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プロレスは第二の甲子園

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 くそっ、僕のせいで負けた。原因は僕が点をとられたからだろ。野球に明け暮れた高校生活も、これで終わりというわけか。くそくそくそ。自分自身が情けない。仲間に対しては、申し訳ないとしかいいようがない。
 それは夏の高校野球県大会の準決勝でのことであった。十二回までひとりで投げ抜き、絶対的エースとして仲間の信頼を得ていたエースの青山が四死球を連発し、こともあろう押し出しで同点に。最後は四番を打っていた中村のエラーで、サヨナラ負けを喫してしまった。
 カーンという乾いた音を記憶に刻みながら、マウンドに崩れ落ちる青山。やけにざらついた土の感触だけが、青山の触覚を支配した。
 「終わった」というのが率直な想いだった。よく人が亡くなるときに、その人の人生が走馬灯のように頭の中をかけ巡るというが、甲子園を合言葉に、泥まみれになりながら練習に明け暮れた日々の記憶が、青山の頭の中でフラッシュバックを始めた。
 ああ、夢の甲子園。大舞台での活躍に想いを馳せ、ノーシードながら県大会のベストフォーまで勝ち進み、強豪校を相手に延長十二回まで食い下がったが、あと一歩及ばなかった。甲子園命なんていいながら、三年間、苦楽をともにしてきたチームメイトと野球ができるのも、今日で終わりだなんてさ。ごめんよ、みんな。特にチームの要である木村には申し訳ないことをした。
 僕自身が不甲斐ないピッチングを続け、攻撃の主軸である中村が打てないどころか、最後の最後で致命的なエラーをする中、ひとりで気を吐いたのが木村であった。この日の木村は七打数四安打。木村は三番を打っていたが、それに続く四番の中村がタイムリーを放っていれば、きっと試合の流れは大きく変わっていたことだろう。そしてエースの僕が相手打線を抑えてさえいれば――。
 木村の下の名前は樹里亜。チームメイトからはジュリーという愛称で呼ばれているので、この小説の中でもそう呼ぶことにしよう。男臭い野球部にあって、唯一ジュリーだけはフェミニンとでもいおうか、都会からやってきたお嬢さんのような品のよさを放っていた。青山と中村が肉食系なら、ジュリーは完全に草食系だろう。
 ていうか、はっきりいってジュリーにはジェンダーレスな一面があり、野球部を引退してからは、それこそ天地がひっくり返るような一大事件が起きた。あれはたしか進路相談の日だったと思うが、突然ジュリーが「女子大学へ進みます」なんていい出し、クラス中、いや学校中が大騒ぎになったのである。おてんば女子大学というお嬢さん学校が、体は男子でも心は女子の学生を受け入れるという方針を打ち出したタイミングでのことだった。青山は「どうせ冗談に決まっているだろ」とたかをくくっていたが、当のジュリーは本気も本気、これからの人生を♂ではなく、♀として生きようと決心を固めていたのだ。
 「おい、ジュリー。お前まさか本気で女子大学へ入るつもりじゃないだろうな」と慌てふためく青山に対し、「うん、本気」とだけ答えるジュリー。「ほ、本気って、女子大学なんかに行ったんじゃ、もう野球もできないだろ」と青山の感情はボリュームMAXに達した。「あのさ、ちょっと聞きづらいんだけど、あそこはとったりしないんだよな」という青山の問いかけに、ジュリーは謎の笑みを浮かべるだけだった。
 担任との進路相談を機に、ジュリーが男の娘(こ)としてカミングアウトしてからは、休日限定のミニスカート姿のジュリーに告白する奴や、「俺も女子大学へ行きたい」なんてほざきながら、志望校を女子大学へ切り替える輩まで現れたりして、学校中が大混乱に見舞われた。無理もない。ついこの間まで高校球児だったはずのジュリーが、ある日を境に女子高生になってしまったのだから。
 青山らの高校は一応共学だったが、旧制中学時代は男子校として、その名を馳せていた。校風は質実剛健。青山の父親にいわせると、「昔はバンカラが多かったんだけど、最近は男子生徒の女子化が目立つ」とかなんとか、やたら嘆いていたのを覚えているが、まさかまさかまさかまさか、よりによって親友のジュリーが女子高生になってしまうとは――。
 これから先、ジュリーとはどう接したらいいんだろう。そう思うと、青山の頭の中には、いつも悶々とした空気が充満していた。これからも親友でいられるかというと、ちょっと自信がない。男子と女子。いや、少なくとも現状はまだ男子なのだが、ミニスカートを履いて、愛くるしいリップを光らせているジュリーという女子的生き物に、どう接していけばいいのやら。それは中村も同じだったらしく、野球部を引退してからも、ときおり部活に顔を出していた僕たちは、男くさい部室の奥で困惑の顔を浮かべていた。
 「ジュリーのことを考えると、頭がおかしくなりそうだよな」という中村に、青山も頷く以外になかった。ここだけの話、夕べなんかは女子化したジュリーが青山の夢の中に出てきて、「あっ、なんか気持ちいい」と思ったら、いつの間にかトランクスがあれで濡れていた。あれというのはアレのことだ。男子のARE。
 だけど、うーん、まさかな。いくらなんでもと思いながら、しきりに首を振る青山。常識的に考えて、青山がジュリーに恋をするなんていう事態だけは断固避けたかった。ジュリーは男子。あくまでも男子男子。僕と同じAREがついているんだと、青山は自分自身にいい聞かせていた。
 とまぁ、ジュリーのことを書き出したら、それだけで一本(いや、十本はイケる)の小説ができあがってしまうので、とりあえずこのへんでやめておくが、ジュリーという親友のさなぎから蝶への変化はインパクト絶大だったのである。
 さてさて。そんなこんなで、部活引退後はいささか奇天烈な高校生活を体験した青山だったが、高校卒業後、青山は地元のみちのく学院大学へと進学した。幼稚園から一緒の中村も同じ大学だった。ミッション系の学び舎で、学生数は六千人余り。東北では最大クラスの私立大学だ。青山の心のどこかには、こうなったら奨学金を借りまくり、東京六大学にでも行ってまた野球がしたいという想いもあったが、経済的な事情を踏まえて地元の大学へ進むことにしたのだ。
 さすが元・高校球児だけあって、「また何かに挑戦したい」「ふたりで新しいことを始めよう」と思い立ち、青山らが実行に移したこと、それはプロレスであった。ここからが小説『イケメンプロレスの聖者たち』の本題になるわけだが、青山と中村のコンビは、みちのく学院大学という新たなフィールドで、イメメンプロレスなるプロレス研究会を立ち上げたのである。
 思い起こせば青山も中村もプロレス好きで、高校時代、野球部の部室ではよくプロレス談義に花を咲かせたものだ。「おい、昨日のプロレス中継観たか。メインの試合は、すさまじかったよなぁ。まさか上州選手が、ドラゴン波藤選手に食ってかかるなんてさ。あの、ほら‥‥俺はお前のかませ犬じゃないみたいな発言、あれにはしびれたよな」という青山の言葉に、「うんうん」なんていいながら、色めき立つ中村。青山も中村も、ふだんは野球というチームプレーに追われていたが、その一方でプロレスのような一匹狼による闘いにも心を奮わせていたことは事実だった。「野球の次に好きなものは?」と聞かれたら、きっとふたりとも〇・二秒で「プロレス」と即答することだろう。
 青山と中村が立ちあげたイケメンプロレスは、あくまでも未公認の同好会であった。部室や練習場所があるわけではなく、ジプシーのような団体でしかなかったが、いずれは自分たちで大会を開きたいとか、できれば独自のチャンピオンベルトを創設したいとか、そんな夢だけは膨らんでいた。高校時代、甲子園という夢は叶わなかったが、学生プロレスを通して自分らだけの城を築きたいという確固たる想いが、ふたりの間には息づいていたのである。
 自分たちのことをイケメンと呼ぶには、いささか抵抗がないわけではなかったが、心だけはイケメンでいたいという想いに加えて、イケメンのイケには「行け(GO)」という意味があった。あまり関係はないかもしれないが、ふたりとも麺好き(イケメンのメン)という理由も相まって、イケメンプロレスという名前で売り出すことにしたのである。無理やりのトリプルミーニング。
 旗揚げ戦は大学のキャンパス内でともくろんでいたが、あいにく大学側からの承諾が得られなかった。大学の近くの市民センターを借りようかとか、おてんば駅西口の公園を占拠しようかとか、あれこれ模索はしてみたのだが、場所を手当するのは簡単でなかった。いくらプロレスごっことはいえ、危険が伴う以上、黙って会場を提供してくれるような組織は見つからなかったのである。
 というのであれば、まず自分たちの存在を知ってもらうことを第一に考えようと決めたふたりは、イケメンプロレスの文字をあしらったTシャツを着て、児童館やデイサービスを訪問し、手づくりのチャリティーイベントを開催しまくった。レスラーとして暴れまくる機会には恵まれなかったが、子どもたちを相手に指相撲に興じたり、お年寄りの皆さんと一緒にレスラー福笑いなる遊びを楽しんだり、イケメンプロレスらしさを演出しながら、地域との交流を深めていったのである。
 心やさしきお兄さんたち。それが地域の皆さんから見たイケメンのふたりだった。漫画のタイガー〇〇〇にならい、チャリティーで集めたお金を地元の児童養護施設の玄関先にそっと置いてきたこともあったっけ。
 青山と中村の共通点は、どちらも母子家庭で育ったということであった。中村なんかは中学生の頃から家計を助けるべく新聞配達をしていて、新聞少年野球大会の決勝戦では、あっと驚きのサヨナラ満塁ホームランをぶっ放し、最優秀選手賞を獲得したこともあった。その後、中村は野球では名門の私立高校からスカウトを受けたが、公立高校の方が学費が安いという理由だけで、青山やジュリーと同じ高校へ進学した経緯があった。その意味でいうと、青山や中村の気持ちの中には、いつも困っている人たちを助けたいという想いが根づいているのだ。
 やがて――。
 地域福祉という観点では、イケメンプロレスの草の根的な活動が実を結んだらしく、市の広報紙の隅っこに、小さくとりあげられるようになってきた。イケメンのふたりが広報紙で紹介されるときは、大学生ボランティアという扱いが多く、「本当は学生プロレスなんだけどなぁ」と苦笑いするのが常だった。市役所担当の記者から「あんたらイケメンなんだから、歌手をめざすとか漫才をやるとかの方がいいんでねえの?」なんて、けしかけられたこともあったが、それでもどうにか顔と名前が売れるようになり、地元の花菖蒲祭りの日には、花菖蒲が咲き誇る公園で初めてプロレス(あくまでも“ごっこ”ショー)を披露させてもらえた。花菖蒲祭りの実行委員長が大のプロレス好きだった関係から、「おもしろいから、あのふたりを呼んでプロレスをやらせてみよう」ということになったらしい。
 しかしながら、このときは緊張しまくりで、ちょっとした技をかけ間違えたと思ったら、呼吸が合わずに妙な間ができてしまったり、寸止めのつもりが相手のことを本気で叩いてしまったり、必ずしも成功とは呼べなかった。明らかに練習不足。青山らとしては「菖蒲の前で勝負」とばかりに臨んだ大一番だったが、お恥ずかしい話、いわゆる学生プロレスとしての実績は、ただの一度この花菖蒲祭りだけで潰(つい)えてしまったのである。プロレスはエンターテイメントとはよくいったもので、その奥深さには感服せざるを得なかった。
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