蒼刃

夏夜やもり

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序 銭取橋

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 慶応けいおう三年(1867年)の夜は、何もなしでは周りが見えなくなるほどに暗く、深い。
 しかし、今宵は少し違う。特別に蒼く、鮮やかな輝きを下ろす月が出ている。
 その輝きはくっきりと京の夜を染め、提灯あかりがなくとも歩けるほどであった。

 もう六月の終わりごろであり、当時の六月(陰暦)は夏の盛りである。しかも昨今は暑さが身にこたえるほどであり、気温・湿度ともに高い。

 こんな夏の夜には蚊帳かやを吊り、蚊取りの煙をくゆらせつつ、団扇うちわを片手に涼を取りたいと思う。そんな月夜だ。

 この明るい闇の中を、一人の男が歩いている。

 彼の名は武田観柳斎たけだかんりゅうさい
 羅紗地らしゃじの涼しげな着物を着こなし、朱を基調とした派手なこしらえの刀を差している。どうやら花街かがい帰りのようで酒が入った足取りだった。

 彼には送り狼が二人ついている。どちらも浅黄色あさぎいろにだんだら模様の羽織はおりを着ている。ただし彼らは尾行に慣れていたのか、気付かれていない。

 武田は銭取橋ぜにとりばしのたもとまで歩く。そこで送り狼たちが声を掛けた。

「まちたまえ、武田君」

 現れた男は、新撰組三番隊組長しんせんぐみさんばんたいくみちょう斎藤一さいとうはじめ新撰組監察しんせんぐみかんさつ篠原泰之進しのはらたいのしんである。
 少なくとも武田の記憶ではその印象が強い。

 もっとも現在の二人は御陵衛士ごりょうえじ所属しょぞくしていたはずであり、彼らがなぜ新撰組の羽織を着ているのか? 武田には解せない。

「久しぶりだな。息災かね?」
「斎藤君か……何用だ?」
「とある事情がありましてね……付き合ってもらえますかね?」
「ふむ……話次第だが……」

 武田は、昨年の秋ごろ新撰組を脱退している。

 当時彼の立場は五番隊組長であり、文学師範という肩書だった。彼は才子であり、特に弁舌の才がある。さらに長沼流軍学を修めた経歴から、一時期は軍事師範を務めていた。

 ただ自身の学問を鼻にかける節があり、無学な隊士たちを見下すような態度で接しているため、多くの隊士に嫌われている。
 嫌われるだけならまだ良い。しかし、隊中に悪評が流れたことも手伝い、身の危険を感じて脱退を申し出、許された。現在は一個の志士である。

「俺もしがらみが多くてね」

 話を続けながら斎藤は記憶を探る。
 武田観柳斎は、上である局長・副長にはびへつらうような態度で接し、下には嫌味を叩きつけるといった、関わりたくない男であった。その他にも因縁じみた出来事もあるのだが、それは出さない。
 斎藤にとって、彼はただの獲物である。

「私の方はね、監察かんさつ時代の残務って奴ですぜ」

 斎藤に続いた篠原は、新撰組で監察を務めてきた。監察とは隊内の実務調査を務める。
 職務より得た情報は斎藤よりも多く、武田への評価はさらに厳しい。篠原がみる武田観柳斎は舌と行動が伴わず、また志も薄い、自らの虚飾きょしょく虚栄きょえいを誇る男となっていた。

「しかし、君たちは御陵衛士に入ったんじゃないのかな?」

 武田は疑問を口に出す。

 御陵衛士とは、新撰組参謀しんせんぐみさんぼう伊東甲子太郎いとうかしたろうが、局長の近藤勇こんどういさみと思想の違いを申し立てたことに始まる。
 志士としての信念が強い伊東は、命がけの談判を行った。その追及は隊すべてを巻き込むほど厳しく、いくさも辞さない気迫をもつ。

 そして伊東は質実剛健な性格に、弁才までも群を抜いていたこともあり、近藤もうなずかざるを得なかった。
 結果、新撰組の別動隊という名目で、『御陵衛士』の名をもって隊を結成し、彼の信念に共鳴した多くの隊士を引きつれ出て行く。
 この事件は武田の脱退後に起こったものだ。

「その恰好は、なにかね?」

 斎藤と篠原の挙動を注視しつつ、武田は余裕を見せるように問いかけた。
 涼しそうな表情だが、内心では彼らを憎んでいる。というのも、武田は御陵衛士設立を耳聡みみざとく聞きつけ、すり寄るように接触を試み、加入を申し出ていた。
 しかし伊東は『御陵衛士は新撰組の別動隊として存在している。脱退者は不要』と、無下に拒絶している。

「なぁに」

 問われた斎藤は軽く羽織をゆすってみせ、世間話でもするように飄々ひょうひょうと答えた。

「抜ける前の頼まれごとでね。だから、こいつを引っ張り出したんですよ」
「頼まれた? だれに、何をだ?」

 斎藤は少し首をかしげた姿勢で答える。

「土方副長に、ですよ。もし武田君に遭ったら、命を縮めてほしいとね」
「なに!?」
「ってことでね、俺と立ち会っていただきます」

 ぎょっとして観察する。斎藤はまだ刀を抜いていない。彼のこしらえはごく一般的な黒鞘くろざやであり、刀も無銘むめいの武骨な物である。
 武田の記憶によれば、彼は刀の目利きが得意なのに、自らが用いるものは古刀ことうよりも新刀しんとうが多く、備前刀びぜんとうの無銘など、価格が手ごろで頑丈なものを選ぶ男だ。

「たちあ……う!?」

 武田の言葉の途中、無遠慮な動作で斎藤は間合いを詰める。その間合いは斬られる!

「き、貴様!?」

 武田は叫んで飛び下った。鯉口こいぐちに手を掛けない。斎藤は居合いあいの名手であり、居合は相手の手掛り、つまり自分の初動に合わせて斬るが定法である。

 そこは心得のある武田であり、抜かせずに間合いを外した。その姿をさほど気にせずに、しかし、斎藤はそれ以上逃れられぬようにゆるりと動く。

「……お主ら、我々は同じ志をもっているだろ!? それに、私はなんの罪がある!?」

 その理由は公言できない。斎藤は目を細め、口元に薄らと笑みを浮かべていった。

「さて……? 強いて言えば『局を脱するをべからず』かな?」
「ならば、貴様らも同罪に問われようが!」
「ふむ?」

 御陵衛士は新撰組の別動隊をうたってはいる。しかし、取り方によっては脱退と取られる可能性もあった。そこへ篠原が言葉を差し込む。

「私たちは正式な手順を踏んでいるんですぜ。京の取り締まりは変わらぬ。伊東さんが言わなかったか? 新撰組の別動隊ってさ」

 今夜はひどく蒸し暑い。汗かきの篠原は額にうかぶものをぬぐわずに続けた。

「あとね、志はあんたとまるで違うさ。私は調べさせてもらったけど、口と動きがあってないよねえ」

 篠原の言葉を遮るように斎藤が口を出す。

「俺たちもね、幾分か迷いはしたんです。しかし、古巣からのお願いもあるし……」

 斎藤は軽く首をひねってから、続ける。

「あんた、困った人らしいね?」
「…………」

 新撰組を抜けたあとの武田は、かねてより志があったと公言し、攘夷じょういの志士として薩摩藩さつまはんとの接触を計った。
 どうも彼は、才に自信がありすぎたせいか、身の置き方などは杜撰ずさんだったらしい。その行動は筒抜つつぬけである。
 その行動をみて、新撰組副長しんせんぐみふくちょう土方歳三ひじかたとしぞうと、御陵衛士頭領の伊東果子太郎は、武田の処断を決めた。

「私は、私の志をもって、行動しているのだ!」

 武田の言葉はむなしく響いた。彼には、斬られるだけの理由がある。
 新撰組が彼を斬る理由は、佐幕の新撰組としては『政敵』である薩摩藩へ、元新撰組五番隊組長の肩書付きの活動情報を取り込まれ、『政治的に』利用される可能性を危惧きぐした。

「それに! 伊東君はどうなのだ!? 私と志が同じはずだ!」

 御陵衛士は薩摩藩と秘密裏に交渉をしている。その交渉はある程度好意的に進んでいたようだった。しかし、どうも武田が個人の志士として交渉を始めたとき、御陵衛士との関係をほのめかしたらしい。これが、御陵衛士が武田を斬る理由である。

 頭領の伊東は、御陵衛士に属する者は志にじゅんずる鉄の部隊としたかった。しかし、武田という、才はあっても志のあやしいものは、所属していると思われたくない。
 そう。伊東は武田によって、御陵衛士の質が疑われてしまうことを危惧した。そのために処断を決定したのである。
 篠原は、少し気迫を込めた表情で睨みつつ、言った。

「長年の同輩である私はね、伊東君の志を知っているし、見てきたのさ」

 そして、言葉を続ける。

「あんたにゃさ、そういったモノがないんだろ?」

 率直な言を突きつけた。

「なにを! 貴様らに何が解るか!!」

 志がないと直接言われた武田は激昂する。そこへ斎藤が言葉を掛けた。
 
「ずいぶん、派手に動いているようですね?」
「私が私の志をもって行動しているのだ! 志士として当然ではないか!」
「ほう? ちなみに今日は誰と会ってたんです?」
「言う必要はない!」

 今宵武田は薩摩藩のなにがしとの会談を行ってきた。
 斎藤たちはその情報をつかんで此処にいる。実際にはその件を伊東へ漏らしたのもその某であり、武田は薩摩藩からも切り捨てられたらしい。

 そして斎藤は半歩出る。

「武田君、お覚悟を」
「……壬生浪は、一にも二にも刀しかないのだな」

 時代遅れが……とうめく武田に、斎藤は薄く笑った。

「そのとおりですぜ」
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