パラダイス・オブ・メランコリック

杙式

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六 十和の講釈

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 もがいていたけいは水柱のなかで意識を失ったようだった。
 確実に殺すにはあと二分間は閉じこめておいたほうがいいだろうとグロリアは考える。
 ふと気配を感じてグロリアは入り口に視線をやる。

 いつの間にそこにいたのだろう。
 白い少女ががまるで闇のなかで浮き上がるようにしてたたずんでいた。

 グロリアは場違いなその姿に幽霊でも見た気分になって息を呑む。

 白いワンピースを着て白いリボンをして白いクマのぬいぐるみを抱きしめている。
 そして、黙ったままグロリアを指差していた。

「なによ、あなた」

 ――グルルルルッ。

 今度は窓の方から犬の唸り声が聞こえてきて、グロリアは振り向く。
 ガラスのない窓の前で、逆光で影を背負ったシベリアンハスキーが水色の目を敵意で光らせていた。

 グロリアは最初それを訓練された麻薬探知犬だと考えた。
 アイテールであるわけがないのだ。
 アイテールだとしたら触媒カタリストが接触していなければならない。

「おとなしく、そのアイテールを解いて、捕まってくれないかな?」

 今度は入り口からラフな格好をした男が姿を現す。
 街をふらふらとほっつき歩いていそうなその男には見覚えがあった。
 客に薬物を売りつけようとしたときに、乗りこんできた違法薬物取締官だ。
 子どものようにも大人のようにも見える童顔の青年だ。

 無意識のうちに喉を鳴らして唾を呑みこんでいた。
 なにか異様だった。
 目の前の青年はまったく強そうには見えない。
 だが、言い表せない違和感がある。危機感が募る。

 グロリアは、慧を閉じこめていた水柱を解く。
 意識を失った慧は床に投げだされ、小さくむせる。
 慧は死んではいなかったが、ダメージは大きくすぐに起き上がれる状態ではないようだ。
 捨て置いても問題ないと判断し、グロリアは意識を男に集中する。
 グロリアの足もとの水溜りからずるずるとなにかが這いでて来る。
 それは、巨大な蛇の姿をしていた。

「行きなさい!」

 グロリアが水蛇に命じる。
 直感が騒いでいた。
 全力で撤退すべきだと。
 それには入り口を塞ぐその青年――十和とわが邪魔だった。
 蛇の牙が十和に剥く。

「……きっと思いこむんだよね」

 蛇が十和に噛みつくよりも一瞬早く、蛇の頸部にダブルが歯を立てる。蛇は十和のすぐ横の壁に激突する。
 蛇はダブルを払い落とそうと身体をうねらす。

「ぐっ! そいつ、アイテールなの! だけど、アイテールは……!」

 十和は苦しげなグロリアの言葉に微笑みを向けた。

「アイテールは触媒カタリストに触れていなければ消える性質があるっていうのも――」

 水蛇の頸部に噛みついたダブルの口もとから火が噴きだす。
 ダブルは炎の塊のようにその身体を変質させた。
 水蛇の身体が蒸気を立てながら蒸発していく。

「あああああっ!」

 水蛇のアイテールが負ったダメージと同等の苦痛がグロリアに流れこむ。
 まるで首筋から炎が注入されるようだ。

「アイテールがひとつの形を取ったほうが、より強くなるっていうのも」

 炎の塊と化していたダブルは、頭部の消えかけた蛇の暴れる身体を足で押さえこむ。
 つぎの瞬間、ダブルに押さえこまれた場所から蛇は白く変色していく。
 凍りついていっているのだ。

「痛い! 痛い痛いイタイイタイイタイいやああ! な、に……! なんで、こんな……! あああああああああっ!!」

 グロリアの絶叫は室内にこだました。その声に慧は意識を取り戻す。
 倒れたまま、ぼんやりと視線だけ動かす。
 慧はグロリアのすぐ背後でふたつの影を朦朧と見つめる。

 十和の声がする。

「なんでと言われるほどのことじゃないよ」

 水蛇はもう動かない。
 全身が凍りつき、グロリアの足もとの水溜りにも氷が張っている。

「僕が想像するに、アイテールに枷をはめることでより研ぎ澄まされるんだろうけど、それはやっぱり想像力の限界をつくることになるんだよ」

 グロリアの全身は痛みと恐怖と寒さで震えていた。
 ふと、氷の彫像と化した水蛇に十和は触れる。
 グロリアは十和がしようとしていることを悟ってぞっとする。

「限界って面白くないよね」

 十和が手に力をこめる。
 ビシビシっと音が響き水蛇にヒビが入る。
 まるで全身の骨が砕けていくようだ。
 グロリアは満足に声もだせず、ハッと息を呑んだのみだ。

「悠ちゃんが言うには、アイテールは触媒の脳波に反応し増幅するんだって。脳波は波だ。波は脳のなかにだけあるわけじゃない。たとえば、あそこのビルの明かりも波なんだ」

「や……やめて……」

 グロリアの頬に涙が伝う。
 苦痛でわななく唇をよだれが伝い、鼻水がでることも気にならない。
 磨き上げてきた外見を取り繕うこともできず、ただただもうやめてほしかった。
 だがそれには一切構わず十和の講釈はつづく。

「うーん。なんていうのか、つまり、世界のいたるところにあるってことなんだよ。だからこれは壊すね。苦しいし、痛いらしいし、今日の恐怖がトラウマになってアイテールはもう出せなくなると思うけど。ま、所詮、僕らはもともとただの粒子なんだし」

 十和の手に力がこもる。

「やめて! お願い、やめて!」

 グロリアは懇願していた。
 ビュスチェの胸もとを引き下ろして胸の谷間を十和に見せつける。

「あ……あたくしを好きにしてくれて構わないわ。あなたの言うことはなんだって聞く。だからお願い。見逃して。もうやめて……」

 だが、十和は首を傾げてきょとんとしている。

「それは子どもをつくる作業をしようって誘っているのかな? でも僕、いまはそういう気分じゃないんだ。早く終わらせて、慧ちゃんを病院に連れて行かなきゃ」

 十和はてのひらで蛇を押した。
 蛇はガラガラと音を立てて崩壊する。

 四肢を引き裂かれるような痛みに声も上げられず、グロリアはその場で卒倒した。

「あっ、慧ちゃん! 目が覚めたんだ。よかった」

 慧に近寄り、十和は手を差しだす。

 だが、慧はその手をはたいた。

「なんでよ……!?」

「え? どうしたの、慧ちゃん」

「なんなのよ、あんたは! なんでわたしじゃなく、あんたが倒すのよ! なんでそんなに簡単に倒せるのよ! いままでのはなんだったのよ! 戦えるならもっと前からやりなさいよ! わたしがあんなに苦労していたのをずっと馬鹿にして横で見てたの!」

 喚き散らした慧はゴホッゴホッと咽る。
 十和はその背なかをさすった。

「慧ちゃん。落ち着いて――……」

「う、うるさい!」

 慧は咽ながらも力いっぱい十和を突き飛ばした。
 わけもわからないまま、目に涙がにじんだ。

「うるさい、うるさい、うるさい、うるさい! ……馬鹿みたいじゃない、わたし……。馬鹿みたいじゃない……!」
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