蒼刃

夏夜やもり

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九 月下の血闘

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 蒼い月に照らされ、二人の刀は蒼くきらめく刃となっている。
 斎藤は、片手に刀を垂らした自然体であった。
 武田は、正眼にて落ち着かせようと自らの息を図り、思いついたように言った。

「さ、斎藤君、そう。私は着込みを付けている。すまないが備えでな」

 着込みとは鎖帷子くさりかたびらであり、防刃効果の高いものである。用意の良い物は羽織の下に着込み、襲撃しゅうげきに備えた。ただ斬撃は通さないが、衝撃は喰らう。下手に攻撃を食えば骨に響く。

 しかし、本当だろうか?

 武田が出てきたのは祇園ぎおん花街かがいである。
 楽しみのためであればそれを着込めば野暮やぼとされてしまうだろうし、要人と会ったのであれば、相手にもよるが、過剰な武装は失礼と取られうる。

 つまり嘘の可能性が高いと思った。同時に、何の魂胆こんたんでこれを口に出したのであろうか?

「そうかね」

 答えつつ、小趾こゆびからの動きで間合いを小さく潰す。静かに、じりと、気取られずである。
 刀の立ち合いは間合いの勝負となる。どれほどの達人たつじんでも素人しろうとでも、刃が当たれば死ぬのは同じだ。

 そのため、斬れる位置取りをもって「確実なわざを振るえるまでの状態を作る」というのが、頭一つ抜けた剣客の戦いである。

 武田は弁才で目立たぬが、剣術はできる。初めの動揺をすぐ止め、心を取り戻しつつあるようだった。

 今、彼の言葉は口舌による鍔迫り合いともいえる。相手に思考を強制した。
 もし、着込みをしていれば、有効な攻撃が限られる。そういった配慮をすべきか? 斎藤へ迷いを与えてきたのだ。
 しかし、斎藤は表情は変わらずに言う。

「ま、それはお互いさまですからな」
「むうっ、やはりか!」

 襲撃者しゅうげきしゃが着込みを着けるのは当たり前である。この返しを斎藤は少し面白そうに伝えた。今度は武田が考えればよい。
 武田は、忌々しそうに唾を吐く。

「壬生浪から分かれた愚者ぐしゃどもめ!」
「あんた、その一員に入りたかったでしょ?」
「私は伊東君には少しだけ期待していたのだ! しかし、私の価値を理解していない」
「そりゃ、あんたは隊士のいびり方しか出来ぬだろ?」

 武田は兵制を伝える時、明確なことを言わず概念で説明することが多い。
 さらに彼が間違っていると判断した時は、理由を説明せずに大声で面罵し、恥をかかせる類の教授法である。
 果然、多くの者に嫌われた。その嫌い方は、土方に対するような『畏怖いふ』ではなく、『軽蔑けいべつ』によるものである。

 斎藤は武田を怒らせたかった。
 今まで武田が直接的には言われなかったことを、叩きつけてやる。
 しかし、武田はまだ平静を装っている。

「浪士連中は学がなく、理解も足りぬ。だから私は面罵めんばするしかないのだ!」
「ふむ。じゃ、教授する才をもちあわせてなかっただけだな。あれじゃ強兵は育つまい」
「ぬかせ! 貴様に何が解る」
「ふふ、何がって?」

 一つ思い出した。武田は才子を気取っているがどうも怪しい。
 新撰組がフランス式軍法に変わるとなったとき、彼も学ぶよう薦められていた。それは近藤の恩情である。
 しかし、武田は承ったと答えた後に、夷敵いてきの学問など不要であると、裏で愚痴をこぼしていたのだ。それは、土方から伝わっている。

 恩情を理解出来ぬ奴だと、土方は嘆息していた。しかし隊務においては嘆息で済まさない。軍務師範を解任された武田は、急激に影響力を減らして行き、隊で彼を立てるものはいなくなっていったのである。

「解るさ」

 斎藤は、この会話とは別に脳内で勝ちまでの組み立てをしていた。

 会話に集中させつつ、間合いは削る。
 武田は酒を食っていることもあって、斎藤の細かな挙動は気付かれてないようだ。

 もう少し会話を続けるべきだろう。
 斎藤はほっておけば一日中黙っているような男である。
 しかし、立ち合いなどで言葉が必要な場合、異様なほど弁が立つ不思議な特性があった。

「例えばあんた、才子ぶっているが学問から逃げた口だろ?」
「なにっ!?」
「後生大事な長沼流軍学の免許も、金で買ったらしいじゃないか」

 挑発は想像でも効く言葉を選ぶ。
 なぜ怒らせたいのか?
 剣客同士の立ち合いで、ある段階以上の力量を持つ者たちの血闘で、怒りは勝機になりえない。
 突破力は上がっても、行動が単調になってしまう。
 それは、至極読みやすい。

「き、きさま!!」
「隊士の指揮もお粗末なら、学も伊東さんにも、故人だが山南さんにもまるで及ばない」

 斎藤は、鼻で笑う。

「無能がばれそうだから、新撰組からも逃れたかった。違うかね?」
「きさま……」

 鮮やかな月夜と言ってもさすがに武田の顔色はわからぬ。
 だが口の端、言葉の端が、かすかに震えているように感じた。

「そもそもだ。新撰組の軍法をフランス式に変えたのは、あんたの指揮じゃ勝てないからさ」
「何を根拠に!?」
「はっ、土方君直々の弁さね。おや、なんどもいわれただろ? 理解できなかったのかね?」

 『なんどもいった』は武田の口癖である。
 たとえ言ってなくても使うため、陰口で記憶惰弱者きおくだじゃくしゃと言われているのだ。
 今回はあおるためにまねしてみた。
 武田の顔色が変わったように見える。

「それは、お主が勝手に作ったのだ!」
「はははっ、武田よ、近藤さんがフランス軍法を学ぶように言っただろ? あれは、命令じゃなく、温情だったのさ」
「……!?」
「近藤さんは、無碍むげにされてあきれてたよ。エセ才子だってな」
「貴様!」

 武田は憤り、勢い、大上段に構えた。
 月光に上品な刀がこうと輝く。
 斎藤は目を細め、素早く刃を下段に構えて左半身ひだりはんみとなり、その刃の長さがわからぬように体幹へ添えつけ、柄頭つかがしらだけを武田に向ける構えを取った。

 まだ、間合いは届かない。
 挑発を受けて、攻めの姿勢を見せた武田は、新撰組で組長を任されるほどの剣客である。
 上段に構えたのだが、その瞬間に、いま仕掛けても自分が斃れると察知し、冷静になろうと息を整える。

 斎藤は、半身のまま左肩を突きだすような姿勢をとって、再び間合いを詰めた。
 その肩は、武田にとっては斬りやすく見えている。

 ……もしかしたら、罠?
 その可能性がうっすら浮かぶ。
 彼は憤っていても、酔っていても、一流の剣客なのだ。

 動きと気の働きを察知する。
 心を読んだ斎藤は、武田の逡巡を察した。
 仕掛けが足りない。
 あと少しを詰めねばならぬ。
 声を掛けた。

「武田君……」
「……?」

 互いに、剣気をぶつけている。
 言葉は交わすべきでない。

「実はね、君には怯懦きょうだの疑いもあったのだよ」

 怯懦とは臆病おくびょうで、気が弱い者の姿を意味する。
 新撰組ではその姿を見せた者に、明日はない。
 突然の侮辱に武田は目を剥いた。

「なにっ!?」

 斎藤は切腹した熊の様な隊士の、相方だった美男隊士の名をあげた。

「……くんの殉職は君だろ? 尻を狙っていた彼を恐れ、浮浪浪士を使って斬ったわけだ。情けない」

 まるっきりの濡れ衣である。
 しかし、同時に新撰組で覚えのない悪評を思い出し、その集大成が今の言であると錯覚した。
 武田は一瞬目の前が真っ白になるほどの怒りを覚える!

「死ね!」

 一歩踏み込み、間合いを詰めて大上段に構えた刀を振り下ろす!
 斎藤の肩は斬りやすい位置にある。
 また、首が近い。
 斬撃で行動を止め、追撃で刺せばよい。

 それは斎藤が待ち望んで一撃であった!
 月に照らされた二筋の刃が、それぞれ弧を描く。

 風を巻き、刃筋の通った音をたて、月光による二条の残光が、持ち主の狙いどおりの位置をいだ!


 られたのは、武田である。


 武田の上段からの正確な斬りおろしに合わせ、斎藤は左半身ひだりはんみ右半身みぎはんみに入れ換えるだけの動作で、相手の狙いを空振からぶらせ、その動きに連動して振るわれた剣閃が、斬りやすく出てきた武田の頸を裂き、致命傷を与えたのだ。

 今回のわざは、心・気・体をそろえたものとなる。

 戦場という、戦意をたかぶらせねばならぬ場で、斬る瞬間まで普段通ふだんどおり動けるよう、斬撃に殺意を収束させる『心』の平静さを保つ。

 相手の剣気に押されず飲まれず、体を強張らせぬよう滑らかに、滞らせぬように『気』の制御を続ける。

 軸足の切り替えや体幹の連動を、考えることなく出来るようになるまで突き詰めた『体』の研鑽けんさんを、互いの刃がきらめく一瞬に再現した。

 この難しさは斎藤以外に理解できない。



 斎藤は斬った手ごたえを感じた瞬間に飛び下がる。

 斬られた武田は、何が起こったのか理解できず、一歩、二歩、よろめいて、首から激しく失われていくものをおどろいた眼で確認し、そのまま倒れた。

 離れた位置で斎藤は、倒れた相手にさきを向ける。

 斎藤は、残心ざんしん ―― 敵が再び起き上がってこないか、他のち手が居ないかの確認を行った。
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