蒼刃

夏夜やもり

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五 武田観柳斎 前編

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 武田観柳斎たけだかんりゅうさい、本名は別にあったらしい。
 新撰組の五番隊組長であり、同時に文学師範を務めていた。
 彼は長沼流軍学ながぬまりゅうぐんがくを修めている。

 長沼流軍学とは甲州軍学こうしゅうぐんがくとするもので、甲州軍学とは安土・桃山時代の武田信玄が支配していた土地名をつけた軍学となる。
 軍学とは用兵学、つまり軍を運用するための学問であり、開祖は信玄の戦術を理想とし、長い年月をかけて研究した軍学者、小幡勘兵衛景憲おばたかんべいかげのりであった。

 戦国時代の末期に出来たこの軍学は、徳川幕府全盛期の平和な時代に広まり、当節武士の需要に適応するため、朱子学しゅしがく儒教じゅきょうが混じり、礼法と伝統を重視する学問になった。
 用兵術も網羅もうらしているが、戦場の礼法が重視されたものとなっている。

 武田観柳斎はこれを修めたのち、その学問を前面に出すため武田と改名して志士となり、新撰組の徴募ちょうぼに応じた。宣伝能力の高い男である。

 剣術はできた。だが彼には軍団指揮の力を期待されていたらしい。
 彼の働きにおいて明確なものとして、新撰組が世間に認識された池田屋事変いけだやじへん(京の旅籠『池田屋』で長州藩が大規模な破壊活動の打ち合わせしていた所へ、新撰組が小部隊で討ち入り未然に防いだ)において、格別の働きとして金二十両の報酬が出ている。

 その評価は先発の切り込みをになった沖田・永倉・藤堂らと同等の扱いであった。
 ただし武田は初手切込みに属していたわけではない。隊士を指揮したことが評価されたと思われる。その働きは、池田屋から逃れた志士の捕縛ほばくであり、他隊士を効果的に動かしたのだろう。

 武田の評価は当初の抜擢以降ばってきいこう、一気に下落していった。

 その理由の一つは、彼が誇る弁才にある。
 弁才の使い方は人の性根で用い方が異なるものだ。本来は自分の意思を明確にし、交渉を有利に運ぶために用いる。しかし武田は他者をやりこめ、陥れることが多く、その上で自分を有利にする用い方が多かった。

 とくに新選組の隊士たちは、教養に大きな開きがある。武田はそういった隊士に粘着質ないやみを含めつつ、彼らを翻弄ほんろうしたのちにあなどる態度を見せた。

 いやみも一度や二度であればまだ許せるが、あまりにも続くと恨まれる。
 そのうえ議論で不利となった場合も悪い。彼は論点をずらすように絡みつくやり方を多用し、本来とは別の話にすりかえ、対峙者を一方的に悪者にしたうえで、本来の論点をごまかしてしまう。
 そして、被害に遭った隊士から嘘つきと軽侮けいぶされる。そういった隊士は多かったらしい。

 結果、武田の人品は軽んじられて行き、彼が新撰組で求めらている軍略にかげりを生む。軍団指揮を執るものとして必要な『兵からの尊敬そんけい』は得られなくなった。
 さらに、上位の者へ対する態度はひどい。彼は周りの目も気にせずに、おだてり寄るような態度をとっていたので、おべっか屋と後ろ指を指され、さらに威容いようを失って行く。

 入隊後早くから、近藤・土方へすり寄るように話しかけていく姿を目にした隊士は不快感を抱いていたが、しかし、武田の性格をかんがみ、それを言上したとしても、自分が不利になるような状態を作られてしまうと錯覚さっかくした。いや、錯覚させた。

 そして、武田は新選組の初期の頃から隊士たちを顎で使うような態度でしつけていく。
 そのような態度によって彼は、上にはへつらい、下には傲岸ごうがんという、現代で言う嫌な上司のような存在といえた。


**―――――
 新撰組においての武田観柳斎は、その技能を買われ軍学師範となった。だが、早い段階でメッキは剥がれることとなる。

 もともと新撰組は『佐幕』ではあるが、攘夷じょういの士であることに変わりない。海外からの有事の際には攘夷のさきがけとなることまでを視野に入れていたのだ。
 そこで、長沼流軍学を修めたという履歴りれきから、早い段階で隊の軍としての調練ちょうれんを任せられる。

「私は近藤局長の代理として、君たちを教え導く使命があるのだ!」

 口癖のように繰り返し、軍事調練を行う。一時期、自身が近藤の副官のように装っていた時期もあり、時折、土方にたいしても同列のようにふるまう場合もあった。

 しかし、肝心な兵の調練が問題である。
 どうやら自慢の軍略は暗記による修学だったうえ、本人には軍を動かす経験もなかった。更に悪いことに、彼は軍運用の機微きびが致命的にうとかった。つまり、小規模軍団を率いる才に欠けていたらしい。
 
 ときおり、隊士たちが不明な点をたずねるのだが、『上官の命にしたがえ!』の一点で押さえることが多い。軍としてはある部分で正しい態度だが、それは信頼できる上官からの言葉でこそ有用である。
 彼のような人格が信頼できない場合、反逆の種を育む不都合があった。

 また、新撰組という組織を、志を持って参加した同志たちの集団とみている者が少なくない。特にその気質が激しい永倉などは武田の面を見るのも嫌うほど、憎悪していた。

 仮に武田が他藩の後進的組織に属していたならば、長沼流の権威を生かしその立場を保てたかもしれない。

 しかし、新撰組のまとめ役である土方歳三は、組織運営能力と軍事的才能が豊かであった。そのため、早い段階で武田の誇る長沼流軍学は、張子の虎だと見抜く。

 それ以降、武田の没落は早かった。


**―――――
 それは土方が幾度かその調練の様子を見て、近藤へ進言したことに始まる。彼の視点は常に現実に即しているため、非常に果断であった。

「近藤さん、ありゃぁ銃とは戦えないぜ?」
「……ああ、確かにそうだな」

 長沼流軍学が基にしている甲州流軍学時代の先進兵器は火縄銃である。この時代には古すぎると言えた。
 さらに軍制はいちいち無駄が多い。隊として規律きりつ統制とうせいを学ぶにはよいだろうが、新撰組を軍にすることを見据えた近藤・土方は、最新の軍事に関して幾分明るい。
 そして、二人とも現実的な見方ができた。

 そのうえで、武田の長沼流軍学では、昨今の銃に対する備えはできないと断じる。

「実はな、お上からフランス式軍制に変えるよう、命があったんだ」
「ほお、丁度良いじゃねぇか」
「それで、長沼流はどうするかと思ってな」
「いっそのこと、武田はお役御免にしちまうってのはどうだい?」
「いやいや、せっかくの軍学者なんだ。武田君にも兵制を学んでもらってはどうかと思ってな」

 土方は表情を曇らせる。

「近藤さん、あいつにゃあまり期待しない方が良いぜ」

 土方の苦言に、近藤は苦虫をみ潰したような表情を見せ、そして言った。

「しかし、何もなしで役を降ろすことは出来んよ」
「そうかねえ?」

 ぞっとしない表情の土方である。その顔を見せるとき、何か核心的なものを感覚で掴んでいるのだ。近藤は軽く息を吐く。

「しかし、今回私は無茶なことを言うんだ。武田君は断るとみているのさ」


**―――――
 この時代、多くの翻訳者が洋書を翻訳し、各藩の上層に上がっている。京の守護職である会津藩も、当然ながら技術革新を急いでいた。

 危機感のある一部の藩は様式化の重要性に気付いているのだが、しかし、大多数の藩はいまだに意識が変わっていない。

 たとえば現在主流となる銃火器は、操作が容易なミニエー銃である。それ以外に新たな銃の情報(エンフィールド銃からスナイドル銃)も入り始めている。

 これらの銃器の有用性や運用する方法や、軍として導入する方法など、革新的要素が海外には豊富にあった。

 こういったものを海外から積極的に取り入れ、近代化を成功させた藩は長州藩、薩摩藩、土佐藩らの、内部事情は割愛するが、倒幕に働いた藩である。

 他にも宇和島藩、中立を保とうとしていた肥前佐賀藩ひぜんさがはん(後、倒幕派に協力)や長岡藩ながおかはん(後、佐幕派と協力)などもある。

 対して佐幕の藩で技術革新が追いついたのは会津藩ぐらいであった。(水戸藩は藩内の対立と財政難のため、改革が間に合わなかった)


 維新とは変革である。幕末という多くの苦難・国難を抱えた日本において、新たなる時代を切り開くために、どの価値観を守りどの価値観を捨てるかの、取捨選択を強いられていた。

 国内と国外の違いは、あらゆる技術の遅れである。

 文明としての遅れを自覚している大多数が焦り、知識と発展を求めた。
 そして、異文化を受け入れることのできないものは、過剰なまでに反発を行う。それは口論だけでは収まらず、闘争にまで発展した。

 各志士の上層に属する者たちの命題は、現実を鑑み、海外からの最新技術をどうやって取り入れるか? であり、それは医療技術・機械工学・軍事技術・航海術・造船技術をはじめとした、新たな流れをどう解釈するかが重要だった。

 幕府の幕僚ばくりょうは、実際には柔軟に取り入れようとしていた形跡はある。しかし、最上部に属する者たちは老齢を迎え、時代を読む能力も低かった。
 そして、幕府は国内の語学発展を封殺し、将来を思っての献策けんさくしたものを捕縛する方針を取った。そのため、大きな反発を生み、政権自体がその寿命を縮めていく。

 最後の将軍となった徳川慶喜は、才もあり先を見通す目を持っていた。そして、国内で争う愚を見抜いていたように思われる。彼の行動は結果的に国力を大きく損なわずに近代化が出来たのだが、反面、彼を支持していた者たちを手放す選択となった。

 さて、海外の事情の熟知と文化の発展に関しては、長州藩や薩摩藩をはじめ、肥前佐賀藩、宇和島藩など、藩主が革新的であり、蘭学者を率先して募った藩は、時代の旗手となっている。
 この賢明な一部の志士たちが、進む時代に追いつこうと粉骨砕身していた。

 同時に変革を拒み、今まで積み上げてきた文化崩壊に脅威を抱く者のなかで、過激な者たちは先進的な仕事に携わる者たちの命を狙うといった時代である。


**―――――
 近藤は軽く息を吐き、武田には自らの積み重ねである長沼流軍学にこそ、誇りを持っていると思い処遇を決めた。彼の身上として、切りにくい。

 その理由として、彼は新撰組の長として会津藩や幕府といった政治の世界に住まう連中と交渉している。そのやり取りは、武田の比ではないほど、詭弁と非現実の言葉たちであった。
 信念を言葉に含ませたものは一握りであり、逆にそういった者の方が排斥される場がある。

「まあ、一度武田君と話してみるよ」

 重たい気を吐き、彼は言った。

「わかった。全隊士の処断を決めるのは俺だが、進退を決めるのはあんたさ。任せたぜ、近藤さん」
「うむ。任された」
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