で売買されていたことがあった。高校時代にジュリーが着用していたというセーラー服なんかも高値で出品されていたが、これは偽ものだからね。もしフリマやオークションで見かけたときは要注意だよ。
ふだんは日本で社長業をこなしている日奈子だが、バンコクおてんばプロレスを立ちあげてからは、一か月のうち二週間はバンコクに駐在しているジュリーと同じ屋根の下で暮らし、会うたびに女性化していくジュリーを目の当たりにしては、「私も男子にならなければ」と焦りまくっていた。
とはいえ、四十ン年もの長きにわたり、ひとりの女として生きてきた日奈子が、肉体的にも精神的にも性別を変えるのは容易なことではなかった。費用面での負担も大きい。仮にタイのバンコクで手術を受けたとして、ン百万円はかかるはずなのだ。
しかしながら、たとえどのような困難が待ち受けていようとも、自分の思った通りに生き抜くこと、それが日奈子という人間の信条だったのである。走り出したら止まらない、日奈子という名の暴走カー。
「わかったわ。やっぱり私が男子になって、正式にジュリーと結婚する。日本での婚姻が認められないときは、タイで籍を入れちゃえばいいわけだし。名前も日奈子じゃなくて、日奈夫に改名しちゃおうかしら」。
そう公言してやまない日奈子だったが、ちょっと待って。ジュリーはまだ♂なわけだから、日奈子が♂になったところで、♂と♂とじゃ釣り合わない。まずジュリーが♀にならないことには、結婚も何もありゃしないというのが本当のところだったのである。果たして日奈子改め日奈夫のお騒がせ婚願望が実を結ぶのかどうか、すべては暗闇の未来に包まれていた。
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