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BOP正規軍 vs キングコング軍団
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バンコクおてんばプロレス(略してBOP)の知名度は、まだまだとしかいいようがなかったが、ナナにあるゴーゴーバー出身のサキというタイ人娘が、日本人社長が運営する女子プロレス団体にケンカを売ったという噂は、あっという間にインターネット上を駆け巡った。「かわいい」とか「エロい」という言葉が入り乱れる中、なぜかジュリーのドアップ画像が掲載されているサイトもあった。
あっ、これはまずい。きっと拡散しちゃうだろうなというジュリーの心配はものの見事に的中した。ジュリーの画像はまたたく間にタイ全土に広まり、「この子は誰?」という投げかけに、好き勝手に会話を進めるネット社会。「韓国のアイドルでしょ」「いや、日本の新体操の選手じゃないの」「香港のスターの隠し子だな」etc、みんな好き勝手なことばかりで、もはやあきれ返る以外になかった。
一方のサキはというと、フリーペーパーやらSNSやらの記事を見ている限り、どうやらムエタイ選手に憧れていて、高校時代からジムに通っているらしい。ゴーゴーバーでお金を貯めて、将来は日本の大学でスポーツ力学を学ぶのか夢だとか。ジュリーは「どうなっているのよ」と思いながら、サキに対して「連絡ちょうだい」という内容のメッセージを送ってみたが、うんともすんとも返信はなし。サキとはスマホでしか接点がないため、他に連絡のしようがなかったのである。
ところが街のネットワークというか、水面下での人的なつながりは侮れず、ジュリーのまったく知らないところで、なんと武雄さんがキングコング軍団と通じていたのには驚かされた。「キングコング軍団との全面抗争を画策すべく、日程調整中」という武雄さんのひとことに、ジュリーは「えー、ちょっと待ってよ」と声にならない声をあげた。
「全面抗争って、まさかサキちゃんたちとプロレスをやるわけ?」というジュリーの問いかけに「うん、そういうことになるかな」と武雄さん。「大丈夫。今度はもっとまともな会場を探しているから」だなんて、あのね、会場の問題じゃないでしょ。
カレンダーが五月に替わってすぐの日曜日。バンコクおてんばプロレスとキングコング軍団との因縁試合が開催されることになった。異国でのプロレスデビューを心待ちにしていたジャッキー美央との試合は白紙撤回され、急きょキングコングレディーたちとの遺恨マッチが決定したのである。
会場は、なんとサキが働いているゴーゴーバーのすぐ目の前にある小さな広場だった。武雄さんがゴーゴーバーの経営者にかけ合い、その経営者を通じて市の要人に頼み込んでもらったというが、どこまでが本当の話かわからない。チャラ男で、まゆつば者――それが武雄さんの正体なのだから。
ということで、ナナの中心部。ゴーゴーバーをはじめ、ちょっと怪しげな夜のお店が居並ぶビルのはざ間で、バンコクおてんばプロレス主催のマットプロレスが開催された。本部(といっても、実質的には武雄さんしかいない)の発表によると、この日の試合は
〇フジヤマタケオ vs プリティーコングs
〇ジュリー vs レディーコングSAKI
の二試合限定。武雄さんいわく、とことん考え抜いた結果の黄金カードとかで、大会に先立ち参加選手全員がマットに勢ぞろいすることになった。
フジヤマタケオというのは、何を隠そう(隠さなくてもわかる)武雄さんのことだった。本当であれば、プレジデント日奈子こと日奈子社長が出場するはずだったが、急な商談が入ってしまい、渡航できなくなったため、武雄さんが自らその代役を務めることになったのである。
「やはり僕か。僕が出るしかないしか」とかなんとかいいながら、四十代にして初めてのレスラー挑戦。レスラーに変身すること自体、満ざらでもなかったと見えて、デビューが決まってからは、近所のトレーニングジムに入り浸っていたという噂もある。試合当日は、日本らしさを演出しながらバンコクで一番をめざすという理由で、頭頂部に富士山をモチーフにしたエキセントリックな立体マスクをかぶっての登場となった。
武雄さんがいうには「覆面じゃなくて福面」のつもりのようだが、一体どこが“福”なのか、まるでわけがわからなかった。富士山の立体マスクはハッポースチロールを加工してつくったものらしく、いくらなんでも脆すぎる。せっかくの富士山が、ヘッドバットひとつで 簡単に吹っ飛んじゃうでしょ――とジュリーはあきれ返った。
対するプリティーコングsは、タイの東北部出身という姉妹である。ニックネームはアナとカラで、ふたりとも以前まではサキと同じゴーゴーバーで働いていたという。まるでお人形さんのような動きが愛らしく、以前からのファンなのか、鼻の下を長くした親衛隊気どりの男どもが声援を送っていた。
キングコング軍団の総帥でもあるサキは、レディーコングSAKIというリングネームでの登場となった。ウッホウホウホ、ウッホーホ。それなりに美人でスタイルもいいサキだったが、見るからに華奢でか細いジュリーと並ぶと、圧倒的といってもいいほど、強くたくましく感じられた。バンコクおてんばプロレスの本拠地はバンコクなのだが、ジュリーにとっては完全にアウェイのような雰囲気だった。本日出場の五人のレスラーの中では、サキに対する声援が断トツだったのである。
が、よくよく考えてみると、バンコクおてんばプロレスの立ち位置も微妙だ。「日本の女子プロレスがタイへ初進出」なんて売り出してはいるが、フジヤマタケオにしろジュリーにしろ、どちらも男子じゃないのよ。どこが女子プロレスなの?とジュリー自身、いささか疑問を抱くこともあったが、そこはまぁ初めての海外進出ということで大目に見てほしい。低温サウナの中にでもいるような暑さの中、五人の女子(ていうか、そのうち二名は男子)による旗揚げ戦が始まった。
第一試合の「フジヤマタケオ vs プリティーコングs」は、結論からいうと、わずか一分四十七秒で勝負がついてしまった。あらかじめアナとカラが示し合わせたらしく、ひとりがレフェリーの気持ちを引きつけている隙に、もうひとりがフジヤマタケオの急所を猛攻撃。それを何度かくり返し、フジヤマタケオが悶絶している間に、あっけなくスリーカウントが決まったのだ。
あそこを押さえながら「痛(いて)えだろ」とかなんとか、リング上にうずくまって、わめき散らしているフジヤマタケオこと武雄さんの姿は、ひとりコントでも演じているかのような滑稽さであった。観客の中には、腹をかかえて大笑いしている欧米人男性もいた。
ちなみにこの日、第一試合でレフェリーを務めてくれたのは、サキが働いているゴーゴーバーの経営者である。年齢は四十歳前後。角刈りのイカつい髪型だったが、小太りでパッと見た感じでは、中年女性のような体型だった。鼻の下には、うっすらとしたヒゲが生えている。ニックネームはネームといい(ネームがネームというのもおかしな話だが)、根っからの格闘技好き。プロレスのレフェリングは、どうやら見よう見まねだというが、これがまた様になっているから不思議だった。今日の会場使用にあたって、あれこれ立ちまわってくれた経営者というのは、きっとネーム社長のことだろうとジュリーは直感していた。
自分のあそこを押さえながら、すごすごとリングを離れるフジヤマタケオに向かって、レフェリーのネームが「オーケーマイ(大丈夫かい?)」と声をかけると、フジヤマタケオは力ない声で「おう」と答えるのがやっとだった。あちゃー。一応はバンコクおてんばプロレス所属の選手として出場しているのに、「急所攻撃でノックアウトだなんてイメージダウンでしょ」とジュリーは頭を抱えた。
第二試合の「ジュリー vs レディーコングSAKI」。マネージャー気どりの武雄さんのごり押しにより、ジュリーは日本の女子高生ルックでの登場となった。この日のために、武雄さんが日本から緊急輸入したというコスプレ用のセーラー服。濃紺のセーラーを脱ぎ捨て、ピンクの水着姿になったときは、どこからともなく「タルン(エロい)」という言葉がはじけ飛んだ。この日のお客さんは八割方が男性。そんな男連中の目から発せられる強烈なエッチビームに、ジュリーはたじろいでしまった。
対戦相手のレディーコングSAKIはというと、予想通り「ウッホウホウホ」という奇声を発しながら、これがまたエロチックなコスチュームで現れた。薄手のガウンを脱ぎ捨てると、ハイレグの股間からは、なんとハミ毛が見えている。えっ、これこそ「タルンかも」とジュリーは思ったが、さすがレフェリーはゴーゴーバーの首領(ドン)。ハミ毛には気づいていたようだが、眉ひとつ動かすことなく、試合開始のゴングが打ちならされた。
「ファイト」というネームの言葉を合図に、レディーコングSAKIはいきなりジュリーの急所を狙ってきた。えっ、最初っから急所攻撃だなんて。や、やめて。
そんなジュリーの想いが届くはずはなく、鬼コングによるジュリーへの急所猛攻が続いた。「あーん」といい、悶絶をくり返すジュリー。サキだけでなく、レフェリーのネームまでがタイ語で何かをまくし立てているが、何をいっているのか、まったく意味不明だった。ネームの激しい口調に、「OK」と頷き返すサキ。汗にまみれながらも、ここは自分に任せてといわんばかりの表情だ。
ジュリーは得意のドラゴンスクリューで反撃を試みたが、あそこ(男子のあそこである)が壊れそうで、う、動きがとれない。キングコング軍団の作戦なのか、あるいは急所攻撃も技のひとつと思っているのか、レディーコングSAKIの一発一発がジュリーの脳天に響いた。
「ジュリー、気をつけろ。ジュリーが負けたら、ジュリーを女にして、ゴーゴーバーで働かせるといっているぞ」と教えてくれたのは、マットの傍らで試合を見守っていた武雄さんである。「ジュリーが、あまりにもかわいいもんだから、店の客寄せパンダにしようとしているんだ。性転換手術なんてタイでは当たり前だからな。ジュリー、気をつけろ」。
「えっ、なんなの‥‥」というジュリーの声をさえぎるかのように、レフェリーのネームはいきなりマイクをつかむと、「突然ですが、この試合で負けた方が相手の要求をのむという特別ルールに変更です。ジュリーが負けたときは、ただちに性転換手術を受けて、当社のゴーゴーバーで働いてもらいます」と叫んだ。あまりにも一方的で身勝手な宣言に、まるで雪崩のような大歓声が沸きた。すべてがタイ語で早口のため、何をいっているのかはわからずじまいだったが、事前に武雄さんが教えてくれたおかげで、ことの重大さだけは察知できた。ゴーゴーバーの常連客はもちろん、ナナに足を運んでくれている世界中のドスケベな男どもを味方につけたネームは、得意満面で手を振っている。
「BTSのナナ駅から歩いて五分。ゴーゴーバーで心のすき間を埋めたい方は、ぜひ当店へ」とPRすると、ネームは何食わぬ顔で疑惑のレフェリングを続けた。ジュリーは「なんで反則をとらないのよ。これって反則負けでしょ」とゼスチャーまじりで猛アピールをくり返したが、悪玉レフェリーのネームにとっては、どこ吹く風でしかなかったのである。
ワン、ツー、スリー。最後はジュリーのあそこへ急転直下のヘッドバッドを浴びせたレディーコングSAKIが、レスラーとしては大先輩のジュリーから、あっけなくスリーカウントを奪った。怒涛の大歓声。もしかしたら女性化したジュリーのことを誘い出せるかもしれない、あわよくば抱けるかもしれないという男どものエッチ魂が、とてつもなく大きなエネルギーとなってナナの街を覆いつくした。
「八分三十三秒、レディーコングSAKI選手のフォール勝ち。これによりジュリー選手のゴーゴーバーデビューが決まりました」というアナウンスに狂喜乱舞する観客たち。「は、反則でしょ」と思いながら、ジュリーは半ば気を失っていた。ああ、ダメかも。まさかこんな大衆の面前で、ゴーゴーバーデビューを宣告されるなんて。
それに――。性転換だなんて、なんで私がそんな目に遭わなければならないのよ。ジュリーはマットで大の字になりながら、薄れゆく意識の中で自問自答を続けるのであった。
あっ、これはまずい。きっと拡散しちゃうだろうなというジュリーの心配はものの見事に的中した。ジュリーの画像はまたたく間にタイ全土に広まり、「この子は誰?」という投げかけに、好き勝手に会話を進めるネット社会。「韓国のアイドルでしょ」「いや、日本の新体操の選手じゃないの」「香港のスターの隠し子だな」etc、みんな好き勝手なことばかりで、もはやあきれ返る以外になかった。
一方のサキはというと、フリーペーパーやらSNSやらの記事を見ている限り、どうやらムエタイ選手に憧れていて、高校時代からジムに通っているらしい。ゴーゴーバーでお金を貯めて、将来は日本の大学でスポーツ力学を学ぶのか夢だとか。ジュリーは「どうなっているのよ」と思いながら、サキに対して「連絡ちょうだい」という内容のメッセージを送ってみたが、うんともすんとも返信はなし。サキとはスマホでしか接点がないため、他に連絡のしようがなかったのである。
ところが街のネットワークというか、水面下での人的なつながりは侮れず、ジュリーのまったく知らないところで、なんと武雄さんがキングコング軍団と通じていたのには驚かされた。「キングコング軍団との全面抗争を画策すべく、日程調整中」という武雄さんのひとことに、ジュリーは「えー、ちょっと待ってよ」と声にならない声をあげた。
「全面抗争って、まさかサキちゃんたちとプロレスをやるわけ?」というジュリーの問いかけに「うん、そういうことになるかな」と武雄さん。「大丈夫。今度はもっとまともな会場を探しているから」だなんて、あのね、会場の問題じゃないでしょ。
カレンダーが五月に替わってすぐの日曜日。バンコクおてんばプロレスとキングコング軍団との因縁試合が開催されることになった。異国でのプロレスデビューを心待ちにしていたジャッキー美央との試合は白紙撤回され、急きょキングコングレディーたちとの遺恨マッチが決定したのである。
会場は、なんとサキが働いているゴーゴーバーのすぐ目の前にある小さな広場だった。武雄さんがゴーゴーバーの経営者にかけ合い、その経営者を通じて市の要人に頼み込んでもらったというが、どこまでが本当の話かわからない。チャラ男で、まゆつば者――それが武雄さんの正体なのだから。
ということで、ナナの中心部。ゴーゴーバーをはじめ、ちょっと怪しげな夜のお店が居並ぶビルのはざ間で、バンコクおてんばプロレス主催のマットプロレスが開催された。本部(といっても、実質的には武雄さんしかいない)の発表によると、この日の試合は
〇フジヤマタケオ vs プリティーコングs
〇ジュリー vs レディーコングSAKI
の二試合限定。武雄さんいわく、とことん考え抜いた結果の黄金カードとかで、大会に先立ち参加選手全員がマットに勢ぞろいすることになった。
フジヤマタケオというのは、何を隠そう(隠さなくてもわかる)武雄さんのことだった。本当であれば、プレジデント日奈子こと日奈子社長が出場するはずだったが、急な商談が入ってしまい、渡航できなくなったため、武雄さんが自らその代役を務めることになったのである。
「やはり僕か。僕が出るしかないしか」とかなんとかいいながら、四十代にして初めてのレスラー挑戦。レスラーに変身すること自体、満ざらでもなかったと見えて、デビューが決まってからは、近所のトレーニングジムに入り浸っていたという噂もある。試合当日は、日本らしさを演出しながらバンコクで一番をめざすという理由で、頭頂部に富士山をモチーフにしたエキセントリックな立体マスクをかぶっての登場となった。
武雄さんがいうには「覆面じゃなくて福面」のつもりのようだが、一体どこが“福”なのか、まるでわけがわからなかった。富士山の立体マスクはハッポースチロールを加工してつくったものらしく、いくらなんでも脆すぎる。せっかくの富士山が、ヘッドバットひとつで 簡単に吹っ飛んじゃうでしょ――とジュリーはあきれ返った。
対するプリティーコングsは、タイの東北部出身という姉妹である。ニックネームはアナとカラで、ふたりとも以前まではサキと同じゴーゴーバーで働いていたという。まるでお人形さんのような動きが愛らしく、以前からのファンなのか、鼻の下を長くした親衛隊気どりの男どもが声援を送っていた。
キングコング軍団の総帥でもあるサキは、レディーコングSAKIというリングネームでの登場となった。ウッホウホウホ、ウッホーホ。それなりに美人でスタイルもいいサキだったが、見るからに華奢でか細いジュリーと並ぶと、圧倒的といってもいいほど、強くたくましく感じられた。バンコクおてんばプロレスの本拠地はバンコクなのだが、ジュリーにとっては完全にアウェイのような雰囲気だった。本日出場の五人のレスラーの中では、サキに対する声援が断トツだったのである。
が、よくよく考えてみると、バンコクおてんばプロレスの立ち位置も微妙だ。「日本の女子プロレスがタイへ初進出」なんて売り出してはいるが、フジヤマタケオにしろジュリーにしろ、どちらも男子じゃないのよ。どこが女子プロレスなの?とジュリー自身、いささか疑問を抱くこともあったが、そこはまぁ初めての海外進出ということで大目に見てほしい。低温サウナの中にでもいるような暑さの中、五人の女子(ていうか、そのうち二名は男子)による旗揚げ戦が始まった。
第一試合の「フジヤマタケオ vs プリティーコングs」は、結論からいうと、わずか一分四十七秒で勝負がついてしまった。あらかじめアナとカラが示し合わせたらしく、ひとりがレフェリーの気持ちを引きつけている隙に、もうひとりがフジヤマタケオの急所を猛攻撃。それを何度かくり返し、フジヤマタケオが悶絶している間に、あっけなくスリーカウントが決まったのだ。
あそこを押さえながら「痛(いて)えだろ」とかなんとか、リング上にうずくまって、わめき散らしているフジヤマタケオこと武雄さんの姿は、ひとりコントでも演じているかのような滑稽さであった。観客の中には、腹をかかえて大笑いしている欧米人男性もいた。
ちなみにこの日、第一試合でレフェリーを務めてくれたのは、サキが働いているゴーゴーバーの経営者である。年齢は四十歳前後。角刈りのイカつい髪型だったが、小太りでパッと見た感じでは、中年女性のような体型だった。鼻の下には、うっすらとしたヒゲが生えている。ニックネームはネームといい(ネームがネームというのもおかしな話だが)、根っからの格闘技好き。プロレスのレフェリングは、どうやら見よう見まねだというが、これがまた様になっているから不思議だった。今日の会場使用にあたって、あれこれ立ちまわってくれた経営者というのは、きっとネーム社長のことだろうとジュリーは直感していた。
自分のあそこを押さえながら、すごすごとリングを離れるフジヤマタケオに向かって、レフェリーのネームが「オーケーマイ(大丈夫かい?)」と声をかけると、フジヤマタケオは力ない声で「おう」と答えるのがやっとだった。あちゃー。一応はバンコクおてんばプロレス所属の選手として出場しているのに、「急所攻撃でノックアウトだなんてイメージダウンでしょ」とジュリーは頭を抱えた。
第二試合の「ジュリー vs レディーコングSAKI」。マネージャー気どりの武雄さんのごり押しにより、ジュリーは日本の女子高生ルックでの登場となった。この日のために、武雄さんが日本から緊急輸入したというコスプレ用のセーラー服。濃紺のセーラーを脱ぎ捨て、ピンクの水着姿になったときは、どこからともなく「タルン(エロい)」という言葉がはじけ飛んだ。この日のお客さんは八割方が男性。そんな男連中の目から発せられる強烈なエッチビームに、ジュリーはたじろいでしまった。
対戦相手のレディーコングSAKIはというと、予想通り「ウッホウホウホ」という奇声を発しながら、これがまたエロチックなコスチュームで現れた。薄手のガウンを脱ぎ捨てると、ハイレグの股間からは、なんとハミ毛が見えている。えっ、これこそ「タルンかも」とジュリーは思ったが、さすがレフェリーはゴーゴーバーの首領(ドン)。ハミ毛には気づいていたようだが、眉ひとつ動かすことなく、試合開始のゴングが打ちならされた。
「ファイト」というネームの言葉を合図に、レディーコングSAKIはいきなりジュリーの急所を狙ってきた。えっ、最初っから急所攻撃だなんて。や、やめて。
そんなジュリーの想いが届くはずはなく、鬼コングによるジュリーへの急所猛攻が続いた。「あーん」といい、悶絶をくり返すジュリー。サキだけでなく、レフェリーのネームまでがタイ語で何かをまくし立てているが、何をいっているのか、まったく意味不明だった。ネームの激しい口調に、「OK」と頷き返すサキ。汗にまみれながらも、ここは自分に任せてといわんばかりの表情だ。
ジュリーは得意のドラゴンスクリューで反撃を試みたが、あそこ(男子のあそこである)が壊れそうで、う、動きがとれない。キングコング軍団の作戦なのか、あるいは急所攻撃も技のひとつと思っているのか、レディーコングSAKIの一発一発がジュリーの脳天に響いた。
「ジュリー、気をつけろ。ジュリーが負けたら、ジュリーを女にして、ゴーゴーバーで働かせるといっているぞ」と教えてくれたのは、マットの傍らで試合を見守っていた武雄さんである。「ジュリーが、あまりにもかわいいもんだから、店の客寄せパンダにしようとしているんだ。性転換手術なんてタイでは当たり前だからな。ジュリー、気をつけろ」。
「えっ、なんなの‥‥」というジュリーの声をさえぎるかのように、レフェリーのネームはいきなりマイクをつかむと、「突然ですが、この試合で負けた方が相手の要求をのむという特別ルールに変更です。ジュリーが負けたときは、ただちに性転換手術を受けて、当社のゴーゴーバーで働いてもらいます」と叫んだ。あまりにも一方的で身勝手な宣言に、まるで雪崩のような大歓声が沸きた。すべてがタイ語で早口のため、何をいっているのかはわからずじまいだったが、事前に武雄さんが教えてくれたおかげで、ことの重大さだけは察知できた。ゴーゴーバーの常連客はもちろん、ナナに足を運んでくれている世界中のドスケベな男どもを味方につけたネームは、得意満面で手を振っている。
「BTSのナナ駅から歩いて五分。ゴーゴーバーで心のすき間を埋めたい方は、ぜひ当店へ」とPRすると、ネームは何食わぬ顔で疑惑のレフェリングを続けた。ジュリーは「なんで反則をとらないのよ。これって反則負けでしょ」とゼスチャーまじりで猛アピールをくり返したが、悪玉レフェリーのネームにとっては、どこ吹く風でしかなかったのである。
ワン、ツー、スリー。最後はジュリーのあそこへ急転直下のヘッドバッドを浴びせたレディーコングSAKIが、レスラーとしては大先輩のジュリーから、あっけなくスリーカウントを奪った。怒涛の大歓声。もしかしたら女性化したジュリーのことを誘い出せるかもしれない、あわよくば抱けるかもしれないという男どものエッチ魂が、とてつもなく大きなエネルギーとなってナナの街を覆いつくした。
「八分三十三秒、レディーコングSAKI選手のフォール勝ち。これによりジュリー選手のゴーゴーバーデビューが決まりました」というアナウンスに狂喜乱舞する観客たち。「は、反則でしょ」と思いながら、ジュリーは半ば気を失っていた。ああ、ダメかも。まさかこんな大衆の面前で、ゴーゴーバーデビューを宣告されるなんて。
それに――。性転換だなんて、なんで私がそんな目に遭わなければならないのよ。ジュリーはマットで大の字になりながら、薄れゆく意識の中で自問自答を続けるのであった。
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