上 下
22 / 25
朝焼けメダリオン

22

しおりを挟む
「ねえ......」

 妹が軽く言葉を出した。日の傾きが変わってきている。もうそろそろ夕方だなあと思いつつ、私は残り少なくなったコーヒーを一口頂く。

「なに?」
晩御飯ばんごはん、何が良い?」

 今日のごはん当番は妹である。少し考え、私は言った。

「たしか、今日は鯖が安かったんじゃないかな?」
「ん、じゃあそれで考えてみるわ」
「ありがと。話もさ、もう少しで終わるんだけどね。
「うん、せっかくだし最後まで聞くわ」
「えっと、お隣さんの退院が近くなってさ、私は餞別せんべつに悩んでいたのだよ」
「ああ、そっかぁ......まあ、そうなるのよね?」
「でね、あと2~3日って時に、うん、悪い意味で迷惑をかけちゃったんのだよ......」
「いつも......」

 目を細めた妹に少し先んじて言葉をかぶせる。

「そういう面白いんじゃなくてさ。んー、その、私もちょっと真面目に辛かったんだよ」
「へえ?」

 私は少し伏し目がちになって、しばし窓の方を見る。

「でね、まあ、肩とかすりむいちゃってさ......」
「え? またなの!? どういう状態!?」
「んー、その日はひっどい状態だったんだよ。精神的に不安定で屋上へ行きたかったんだよ」
「ふむふむ......」
「えと、順を追って話すね?」
「ええ」


**―――――
「何が良いかなぁ?」

 お隣さんが退院すると聞いて、少しさびしさを感じながら、私は一人で餞別を選んでいる。

「何が合うのかなぁ?」

 大きな病院の売店では凝ったものは見当たらないので、ふっちょさんに相談し、病院のすぐ前にあるある雑貨店まで出向き、小物を選んでいた。

「センスは、良いはずだからなぁ」

 私はメダリオンを見せてもらっている。それにハンカチだって上品な品である。だから、下手なものは送れないと思っている。

「あー、悩むなぁ」

 この雑貨屋さんは品ぞろえが少なく、気になるものはご予算の方で問題があった。


「これ、かなぁ?」

 私は自分では買わないけど自分がもらう分にはうれしい物である、ガラス製のペンギン文鎮ぶんちんを選んだ。

 その理由として、あやつのスリッパにはペンギンさんのワンポイントが入っていて、一度『これ、センスあるやろ』的な自慢をされている。

 それに、この前見せてもらったメダリオンの端の方に、小さくペンギンさんが彫られていたのを覚えていた。おそらくだがお隣さんの好みである。
 まあ、このチョイスが合っているかは、あげるまでは分からないのだが。

「気に入ってくれるといいなぁ......」

  ・
  ・
  ・
  ・

 それから2~3日の後である。

 ガラケーの画面が気持ち悪く見えたあの日、めずらしく落ち込んでいる私である。

 精神的な不調が大きかったのだと思う。頬に現れた熱は微熱程度だと思うが、呼吸をすると血の匂いが混じり、頭の奥で何かぶつかる音がしていた。その音に伴い頭痛が走る。

「むぅ......」

 それでも目を閉じることが出来ず、朝から起き上がる気力が出ないでいた。食欲もない。ふっちょさんが心配そうに声をかけてくれたのだが、生返事しか返えせていないはずだ。

「......嫌だな」

 自分の呼吸音を聞きながら時間が過ぎて、夕焼けが部屋を染める頃となっていた。
 赤々と映る世界が、その日は棘が生えた感じがして、私は軽く首をひねった後に、ふらりと起き上がった。

「行かなきゃ......」

 なぜだか、私に焦燥しょうそうが起こる。屋上を目指さなくてはと思ったのだ。真っ青な顔でふらふら歩くと誰かが邪魔をするんじゃないかと、廊下を慎重に歩く。

「ちょっと、どこ行くん?」

 通りがかりですれ違った、心配そうなあいつの声には振り向かない。

「ちょっと、ねー」

 平常を装った言葉で手をひらひら。私は単身エレベーターに向かい......追いかけてきたあいつに気付かないでしばし待つ。いつもどおり扉が開き、浮遊感を感じながら登っていく。

「どうしたん?」

 乗り込んでいたあいつの問いかけを、不愛想に返す。

「夕日をね、見に行くの」
「なんでや?」
「なんでも」

 小さなやり取りの後に、屋上へ着いた。一直線に高台へ上る。雲のない夕焼け空がどこまでも広がっていた。

「............んー、まいったなぁ」

 しばらく眺めてぽつんとつぶやいた。

「なあ、だいじょぶなん?」

 あいつが声をかけてくる。少しびっくりしてそちらを見た。エレベーターで言葉を交わしたはずなのに、なんでついて来たんだろうかななどと思うあたり、私もおかしかったんじゃないかな?
 首を傾げて見せた後、沈む夕日へ視線を向けた。言葉は出さない。

「なあ、今日風強いで? どうしたん?」

 うすぼんやりとしていた私は遠くを見つめ、太陽の沈む姿が綺麗で、でも、求めている物と違って、もう少し高い所から見たいと思った。
 そしてエレベーター乗り場の裏にある、あまり目立たない登りはしごへ行き、ためらわずにつかんだ。

「んー......見えると思ったんだけどなぁ......」
「ちょっ、おまっ!?」

 一段登るだけで苦労して、風が吹いて首を冷やすたびに頭が痛み、喉がずきずきする。
 それでもなぜか一番高くまで行って、はしごを持ったまま後ろを向いた。それほど高くまで来たわけではないのだが、気分的にはかなり高くへ登った気になっている。
 少し目をすぼめて先を見る、ああ、これなら行けるかな?

「ふらふらしとるやん。あぶないって! 気いつけんと!」

 足のすぐ下から声が聞こえた。あいつの声は聴かないふり。そして、見えた!

「お、おおお!? あっれ、みてみて!!」

 私は見た。ふわふわする頭と体の奥から湧き上がるような熱を感じながら、それを見たのだ。

「なん......ああ!?」

 落ちていく夕日が、大きなビルのてっぺんへと触れる。そのビルは最上階に塔の様なものを持っていて、そこに重なる少しくすんだ茜の塊が、一本のろうそくに火をつけるように輝いていた。

「ろうそくいわか?」
「あはっ、ははっ......ろうそくビルだね」
「そうやなぁ」
「綺麗だね......うん、きれいだ」
「ああ、なんか変やと思ったけどこれを見たかったんやな」
「うん......ちょっと小耳にはさんでさ。前のお話が気になってたんだよ」
「そか......そっか」

 ろうそくビルの時間は、思ったより短かった。夕日の落ちる速度が速い......。だから私たちは言葉少なで、夕日の沈む瞬間まで見届けた。

「あ~あ、しずんじゃった......さよならだね」
「なあ、もう降りいや」
「......うん、ありがとね」

 少し気が持ち直してきたらしい。微笑を浮かべて降りようとした私は、掴んでいたはしごから手が離れてしまった!

「あっ!」

 自分が落ちていくのがゆっくりと感じる。このまま、どうなるかなぁと思った瞬間、手を掴まえられた。

「くそっ! ああっ!?」

 しかし、一瞬だけ......。
 掴まれた手がするりと抜けて、あいつがもう一度つかもうとパジャマの端を捕まえたのだが、私は下まで落ちて行った。
 膝から落ちて、横滑り勢い止まらず肩を打ちつけ、痛みが走って、熱が体の奥から噴き出るような感覚。痛みが大きく走って、目の裏に火花が飛んで、私はそのまま気を失うのかと思ったのだが、痛みがそうさせてくれなかった。

「ごめんなぁ! もっと、強くつかめれば」
「違うよ。私が勝手に落ちたんだよ」
「でも、でも!」

 意識が暗くなった一瞬の後に気付いたのは、涙目で私をのぞき込んでいるあいつの顔だった。
 頭を打たなかったのは、あいつのおかげだったと思うのだが、どうしていいのか解らない様子である。

「私、泣くひと好きじゃない」

 その泣き顔が申し訳なくて、その言葉を発してしまっただが、すぐに後悔した。ただ、何故だか知らないが、私は人前で泣くひとを見たくないのだ。

「はあ!?」

 本当にわからないといった表情になったあいつ。私はなんで傷つけてしまうんだろう? どうもおかしいな。

「違う。ごめん......」

 続けて私はお礼を言った。

「助けてくれてありがと。なんか、私、変みたい」

 ぐしぐしと目をこすった後に、あいつは無理して表情を作る。もう涙は見せないつもりらしい。

「......ほんまや! あせったんやで!」
「ごめんなさい」
「ええけど、ほんま、どしたん!?」
「夕日が見たかったの」
「なにがあったんや?」
「言いたくない」
「......そうか」

 それ程長い時間を過ごしたわけではないのだが、私たちの間ではこれで済んだ。

「たてるか?」
「うん」

 手をかりて立ち上がるのだが、膝と肩に擦り傷が出来ていた。

「ふっちょさん、起こるかな?」
「心配するんちゃうか?」
「うう......」

  ・
  ・
  ・

 その後、病室でふっちょさんに見つかって、とってもしみる消毒とガーゼをされた。
 説教もらうかとも思ったが、どうも顔を覗き込んで暫く見つめられた後、ため息一つで処置してくれた。何というか怒られるよりもおさまりが悪い。
 ただ、悲しそうな顔で言われた。

「もう、調子が悪い時は大人しくしてよ。お願いだから......」
「ごめんなさい......」
「今回のはね、怪我したくてしたんじゃないんだろうけど、あなたが自分を大事にしないと、周りの人も困るのよ......本当、本当に」

 この言葉が、ふっちょさんに怒られた中で一番効いたと思っている。

「ごめんなさい............」



**―――――
「ねえ、何がそうさせたの?」

 珍しく神妙な妹に、私も首をひねる。

「夕日が見たかったってのが動機だよ......でも、なんであんな不調なのにしたんだろうね?」

 答えになっていない私の言葉に、妹は少し眉をしかめた。

「んー? 何かあった時期?」
「さあ?」
「......むう?」
「んー、ちょっと飲みすぎたかも。トイレに行ってくるね」
「え? うん、いってらっしゃい」

 私は立ち上がって、お手洗いへと立つ。

 本当、何であんなことしたのか? 色々な事が重なって、話すにはちょっと時間がないし、ぼんやりした記憶であったりで、言葉にしにくいのである。
 あの時、あの時......そうだなぁ。そうだ。

  ・
  ・
  ・
  ・

「ただいま」
「おかえり、大丈夫?」
「うん」
「あの後ふっちょさんに怒られの?」
「うーん......自分を大切にしないと、まわりが困るぞって心の底から言われたなあ」
「あらまぁ」
「それが一番聞いたよ」
「そか......」

 その雰囲気が何となく、伝わったのか妹も茶化さない。

「でね、夕日を見たかった理由についてだけど」
「うんうん」
「そんな感じに見えるよーってね、教えてくれたんだよ」
「だれが?」
「......」

 どうしようかなぁ......ちょいと言いにくい。どうやら妹も察してくれて、話題を変えてきた。

「えーっとさ、いつごろの時期だっけ?」
「ひみつ」
「あーもう!」
「というかあの時は病気だけじゃなくてさ、色々と重なってたんだよ」
「餞別はうきうきで選んでたのに?」

 私はちょっと答えに詰まりつつも、なんとかいうべきことを選びながら答える。

「急に降ってわいた、精神的な打撃があるとさ......意味の解らない行動をするみたいだよ? 私、自分で思い返しても変だって思うもん」
「そういうもん、かな?」
「そういうもんだったよ。私は」

 目の前のカップを眺めてから、私は話を続ける。

「それからの話が、まあ、このメダリオンにつながるんだよね」
「ああ、そうなの?」

 に落ちない様子の妹に構わず、私は記憶をさらに引き出した。

「お隣さんがね、退院する日のことだよ」
「あ、うん」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

美少女幼馴染が火照って喘いでいる

サドラ
恋愛
高校生の主人公。ある日、風でも引いてそうな幼馴染の姿を見るがその後、彼女の家から変な喘ぎ声が聞こえてくるー

私と継母の極めて平凡な日常

当麻月菜
ライト文芸
ある日突然、父が再婚した。そして再婚後、たった三ヶ月で失踪した。 残されたのは私、橋坂由依(高校二年生)と、継母の琴子さん(32歳のキャリアウーマン)の二人。 「ああ、この人も出て行くんだろうな。私にどれだけ自分が不幸かをぶちまけて」 そう思って覚悟もしたけれど、彼女は出て行かなかった。 そうして始まった継母と私の二人だけの日々は、とても淡々としていながら酷く穏やかで、極めて平凡なものでした。 ※他のサイトにも重複投稿しています。

ピアノ教室~先輩の家のお尻たたき~

鞭尻
大衆娯楽
「お尻をたたかれたい」と想い続けてきた理沙。 ある日、憧れの先輩の家が家でお尻をたたかれていること、さらに先輩の家で開かれているピアノ教室では「お尻たたきのお仕置き」があることを知る。 早速、ピアノ教室に通い始めた理沙は、先輩の母親から念願のお尻たたきを受けたり同じくお尻をたたかれている先輩とお尻たたきの話をしたりと「お尻たたきのある日常」を満喫するようになって……

流るる社畜は水のように

春巻丸掃(ハルマキ マルハ)
大衆娯楽
社畜たちは今日も語り出す。深夜のオフィスで語り出す。ビルの屋上で語り出す。他愛ないことを語り出す。時の流れは川のように、社畜たちは水のように、ただただ、語り出す。

「今日でやめます」

悠里
ライト文芸
ウエブデザイン会社勤務。二十七才。 ある日突然届いた、祖母からのメッセージは。 「もうすぐ死ぬみたい」 ――――幼い頃に過ごした田舎に、戻ることを決めた。

[恥辱]りみの強制おむつ生活

rei
大衆娯楽
中学三年生になる主人公倉持りみが集会中にお漏らしをしてしまい、おむつを当てられる。 保健室の先生におむつを当ててもらうようにお願い、クラスメイトの前でおむつ着用宣言、お漏らしで小学一年生へ落第など恥辱にあふれた作品です。

夜の公園、誰かが喘いでる

ヘロディア
恋愛
塾の居残りに引っかかった主人公。 しかし、帰り道に近道をしたところ、夜の公園から喘ぎ声が聞こえてきて…

処理中です...