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一.雪豹のいる山脈

神の導きとかそういうやつ

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「信じるのか、あの少年の話を?」

 せたカーキ色のローブをすっぽりと被った小柄なミケランジェロ・オーロは、道中不機嫌に聞いた。
 その頭にはフクロウ型のステルス機能を持つ自律思考型機械マシン、ネブラがとまっている。
 灰褐色はいかっしょくの羽根を持つネブラはキョトンとした表情で首をくるくると回して辺りを見回していた。

「第一、雪豹ゆきひょう乱獲らんかくによって終末以前からすでに絶滅危惧種指定だったんだ。本当にこの時代に存在すると思っているのか。騙されている可能性だってあるだろう」

「まあ可能性としてはね」

「エマ、本来の目的を忘れていないよな」

「わかってるけどさ、人生には楽しみもだいじなわけで」

「罠かもしれないだろう。あり得るか、こんな切りだった山脈でまれにしか出会わない人間に偶然会うなんて。家族が捕まったのだって作り話かもしれないだろう。おまえは――」

「わかってるって」

「わかってないから言っているんだ」

「わかってるって。心配してくれてるんだろう。ありがとう、ミケ」

 屈託ない笑顔を向けられ、ミケランジェロは思わず続けるはずだった小言を呑みこむ。

「だけどさ、守りに入ってばっかりで大切なものを見落としていたなんて結果は望んでないんだ」

「はーあ。ホント仕方ないやつだな。だけど子どもだからと言って気を許すなよ」

「あのさ」

 エマとミケランジェロの前を行くオレグはくるりと振り向いた。

「全部、聞こえてるんだけど」

「そうか。わざとだ」

 ミケランジェロはふてぶてしく答える。
 オレグはむっとして怒鳴った。

「俺はだましてない!」

「どうだかね。大体嘘をついている人間が正直に白状するわけないしな」

「でも、だましていない! 本当に母さんと妹のアセルは機械に捕まったんだ。それに――」

 オレグはキッとミケランジェロをにらみ、指差した。

「怪しさで言ったら、俺よりお前らのほうがずっと怪しいだろ! 特に小さいおまえ。なんだよ、こんな山道でそんな長いローブ引きずって、顔も見えないし!」

「それこそ、おまえには関係ないだろ」

「なんだと!」

 ミケランジェロに向かってオレグは飛びかかった。
 ネブラは慌てて羽ばたくと、エマの肩に乗る。

「こいつ!」

 ローブを無理やりはごうとして、オレグとミケランジェロはもみ合う。
 小柄とは言え、ミケランジェロのほうがオレグよりも背は高く、力もあった。
 だがオレグはすばしこくミケランジェロはなかなか苦戦している。
 エマはというと、はやし立てながら高みの見物だ。
 オレグはミケランジェロの頭部のローブを引き、その顔を見てやろうとする。
 だがその手は途中で止まった。

「おっ、おまえ! 女だったのか……!」

 赤らむオレグの腹をミケランジェロは蹴る。

「うわっ! うわあああっ!」

「おっと」

 バランスを崩したオレグはよたよたと退き、背後の崖から落ちそうになる。
 それを危機一髪エマが手を引いて助けた。
 オレグは四つん這いになり地面が手の下にあることを確かめる。
 そこに影が重なった。

「女じゃねーよ」

「あっ、あっぶねーじゃねーか!」

「まあまあ、ふたりとも落ち着いて。あんまり騒ぐと機械に見つかるかもしれないし」

 これ以上は収集がつかなくなりそうで、エマはやむなく仲裁に入る。

「それよりさ、オレグ。どういう経緯でこんな山のなかで暮らしていたのか、詳しく教えてくれないかな? もとからここに住んでいたわけじゃないよね。詳細がわかればわたしたちの疑いも晴れるかもしれないし、機械から家族を救う助けにもなるかもしれないしね」

「本当に? 助けになるの?」

 そう言ってエマを見上げるオレグは不安げだった。
 虚勢を張っているが、本当は年相応に心細いのかもしれない。

「うん。そうだね」

「わかった。……大した話じゃないけど」

 オレグはぽつりぽつりと語り始めた。

 その内容をい摘むとこういうことだった。
 もとはここよりずっと東の元都市の地下遺跡で暮らしていたが、そのコミュニティは常から困窮していて、折り悪く父親が病気となり働き手を失ったと同時に、感染病の疑いをかけられ体よくコミュニティを追い出される。
 行く宛もなかったが、以前、父親が旅人から西の果てには楽園行きの船が出ていると聞いていたことがあったため、西を目指し旅を始める。
 だが、この山脈まで来た頃には父親の体力は底をつき、歩くこともままならなくなる。
 仕方なくここで暮らし始めたが、冬が来て、父親の病状は悪化しそのまま亡くなってしまった。

 エマは頭に霧がかかるのを感じていた。オレグの境遇は、エマの記憶を揺さぶる。

 耳の奥で子どもの声が響いた。

『苦しいよお』

 小さいてのひらを柔らかく握りしめる別の人影があった。病気になったエマを看病しているのだ。

 優しくそれは言い含める。

『大丈夫です。きっとすぐに良くなりますから』



 場面は変わり、辺りに火花が散っていた。炎が燃え盛っている。

『……を探し――……』




「父さんは――」

 オレグの声にエマははっと意識を取り戻す。

「俺に母さんと妹をよろしくなって言ったんだ。俺に頼むって」

 泣くのを我慢するあまりオレグの肩は震えていた。
 エマはその肩にそっと手をのせる。

「悪かったよ。思い出させて」

 オレグは勢いよく首を横に振った。

「俺、守れなかったんだ。約束したのに。俺っ!」

「感傷的になるな、オレグ」

 冷たく言い放たれた言葉に、オレグはミケランジェロをキッと睨みつける。

「泣いている暇なんてないだろう。それに、まだ守れなかったと決まったわけじゃない」

 一瞬キョトンとしたオレグは目もとを拭い、思わず笑った。

「へへ。あんたに慰められるとは思わなかったよ」

 意外な言葉にミケランジェロは黙ってしまう。
 そして、少ししてからふてくされたように呟いた。

「慰めたわけじゃない。事実を言ったまでだ」





 オレグたち家族は偶然見つけた洞穴を仮住まいとしていたという。
 その洞穴は、川の流れる岩場のすぐ横の岸壁がそびえる場所にぽっかりと口を開けていた。
 蔦や木の根が入り口を覆い、一見してそれとはわからなくなっている。

 洞穴を見つけ、オレグは駆けだそうとする。
 だがそれをエマは咄嗟とっさに引き止め、適当な岩場の影に身を寄せた。

「物音がする」

 しばらくすると、セイレーノス二型が洞穴から出てくる。
 オレグが目撃した二体のうちの残り一体だろう。
 十分にその姿が小さくなってから、エマはオレグを離した。
 オレグは弾けるように駆けだす。

「荒らされてる……!」

 洞穴のなかはわかりやすく引っくり返されていた。
 枯れ草と端切れの布でできた寝床は蹴散らされ、少ない荷物は洞穴内を転がり、焚き火のあとは踏みつけられている。

「オレグを探していたのか?」

「見せしめかもな。探しているというメッセージだ」

 オレグはそんな意図を気にしたようすもなく、奥の壁際にあった頭部ほどもある石をどけると、その下を一心不乱に掘りだした。
 最初は手で掘ろうとしたが土は堅く、近くにあった尖った石を使う。

「よかった! 盗られてなかった!」

 間もなく土のなかからそれは姿を現す。
 古い時計のようなものだった。
 文字を映すはずの小さな黒いディスプレイにはひびが入り、沈黙して動く気配はない。

「どうしたの、それ?」

 エマが聞くと、オレグは顔を輝かせて答えた。

「機械だから本当は持ってちゃいけないんだけど、壊れてちっとも動かないし、きっと部品だけでも金になるから、楽園行きの船に乗るときの足しにしようって、父さんが大切に持ってたんだ」

 形見であり、父の遺志でもあるそれについた土を嬉しそうにオレグは払う。

 だが、不意にその手は止まった。

「あれ?」

 オレグは息を呑んだ。
 ディスプレイが光っている。

 ディスプレイにはかすれた文字が表示される。
 緑色の文字で、三度――。


『エマ』

『……賢者…………』

『………探せ』


 思わずエマはオレグからそれを奪っていた。

「び、びっくりしたあ。動いたよ。なんだったんだろう、いまの」

 文字を読めなかったオレグは呑気に驚く。

 黒い沈黙を映すディスプレイを凝視し、エマの目前は真っ赤に染まっていった。

 ぱちぱちと火花が散る音がする。

 炎のなかで揺らぐように手が持ち上がる。

『エマ…………探し――………』



「どこで」

 きつくエマはオレグを睨みつける。

「これをどこで手に入れた?」

 鬼気迫るエマのようすにオレグはたじろぐ。

「えっ? どうしたのさ、エマ」

 エマはオレグの胸ぐらを掴む。

「いいから答えて!」

「ご、ごめんっ。俺、知らない。もともと父さんの持ち物で。もしかしたら、母さんなら知ってるかもしれないけど」

「ミケ!」

「追跡は不可能だ。そもそも通信経路が特定できない。その端末はもとは通信機能を持ち合わせていたんだろうが、本当に壊れている。動くはずがないものだ」

 ぱっとオレグから手を離すとエマは低く頷いた。

「そう……」

 天井を見上げ深呼吸をする。

「いいわ。わかった。いわゆるこれが神の導きってやつね。助けてやろうじゃん」

 オレグを見つめると、エマはニヤリと笑った。
 その表情を見たミケランジェロは同情してオレグの肩を叩く。 

「オレグ。もちろん覚悟はあるわよね?」
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