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燃えるおてんば魂再び
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木村樹里亜、二十五歳。またの名をジュリーといい、知る人ぞ知る女子プロレスごっこ団体・おてんばプレスでは、“男子で、女子大生で、女子プロレスラー”という衝撃のキャラクターとして一世を風靡した。ジュリーが大学を卒業してから三年半の歳月が流れていた。
男子のジュリーが、なぜ女子大学へ入学できたかというと、当時のおてんば女子大学では、全国に先がけてジェンダーフリーを宣言し、身体的には男子でも、精神的には女子という学生の入学を認めることになったから。ジュリーは、おてんば女子大学史上、初めての“男子の女子大生”だったのである。
おてんばプロレスを創設したのは、ジュリーよりも一学年上の涼子先輩だった。女子大生プロレスのアイコンとでもいうべき涼子先輩のほか、パワーファイターの浅子先輩や、笑いでみんなを幸せにする同学年レスラーのカー子など、個性豊かな女子プロレスラーもどきが顔を揃えていた。チャリティーを目的とした学生プロレス。主たる会場は、浅子先輩のお父さんの経営しているニューおてんば温泉の宴会場だったが、会場はいつも満員で、浅子先輩のお母さん(つまり社長夫人)も、ほくほく顔でジュリーらの団体のことを応援してくれていた。
今になって思えば、温泉と女子プロレスの相乗効果は大当たりだった。地元のファン(特にオッさん連中)にとっては、宴会場で湯あがりの一杯を満喫しながら女子プロレスごっこを観戦できたし、女子プロレスラーもどきの中にジュリーという超かわい子ちゃん(本当は男子だが)がいたのは大きい。ジュリーのファンクラブは、一時五百人近くまでふくれあがったことがある。その八割はオッさんだったが、タレントでもなんでもない地方の女子大生が、これほどまでに多くの人たちのハートをつかんだのは奇跡に近かった。やがておてんばプロレスの存在は、SNSを通じて世界中に発信され、ジェンダーフリーの超絶美女レスラー・ジュリーの人気は、ますますうなぎのぼりになっていったのである。
そんなジュリーも今は一介のサラリーマン(自称OL)として、自らの仕事と格闘を続けていた。有限会社おてんば企画 おてんばだより編集部 編集記者。それがジュリーの肩書だった。有限会社というと、えっ、それって何?と思う読者の皆さんは多いかもしれないが、会社法が変わる二〇〇六年以前に設立された会社形態のひとつである。まぁ、それだけ歴史がある会社ということ。
社長の佐藤日奈子のほか、社員は十二名。そのうち九名は女子社員だったが、もしジュリーのことを女子としてカウントするのであれば、女子社員は十名。それこそ女の園を彷彿とさせるような職場だった。
社長の日奈子自身、おてんば女子大学の卒業生で、ジェンダーフリーには理解があった。そんなトップのはからいもあり、ジュリー自身、見た目的にはどう見てもOLだったが、フィジカル的には男性という摩訶不思議な立ち位置で職務についていた。
入社後は仕事に忙殺されてばかりのジュリーだったが、残暑が厳しい九月のある日のこと、自社媒体の「おてんばだより Vol.50」の記念号で、おてんば市発の闘う女たちを取材することになった。メインの取材先は、おてんばプロレスの後輩たちである。題して「元気印の女性たち」という特集ページ。
「卒業生ということは忘れて、一般市民の目線から取材をお願いね」と指示を出す日奈子社長に、ジュリーはこっくりと頷いた。写真撮影は外注だったが、カメラマンならぬカメラウーマンも、おてんば女子大学の卒業生。こうなったら“おて女”コンビで「後輩たちの魅力を百二十パーセント引き出してみせる」とジュリーは息巻いていた。
ところが――。ところがである。
いざ、ふたを開けてみたら、後輩たちの意気消沈ぶりというか、団体としての衰退ぶりには、ぐうの音も出なかった。「こ、これが、おてんばプロレスの今‥‥」と思ったら、ジュリーは目の前がまっ暗になった。
おてんばプロレスには部室がないため、大学の七十周年記念館にある学食がインタビューの場となった。現在のおてんばプロレスの団員数は三名で、そのうち一名は幽霊団員。実情としてはわずか二名だけで、細ぼそと活動を続けているらしい。その二名というのが、エース格の稲辺容子(本名)と、補佐役のファイヤー松本(本名:松本美恵子)であった。幽霊部員のザ・グレート・サタケ(本名:佐竹真美)は、心の病気で大学そのものを休学しているとかなんとか。この日の取材相手は容子だったが、涼子先輩のファイティングスピリットを継承する容子としては、おてんばプロレスの灯を消さないこと、願わくばもっと強烈な炎として、未来を照らしていくことが目標というが、理想と現実のギャップはあまりにも大きかった。
「オバさん軍団はどうなっているの? 今も応援してくれているんでしょ」というジュリーの問いかけに、容子は顔を曇らせながら答えた。
「浅子先輩たちがプロの仲間入りをしてから、浅子先輩のお母さんが率いるオバさん軍団は自然消滅し、完全に接点がなくなってしまいました。当時のメンバーでは唯一エプロン翼さんだけが、おてんばプロレスのマットにあがってくれていましたが、残念ながらご主人の転勤で今は埼玉へ。イケメンプロレスのふたりも卒業してしまい、今となっては私と美恵子だけが、残存兵みたいな感じでチャリティープロレスを続けている状態なんです。せめて真美ちゃん(ザ・グレート・サタケ)が大学へ戻ってきてくれるとうれしいんだけど、それは無理かな」。
エプロン翼さんは元・市役所の職員で、以前までは主婦とレスラーをかけ持ちしていた。運動神経抜群で、かつてのおてんばプロレスのファンの間では人気の精鋭レスラー。
イケメンプロレスは、ジュリーの高校時代の同級生-青山と中村のふたりである-がつくった他大学の学生プロレス団体だったが、彼らの卒業と同時に団体も解散へ。青山も中村も今は東京の会社で働いているはずだ。
自らをおてんばプロレスの残存兵と語る容子の沈痛な想いを汲みとっているうちに、ジュリーは涙が込みあげてきた。後輩たちにもプロレスの喜びを知ってほしいのに、何もしてあげられないなんて。ジュリーの泣きべそぶりに、ちょっと驚きの表情を浮かべながら、容子が続けた。
「正直、目標を失っているというのが、今のおてんばプロレスかな。大先輩を前に、こんなことをいうのはあまりにもやりきれないんですけど、いつ沈没してもおかしくない‥‥それが今のおてんばプロレスなんです」。
ああ、なんていうことなの。もうやめて。声にこそ出さなかったが、厳しい現実に打ちひしがれて、ジュリーは頭を抱えてしまった。元気の二文字がテーマなのに、まさかこんなしみったれたインタビューになるなんて。おてんば女子大学出身のカメラマンが切るデジカメのシャッター音だけが、誰もいない学食で響き渡った。
容子によると、おてんばプロレスの練習は週に二回。大学のキャンパスの芝生のうえで軽くスパーリングをする程度で、あとは容子と美恵子がそれぞれ自主トレに励んでいる状態だという。かつてはニューおてんば温泉の宴会場を満員にできるほどのパンチ力があったが、今は見る影もなく、二か月に一回、ニューおてんば温泉の駐車場の一廓を借りて、マットレスプロレスを公開するのがやっとだった。しかも試合は一試合(稲辺容子 vs ファイヤー松本)のみで、あとはちびっこを対象としたプロレス教室や、選手との握手会などでお茶を濁していたのである。とにかくケガだけはしない・させないがモットーのおてんばプロレス。辛うじてトレーニングだけは続けていたが、肝心かなめの闘いのドラマは完全に見失われていた。
有限会社おてんば企画発行の「おてんばだより Vol.50」の記念号に、「元気印の女性たち いつでもかかってこい おてんばプロレス」という記事が掲載されたのは、おてんば市街に木枯らしが吹き始めた十一月のことである。おてんばプロレスOGのジュリーとしては、記事を通じて後輩たちに渇を入れたつもりだったが、期待していたような副反応は起きなかった。日奈子社長からは「もう時代じゃないのかしら」なんて苦言を呈される始末。
おてんばプロレスの創始者でもある涼子先輩と、その参謀役の浅子先輩は、今や日本を代表する女子プロレス団体・ジャパンなでしこプロレスで、圧倒的な強さを誇るWエースとして君臨していた。浅子先輩からは、たまに「元気~!?」なんていうメールをもらうことがあったが、ふたりとも今はヨーロッパに遠征しているらしく、連絡は途絶えがちだった。まさに時代の申し子として脚光を浴びている涼子先輩と浅子先輩。温泉として有名なおてんば市の名前を世界に知らしめたという理由から、名誉市民に選ばれる可能性さえ出てきている。
だけど、今はふたりともいないし、おてんばプロレスのことは、地元にいる私がなんとかしなければ、という重圧にジュリーは苛まれていた。
考えぬいた揚げ句、ジュリーがSOSの信号を出したのは、かつてのおてんばプロレスの同期でもあるカー子だった。大学卒業後、カー子は地元の青森県へ帰り、今は青森市内の観光施設で販促やPRの仕事についていた。
「おてんばプロレスの後輩たちが苦しんでいるの。私たちの力でなんとかしない?」というジュリーからのメールに、「年が明けたら、おてんば市へ行く予定があります。いっそのこと、ふたりで謎の覆面レスラーにでも変身して、容子ちゃんたちを刺激しようか」という返信があった。
なるほど、それはおもしろい。カー子と組んで、おてんばプロレス新時代への扉をノックできたら楽しいだろうなぁ。どうせなら元イケメンプロレスの青山や中村にも連絡しちゃおうかしら。なーんて。
その後、カー子の協力はもちろん、浅子先輩のお父さん(ニューおてんば温泉の社長である)の英断もあって、久しぶりにおてんばプロレスのチャリティー興業が、ニューおてんば温泉の宴会場で開催されることになった。あいにく主催者にはなれなかったが、後援者の中に有限会社おてんば企画も名を連ねることになった。大会は一月十日。昔でいう成人式の日である。
現在のおてんばプロレスの長である容子には、謎の覆面レスラーが殴り込みをかけるということしか伝えていなかった。それを若きエースの容子と、補佐役のファイヤー松本が迎え撃つという設定。
もちろん覆面レスラーといっても、裁縫が苦手なジュリーやカー子にとっては、覆面を用意すること自体、至難の業だった。本当はお揃いの覆面やコスチュームで、チーム名もそれなりに整えたかったが、仕事に追われる日々が続き、「私はこういう覆面にするね」とお互いに画像で見せ合うことができたのは、大会前日のことであった。手づくりどころか、見よう見まねの怪覆面(本当に怪しい)。最後は時間がなくて、マスクの一部はセロハンテープで補強してある。ま、こうしてポンコツなところも、おてんばプロレスらしいかななんて、ジュリーは自分にいい聞かせることにしていた。
大会当日。発表されたカードは次の通りだった。
〇ファイヤー松本 vs マスクド・青い森
〇稲辺容子 vs キラー・ザ・ギャル
マスクド・青い森の正体がカー子で、キラー・ザ・ギャルの正体がジュリーであることはいうまでもなかった。キラー・ザ・ギャルのギャルには、ジュリー自身、本物のギャルになりたいという願いが込められていた。青い森は、もちろんカー子の故郷・青森。ジュリーやカー子にとっては、久びさの一日限りの復帰戦である。
「ニューおてんば温泉が、四年ぶりに大炎上。RKクイーンやスーパーアサコを輩出したおてんばプロレスの正規軍が、謎の覆面レスラーを迎える二大決戦。おてんば魂の継承者である稲辺容子、ファイヤー松本のふたりは、大先輩たちを超えられるか」という浅子先輩のお父さんのアナウンスに場内が沸騰した。
Wメインイベントとしてくり広げられたこの日の試合。第一戦目の「ファイヤー松本 vs マスクド・青い森」では、マスクド・青い森が毒霧ならぬりんご色の青霧攻撃を浴びせて、一時は松本をカウント二・九九九まで追い込んだが、スーパーアサコ直伝のファイヤーラリアットの四連発により、最後は松本が大逆転勝利をものにした。技と技、力と力のぶつかり合いに、大歓声が場内を包み込んだ。入団以来初めてのビッグマッチでの勝利に、松本の顔がくしゃくしゃになった。
マスクド・青い森ことカー子は、大学時代、チャップリンのごとく笑いで観客を幸せにするレスラーをめざしていたが、この日ばかりは一切の笑いを封印。シビアな対決で、後輩に愛の鞭を浴びせた。試合後、マスクド・青い森が自ら覆面をはぎとると、場内からは「おおっ」というどよめきが起こった。「カー子」「お帰りー」という声が、あちこちからはじけ飛んだ。
第二戦目の「稲辺容子 vs キラー・ザ・ギャル」は、ほとんどプロの闘いを彷彿とさせるようなハイレベルな試合となった。高校時代、柔道部の主将を務めていたという容子は、矢継ぎ早に柔道殺法をくり出し、キラー・ザ・ギャルを寄せつけなかった。が、闘う女(男?)としての本能が呼び覚まされたのか、やがて経験豊富なキラー・ザ・ギャルが反撃に転じ、起死回生のバックドロップからのパワーボムで食いさがる容子を仕とめた。
「ワン、ツー、スリー」とカウントが入ると、場内は割れんばかりの大歓声に包まれた。観客の大半はジュリーが謎のマスクウーマンとして一日限りのカムバックを果たすことを察知していたらしく、会場の一部で「ジュリー」コールが沸き起こった。
ところが、そのタイミングで事件が勃発した。カー子にならい、ジュリーも覆面をとって正体を明かそうとした瞬間、疾風のごとく新たな謎のレスラーが出現したのだ。黒ずくめのマスクに、黒ずくめのジャージ。顔にも黒のペイントが施してあり、何者かは不明だったが、ものすごい勢いでジュリーや容子を蹴散らすと、何ごともなかったかのように悠々と引き揚げていった。つ、強い。とにかく強すぎ。まるでタイフーンのような衝撃に、会場が静まり返った。
マットでうずくまりながら、ジュリーは一瞬「浅子先輩?」とも思ったが、そんなはずはなかった。誰? まさか涼子先輩。それとも青山とか中村とか‥‥。
一部のファンの間から「ザ・グレート・サタケ」という声が聞こえてきて、ジュリーははっとなった。サタケとは佐竹真美。おてんばプロレスに籍を置きながら、現在、休学中という女子学生の名前だった。
いや、いくらなんでも、それはない。いきなりの襲撃でハイキックを食らった胸を押さえながら、ジュリーがマットに座り込んでいると、「真美ちゃん、真美ちゃんなんでしょ。戻ってきてくれたんだよね、真美‥‥」といい、容子がマイクをつかんでいた。その声は涙声。
「いえ、佐竹真美ことザ・グレート・サタケ。おてんばプロレス第三の女が、このマットに帰ってきた。そう思っていいんだよね。おい、なんとかいえよー、こんちくしょうめ。ザ・グレート・サタケ、カムバ~ック!」。
そう叫ぶと、容子はオーバーアクションで拳をあげながら、おてんばプロレスの象徴でもある手づくりマットの上に倒れ込んだ。その姿を目の当たりにしていたジュリーは、涙にむせびながら「みんなでおてんばプロレスを盛り上げよう」といって、容子の肩を抱き寄せた。浅子先輩のお父さんのはからいか、かつてのジュリーの入場テーマ曲が流れると、場内は一気にヒートアップした。たちまち「ジュリー、ジュリー」の大合唱。その盛り上がりに背中を押されて、カー子や松本もリングインし、ジュリーや容子らとともに四人の円団が組まれた。遅ればせながらジュリーがマスクをはずすと、大きなどよめきが起こった。「大人っぽい」とか「きれい」とか、オッさんたちの黄色い(エロい?)声援。容子や松本に促されるまま、ジュリーがマイクを手にすると、「久しぶりにホームグラウンドへ還ってきました。闘いの炎を絶やさないように後輩たちも頑張っていますので、おてんばプロレスのことをよろしくお願いしま~す!」と叫ぶと、最後はいつものあれ-「えい、えい、おてんば~っ!」-で大会を締めくくった。
今日は謎の覆面レスラー登場のつもりが、いざふたを開けてみたら、完全に正体バレバレのジュリーとカー子。会場からは「完全復帰」という声も聞こえてきたが、ジュリーもカー子も「それはない、ない」といって手を振り返した。ホームグラウンドに戻ってきたという安堵感。ファンの温かい声援。おてんばプロレスのことは、これからも陰で見守りながら、ぜひまた機会があればペンで(記事の執筆を通じて)後輩たちを応援していきたいとジュリーは思っていた。
結局、黒ずくめの女がマットに引き返してくることはなかったが、その正体が真美だとすれば、それほどうれしいことはなかった。容子に聞いた限りでは、真美はその後も大学を休んでいるそうだが、おてんばプロレスの一員としてのスピリットだけは忘れていない。そう思うと、うれしさがこみあげてくる。お願いだから帰ってきて、真美ちゃん。手づくりのマット上で容子の肩を抱き寄せながら、ジュリーは心の中で叫び続けた。
男子のジュリーが、なぜ女子大学へ入学できたかというと、当時のおてんば女子大学では、全国に先がけてジェンダーフリーを宣言し、身体的には男子でも、精神的には女子という学生の入学を認めることになったから。ジュリーは、おてんば女子大学史上、初めての“男子の女子大生”だったのである。
おてんばプロレスを創設したのは、ジュリーよりも一学年上の涼子先輩だった。女子大生プロレスのアイコンとでもいうべき涼子先輩のほか、パワーファイターの浅子先輩や、笑いでみんなを幸せにする同学年レスラーのカー子など、個性豊かな女子プロレスラーもどきが顔を揃えていた。チャリティーを目的とした学生プロレス。主たる会場は、浅子先輩のお父さんの経営しているニューおてんば温泉の宴会場だったが、会場はいつも満員で、浅子先輩のお母さん(つまり社長夫人)も、ほくほく顔でジュリーらの団体のことを応援してくれていた。
今になって思えば、温泉と女子プロレスの相乗効果は大当たりだった。地元のファン(特にオッさん連中)にとっては、宴会場で湯あがりの一杯を満喫しながら女子プロレスごっこを観戦できたし、女子プロレスラーもどきの中にジュリーという超かわい子ちゃん(本当は男子だが)がいたのは大きい。ジュリーのファンクラブは、一時五百人近くまでふくれあがったことがある。その八割はオッさんだったが、タレントでもなんでもない地方の女子大生が、これほどまでに多くの人たちのハートをつかんだのは奇跡に近かった。やがておてんばプロレスの存在は、SNSを通じて世界中に発信され、ジェンダーフリーの超絶美女レスラー・ジュリーの人気は、ますますうなぎのぼりになっていったのである。
そんなジュリーも今は一介のサラリーマン(自称OL)として、自らの仕事と格闘を続けていた。有限会社おてんば企画 おてんばだより編集部 編集記者。それがジュリーの肩書だった。有限会社というと、えっ、それって何?と思う読者の皆さんは多いかもしれないが、会社法が変わる二〇〇六年以前に設立された会社形態のひとつである。まぁ、それだけ歴史がある会社ということ。
社長の佐藤日奈子のほか、社員は十二名。そのうち九名は女子社員だったが、もしジュリーのことを女子としてカウントするのであれば、女子社員は十名。それこそ女の園を彷彿とさせるような職場だった。
社長の日奈子自身、おてんば女子大学の卒業生で、ジェンダーフリーには理解があった。そんなトップのはからいもあり、ジュリー自身、見た目的にはどう見てもOLだったが、フィジカル的には男性という摩訶不思議な立ち位置で職務についていた。
入社後は仕事に忙殺されてばかりのジュリーだったが、残暑が厳しい九月のある日のこと、自社媒体の「おてんばだより Vol.50」の記念号で、おてんば市発の闘う女たちを取材することになった。メインの取材先は、おてんばプロレスの後輩たちである。題して「元気印の女性たち」という特集ページ。
「卒業生ということは忘れて、一般市民の目線から取材をお願いね」と指示を出す日奈子社長に、ジュリーはこっくりと頷いた。写真撮影は外注だったが、カメラマンならぬカメラウーマンも、おてんば女子大学の卒業生。こうなったら“おて女”コンビで「後輩たちの魅力を百二十パーセント引き出してみせる」とジュリーは息巻いていた。
ところが――。ところがである。
いざ、ふたを開けてみたら、後輩たちの意気消沈ぶりというか、団体としての衰退ぶりには、ぐうの音も出なかった。「こ、これが、おてんばプロレスの今‥‥」と思ったら、ジュリーは目の前がまっ暗になった。
おてんばプロレスには部室がないため、大学の七十周年記念館にある学食がインタビューの場となった。現在のおてんばプロレスの団員数は三名で、そのうち一名は幽霊団員。実情としてはわずか二名だけで、細ぼそと活動を続けているらしい。その二名というのが、エース格の稲辺容子(本名)と、補佐役のファイヤー松本(本名:松本美恵子)であった。幽霊部員のザ・グレート・サタケ(本名:佐竹真美)は、心の病気で大学そのものを休学しているとかなんとか。この日の取材相手は容子だったが、涼子先輩のファイティングスピリットを継承する容子としては、おてんばプロレスの灯を消さないこと、願わくばもっと強烈な炎として、未来を照らしていくことが目標というが、理想と現実のギャップはあまりにも大きかった。
「オバさん軍団はどうなっているの? 今も応援してくれているんでしょ」というジュリーの問いかけに、容子は顔を曇らせながら答えた。
「浅子先輩たちがプロの仲間入りをしてから、浅子先輩のお母さんが率いるオバさん軍団は自然消滅し、完全に接点がなくなってしまいました。当時のメンバーでは唯一エプロン翼さんだけが、おてんばプロレスのマットにあがってくれていましたが、残念ながらご主人の転勤で今は埼玉へ。イケメンプロレスのふたりも卒業してしまい、今となっては私と美恵子だけが、残存兵みたいな感じでチャリティープロレスを続けている状態なんです。せめて真美ちゃん(ザ・グレート・サタケ)が大学へ戻ってきてくれるとうれしいんだけど、それは無理かな」。
エプロン翼さんは元・市役所の職員で、以前までは主婦とレスラーをかけ持ちしていた。運動神経抜群で、かつてのおてんばプロレスのファンの間では人気の精鋭レスラー。
イケメンプロレスは、ジュリーの高校時代の同級生-青山と中村のふたりである-がつくった他大学の学生プロレス団体だったが、彼らの卒業と同時に団体も解散へ。青山も中村も今は東京の会社で働いているはずだ。
自らをおてんばプロレスの残存兵と語る容子の沈痛な想いを汲みとっているうちに、ジュリーは涙が込みあげてきた。後輩たちにもプロレスの喜びを知ってほしいのに、何もしてあげられないなんて。ジュリーの泣きべそぶりに、ちょっと驚きの表情を浮かべながら、容子が続けた。
「正直、目標を失っているというのが、今のおてんばプロレスかな。大先輩を前に、こんなことをいうのはあまりにもやりきれないんですけど、いつ沈没してもおかしくない‥‥それが今のおてんばプロレスなんです」。
ああ、なんていうことなの。もうやめて。声にこそ出さなかったが、厳しい現実に打ちひしがれて、ジュリーは頭を抱えてしまった。元気の二文字がテーマなのに、まさかこんなしみったれたインタビューになるなんて。おてんば女子大学出身のカメラマンが切るデジカメのシャッター音だけが、誰もいない学食で響き渡った。
容子によると、おてんばプロレスの練習は週に二回。大学のキャンパスの芝生のうえで軽くスパーリングをする程度で、あとは容子と美恵子がそれぞれ自主トレに励んでいる状態だという。かつてはニューおてんば温泉の宴会場を満員にできるほどのパンチ力があったが、今は見る影もなく、二か月に一回、ニューおてんば温泉の駐車場の一廓を借りて、マットレスプロレスを公開するのがやっとだった。しかも試合は一試合(稲辺容子 vs ファイヤー松本)のみで、あとはちびっこを対象としたプロレス教室や、選手との握手会などでお茶を濁していたのである。とにかくケガだけはしない・させないがモットーのおてんばプロレス。辛うじてトレーニングだけは続けていたが、肝心かなめの闘いのドラマは完全に見失われていた。
有限会社おてんば企画発行の「おてんばだより Vol.50」の記念号に、「元気印の女性たち いつでもかかってこい おてんばプロレス」という記事が掲載されたのは、おてんば市街に木枯らしが吹き始めた十一月のことである。おてんばプロレスOGのジュリーとしては、記事を通じて後輩たちに渇を入れたつもりだったが、期待していたような副反応は起きなかった。日奈子社長からは「もう時代じゃないのかしら」なんて苦言を呈される始末。
おてんばプロレスの創始者でもある涼子先輩と、その参謀役の浅子先輩は、今や日本を代表する女子プロレス団体・ジャパンなでしこプロレスで、圧倒的な強さを誇るWエースとして君臨していた。浅子先輩からは、たまに「元気~!?」なんていうメールをもらうことがあったが、ふたりとも今はヨーロッパに遠征しているらしく、連絡は途絶えがちだった。まさに時代の申し子として脚光を浴びている涼子先輩と浅子先輩。温泉として有名なおてんば市の名前を世界に知らしめたという理由から、名誉市民に選ばれる可能性さえ出てきている。
だけど、今はふたりともいないし、おてんばプロレスのことは、地元にいる私がなんとかしなければ、という重圧にジュリーは苛まれていた。
考えぬいた揚げ句、ジュリーがSOSの信号を出したのは、かつてのおてんばプロレスの同期でもあるカー子だった。大学卒業後、カー子は地元の青森県へ帰り、今は青森市内の観光施設で販促やPRの仕事についていた。
「おてんばプロレスの後輩たちが苦しんでいるの。私たちの力でなんとかしない?」というジュリーからのメールに、「年が明けたら、おてんば市へ行く予定があります。いっそのこと、ふたりで謎の覆面レスラーにでも変身して、容子ちゃんたちを刺激しようか」という返信があった。
なるほど、それはおもしろい。カー子と組んで、おてんばプロレス新時代への扉をノックできたら楽しいだろうなぁ。どうせなら元イケメンプロレスの青山や中村にも連絡しちゃおうかしら。なーんて。
その後、カー子の協力はもちろん、浅子先輩のお父さん(ニューおてんば温泉の社長である)の英断もあって、久しぶりにおてんばプロレスのチャリティー興業が、ニューおてんば温泉の宴会場で開催されることになった。あいにく主催者にはなれなかったが、後援者の中に有限会社おてんば企画も名を連ねることになった。大会は一月十日。昔でいう成人式の日である。
現在のおてんばプロレスの長である容子には、謎の覆面レスラーが殴り込みをかけるということしか伝えていなかった。それを若きエースの容子と、補佐役のファイヤー松本が迎え撃つという設定。
もちろん覆面レスラーといっても、裁縫が苦手なジュリーやカー子にとっては、覆面を用意すること自体、至難の業だった。本当はお揃いの覆面やコスチュームで、チーム名もそれなりに整えたかったが、仕事に追われる日々が続き、「私はこういう覆面にするね」とお互いに画像で見せ合うことができたのは、大会前日のことであった。手づくりどころか、見よう見まねの怪覆面(本当に怪しい)。最後は時間がなくて、マスクの一部はセロハンテープで補強してある。ま、こうしてポンコツなところも、おてんばプロレスらしいかななんて、ジュリーは自分にいい聞かせることにしていた。
大会当日。発表されたカードは次の通りだった。
〇ファイヤー松本 vs マスクド・青い森
〇稲辺容子 vs キラー・ザ・ギャル
マスクド・青い森の正体がカー子で、キラー・ザ・ギャルの正体がジュリーであることはいうまでもなかった。キラー・ザ・ギャルのギャルには、ジュリー自身、本物のギャルになりたいという願いが込められていた。青い森は、もちろんカー子の故郷・青森。ジュリーやカー子にとっては、久びさの一日限りの復帰戦である。
「ニューおてんば温泉が、四年ぶりに大炎上。RKクイーンやスーパーアサコを輩出したおてんばプロレスの正規軍が、謎の覆面レスラーを迎える二大決戦。おてんば魂の継承者である稲辺容子、ファイヤー松本のふたりは、大先輩たちを超えられるか」という浅子先輩のお父さんのアナウンスに場内が沸騰した。
Wメインイベントとしてくり広げられたこの日の試合。第一戦目の「ファイヤー松本 vs マスクド・青い森」では、マスクド・青い森が毒霧ならぬりんご色の青霧攻撃を浴びせて、一時は松本をカウント二・九九九まで追い込んだが、スーパーアサコ直伝のファイヤーラリアットの四連発により、最後は松本が大逆転勝利をものにした。技と技、力と力のぶつかり合いに、大歓声が場内を包み込んだ。入団以来初めてのビッグマッチでの勝利に、松本の顔がくしゃくしゃになった。
マスクド・青い森ことカー子は、大学時代、チャップリンのごとく笑いで観客を幸せにするレスラーをめざしていたが、この日ばかりは一切の笑いを封印。シビアな対決で、後輩に愛の鞭を浴びせた。試合後、マスクド・青い森が自ら覆面をはぎとると、場内からは「おおっ」というどよめきが起こった。「カー子」「お帰りー」という声が、あちこちからはじけ飛んだ。
第二戦目の「稲辺容子 vs キラー・ザ・ギャル」は、ほとんどプロの闘いを彷彿とさせるようなハイレベルな試合となった。高校時代、柔道部の主将を務めていたという容子は、矢継ぎ早に柔道殺法をくり出し、キラー・ザ・ギャルを寄せつけなかった。が、闘う女(男?)としての本能が呼び覚まされたのか、やがて経験豊富なキラー・ザ・ギャルが反撃に転じ、起死回生のバックドロップからのパワーボムで食いさがる容子を仕とめた。
「ワン、ツー、スリー」とカウントが入ると、場内は割れんばかりの大歓声に包まれた。観客の大半はジュリーが謎のマスクウーマンとして一日限りのカムバックを果たすことを察知していたらしく、会場の一部で「ジュリー」コールが沸き起こった。
ところが、そのタイミングで事件が勃発した。カー子にならい、ジュリーも覆面をとって正体を明かそうとした瞬間、疾風のごとく新たな謎のレスラーが出現したのだ。黒ずくめのマスクに、黒ずくめのジャージ。顔にも黒のペイントが施してあり、何者かは不明だったが、ものすごい勢いでジュリーや容子を蹴散らすと、何ごともなかったかのように悠々と引き揚げていった。つ、強い。とにかく強すぎ。まるでタイフーンのような衝撃に、会場が静まり返った。
マットでうずくまりながら、ジュリーは一瞬「浅子先輩?」とも思ったが、そんなはずはなかった。誰? まさか涼子先輩。それとも青山とか中村とか‥‥。
一部のファンの間から「ザ・グレート・サタケ」という声が聞こえてきて、ジュリーははっとなった。サタケとは佐竹真美。おてんばプロレスに籍を置きながら、現在、休学中という女子学生の名前だった。
いや、いくらなんでも、それはない。いきなりの襲撃でハイキックを食らった胸を押さえながら、ジュリーがマットに座り込んでいると、「真美ちゃん、真美ちゃんなんでしょ。戻ってきてくれたんだよね、真美‥‥」といい、容子がマイクをつかんでいた。その声は涙声。
「いえ、佐竹真美ことザ・グレート・サタケ。おてんばプロレス第三の女が、このマットに帰ってきた。そう思っていいんだよね。おい、なんとかいえよー、こんちくしょうめ。ザ・グレート・サタケ、カムバ~ック!」。
そう叫ぶと、容子はオーバーアクションで拳をあげながら、おてんばプロレスの象徴でもある手づくりマットの上に倒れ込んだ。その姿を目の当たりにしていたジュリーは、涙にむせびながら「みんなでおてんばプロレスを盛り上げよう」といって、容子の肩を抱き寄せた。浅子先輩のお父さんのはからいか、かつてのジュリーの入場テーマ曲が流れると、場内は一気にヒートアップした。たちまち「ジュリー、ジュリー」の大合唱。その盛り上がりに背中を押されて、カー子や松本もリングインし、ジュリーや容子らとともに四人の円団が組まれた。遅ればせながらジュリーがマスクをはずすと、大きなどよめきが起こった。「大人っぽい」とか「きれい」とか、オッさんたちの黄色い(エロい?)声援。容子や松本に促されるまま、ジュリーがマイクを手にすると、「久しぶりにホームグラウンドへ還ってきました。闘いの炎を絶やさないように後輩たちも頑張っていますので、おてんばプロレスのことをよろしくお願いしま~す!」と叫ぶと、最後はいつものあれ-「えい、えい、おてんば~っ!」-で大会を締めくくった。
今日は謎の覆面レスラー登場のつもりが、いざふたを開けてみたら、完全に正体バレバレのジュリーとカー子。会場からは「完全復帰」という声も聞こえてきたが、ジュリーもカー子も「それはない、ない」といって手を振り返した。ホームグラウンドに戻ってきたという安堵感。ファンの温かい声援。おてんばプロレスのことは、これからも陰で見守りながら、ぜひまた機会があればペンで(記事の執筆を通じて)後輩たちを応援していきたいとジュリーは思っていた。
結局、黒ずくめの女がマットに引き返してくることはなかったが、その正体が真美だとすれば、それほどうれしいことはなかった。容子に聞いた限りでは、真美はその後も大学を休んでいるそうだが、おてんばプロレスの一員としてのスピリットだけは忘れていない。そう思うと、うれしさがこみあげてくる。お願いだから帰ってきて、真美ちゃん。手づくりのマット上で容子の肩を抱き寄せながら、ジュリーは心の中で叫び続けた。
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