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1 博士は刻(とき)をみたようです
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**―――――
昨日のお昼の後、私は部屋の整理を頑張っていた。
つもりだった。
だが、ついつい誘惑に負けてしまい、今は懐かしい小説を読みふけっている。
何度も読んだその物語の良いところ……主人公が環境に左右されて打ちのめされ、悩みつつも、行動をする姿に共感を覚えたあたりで、窓を叩く音に気がつく。
「んー?」
不思議に思って窓に視線を向ける。
そこには、白いカラスさんがいた。
足に付けた手紙の銀環を見て、私は今日という日が悪夢に変わっていくような感覚が足元からぞわぞわと昇って来るのを感じる。
「あ……もしかして、博士だよね?」
呟きつつも、近づいて窓を開けた。白いカラスさんはニヤッと笑う。
「カラスさん、相変わらずダンディですね」
『ニヤー』
そのニヒルな微笑みを称えつつ、ひと撫でしようとすると避けられてしまった。仕方なく手紙を預かり、急いで開く。そこには簡潔にこう書かれてあった。
『いいもんできたぞい、みにおいで!』
私は、暫く力を無くすように床へ手をつき、立ち直るまでの時間をいくらか思考に費やしていた。
「あー、うん。博士にこれから行きますって伝えてくれるかな?」
『ニヤッ』
私の言葉に白カラスさんは毛づくろいをしたように見える。すると、足に新しい環ができていた。そしてこちらを見る。
『ニヤー』
もう一つ、とびっきりの微笑みをこぼし、白カラスさんは颯爽と飛び去って行った。
**―――――
「えーっと、言っても良い?」
妹が、『そのお顔はあまり殿方には見せない方が良いですわよ』と、アドバイスしたくなるような表情で、手をあげている。
「いいけど、たぶん、答えは腑に落ちないと思うよ?」
「うん、その……カラスさんっての? 自分が好きだからって作ってない? てか、ふつう伝書バトとかじゃないの?」
「あー、たぶん……だけど、前に博士と世間話をした時にさ、『鳥? まあカラスさんは、結構すきです』って言ったからだと思うよ?」
私としてもカラスさんには、それほど強い思い入れは無いのだ……。
その日、博士のお家へ伺った時に、たまたま目に入ったのがカラスさんだったというだけのことである。
「いや、うん、え? うーん、えっと、ああ、そうだわ。まず生きてるの?」
んー!?
どうなんだろうね!?
私は少し考える。考えた事なかったけど、どうだろう? しゃべらないし、飛んでる姿はあまり見ない。『かあ』とも鳴かない。でも笑う。
ああ、そういえば、手紙入りの銀環って、急に生えて来るぞ!?
……ということは? やっぱり普通じゃないよね?
「92%の確率でロボットだと思う」
「残りは?」
「奇跡?」
「意味わかんない」
「だろうね」
私はまだ熱そうなコーヒーに口をつけることができず、香りだけ楽しんで見つめている。
「ていうか、その博士ってスマホとかはもってないの?」
「たぶん、何かのこだわりで持ってないんじゃないかな? 廊下には黒電話があったし」
「え、あの古いやつ!?」
「そそ。もしかしたら、プライドが許さないから持たん! って人かもしれない」
「紙一重さんなの?」
おっと、私の印象で博士の風評被害を作り出してしまいそうだ。
博士に対しては、私もいろいろ痛い目を見ている。
そのうえで積み上げた、独特の思いや感情を抱いているヒトではあるが、武士の情け、私の直接的な印象はひみつにしておこう。
まあ、紙一重さんといった妹の評価、否定しないけどねー。
「どうだろね? びっくりする様な世界を持っている人ではあるよ」
「ふぅん……」
妹がさらに腑に落ちないといった表情を見せている。
「とにかく、連絡手段はあれだけだし、おそらくはロボかメカだよ。人造カラスさんの伝書バト」
「はあ……混乱してきたわ。まあ、先を聞いてからね」
妹が髪をぐしぐしかき上げている。
寝癖ついてるから良いんだろうけど、髪を乱すクセは良くないよなぁ……。
どうでもいいことを考えつつ、私は話を続けた。
**―――――
博士からの手紙をみて、私は部屋の片付けを打ち切った。
それから簡単な準備である。ジーンズのポケットに財布など必要なものを詰め込む。
スマホにサイフにハンカチ、ハンマーなど、シンプルな生活必需品があるの確かめ、私は出発した。
「……いってきまーす」
誰もいない家に向かってこぼした声が、家に染みとおっていくようだ。
玄関を出て、黒い自転車にまたがって三丁目まで走る。
ちなみに、ちょっぴり道を間違えてしまい、スマホナビの叱咤を受けて、しかし、軽やかに流しつつ、順路へもどる。
その途中、手焼きのおせんべ屋を見つけてしまい、丁度良い手土産を用意するなどの細かな寄り道はあったが、大きな問題は無いといえるだろう。
そう。時間はかかったが、私はたどり着いてしまった。
「……相変わらずのお家だなぁ」
その、奇妙と断定できる造りの家は、いつもと変わらず存在している。
「……」
その家は、『変』である。
その『変』は、言葉で説明しにくいものだ。たぶんではあるが、レンガ造りの煙突がでていることも、『変』と評価を受ける一因なのかもしれない。
煙突を付けたということは暖炉があるということであり、サンタさんもにっこりではある。
しかし、それ以外の要素はない。
例えば奇妙なオブジェが飛び出ていたり、奇怪な音がしたりといったものは当然、色合いもそれほど奇抜というわけでないし、異質なにおいがすることも無いのだ。
ただ、私も妹もそうであるが、この家の前を通る人の大多数は漠然とではあるが、『変』と感じてしまう。だが、その感覚がどこからくるのか、明確には言えない。
ここからは、私の予測なので『おそらく』とつけておくが、設計した人が素人だったため、適切な線が必要な部分を適当に引いてしまい、あり得ない部分をなんとかごまかしつつ取り繕った集大成がこれ……なのだろう。
とにかく、『変な家』なのだ。
私が始めて訪れたときも、博士の案内があったにせよ、ちょっと足が止まったものである。まあ、これから起こる出来事を考えれば、違う意味でも足が止まってしまう。
かるく息をのむ。私はいま、おそるべき科学の深淵を覗こうとしているのだ。
「そうだ、頭痛が腹痛で腰痛が傷んで、いろいろと困っているって、帰ろうかな?」
直前で仮病を思いつき、顔をあげたそのとき、白カラスさんが飛んできて私の肩にとまる。
『ニヤー』
ああ、いつもどおり渋く苦み走った微笑だなぁ。その白カラスさんがみせた独特の笑顔が、『さあ入るが良い』と言っているようにも感じ、精神的に背中が押される。
「……わかったよ。行きますから、ね」
カラスさんの頭をかるく撫でると、私はゆがんでみえるチャイムを鳴らした。
うーん、この音も独特なんだよなぁ……。
「どうぞー!」
そんな声が聞こえた。扉を開けて、私は一歩踏み出す。
「こんにちは、お久しぶりです博士」
「おおーこんちはー! きてくれてありがとな!」
だかだかと駆けてくる音とともに、玄関まで出迎えてくれた博士が現れる。
それは多くの人が想像しているような典型的な博士といったよれよれ白衣で、私よりも少し低い身長と、やせ形で小柄な体格。
博士はいつものように元気よく手を振り、客間へと道案内してくれる。
「よう来たのう、さあ、こっちへどうぞじゃ!」
「はい、ではお邪魔しますね博士、ああ、これお土産です」
「おお、これはこれは、ありがとな!」
私は迷った先でみつけたせんべい屋さんで購入した、手焼きせんべいの包みを渡した。
そして自分の靴をそろえ、スリッパをお借りして、促されるままに中へと入る。
その場所は一般的に『客間』と呼ばれるものだろう。絨毯が敷いてあり、エンジ色のソファーが二脚置いてある。部屋の奥に暖炉があり、別の部屋へと続くドアと、近くには大きな設計図用の棚が据え付けてあった。
あとは机に添えつけの茶卓とポット、机の上には卓上ライターがおいてある。しかし、灰皿はない。そもそも博士はたばこを吸わない。
「そこに掛けとくれ」
「ありがとうございます」
私は促されるままに、ソファへ腰掛けた。
「まま、くつろいでほしいの」
「あ、お茶入れて良いですか?」
「おお、ありがとな! これも開けてええか?」
「もちろんです。甘いのと辛いのが入っていると思いますよ」
一声かけて添えつけの茶卓を開き、ゆがんだポットを確かめて、慣れた手つきでお茶を淹れる。急須に茶葉を適量入れると、ポットから湯気の立つお湯を注いだ。
茶菓子はせんべいだね。博士はどんな味が好みだろうか? ……などと思いながら、急須を軽く揺らして、二人分の煎茶を出す。
ああ、勘違いの無いように!
勝手知ったるなんとやらですからね!
博士に遠慮は不要です。
というか、以前、博士にお茶を任せて大変なことになったのですよ!?
煎茶の香りがふわりと香り、博士と私の前にお茶が出る。博士はニコニこして言った。
「ありがとな! いただきます!」
「いえいえ、こちらもいただきますね」
博士はさっそく開けたせんべいを、惜しげもなく出してくれる。そして、まだ熱いであろう湯のみへと、手を出したり引っ込めたりしながらで何とか持ち上げ、そのまま口へと運んだ。
うっわ、それ、結構熱いと思うんだけどなぁ……。
ちなみに私は自分のお茶には熱くて触れず、博士がお茶を頂く姿をみている。
「ふむ、熱いの」
「まあ、気をつけてくださいね」
「しかし、ちょっと遅かったの。舌をやけどしたわい」
そんな感じで舌を見せる。うん、真っ赤だ。というか途中で飲むのをやめるという選択をしないのだろうか?
「あら、冷めるまでおせんべ頂きましょうか?」
「この舌じゃ、味解らんかもな」
「そ、それは、まあ、舌が落ち着いた時にまたお試しくださいな」
「そうするぞい!」
せんべいは買うときに一応試食してみたのだが、けっこう私好みの味である。今回はザラメが散っているのと、しょうゆ味の物を入れてもらった。
出されたものを一枚割ってみたが、けっこう硬い。博士って歯は大丈夫だったっけ? ちょっと心配しつつ口へと運ぶ。
「あ、やっぱりこのせんべい美味し」
「おお! 美味しいんか、楽しみじゃ!」
「ちょっと硬いですけど大丈夫ですか?」
「うむ。歯は昔から丈夫じゃよ」
「それは良かった」
お茶とせんべいを頂いて、一息ついたのちに博士は言った。
「さてと……本題じゃが……っと……久しぶりじゃの? そういや名は……なんじゃったかの?」
……おやまあ、そこからですね?
「ひみつです」
「そうそう! ひみっちゃんじゃったの! 覚えておるぞ!」
それは覚えているとは言わないんじゃないかなぁ?
まあ、この呼び方も博士の発明なのだろう。
「最近は働いとるんか? 卒業したんじゃったかの?」
え!? 卒業!? なんか、誰かと勘違いしてない?
いや、そもそも学生さんとの交流があるの?
「は、はあ!? えっと、まあ、初めてお会いしたときから働いてますが……卒業?」
「学生じゃなかったかの? しかし、けっこう暇そうだったじゃろ?」
あれ、そうだっけかな?
えーっと? 初めて会った日って私がお休みで散歩してたんだっけ?
というか私、学生っぽくにみえるんだろうか?
たしかに童顔なのかもしれないが、それにしてもお眼鏡がくもりすぎじゃないですかね?
「えっと、暇というか初めて会ったときは、たしかお休みの日だったと思いますが」
「ま、どうでもええか。最近は暇なんか?」
どうでもいいなら聞かないでほしい。かるく眉を上げつつ答える。
「いえ、忙しい時が多いですね」
「ふむ……いくつになったんじゃ?」
「ひみつです」
「何じゃ、言えない歳か、解ったわい」
別に解らないで頂きたいが、まあいいや……誤解させておこう。
「あれ、男じゃったか? 女の子かのぉ?」
「ひみつです」
うん、なんと言うかこのやり取りも、挨拶みたいになりつつあるね。
私の来訪も久しぶりということも、手伝っているが。
「そうかの? しかし、きれいな顔しとるし儂の愛人にならんかの?」
……うんうん、相変わらず唐突だねえ。
「お断りします」
「なぜじゃ!?」
『それはこっちのセリフです』とは、さすがに口に出さないが、私も思うところがある。目をじとりと冷たい感じで聞いてみた。
「博士は、年齢や性別を詳しく語らない人を、愛人に出来るんですか?」
「うむ! ひみっちゃんは儂好みじゃからの!」
「それから、突然愛人になれと言われたら、普通困りませんか?」
「そうか? 儂は嬉しいぞ!」
「……えぇ、なぜです?」
「魅力があると言われとるんじゃよ?」
あ、だめだ、常識が通用しない。
どうやってやり過ごそうかと思っていると、博士が急に立ち上がり、だかだかと棚へ駆けより、引き出しから何かを取出し戻ってくる。
「今日は再会を記念して、合鍵を作ったんじゃ! ダイヤでできとるから受け取ってくれい!」
「だ……!?」
渡されたダイヤノカギ!!
え、えええ!?
これ、本物なの!?
いや、本物じゃん!
えっと、普通の鍵サイズで!?
ダイヤって今市価いくらくらいだっけ!
えと、いやいや、うん、えーっと、ここで惑わされてはいけません!
巧妙な罠を食い破り、そこに罠を仕掛ける事に定評のある私ですからね!
えっと、その受け取るふり!
そう、受け取るふりで!!
カウンターをねりゃっちゃりゃりゅます!
「まあ、その、うん、えー、預かっておきますね!」
勤めて、しごく、冷静なようすを装い、取り繕い、私はその鍵を懐へとしまう。
「うむ! 大切にしとくれよ!」
「はい! しかし……私は……」
「てなわけで、愛人になってくれたひみっちゃんに見せたいもんがあるんじゃ」
「え!?」
はえっ、あああああ!
しまった!!
ごり押しで愛人にされてしまっておるじゃないか!?
いやいやいや、くれたものを貰っただけでぇ、まだ愛人じゃありませんからね!
げ、言質は取られていないし!
私の意志としてはダイヤの鍵をくれるから受け取った、いや、そう!
預かっただけです!!
つまり、うやむやにしておけば博士は忘れるはずでありました!
私が買ってきたおせんべの対価として、頂いたことにしましょう!!
そう、そうすれば、私も博士も幸せなのです!!
こうして、私はおせんべいと引き換えに、ダイヤのカギを手に入れたのだ!!
昨日のお昼の後、私は部屋の整理を頑張っていた。
つもりだった。
だが、ついつい誘惑に負けてしまい、今は懐かしい小説を読みふけっている。
何度も読んだその物語の良いところ……主人公が環境に左右されて打ちのめされ、悩みつつも、行動をする姿に共感を覚えたあたりで、窓を叩く音に気がつく。
「んー?」
不思議に思って窓に視線を向ける。
そこには、白いカラスさんがいた。
足に付けた手紙の銀環を見て、私は今日という日が悪夢に変わっていくような感覚が足元からぞわぞわと昇って来るのを感じる。
「あ……もしかして、博士だよね?」
呟きつつも、近づいて窓を開けた。白いカラスさんはニヤッと笑う。
「カラスさん、相変わらずダンディですね」
『ニヤー』
そのニヒルな微笑みを称えつつ、ひと撫でしようとすると避けられてしまった。仕方なく手紙を預かり、急いで開く。そこには簡潔にこう書かれてあった。
『いいもんできたぞい、みにおいで!』
私は、暫く力を無くすように床へ手をつき、立ち直るまでの時間をいくらか思考に費やしていた。
「あー、うん。博士にこれから行きますって伝えてくれるかな?」
『ニヤッ』
私の言葉に白カラスさんは毛づくろいをしたように見える。すると、足に新しい環ができていた。そしてこちらを見る。
『ニヤー』
もう一つ、とびっきりの微笑みをこぼし、白カラスさんは颯爽と飛び去って行った。
**―――――
「えーっと、言っても良い?」
妹が、『そのお顔はあまり殿方には見せない方が良いですわよ』と、アドバイスしたくなるような表情で、手をあげている。
「いいけど、たぶん、答えは腑に落ちないと思うよ?」
「うん、その……カラスさんっての? 自分が好きだからって作ってない? てか、ふつう伝書バトとかじゃないの?」
「あー、たぶん……だけど、前に博士と世間話をした時にさ、『鳥? まあカラスさんは、結構すきです』って言ったからだと思うよ?」
私としてもカラスさんには、それほど強い思い入れは無いのだ……。
その日、博士のお家へ伺った時に、たまたま目に入ったのがカラスさんだったというだけのことである。
「いや、うん、え? うーん、えっと、ああ、そうだわ。まず生きてるの?」
んー!?
どうなんだろうね!?
私は少し考える。考えた事なかったけど、どうだろう? しゃべらないし、飛んでる姿はあまり見ない。『かあ』とも鳴かない。でも笑う。
ああ、そういえば、手紙入りの銀環って、急に生えて来るぞ!?
……ということは? やっぱり普通じゃないよね?
「92%の確率でロボットだと思う」
「残りは?」
「奇跡?」
「意味わかんない」
「だろうね」
私はまだ熱そうなコーヒーに口をつけることができず、香りだけ楽しんで見つめている。
「ていうか、その博士ってスマホとかはもってないの?」
「たぶん、何かのこだわりで持ってないんじゃないかな? 廊下には黒電話があったし」
「え、あの古いやつ!?」
「そそ。もしかしたら、プライドが許さないから持たん! って人かもしれない」
「紙一重さんなの?」
おっと、私の印象で博士の風評被害を作り出してしまいそうだ。
博士に対しては、私もいろいろ痛い目を見ている。
そのうえで積み上げた、独特の思いや感情を抱いているヒトではあるが、武士の情け、私の直接的な印象はひみつにしておこう。
まあ、紙一重さんといった妹の評価、否定しないけどねー。
「どうだろね? びっくりする様な世界を持っている人ではあるよ」
「ふぅん……」
妹がさらに腑に落ちないといった表情を見せている。
「とにかく、連絡手段はあれだけだし、おそらくはロボかメカだよ。人造カラスさんの伝書バト」
「はあ……混乱してきたわ。まあ、先を聞いてからね」
妹が髪をぐしぐしかき上げている。
寝癖ついてるから良いんだろうけど、髪を乱すクセは良くないよなぁ……。
どうでもいいことを考えつつ、私は話を続けた。
**―――――
博士からの手紙をみて、私は部屋の片付けを打ち切った。
それから簡単な準備である。ジーンズのポケットに財布など必要なものを詰め込む。
スマホにサイフにハンカチ、ハンマーなど、シンプルな生活必需品があるの確かめ、私は出発した。
「……いってきまーす」
誰もいない家に向かってこぼした声が、家に染みとおっていくようだ。
玄関を出て、黒い自転車にまたがって三丁目まで走る。
ちなみに、ちょっぴり道を間違えてしまい、スマホナビの叱咤を受けて、しかし、軽やかに流しつつ、順路へもどる。
その途中、手焼きのおせんべ屋を見つけてしまい、丁度良い手土産を用意するなどの細かな寄り道はあったが、大きな問題は無いといえるだろう。
そう。時間はかかったが、私はたどり着いてしまった。
「……相変わらずのお家だなぁ」
その、奇妙と断定できる造りの家は、いつもと変わらず存在している。
「……」
その家は、『変』である。
その『変』は、言葉で説明しにくいものだ。たぶんではあるが、レンガ造りの煙突がでていることも、『変』と評価を受ける一因なのかもしれない。
煙突を付けたということは暖炉があるということであり、サンタさんもにっこりではある。
しかし、それ以外の要素はない。
例えば奇妙なオブジェが飛び出ていたり、奇怪な音がしたりといったものは当然、色合いもそれほど奇抜というわけでないし、異質なにおいがすることも無いのだ。
ただ、私も妹もそうであるが、この家の前を通る人の大多数は漠然とではあるが、『変』と感じてしまう。だが、その感覚がどこからくるのか、明確には言えない。
ここからは、私の予測なので『おそらく』とつけておくが、設計した人が素人だったため、適切な線が必要な部分を適当に引いてしまい、あり得ない部分をなんとかごまかしつつ取り繕った集大成がこれ……なのだろう。
とにかく、『変な家』なのだ。
私が始めて訪れたときも、博士の案内があったにせよ、ちょっと足が止まったものである。まあ、これから起こる出来事を考えれば、違う意味でも足が止まってしまう。
かるく息をのむ。私はいま、おそるべき科学の深淵を覗こうとしているのだ。
「そうだ、頭痛が腹痛で腰痛が傷んで、いろいろと困っているって、帰ろうかな?」
直前で仮病を思いつき、顔をあげたそのとき、白カラスさんが飛んできて私の肩にとまる。
『ニヤー』
ああ、いつもどおり渋く苦み走った微笑だなぁ。その白カラスさんがみせた独特の笑顔が、『さあ入るが良い』と言っているようにも感じ、精神的に背中が押される。
「……わかったよ。行きますから、ね」
カラスさんの頭をかるく撫でると、私はゆがんでみえるチャイムを鳴らした。
うーん、この音も独特なんだよなぁ……。
「どうぞー!」
そんな声が聞こえた。扉を開けて、私は一歩踏み出す。
「こんにちは、お久しぶりです博士」
「おおーこんちはー! きてくれてありがとな!」
だかだかと駆けてくる音とともに、玄関まで出迎えてくれた博士が現れる。
それは多くの人が想像しているような典型的な博士といったよれよれ白衣で、私よりも少し低い身長と、やせ形で小柄な体格。
博士はいつものように元気よく手を振り、客間へと道案内してくれる。
「よう来たのう、さあ、こっちへどうぞじゃ!」
「はい、ではお邪魔しますね博士、ああ、これお土産です」
「おお、これはこれは、ありがとな!」
私は迷った先でみつけたせんべい屋さんで購入した、手焼きせんべいの包みを渡した。
そして自分の靴をそろえ、スリッパをお借りして、促されるままに中へと入る。
その場所は一般的に『客間』と呼ばれるものだろう。絨毯が敷いてあり、エンジ色のソファーが二脚置いてある。部屋の奥に暖炉があり、別の部屋へと続くドアと、近くには大きな設計図用の棚が据え付けてあった。
あとは机に添えつけの茶卓とポット、机の上には卓上ライターがおいてある。しかし、灰皿はない。そもそも博士はたばこを吸わない。
「そこに掛けとくれ」
「ありがとうございます」
私は促されるままに、ソファへ腰掛けた。
「まま、くつろいでほしいの」
「あ、お茶入れて良いですか?」
「おお、ありがとな! これも開けてええか?」
「もちろんです。甘いのと辛いのが入っていると思いますよ」
一声かけて添えつけの茶卓を開き、ゆがんだポットを確かめて、慣れた手つきでお茶を淹れる。急須に茶葉を適量入れると、ポットから湯気の立つお湯を注いだ。
茶菓子はせんべいだね。博士はどんな味が好みだろうか? ……などと思いながら、急須を軽く揺らして、二人分の煎茶を出す。
ああ、勘違いの無いように!
勝手知ったるなんとやらですからね!
博士に遠慮は不要です。
というか、以前、博士にお茶を任せて大変なことになったのですよ!?
煎茶の香りがふわりと香り、博士と私の前にお茶が出る。博士はニコニこして言った。
「ありがとな! いただきます!」
「いえいえ、こちらもいただきますね」
博士はさっそく開けたせんべいを、惜しげもなく出してくれる。そして、まだ熱いであろう湯のみへと、手を出したり引っ込めたりしながらで何とか持ち上げ、そのまま口へと運んだ。
うっわ、それ、結構熱いと思うんだけどなぁ……。
ちなみに私は自分のお茶には熱くて触れず、博士がお茶を頂く姿をみている。
「ふむ、熱いの」
「まあ、気をつけてくださいね」
「しかし、ちょっと遅かったの。舌をやけどしたわい」
そんな感じで舌を見せる。うん、真っ赤だ。というか途中で飲むのをやめるという選択をしないのだろうか?
「あら、冷めるまでおせんべ頂きましょうか?」
「この舌じゃ、味解らんかもな」
「そ、それは、まあ、舌が落ち着いた時にまたお試しくださいな」
「そうするぞい!」
せんべいは買うときに一応試食してみたのだが、けっこう私好みの味である。今回はザラメが散っているのと、しょうゆ味の物を入れてもらった。
出されたものを一枚割ってみたが、けっこう硬い。博士って歯は大丈夫だったっけ? ちょっと心配しつつ口へと運ぶ。
「あ、やっぱりこのせんべい美味し」
「おお! 美味しいんか、楽しみじゃ!」
「ちょっと硬いですけど大丈夫ですか?」
「うむ。歯は昔から丈夫じゃよ」
「それは良かった」
お茶とせんべいを頂いて、一息ついたのちに博士は言った。
「さてと……本題じゃが……っと……久しぶりじゃの? そういや名は……なんじゃったかの?」
……おやまあ、そこからですね?
「ひみつです」
「そうそう! ひみっちゃんじゃったの! 覚えておるぞ!」
それは覚えているとは言わないんじゃないかなぁ?
まあ、この呼び方も博士の発明なのだろう。
「最近は働いとるんか? 卒業したんじゃったかの?」
え!? 卒業!? なんか、誰かと勘違いしてない?
いや、そもそも学生さんとの交流があるの?
「は、はあ!? えっと、まあ、初めてお会いしたときから働いてますが……卒業?」
「学生じゃなかったかの? しかし、けっこう暇そうだったじゃろ?」
あれ、そうだっけかな?
えーっと? 初めて会った日って私がお休みで散歩してたんだっけ?
というか私、学生っぽくにみえるんだろうか?
たしかに童顔なのかもしれないが、それにしてもお眼鏡がくもりすぎじゃないですかね?
「えっと、暇というか初めて会ったときは、たしかお休みの日だったと思いますが」
「ま、どうでもええか。最近は暇なんか?」
どうでもいいなら聞かないでほしい。かるく眉を上げつつ答える。
「いえ、忙しい時が多いですね」
「ふむ……いくつになったんじゃ?」
「ひみつです」
「何じゃ、言えない歳か、解ったわい」
別に解らないで頂きたいが、まあいいや……誤解させておこう。
「あれ、男じゃったか? 女の子かのぉ?」
「ひみつです」
うん、なんと言うかこのやり取りも、挨拶みたいになりつつあるね。
私の来訪も久しぶりということも、手伝っているが。
「そうかの? しかし、きれいな顔しとるし儂の愛人にならんかの?」
……うんうん、相変わらず唐突だねえ。
「お断りします」
「なぜじゃ!?」
『それはこっちのセリフです』とは、さすがに口に出さないが、私も思うところがある。目をじとりと冷たい感じで聞いてみた。
「博士は、年齢や性別を詳しく語らない人を、愛人に出来るんですか?」
「うむ! ひみっちゃんは儂好みじゃからの!」
「それから、突然愛人になれと言われたら、普通困りませんか?」
「そうか? 儂は嬉しいぞ!」
「……えぇ、なぜです?」
「魅力があると言われとるんじゃよ?」
あ、だめだ、常識が通用しない。
どうやってやり過ごそうかと思っていると、博士が急に立ち上がり、だかだかと棚へ駆けより、引き出しから何かを取出し戻ってくる。
「今日は再会を記念して、合鍵を作ったんじゃ! ダイヤでできとるから受け取ってくれい!」
「だ……!?」
渡されたダイヤノカギ!!
え、えええ!?
これ、本物なの!?
いや、本物じゃん!
えっと、普通の鍵サイズで!?
ダイヤって今市価いくらくらいだっけ!
えと、いやいや、うん、えーっと、ここで惑わされてはいけません!
巧妙な罠を食い破り、そこに罠を仕掛ける事に定評のある私ですからね!
えっと、その受け取るふり!
そう、受け取るふりで!!
カウンターをねりゃっちゃりゃりゅます!
「まあ、その、うん、えー、預かっておきますね!」
勤めて、しごく、冷静なようすを装い、取り繕い、私はその鍵を懐へとしまう。
「うむ! 大切にしとくれよ!」
「はい! しかし……私は……」
「てなわけで、愛人になってくれたひみっちゃんに見せたいもんがあるんじゃ」
「え!?」
はえっ、あああああ!
しまった!!
ごり押しで愛人にされてしまっておるじゃないか!?
いやいやいや、くれたものを貰っただけでぇ、まだ愛人じゃありませんからね!
げ、言質は取られていないし!
私の意志としてはダイヤの鍵をくれるから受け取った、いや、そう!
預かっただけです!!
つまり、うやむやにしておけば博士は忘れるはずでありました!
私が買ってきたおせんべの対価として、頂いたことにしましょう!!
そう、そうすれば、私も博士も幸せなのです!!
こうして、私はおせんべいと引き換えに、ダイヤのカギを手に入れたのだ!!
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※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい!
※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ!
追加文
番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。
【完結】返してください
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