霧の向こう ~ 水の低きに就くが如し ~

隅枝 輝羽

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171.身体強化

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「いやぁ! それにしてもあの子に随分懐かれたねぇ」
「ビタ? でもヴァンも結構肩入れしてたじゃん」
「中途半端にアドバイスしちゃったから、一応責任がね」
 
 そう言う割にはヴァンは笑顔だ。ヴァンがなんだかんだ言って優しくて面倒見のいいってことを俺は知ってる。

「それに2人に伝えたことは本当の事だしね」
 
 先頭を歩きながらピョンとヴァンが跳ねる。それを見て、俺はふふふと笑ってしまった。本当にムル村出身の人ってのは……。
 
「ルイもね」
「あれは普通だろ?」
「さあ? 俺にはわかんないよ」
 
 俺には自警団とか町の守衛とかそういった組織のことはわからない。ルイが普通というなら普通なのかも。立ち寄っただけの町に口出すのが普通かは少し悩むところだけど、魔物がいる世界だし……。

「イクミー! こっち行くよ」
「うえぇ」

 しばらく草原を歩いていたら木々が見えてきてヴァンから声がかかった。そして、ヴァンの指し示す方は急坂……というか崖に近い。こっちが正規ルートなわけ!?
 少し戸惑って、ちらりとルイを見てみるけどなんでもない顔してる。そうか、合ってるのか。

「イクミは渓谷の崖を下ってるから大丈夫だろ」
「いやいや……いつの話をしてるのかな」

 あの命がけで必死で記憶のない初日のことを言われてもさぁ。ただ……あの切り立った崖とは違って、こっちは急坂なだけだしなんとかはなるかなとは思うんだけど。

「渓谷とは足元が違うのが気になるなぁ」
「そうか?」
「うん、だってここは積もった落ち葉とか草が朽ちてて、踏ん張りがきかなそう……俺だと滑り落ちそうっていうか」
「よし! じゃあ、イクミは身体強化いってみよう!」
「はぁ?」

 俺が大事に温存している魔力を使わせようとしてるってぇ? 
 でもヴァンは、渓谷周辺と違って少し魔物が弱くなってるこの辺なら使ってもいいじゃんって言う。下りるときの怪我も減らせるしとか、通常より早く下りれるしとか、いろんな理由を言ってたけどね。

「俺、まだ長時間使えないよ」
「それは教えた『基本の全身強化』をした場合だよね。オレがやらせようとしてるのは、下半身だけで強化の出力を調節して長く保たせることだよ」
「ぎゃ」

 特訓ぶち込んできた……。いや、旅に出てから一度も身体強化は練習してないから、心配されるのもわかるんだけどさ。

 下半身だけの強化というのはやったことがない。全身なら何も考えずに魔力を巡らせればよかったけど、部分的ってどうしたらいいんだ?

「そうだねぇ、普段はあまり言わないけど助言をあげようか。使う分の魔力だけを必要な場所で巡回させるんだよ。一気に満たせば瞬間的に大きな力が出るってのはやったでしょ? 逆に少量ずつ巡回させれば長持ちするのは想像つくよね?」
「なんとなくはわかるんだよ……」

 ぐるっと巡らせるんじゃなくて、魔力を巡らせるのをショートカットして下半身だけにするってのは予想どおりなんだけどさ。その場合のショートカットの仕方っていうか、どのへんを意識したらいいのかがよくわからない。

「下半身ってことは脚だけじゃないんだよね」
「んー、お尻は入れといたほうがいいと思うよ」
「やってみる」
「大丈夫そうなら坂を下り始めるからさ」
「できなくても俺たちでフォローするから気にしないでやれ」

 いつもみたいな半分とか4分の1とかじゃなくて……もっと少ない量を常に回す感じ。これが難しいんだ。油断すると、全部の魔力をそこに回しちゃいそうになる。全身強化のときにも失敗しそうになったくらいだ……。

「イクミはかなり魔力コントロールできるようになってきてるでしょ?」
「コントロール……か」

 そう言われて頭に浮かんだのは土砂降りのときの水飴だ。
 あ……そっか。

 俺は8分の1だけ魔力を分けて、それを硬めの水飴状にした。それを下腹部あたりにセットする感じで……つぅっと引っ張り出して糸みたいに細く細く魔力を伸ばしていく。筋肉に巻きつけるような感じで両脚を覆ってウエストから下を満遍なくね。細ーくしたから元の水飴の塊は残っている。その塊に最初の先端を接続すると、巡回させられるルートができた。

「ふぅ……」

 ふっと目を開けるとニコニコしてるヴァンがいた。先を促されたからできてるっぽい。

 この筋肉に巻きつけた魔力をメインにしつつ、そこから下半身全体に染み渡らせれば、変に魔力が全身に散らないはず。筋肉だけにしないのはバランスが崩れるから。皮膚が弱かったら衝撃に負けて裂けるし、筋肉だけ強化されるとその収縮に骨が耐えられないんだ。
 最初に教えられたときは、何度目かの『魔法のロマン』を打ち砕かれたよね……。

 てことで、最初に作った回路に沿わせて魔力を微量ずつ巡らせてなじませていく。

「じゃ、進もうかぁ」
「そうだな。イクミ、行くぞ」

 2人が進もうとするってことは、できてるっぽいのかな。っと、意識を逸し続けちゃうと維持できないから気をつけよう。

 かなりの急坂だけど、ヴァンがまるで滑り降りるかのように先に降りていった。ルイが俺の弓を持ってくれて、手を差し出してくれる。

「あ、ありがと」
「かえってバランス崩しそうなら離せよ?」
「うん」
「行くぞ」

 ルイの掛け声に合わせて坂に1歩踏み出せば……。

「あわわわわ」
「魔力を維持。体幹意識」

 ルイの落ち着いた声のおかげですぐ立て直せたのがありがたい。少し緩やかなところでヴァンが止まって待っていて、ルイと俺がそこに着くとまた下り始める。

「慣れたか?」
「うん……なんとか」

 たまに幼木に当たったり小さな岩にかすったりしてるけど、身体強化のおかげで脚への衝撃がほとんどない。疲れないのもすごい。なるほどなぁ、こういうのがずっと使えるなら旅の行き来も早くなりそうだよ。ルイやヴァンは駆使してるんだろうな。

「で、ここを飛び降りるけど、まだ魔力いけるよね?」
「は?」

 ヴァンの指したところは高さ的に建物の4階くらいありそうだった。

「む……りじゃない?」
「でもちゃんと強化使えてるじゃん」
「そういう問題じゃ……」
「イクミ、大丈夫だ。できる」

 ルイが俺の目を真っ直ぐ見て言い切る。マジかよ……。
 ひぇぇって下をのぞき込んでいたらルイが飛び降りた。軽くトンと着地すると、俺に向かって話しかけてくる。

「ここを目標にするといい」
「でも」
「イクミイクミ。下にルイがいてくれるんだから信じなよ。オレがいるより安心でしょ?」
「お……俺はヴァンのことだって信頼してる……」
「ふふー。イクミはいい子だね」

 覚悟を決めたつもりでも下を見ると足がすくむ。何度も飛び降りようとしては後ろに下がっている……。

「イクミ、強化がブレそうになってる。魔力がギリギリならオレが抱えて飛ぶよ」
「う……行く」

 2人が俺ならできるって言ってくれてるところで、抱えられるのもなんか癪だ。

 ──ルイがいる。ルイがいる。ルイがいる。

 そう念じて心を落ち着けてから、強化の魔力に集中して流れを整える。
 俺は、崖から踏み出した。
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