蒼刃

夏夜やもり

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終 月灯の帰路

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 篠原は周りを警戒していた。異常はないことを確かめ息を吐く。

「おみごと!」

 二人の刃が交わった瞬間を見た篠原は、相打ちかと思った。しかし結果は武田のみが倒れ、斎藤に斬られた様子はない。

「斎藤君、怪我はないんだね?」

 つい聞いてしまった。篠原は離れていたこともあり、目の前で起きた血闘で斎藤がどのようなわざを用いたのか解らない。

「ええ、無傷です。実はためしたい業があってね。うまくいったようですな」
「試した……と?」

 篠原は驚きを隠さず聞いた。実戦の最中で業を試すというのは普通ではない。
 彼も市中警護に当たったこともある。そこで練度の低い業を用いた者は、多くの場合はむくろとなるのだ。実践と稽古は違う。結局は狙った業になりにくい。

「いやぁたまたまね、型と似た状況になったからです」

 斎藤は後の先を取る業の一つに焦点を当てて、試行錯誤を繰り返している。今宵こよい、立ち合いで使えるかの疑問がわいたので、言葉を用いて武田の行動を縛り誘導したのだ。

「たまたま? もともとある業なのかね?」

 斎藤は口が滑ったというような顔をした。どうやら彼は、自分の努力をしゃべるのを、みっともないと思っているらしい。
 ごまかそうと周りと自分を見回して何かに気付き、あっと言った感じで呟く。

「しまったな、汚れてしまった」

 浅黄色の羽織に一点、飛び散った血染みが付いている。斎藤は眉をひそめてその染みをにらみ、唇をとがらせた。

「総司なら綺麗なままだったろうに……。こう言うところは、真似できないな」

 染みが浮かんだ羽織には、武田の恨みの一つでもあるかのように、月に照らされ黒く浮かぶ。

「そうじ……ああ沖田君か、彼の剣は鋭いなぁ」
「ええ。一時期ね、あいつと競っていたことがあったんですよ」
「ふむ?」

 沖田と斎藤は試衛館からの仲である。彼もまた自分自身を刀として、担い手へと思想を預けた剣客とみている。彼は剣の申し子と言えるほど、その働きは輝かしいものがある。

 剣客は自らの業を高めることに貪欲であり、先を行く競い相手がいれば発奮して追いつき、追い抜けるように自らを省み、磨き、さらなる高みへと邁進まいしんするものだ。

「新撰組でもね、暇な時にゃぁ道場で競ったりもするんです。ただ、あいつは肺が悪からなぁ……」

 呟きながら武田の死骸を視界の端に入れつつ、刀身の曲がりを確かめる。刀は扱いを間違えたり、骨に食い込んだりがおきた場合、曲がることもある。手ごたえとしてそんな事は無かったのだが、刀身の確認は癖にしていた。

 また刀身の見方もコツがあり、切っ先を下ろし、血が柄に入らないよう注意する。物打ものうちには血がついているようだ。

「そうだ、鴨川かもがわがあるな。すまないが検分をお願いしても?」
「ああ、やっておこう。存分に洗ってくるといい」

 刀は血を付けたままほっておけばさびが浮く。また、血を付けたまま鞘に収めると、鞘が内からくさって使い物にならなくなるのだ。
 普段であれば血を振り落として懐紙かいしぬぐい、屯所とんしょへ戻って水で流した後、打ち粉を打って油をひくなどの手入れをするものである。
 しかし今、銭取橋のたもとで、近くを鴨川が流れている。
 川ですすいで丹念たんねんに拭っておけば急場はしのげるだろう。
 斎藤は立ち上がり、鴨川まで下りて行った。


 月明かりがあるとはいえ夜である。せせらぎは暗く耳が頼りとなる。
 それでも斎藤は刀を洗ったのち何度か振って水を払い、懐紙で拭う。ふと、篠原が降りてきた。

「斎藤君、待たせたかね?」
「おや、速いですな?」
「ああ。急所に一撃だったからね。すでにこと切れていたよ」

 斎藤は拭いを掛けてもう一度刀身を確かめると、静かに納める。

「それじゃ、行こうか」
「はい」

 月の下、二人は歩き出した。

 人斬りのあとは、斎藤も気が昂ぶるのであろうか? 彼はいつもより饒舌じょうぜつであった。
 篠原が業に対して聞いてきたことにも、気軽に答えている。

「斎藤君、あの業は何処で学んだのかね?」
「あれは……何て言ったらいいのかな? 自分の工夫が入った古流の型の一つ、ですね」

 遠くから見ていた篠原であるが、剣理がよくわからない。お互いに刃はぶれずに振るわれたのだが、しかし、倒れたのは武田のみであり、斎藤には傷一つない。

「後の先、かね?」
「そうですね。いろいろ試してて、ちょいとね、気付いてしまったんです」

 五輪の書を独自解釈した『ゆるゆるとした普段用いる何気ない動作こそが最も速い』という結論、その実践感覚を掴むためにあの業を選んだともいえる。

 あの場で緊張が出ていれば、斬られたのは自分であった。そこはかとない自信がいる。その自信は積み上げてきた稽古に比するのだ。

「あんな業があったんだなぁ」

 篠原は素直に感嘆をこぼす。
 剣客は業に関してのことは、深くは答えないし、訪ねないものだと篠原も心得ている。ただ、自分の理解できない業の輝きを賞賛しょうさんせぬほど篠原は根暗ではない。

 彼は斎藤より一回り上のよわいやわらの名手であり、さまざまな業の造詣ぞうけいも深いのだが、剣は斎藤には劣ると自覚している。
 篠原は斎藤の強さを少しでも知りたいと思い、話題を変えた。

「しかし、今日は珍しく明るい夜だな。斎藤君、こんな月は久しぶりだと思わないか?」
「ええ。提灯もいらないってのは、珍しいですな」

 ふと、斎藤は昔を思い出し、そのまま言葉にする。

「蒼月……かぁ」
「何かね? 蒼月?」
「蒼い月ですから」
「ふむ……」

 斎藤は少し笑った。

「そういえばね、お日様のもとで振るうのが白刃なら、月のもとで振るうのは青い刃、蒼刃っていうんですね……」
「…………?」

 急に詩的な話をしだした斎藤に、篠原は珍しいものを見るような眼差まなざしを向ける。

 当の斎藤には昔のことが浮かんでいた。あの日の試衛館での語らい以後、磨き続けてきた自分の業と、志と言える担い手の命に従う日々を、次々と……。
 自分の仕事は斬ることである。志士も隊士も月のある日もない日も、昼も、夜も、彼はその刃を振るってきたのだ。

「俺はそっちが多かったな……」

 自嘲気味に言った。すこし嘆息ためいきに近い。

「そうかね……」

 篠原は感受性豊かな性質たちであり、心根が優しい。彼はできれば人を刺したくない思いがある。今の自嘲を斎藤の悲哀ひあいと受け取った。

「確かに、な……」

 少し憐憫れんびんの目で見てから、篠原は彼らしい言葉を掛ける。

「しかし、斎藤君、時勢だよ。この時勢が正しく過ぎれば、そんな刃はいらなくなるさ」
「え? そう、ですか」

 斎藤はその言葉に、驚いたような顔をする。

「私もね、伊東君の元で同じような役回りが多い。だが、伊東さんが考える時代は、裏で同志を刺すなど無くなるだろう」

 伊東は志の人であることを、篠原は強調した。
 篠原は斎藤の御陵衛士参加を、一個の志士として攘夷を貫徹かんてつするという、若者特有の熱気であるとみている。
 さらに今の表現に斎藤の詩心をみた。詩心には本音が現れる。つまり篠原は斎藤に、志の為に誰よりも手を汚してきた悲哀をみたのだ。

 それはある意味では当たっているのかもしれないが、同時にまるで違っているともいえる。

「……そう、ですか」
「大丈夫だ斎藤君。私たちは、国を守るために行動せねばならん」
「はあ」

 篠原は伊東の古くからの同輩どうはいだった。
 御陵衛士が目指すべき先を聞いている。その一部と伊東の姿勢を斎藤に伝えた。

「私もね、あまり難しいことは考えないのさ。ただ、伊東さんが言うには……」
「はい」

 その言を聞き流しながら、斎藤は思う。

 少し離れた所から見ているので、斎藤は伊東の志の高さと、志を遂げるための邁進まいしんする姿勢は魅力的だとは思う。だが、現実はどうだろう?

 志にじゅんじた志士は星の数ほどいる。将来のためにと、志を大きく持っているものほど行動は過激であり、非情であり、狂っている。現実を良くするためにではなく、先を良くするために今を壊す矛盾はどうであろうか?

『合ってないな……』

 口には出さないが、斎藤は強く感じた。この感覚のずれが、斎藤と篠原の違い、新撰組と御陵衛士の違いであろう。

 新撰組は近藤・土方のもとで、警察機関けいさつきかんならびに軍事機関ぐんじきかんであることを務めようとしている。

 一方、御陵衛士は伊東を中心とした政治結社であった。

 軍は上の命に従い、現実の戦場を切り開くため、あくまで現実に目を向け、今を見据えて目的を果たす行動をとるものである。

 政治は、時代の流れを読み、国民感情を汲み取り、新たな時代を切り開くため、一つ先を見据えて行動するものである。

 斎藤は近藤・土方を写し取っていた。それはすなわち軍人に近しいものであり、あくまで現実をどう切り開くかに主眼を合わせているのだ。

 だから、斎藤の見方は現実の直視であり、常に厳しくて辛い評価を下す。

 例えばひとつの結論として、今まで生涯をかけて磨いてきた剣術は、銃相手では役に立ないだろう。
 個人で戦っている分には良いが、いくさは組織によるものであり、最新式の銃を組織的に扱えねば、いくさで勝利はつかめまい。
 
 そういった現実に則した未来予測をし、彼は少しだけ首をかしげて思う。
 『たしかに、俺はいらなくなるだろうなぁ……』という、観測であった。


「皆の力を結集して夷敵を打ち払い、新たな時代を切り開くために……」

 伊東の受け売りを語る篠原の姿を、冷静な目で見る。正直なところ、こう言った話題には付き合いたくはなかった。斎藤は言葉を聞き流すように相槌だけ打つ。

 伊東をはじめとした御陵衛士の一派は、信念を強く前に出している。
 だが、斎藤にはその言葉ほどの実があるだろうか? と思ってしまうのだ。
 『行動を第一とする』彼の担い手は、志などはあまり語らずに隊規を定め、隊の編制をもって新撰組が効果的な働きができるよう務めてきた。斎藤が今ここにいるのも、彼の命である。
 伊東達にそういったことができるのだろうか? 出来そうなら、それも報告せねばなるまい。

 斎藤は自嘲気味じちょうぎみに下を向く。そして話の切れ間を捕えて羽織を脱いだ。

小袖こそでを汚さなくてよかったな」

 斎藤は少しケチ臭いことを言葉にする。これは、次の仕事の布石ふせきでもあった。

「小袖? 気にすることかい」
「ええ、ちょいと最近入用でね。仕立て直しも困っているんです」

 身近な話になると、篠原は年長者らしい世話好きな姿を見せた。

「ほう、どうしたんだ? 酒か? 女かね?」
「良い掘り出し物があったんですよ。ちょいと金を借りることになったんですがね、清光きよみつですぜ」
「ああ、刀か」

 篠原は目利きには疎い。仕方ない奴だといった顔で斎藤という若者をながめる。

「あまり変な所で借りぬように……そうだな、伊東さんにこの件を報告するから、まあ褒賞ほうしょうに色を付けてもらおうや」
「ええ……ありがとうございます」

 そして、二人は月の下を歩きだす。

 その後、彼らの運命は大きくじれることとなるのだが、それは別の話である。

 斎藤の興味として、彼の担い手である土方歳三は今後どのような命を下すのだろうか?
 少し楽しみにしつつ、彼は蒼い月灯りを歩く。
 道は暗いようで、明るいようで、自らの才覚によって歩まざるを得ないだろう。

 すべての夜を照らす月は、彼らをただ見ているだけであった。


                                 了
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