蒼刃

夏夜やもり

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七 因縁 前編

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 斎藤が武田との因縁いんねんを持つのは、衆道のもつれで切腹となったとされる、熊のような隊士にあった。
 
 それは池田屋事変より後の出来事である。隊の編成が整いある程度隊務をこなしていた時期に飛び込んできたのだ。

 件の彼が切腹する羽目になった理由は、隊規たいきにおける『勝手に金策するべからず』にあった。
 この隊規は、新撰組の成り立ちに関係している。

 新撰組の役目は、京の治安維持だ。
 治安は悪い。志士を名乗る質の悪い連中は、京の商家を天誅てんちゅうと称して私的に襲い、その家財を略奪する。こういった者を取り締まる必要があった。

 当時、京の治安維持を任されていたのが会津藩で、その預かりとして、浪人集団をまとめ上げた新撰組が、会津藩と協力して治安維持を執り行う。
 その活動資金は藩費と寄付によってまかなわれている。

 会津藩の預かりとなったことで、新選組の隊士は武士として扱われていた。しかしもともとは浪士である。食に困ることはなくなったが、浮浪人のような振る舞いは困ると隊内に規律を設けたのだ。

 とくに不逞の輩を中心に取り締まるべき新撰組が、金策と称して商家から金を借りたのち、踏み倒すようでは困る。
 そこで『勝手に金策するべからず』が加えられた。

 結成当時は怪しい者も多く、鉄の掟で引き締める必要がある。
 実際に隊の規則に触れて切腹に至るものが出れば、見せしめとして一罰百戒が可能であるといった目論みもあった。

 ただ、これを都合の良い解釈ができるし、同様に、ある程度の情状酌量もできる。

 京に剣を頼りに出てきたため、生活に困るなどという者もあった。
 基本的に急場の金の悩みはその隊の組長が相談を受け、どうするかを判断したうえで、適切な処理が行われている。
 ・隊費から出す。
 ・組長が個人的に面倒を見る。
 ・御用商人を紹介する。

 などであった。

 この熊のような隊士は確かに商家に金を借りた。その商家は彼と古くから付き合いのある商人だったらしい。しかし、それが切腹になるというのは行き過ぎであろう。

 なぜこうなってしまったのか? 斎藤はいぶかしむ。件の彼が所属していたのは、三番隊である。組長は当然、斎藤であった。


**―――――
 その日、武田はある隊士が急いでいる姿をたまたま見かける。その隊士は熊のような容貌の男で、三番隊に属していたはずだ。

 武田は、この男を憎んでいる。以前、一目で欲しくなり、口説いていた青年隊士をかすめ取った恋敵でもあり、また、三番隊に属している事も気に入らない。彼にとって自分の隊よりも活躍する連中は目の上の瘤であった。

「しかし、なぜこのように急いでいるのだ?」

 少し訝しみ後をつける。件の彼はある商家に転がり込む。後ろからのぞき込む。すると、彼は金の無心を頼み込んでいるのだ。

「……なんだ? 最近、男色の艶聞えんぶんが立ったばかりなのに、金がいるのか!?」

 武田の中で、その姿は酷くみにくいものに映った。彼にとって平隊士の内情など鑑みる必要はない。よくよく見れば、必死に頼み込む姿は、情を持ち合わせた者であれば、何事か感じるかもしれない。しかし、武田はそういった部分が欠けている。

 そして、思いついた。『勝手に金策するべからず』を侵した彼は、自分から恋を奪った敵であり、いなくなってくれた方がありがたい。
 さらに三番隊に属している以上、その組長への管理責任も問える。三番隊の戦力が減退すれば、自分の五番隊にも活躍の場が増えるのではないか? 

 幾度かその思い付きを脳内で推敲すいこうし、低く頷き、武田はその場から急いできびすを返し、新撰組屯所へと急いだ。


**―――――
「副長、お耳に入れたいことがあります!」

 武田の口から出る言葉は、耳をざらつかせるひびきがある。

 土方自身、なぜこのような印象を受けるのかを、明確に説明することができていないのだが、『この者は事実を言っていない』と思わせる響きがあった。

 もしかしたら、剣客としての感覚の鋭さからくるのか、それとも、武田の人品が声となって出ているかはわからぬが、この粘っこく絡みつくような話し方が、土方は気に入らない。

 ただ、感情と隊務は別であり、いつもどおりの渋面しかめっつらを作りながら聞き返した。

「なにかね?」
「……山崎君からの一報、届いておりませんか?」

 武田は、自分と幾分か懇意こんいにしている篠原ではなく、あまり仲の良くない山崎の名を出した。
 当然、土方は何も聞いていない。

「別段、変わった報告は来てない。武田君、君のいう重大事と、隊の重大事は違うかもしれんぜ?」

 武田は少し笑う。

「いえ、隊規に関わることです。これは、速やかに報告せねばと思いましてな」
「ほう? そりゃ、どういうことだろうな」

 隊規の違反いはんは切腹である。そのために明確な違反となれば、山崎烝やまざきすすむら監察によって、裏を取った上で刑が執行されるのだ。

「君の隊員かね?」
「いえ、三番隊の……」

 武田が告げた名を土方は思い返す。
 それは、熊のような容貌ようぼうの彼だ。その彼は、隊でも随一の美男子と、男色の縁を結んだという、艶っぽいというには理解しにくいうわさが付いて回る男ではある。
 だが、彼の仕事自体に手抜きはなく、質と実が伴う三番隊らしい隊士であった。

「ふむ?」

 土方は首をひねる。隊のことは組長に任せるのが常であり、五番隊である武田からの通告は、筋が違うのだ。
 土方は組織の運営をするものとして、そういった横槍は許せない。さらにこの通告によって、下手をすると三番隊組長である斎藤にまで責任が及んでしまう。

 もう少し調べる必要を感じつつ、土方は尋ねた。

「して、その彼がどうしたんだね?」
「勝手に金策するべからず、ですな」

 土方は眉間にしわがよる。おそらくは借金の類であろう。
 隊士の個人的な部分には突っ込むつもりはないのだが、隊中の噂はすべて彼の耳に入る。どういった経路での借金かによって、情状酌量もできたのだが、今、件の彼は時期が悪い。
 同じ趣味を持つ者がうらやむほどの美貌びぼうを持った隊士と、よんごとなき縁を結んだという噂は最近のものである。
 そのすぐあとに、借金による訓告ともなれば、別の噂が立ってしまうだろう。

 もしかしたら恥と感じて、決闘に発展する可能性もありうる。
 このあたりの常識は時代特有のものであり、武士に限らず『恥を受ける』ことに命を掛けて対抗する者が多かった。そして、多くの共通認識として『恥をそそぐ』といった行為は正当とみなされる。

 それはたとえ立場が上の者であっても、恥辱を受けたと感じれば、生死を賭して決着をつける気概をもち、かつ周囲もそれを認める社会だった。

 特に、新撰組の隊士となれば苗字帯刀が許され、武士として扱われる。果然、武士よりも武士らしくあろうとするものが多く、恥を受けたら簡単に刀を抜いてしまうかもしれない。
 そして、刀を抜いた以上、相手を斬らずに納めてしまえば、士道不覚悟しどうふかくごとして切腹に至るし、たとえ斬ったとしても、『私の闘争を禁ずる』に当たってしまい、両者切腹の沙汰まで及んでしまうのだ。

 (*注 余談ではあるがその大きな例は、赤穂浪士の原因となった浅野内匠頭(長矩)であり、彼は殿中の抜刀において吉良上野介を仕留めることが出来なかったという、タテマエから切腹の運びとなった。
 その後、彼の家臣たちによる報復が、四十七士の逸話が全国で話題となる。)

 土方は嫌な顔を隠さずに見せた。
 彼にとってまるで明るくない衆道ではあるが、その道に通じる者は情が深く、通常の睦事むつごととは違うらしい。
 もし、借金のうわさを囃された場合、刃傷沙汰にんじょうざたも考えられる。
 そして、答えた。

「そうかね。わかった。それじゃ裏を取ってみよう」
「はっ! ……ああ、そうそう。この件では、斎藤君には寛大なご処置を願います」

 組長の進退は基本的に土方が考え、進言し、近藤が判断するのだ。嘴を挟んでくる行為に、眉間のしわを深く刻み、気をこめて睨む。

「組長の進退を、俺に助言するのかね?」
「いえ! しかし、この件は私の隊士が偶然、発見したものです。悪質な場合も考えられたので、急ぎ、通告した次第で……」
「ほう?」
「それに、この件はもしかしたら情状酌量じょうじょうしゃくりょうの余地があるかもしれません」
「ふむ」
「なので、斎藤君の不明というわけではなく、一つ、ここは同じ組長である私に免じて」
「なるほど」

 今の言葉には、まるで逆の沙汰を望んでいるように聞こえる。
 彼は言外に、斎藤の監督責任は忘れぬようにと、念を押された気がした。
 ただ、土方は斎藤の方が大切である。

「わかった。君に免じて、斎藤君は注意のみとしておこう」
「ははっ、ありがとうございます」

 武田は、笑う。
 腹の内とは真逆の言葉を笑顔でだせるのだから、この男もある種の怪物だなと、変なところで感心しつつ、土方は武田に下がるように言った。


**―――――
 その後、土方も裏を取る。紆余曲折を経て渦中の彼は切腹に相成る。
 救おうにも、隊内に噂が立ってしまっていたのだ。

 監察を使って調べた金策の内容として、実家の者が流行り病に掛かったらしい。当時は薬に金が掛かる。新撰組の隊士としての収入は当時としては中々のものだったが、その金額を聞いて彼は気が動転した。

 流行はやり病としか書いていない手紙だが、当時はコレラが流行っている。そして、コレラは数日で死に至る場合もあるのだ。
 彼は当然それだと思い込んでしまい、慌てて贔屓ひいきの商人に頼みに行き、それを偶然武田が知り、内容を確かめることなく大騒ぎしてしまった、という話であった。

 熊のような容貌をしているが、彼は情が深いのだろう。もし、彼が取り乱さずに落ち着いた行動が出来、先んじて組長である斎藤に相談できれば、先に知ってさえいれば、建て替えることも出来たし、土方に判断を仰ぐこともできた。

 新撰組は厳しい隊規がめだつのだが、基本的には会津藩預かりの公的機関である。隊士にはしっかり働いてもらわなくてはならないので、悪いようにはならない筈である。
 また、武田が大騒ぎにしなければ、もしかしたら内々に注意のみで、事なきを得る沙汰さたとなっていた。

 しかし、武田は違反を見つけた事を自分の手柄のように吹聴している。隊内で噂になってしまっている。そして、彼の隊規違反は見逃すことが出来なくなっていた。

 切腹の後、不機嫌な様子を隠さぬ斎藤のもとへ、武田がやってきた。

「斎藤君、今回の件、副長から、なにありましたか?」
「……なにか、とは?」
「いえ、私の口からはなんとも、ね」
「ふむ? これから伺ってまいりますが」
「そうですか。まあ、気を落とさぬように」

 張り付けた武田の顔には、別の感情があるように見える。
 斎藤は武田を一睨ひとにらみし、不快感を抱えたままその場を後にした。
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