10 / 10
終 月灯の帰路
しおりを挟む
篠原は周りを警戒していた。異常はないことを確かめ息を吐く。
「おみごと!」
二人の刃が交わった瞬間を見た篠原は、相打ちかと思った。しかし結果は武田のみが倒れ、斎藤に斬られた様子はない。
「斎藤君、怪我はないんだね?」
つい聞いてしまった。篠原は離れていたこともあり、目の前で起きた血闘で斎藤がどのような業を用いたのか解らない。
「ええ、無傷です。実は試したい業があってね。うまくいったようですな」
「試した……と?」
篠原は驚きを隠さず聞いた。実戦の最中で業を試すというのは普通ではない。
彼も市中警護に当たったこともある。そこで練度の低い業を用いた者は、多くの場合は骸となるのだ。実践と稽古は違う。結局は狙った業になりにくい。
「いやぁたまたまね、型と似た状況になったからです」
斎藤は後の先を取る業の一つに焦点を当てて、試行錯誤を繰り返している。今宵、立ち合いで使えるかの疑問がわいたので、言葉を用いて武田の行動を縛り誘導したのだ。
「たまたま? もともとある業なのかね?」
斎藤は口が滑ったというような顔をした。どうやら彼は、自分の努力を喋るのを、みっともないと思っているらしい。
ごまかそうと周りと自分を見回して何かに気付き、あっと言った感じで呟く。
「しまったな、汚れてしまった」
浅黄色の羽織に一点、飛び散った血染みが付いている。斎藤は眉をひそめてその染みを睨み、唇をとがらせた。
「総司なら綺麗なままだったろうに……。こう言うところは、真似できないな」
染みが浮かんだ羽織には、武田の恨みの一つでもあるかのように、月に照らされ黒く浮かぶ。
「そうじ……ああ沖田君か、彼の剣は鋭いなぁ」
「ええ。一時期ね、あいつと競っていたことがあったんですよ」
「ふむ?」
沖田と斎藤は試衛館からの仲である。彼もまた自分自身を刀として、担い手へと思想を預けた剣客とみている。彼は剣の申し子と言えるほど、その働きは輝かしいものがある。
剣客は自らの業を高めることに貪欲であり、先を行く競い相手がいれば発奮して追いつき、追い抜けるように自らを省み、磨き、さらなる高みへと邁進するものだ。
「新撰組でもね、暇な時にゃぁ道場で競ったりもするんです。ただ、あいつは肺が悪からなぁ……」
呟きながら武田の死骸を視界の端に入れつつ、刀身の曲がりを確かめる。刀は扱いを間違えたり、骨に食い込んだりがおきた場合、曲がることもある。手ごたえとしてそんな事は無かったのだが、刀身の確認は癖にしていた。
また刀身の見方もコツがあり、切っ先を下ろし、血が柄に入らないよう注意する。物打ちには血がついているようだ。
「そうだ、鴨川があるな。すまないが検分をお願いしても?」
「ああ、やっておこう。存分に洗ってくるといい」
刀は血を付けたままほっておけば錆が浮く。また、血を付けたまま鞘に収めると、鞘が内から腐って使い物にならなくなるのだ。
普段であれば血を振り落として懐紙で拭い、屯所へ戻って水で流した後、打ち粉を打って油をひくなどの手入れをするものである。
しかし今、銭取橋のたもとで、近くを鴨川が流れている。
川で濯いで丹念に拭っておけば急場はしのげるだろう。
斎藤は立ち上がり、鴨川まで下りて行った。
月明かりがあるとはいえ夜である。せせらぎは暗く耳が頼りとなる。
それでも斎藤は刀を洗ったのち何度か振って水を払い、懐紙で拭う。ふと、篠原が降りてきた。
「斎藤君、待たせたかね?」
「おや、速いですな?」
「ああ。急所に一撃だったからね。すでにこと切れていたよ」
斎藤は拭いを掛けてもう一度刀身を確かめると、静かに納める。
「それじゃ、行こうか」
「はい」
月の下、二人は歩き出した。
人斬りのあとは、斎藤も気が昂ぶるのであろうか? 彼はいつもより饒舌であった。
篠原が業に対して聞いてきたことにも、気軽に答えている。
「斎藤君、あの業は何処で学んだのかね?」
「あれは……何て言ったらいいのかな? 自分の工夫が入った古流の型の一つ、ですね」
遠くから見ていた篠原であるが、剣理がよくわからない。お互いに刃はぶれずに振るわれたのだが、しかし、倒れたのは武田のみであり、斎藤には傷一つない。
「後の先、かね?」
「そうですね。いろいろ試してて、ちょいとね、気付いてしまったんです」
五輪の書を独自解釈した『ゆるゆるとした普段用いる何気ない動作こそが最も速い』という結論、その実践感覚を掴むためにあの業を選んだともいえる。
あの場で緊張が出ていれば、斬られたのは自分であった。そこはかとない自信がいる。その自信は積み上げてきた稽古に比するのだ。
「あんな業があったんだなぁ」
篠原は素直に感嘆をこぼす。
剣客は業に関してのことは、深くは答えないし、訪ねないものだと篠原も心得ている。ただ、自分の理解できない業の輝きを賞賛せぬほど篠原は根暗ではない。
彼は斎藤より一回り上の齢で柔の名手であり、さまざまな業の造詣も深いのだが、剣は斎藤には劣ると自覚している。
篠原は斎藤の強さを少しでも知りたいと思い、話題を変えた。
「しかし、今日は珍しく明るい夜だな。斎藤君、こんな月は久しぶりだと思わないか?」
「ええ。提灯もいらないってのは、珍しいですな」
ふと、斎藤は昔を思い出し、そのまま言葉にする。
「蒼月……かぁ」
「何かね? 蒼月?」
「蒼い月ですから」
「ふむ……」
斎藤は少し笑った。
「そういえばね、お日様のもとで振るうのが白刃なら、月のもとで振るうのは青い刃、蒼刃っていうんですね……」
「…………?」
急に詩的な話をしだした斎藤に、篠原は珍しいものを見るような眼差しを向ける。
当の斎藤には昔のことが浮かんでいた。あの日の試衛館での語らい以後、磨き続けてきた自分の業と、志と言える担い手の命に従う日々を、次々と……。
自分の仕事は斬ることである。志士も隊士も月のある日もない日も、昼も、夜も、彼はその刃を振るってきたのだ。
「俺はそっちが多かったな……」
自嘲気味に言った。すこし嘆息に近い。
「そうかね……」
篠原は感受性豊かな性質であり、心根が優しい。彼はできれば人を刺したくない思いがある。今の自嘲を斎藤の悲哀と受け取った。
「確かに、な……」
少し憐憫の目で見てから、篠原は彼らしい言葉を掛ける。
「しかし、斎藤君、時勢だよ。この時勢が正しく過ぎれば、そんな刃はいらなくなるさ」
「え? そう、ですか」
斎藤はその言葉に、驚いたような顔をする。
「私もね、伊東君の元で同じような役回りが多い。だが、伊東さんが考える時代は、裏で同志を刺すなど無くなるだろう」
伊東は志の人であることを、篠原は強調した。
篠原は斎藤の御陵衛士参加を、一個の志士として攘夷を貫徹するという、若者特有の熱気であるとみている。
さらに今の表現に斎藤の詩心をみた。詩心には本音が現れる。つまり篠原は斎藤に、志の為に誰よりも手を汚してきた悲哀をみたのだ。
それはある意味では当たっているのかもしれないが、同時にまるで違っているともいえる。
「……そう、ですか」
「大丈夫だ斎藤君。私たちは、国を守るために行動せねばならん」
「はあ」
篠原は伊東の古くからの同輩だった。
御陵衛士が目指すべき先を聞いている。その一部と伊東の姿勢を斎藤に伝えた。
「私もね、あまり難しいことは考えないのさ。ただ、伊東さんが言うには……」
「はい」
その言を聞き流しながら、斎藤は思う。
少し離れた所から見ているので、斎藤は伊東の志の高さと、志を遂げるための邁進する姿勢は魅力的だとは思う。だが、現実はどうだろう?
志に殉じた志士は星の数ほどいる。将来のためにと、志を大きく持っているものほど行動は過激であり、非情であり、狂っている。現実を良くするためにではなく、先を良くするために今を壊す矛盾はどうであろうか?
『合ってないな……』
口には出さないが、斎藤は強く感じた。この感覚のずれが、斎藤と篠原の違い、新撰組と御陵衛士の違いであろう。
新撰組は近藤・土方のもとで、警察機関並びに軍事機関であることを務めようとしている。
一方、御陵衛士は伊東を中心とした政治結社であった。
軍は上の命に従い、現実の戦場を切り開くため、あくまで現実に目を向け、今を見据えて目的を果たす行動をとるものである。
政治は、時代の流れを読み、国民感情を汲み取り、新たな時代を切り開くため、一つ先を見据えて行動するものである。
斎藤は近藤・土方を写し取っていた。それはすなわち軍人に近しいものであり、あくまで現実をどう切り開くかに主眼を合わせているのだ。
だから、斎藤の見方は現実の直視であり、常に厳しくて辛い評価を下す。
例えばひとつの結論として、今まで生涯をかけて磨いてきた剣術は、銃相手では役に立ないだろう。
個人で戦っている分には良いが、いくさは組織によるものであり、最新式の銃を組織的に扱えねば、いくさで勝利はつかめまい。
そういった現実に則した未来予測をし、彼は少しだけ首をかしげて思う。
『たしかに、俺はいらなくなるだろうなぁ……』という、観測であった。
「皆の力を結集して夷敵を打ち払い、新たな時代を切り開くために……」
伊東の受け売りを語る篠原の姿を、冷静な目で見る。正直なところ、こう言った話題には付き合いたくはなかった。斎藤は言葉を聞き流すように相槌だけ打つ。
伊東をはじめとした御陵衛士の一派は、信念を強く前に出している。
だが、斎藤にはその言葉ほどの実があるだろうか? と思ってしまうのだ。
『行動を第一とする』彼の担い手は、志などはあまり語らずに隊規を定め、隊の編制をもって新撰組が効果的な働きができるよう務めてきた。斎藤が今ここにいるのも、彼の命である。
伊東達にそういったことができるのだろうか? 出来そうなら、それも報告せねばなるまい。
斎藤は自嘲気味に下を向く。そして話の切れ間を捕えて羽織を脱いだ。
「小袖を汚さなくてよかったな」
斎藤は少しケチ臭いことを言葉にする。これは、次の仕事の布石でもあった。
「小袖? 気にすることかい」
「ええ、ちょいと最近入用でね。仕立て直しも困っているんです」
身近な話になると、篠原は年長者らしい世話好きな姿を見せた。
「ほう、どうしたんだ? 酒か? 女かね?」
「良い掘り出し物があったんですよ。ちょいと金を借りることになったんですがね、清光ですぜ」
「ああ、刀か」
篠原は目利きには疎い。仕方ない奴だといった顔で斎藤という若者を眺める。
「あまり変な所で借りぬように……そうだな、伊東さんにこの件を報告するから、まあ褒賞に色を付けてもらおうや」
「ええ……ありがとうございます」
そして、二人は月の下を歩きだす。
その後、彼らの運命は大きく捻じれることとなるのだが、それは別の話である。
斎藤の興味として、彼の担い手である土方歳三は今後どのような命を下すのだろうか?
少し楽しみにしつつ、彼は蒼い月灯りを歩く。
道は暗いようで、明るいようで、自らの才覚によって歩まざるを得ないだろう。
すべての夜を照らす月は、彼らをただ見ているだけであった。
了
「おみごと!」
二人の刃が交わった瞬間を見た篠原は、相打ちかと思った。しかし結果は武田のみが倒れ、斎藤に斬られた様子はない。
「斎藤君、怪我はないんだね?」
つい聞いてしまった。篠原は離れていたこともあり、目の前で起きた血闘で斎藤がどのような業を用いたのか解らない。
「ええ、無傷です。実は試したい業があってね。うまくいったようですな」
「試した……と?」
篠原は驚きを隠さず聞いた。実戦の最中で業を試すというのは普通ではない。
彼も市中警護に当たったこともある。そこで練度の低い業を用いた者は、多くの場合は骸となるのだ。実践と稽古は違う。結局は狙った業になりにくい。
「いやぁたまたまね、型と似た状況になったからです」
斎藤は後の先を取る業の一つに焦点を当てて、試行錯誤を繰り返している。今宵、立ち合いで使えるかの疑問がわいたので、言葉を用いて武田の行動を縛り誘導したのだ。
「たまたま? もともとある業なのかね?」
斎藤は口が滑ったというような顔をした。どうやら彼は、自分の努力を喋るのを、みっともないと思っているらしい。
ごまかそうと周りと自分を見回して何かに気付き、あっと言った感じで呟く。
「しまったな、汚れてしまった」
浅黄色の羽織に一点、飛び散った血染みが付いている。斎藤は眉をひそめてその染みを睨み、唇をとがらせた。
「総司なら綺麗なままだったろうに……。こう言うところは、真似できないな」
染みが浮かんだ羽織には、武田の恨みの一つでもあるかのように、月に照らされ黒く浮かぶ。
「そうじ……ああ沖田君か、彼の剣は鋭いなぁ」
「ええ。一時期ね、あいつと競っていたことがあったんですよ」
「ふむ?」
沖田と斎藤は試衛館からの仲である。彼もまた自分自身を刀として、担い手へと思想を預けた剣客とみている。彼は剣の申し子と言えるほど、その働きは輝かしいものがある。
剣客は自らの業を高めることに貪欲であり、先を行く競い相手がいれば発奮して追いつき、追い抜けるように自らを省み、磨き、さらなる高みへと邁進するものだ。
「新撰組でもね、暇な時にゃぁ道場で競ったりもするんです。ただ、あいつは肺が悪からなぁ……」
呟きながら武田の死骸を視界の端に入れつつ、刀身の曲がりを確かめる。刀は扱いを間違えたり、骨に食い込んだりがおきた場合、曲がることもある。手ごたえとしてそんな事は無かったのだが、刀身の確認は癖にしていた。
また刀身の見方もコツがあり、切っ先を下ろし、血が柄に入らないよう注意する。物打ちには血がついているようだ。
「そうだ、鴨川があるな。すまないが検分をお願いしても?」
「ああ、やっておこう。存分に洗ってくるといい」
刀は血を付けたままほっておけば錆が浮く。また、血を付けたまま鞘に収めると、鞘が内から腐って使い物にならなくなるのだ。
普段であれば血を振り落として懐紙で拭い、屯所へ戻って水で流した後、打ち粉を打って油をひくなどの手入れをするものである。
しかし今、銭取橋のたもとで、近くを鴨川が流れている。
川で濯いで丹念に拭っておけば急場はしのげるだろう。
斎藤は立ち上がり、鴨川まで下りて行った。
月明かりがあるとはいえ夜である。せせらぎは暗く耳が頼りとなる。
それでも斎藤は刀を洗ったのち何度か振って水を払い、懐紙で拭う。ふと、篠原が降りてきた。
「斎藤君、待たせたかね?」
「おや、速いですな?」
「ああ。急所に一撃だったからね。すでにこと切れていたよ」
斎藤は拭いを掛けてもう一度刀身を確かめると、静かに納める。
「それじゃ、行こうか」
「はい」
月の下、二人は歩き出した。
人斬りのあとは、斎藤も気が昂ぶるのであろうか? 彼はいつもより饒舌であった。
篠原が業に対して聞いてきたことにも、気軽に答えている。
「斎藤君、あの業は何処で学んだのかね?」
「あれは……何て言ったらいいのかな? 自分の工夫が入った古流の型の一つ、ですね」
遠くから見ていた篠原であるが、剣理がよくわからない。お互いに刃はぶれずに振るわれたのだが、しかし、倒れたのは武田のみであり、斎藤には傷一つない。
「後の先、かね?」
「そうですね。いろいろ試してて、ちょいとね、気付いてしまったんです」
五輪の書を独自解釈した『ゆるゆるとした普段用いる何気ない動作こそが最も速い』という結論、その実践感覚を掴むためにあの業を選んだともいえる。
あの場で緊張が出ていれば、斬られたのは自分であった。そこはかとない自信がいる。その自信は積み上げてきた稽古に比するのだ。
「あんな業があったんだなぁ」
篠原は素直に感嘆をこぼす。
剣客は業に関してのことは、深くは答えないし、訪ねないものだと篠原も心得ている。ただ、自分の理解できない業の輝きを賞賛せぬほど篠原は根暗ではない。
彼は斎藤より一回り上の齢で柔の名手であり、さまざまな業の造詣も深いのだが、剣は斎藤には劣ると自覚している。
篠原は斎藤の強さを少しでも知りたいと思い、話題を変えた。
「しかし、今日は珍しく明るい夜だな。斎藤君、こんな月は久しぶりだと思わないか?」
「ええ。提灯もいらないってのは、珍しいですな」
ふと、斎藤は昔を思い出し、そのまま言葉にする。
「蒼月……かぁ」
「何かね? 蒼月?」
「蒼い月ですから」
「ふむ……」
斎藤は少し笑った。
「そういえばね、お日様のもとで振るうのが白刃なら、月のもとで振るうのは青い刃、蒼刃っていうんですね……」
「…………?」
急に詩的な話をしだした斎藤に、篠原は珍しいものを見るような眼差しを向ける。
当の斎藤には昔のことが浮かんでいた。あの日の試衛館での語らい以後、磨き続けてきた自分の業と、志と言える担い手の命に従う日々を、次々と……。
自分の仕事は斬ることである。志士も隊士も月のある日もない日も、昼も、夜も、彼はその刃を振るってきたのだ。
「俺はそっちが多かったな……」
自嘲気味に言った。すこし嘆息に近い。
「そうかね……」
篠原は感受性豊かな性質であり、心根が優しい。彼はできれば人を刺したくない思いがある。今の自嘲を斎藤の悲哀と受け取った。
「確かに、な……」
少し憐憫の目で見てから、篠原は彼らしい言葉を掛ける。
「しかし、斎藤君、時勢だよ。この時勢が正しく過ぎれば、そんな刃はいらなくなるさ」
「え? そう、ですか」
斎藤はその言葉に、驚いたような顔をする。
「私もね、伊東君の元で同じような役回りが多い。だが、伊東さんが考える時代は、裏で同志を刺すなど無くなるだろう」
伊東は志の人であることを、篠原は強調した。
篠原は斎藤の御陵衛士参加を、一個の志士として攘夷を貫徹するという、若者特有の熱気であるとみている。
さらに今の表現に斎藤の詩心をみた。詩心には本音が現れる。つまり篠原は斎藤に、志の為に誰よりも手を汚してきた悲哀をみたのだ。
それはある意味では当たっているのかもしれないが、同時にまるで違っているともいえる。
「……そう、ですか」
「大丈夫だ斎藤君。私たちは、国を守るために行動せねばならん」
「はあ」
篠原は伊東の古くからの同輩だった。
御陵衛士が目指すべき先を聞いている。その一部と伊東の姿勢を斎藤に伝えた。
「私もね、あまり難しいことは考えないのさ。ただ、伊東さんが言うには……」
「はい」
その言を聞き流しながら、斎藤は思う。
少し離れた所から見ているので、斎藤は伊東の志の高さと、志を遂げるための邁進する姿勢は魅力的だとは思う。だが、現実はどうだろう?
志に殉じた志士は星の数ほどいる。将来のためにと、志を大きく持っているものほど行動は過激であり、非情であり、狂っている。現実を良くするためにではなく、先を良くするために今を壊す矛盾はどうであろうか?
『合ってないな……』
口には出さないが、斎藤は強く感じた。この感覚のずれが、斎藤と篠原の違い、新撰組と御陵衛士の違いであろう。
新撰組は近藤・土方のもとで、警察機関並びに軍事機関であることを務めようとしている。
一方、御陵衛士は伊東を中心とした政治結社であった。
軍は上の命に従い、現実の戦場を切り開くため、あくまで現実に目を向け、今を見据えて目的を果たす行動をとるものである。
政治は、時代の流れを読み、国民感情を汲み取り、新たな時代を切り開くため、一つ先を見据えて行動するものである。
斎藤は近藤・土方を写し取っていた。それはすなわち軍人に近しいものであり、あくまで現実をどう切り開くかに主眼を合わせているのだ。
だから、斎藤の見方は現実の直視であり、常に厳しくて辛い評価を下す。
例えばひとつの結論として、今まで生涯をかけて磨いてきた剣術は、銃相手では役に立ないだろう。
個人で戦っている分には良いが、いくさは組織によるものであり、最新式の銃を組織的に扱えねば、いくさで勝利はつかめまい。
そういった現実に則した未来予測をし、彼は少しだけ首をかしげて思う。
『たしかに、俺はいらなくなるだろうなぁ……』という、観測であった。
「皆の力を結集して夷敵を打ち払い、新たな時代を切り開くために……」
伊東の受け売りを語る篠原の姿を、冷静な目で見る。正直なところ、こう言った話題には付き合いたくはなかった。斎藤は言葉を聞き流すように相槌だけ打つ。
伊東をはじめとした御陵衛士の一派は、信念を強く前に出している。
だが、斎藤にはその言葉ほどの実があるだろうか? と思ってしまうのだ。
『行動を第一とする』彼の担い手は、志などはあまり語らずに隊規を定め、隊の編制をもって新撰組が効果的な働きができるよう務めてきた。斎藤が今ここにいるのも、彼の命である。
伊東達にそういったことができるのだろうか? 出来そうなら、それも報告せねばなるまい。
斎藤は自嘲気味に下を向く。そして話の切れ間を捕えて羽織を脱いだ。
「小袖を汚さなくてよかったな」
斎藤は少しケチ臭いことを言葉にする。これは、次の仕事の布石でもあった。
「小袖? 気にすることかい」
「ええ、ちょいと最近入用でね。仕立て直しも困っているんです」
身近な話になると、篠原は年長者らしい世話好きな姿を見せた。
「ほう、どうしたんだ? 酒か? 女かね?」
「良い掘り出し物があったんですよ。ちょいと金を借りることになったんですがね、清光ですぜ」
「ああ、刀か」
篠原は目利きには疎い。仕方ない奴だといった顔で斎藤という若者を眺める。
「あまり変な所で借りぬように……そうだな、伊東さんにこの件を報告するから、まあ褒賞に色を付けてもらおうや」
「ええ……ありがとうございます」
そして、二人は月の下を歩きだす。
その後、彼らの運命は大きく捻じれることとなるのだが、それは別の話である。
斎藤の興味として、彼の担い手である土方歳三は今後どのような命を下すのだろうか?
少し楽しみにしつつ、彼は蒼い月灯りを歩く。
道は暗いようで、明るいようで、自らの才覚によって歩まざるを得ないだろう。
すべての夜を照らす月は、彼らをただ見ているだけであった。
了
0
お気に入りに追加
7
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
北武の寅 <幕末さいたま志士伝>
海野 次朗
歴史・時代
タイトルは『北武の寅』(ほくぶのとら)と読みます。
幕末の埼玉人にスポットをあてた作品です。主人公は熊谷北郊出身の吉田寅之助という青年です。他に渋沢栄一(尾高兄弟含む)、根岸友山、清水卯三郎、斎藤健次郎などが登場します。さらにベルギー系フランス人のモンブランやフランスお政、五代才助(友厚)、松木弘安(寺島宗則)、伊藤俊輔(博文)なども登場します。
根岸友山が出る関係から新選組や清河八郎の話もあります。また、渋沢栄一やモンブランが出る関係からパリ万博などパリを舞台とした場面が何回かあります。
前作の『伊藤とサトウ』と違って今作は史実重視というよりも、より「小説」に近い形になっているはずです。ただしキャラクターや時代背景はかなり重複しております。『伊藤とサトウ』でやれなかった事件を深掘りしているつもりですので、その点はご了承ください。
(※この作品は「NOVEL DAYS」「小説家になろう」「カクヨム」にも転載してます)
幕末レクイエム―士魂の城よ、散らざる花よ―
馳月基矢
歴史・時代
徳川幕府をやり込めた勢いに乗じ、北進する新政府軍。
新撰組は会津藩と共に、牙を剥く新政府軍を迎え撃つ。
武士の時代、刀の時代は終わりを告げる。
ならば、刀を執る己はどこで滅ぶべきか。
否、ここで滅ぶわけにはいかない。
士魂は花と咲き、決して散らない。
冷徹な戦略眼で時流を見定める新撰組局長、土方歳三。
あやかし狩りの力を持ち、無敵の剣を謳われる斎藤一。
schedule
公開:2019.4.1
連載:2019.4.19-5.1 ( 6:30 & 18:30 )
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
陸のくじら侍 -元禄の竜-
陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた……
紫苑の誠
卯月さくら
歴史・時代
あなたの生きる理由になりたい。
これは、心を閉ざし復讐に生きる一人の少女と、誠の旗印のもと、自分の信念を最後まで貫いて散っていった幕末の志士の物語。
※外部サイト「エブリスタ」で自身が投稿した小説を独自に加筆修正したものを投稿しています。
土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)
浅葱色の桜 ―堀川通花屋町下ル
初音
歴史・時代
新選組内外の諜報活動を行う諸士調役兼監察。その頭をつとめるのは、隊内唯一の女隊士だった。
義弟の近藤勇らと上洛して早2年。主人公・さくらの活躍はまだまだ続く……!
『浅葱色の桜』https://www.alphapolis.co.jp/novel/32482980/787215527
の続編となりますが、前作を読んでいなくても大丈夫な作りにはしています。前作未読の方もぜひ。
※時代小説の雰囲気を味わっていただくため、縦組みを推奨しています。行間を詰めてありますので横組みだと読みづらいかもしれませんが、ご了承ください。
※あくまでフィクションです。実際の人物、事件には関係ありません。
黄金の檻の高貴な囚人
せりもも
歴史・時代
短編集。ナポレオンの息子、ライヒシュタット公フランツを囲む人々の、群像劇。
ナポレオンと、敗戦国オーストリアの皇女マリー・ルイーゼの間に生まれた、少年。彼は、父ナポレオンが没落すると、母の実家であるハプスブルク宮廷に引き取られた。やがて、母とも引き離され、一人、ウィーンに幽閉される。
仇敵ナポレオンの息子(だが彼は、オーストリア皇帝の孫だった)に戸惑う、周囲の人々。父への敵意から、懸命に自我を守ろうとする、幼いフランツ。しかしオーストリアには、敵ばかりではなかった……。
ナポレオンの絶頂期から、ウィーン3月革命までを描く。
※カクヨムさんで完結している「ナポレオン2世 ライヒシュタット公」のスピンオフ短編集です
https://kakuyomu.jp/works/1177354054885142129
※星海社さんの座談会(2023.冬)で取り上げて頂いた作品は、こちらではありません。本編に含まれるミステリのひとつを抽出してまとめたもので、公開はしていません
https://sai-zen-sen.jp/works/extras/sfa037/01/01.html
※断りのない画像は、全て、wikiからのパブリック・ドメイン作品です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる