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第2章 司のあわただしい二週間
第21話 世界のルール
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「どうしました? もしかしてこの花嫌いですか?」
差し出した花にくんくんと鼻を寄せる。宝石草から上等な焼き菓子のかぐわしさが広がっている。食べると金平糖の甘さとじゃりっと系の苦味がするはず。今は食べられないけど。
ふーと長い息を吐いて顔を上げるアルフリートさんの眉間には皺が寄っていた。彼が座っていると目線の高さが同じくらいになるからよく見えた。
「嫌いではない。甘い匂いにくらくらするだけだ」
鼻が利くから辛いのかな? ごめんなさいと言って顔の前に差し出していた花を下げようとしたら、手首を取られて引き寄せられる。
「甘いのは花だけじゃない」
しめった鼻先が花を握った指先に当たる。くんと匂いを確かめて、べろり、赤い舌が指ごと花を舐める。
びくぅっと大袈裟に体が跳ねる。
「き、気に入ってくれたなら差し上げますから、手を、放してください」
目が泳ぐ。さっさと花を受け取ってほしい。ひょいっと花を取られて安心したら、かしり、尖った堅い感触と見えない人差し指の先が口腔内で弾力のある物に包まれる生温かさ。
「やめてください!」
無理やり引き抜く事は躊躇われた。尖った牙の生えた口内で無理に動かせば下手したらまた流血だ。
見せつける様に最後に広い舌が人差し指の股から指先を舐め上げ、僕の手は開放された。
「ヒーラーがダンジョンに誘い、目の前で少量の血を流して見せる。過激だがこういう事だろう?」
・・・・・・
「つかぬことをお伺いしますが」
「何だ」
「もしかして、相性確認でキスって必須ですか?」
「相性の確認ももちろんだが、ダンジョン内で即時蘇生の為必要だろう? まさか、お前の居た世界では違ったのか?」
「ちがいましたよおおおおおお!!!」
頭を抱えて振り乱す姿はどこからどう見ても危ない人だと分かるが、どうしようこの世界。僕は! ダンジョンに行きたいだけなのに!
「おかしいと思っていたのだ。ベッドに上で平気で抱き着いた挙句眠り、あまつさえ素知らぬ顔でダンジョンに誘ってくるのに恋人は居たことはないという。こちらと事情が違ったという事か」
「あっちだと相性が上がる程度の裏技レベルでしたよ。蘇生に必須じゃなかったですよ。希望的観測でマルガリータさんとか廃人周辺だけだと思いたかったですよ」
へたりこみ地面にのの字。命と唇どっちが大事と問われれば命と言わざるを得ない。非常にお得なお買い物・・・・
「・・・神殿長がどうかしたのか」
「あ」
はい、喋らされました。戦闘回避の為ダンジョンに誘ったら相性確認でキスされたこともファーストキスは羊だという情けない事も。事前にほいほい誘ってはいけないと言われていたにも関わらず。すっかり頭から抜け落ちてました。
だって怖かったんですって開き直っても過去には戻れない。アルフリートさんの前でぺたんと座り込んだ姿でなんとか体液交換に抜け道は無いかと考える。
「確認ですけどキスが主流なんですよね?」
「そうだな」
「他の方法は、無いんでしょうか。例えば唾液付けた指を舐めあうとか」
「ほう、私の口に指を突っ込みたいと」
「いや、それは怖いんでアルフリートさんの指でも舐めさせていただければ」
「却下だ」
「世界は理不尽だ」
血液交換も傷つけて回復したり、その場所を舐めあうのも手間がかかる。指じゃなくて物を舐めあうのも方法として可能だがそっちの方が嫌だ。唇を舐めてキスするのが一番手っ取り早く妥当という結論に至るのは早かった。
「他に、他に方法は無いんですか・・・」
「そんなに嫌なのか?」
「だって、見ず知らずの人とかと無理ですって。必要であればしますけど、やらないで済むならそれが一番じゃないですかぁ・・・」
「無い事もない」
「ほんとです?」
「性交渉でも代替可能だ」
「却下で!」
意地の悪そうな顔で笑わないで下さい。拒否するって分かりきって言ったでしょ!
「ふっ、なら核合わせだな」
核合わせというのはまんま魂核同士を直接ひっつける事である。OTLでは結魂する時の神性魔法の発動条件だったけど、結魂の魔法は二人の同意がないと発動しないし、核同士を合わせたからってちょっとくすぐったかったりするくらいでどうっていう事は無かった。抜け道きたぁぁ!
「じゃあそれで! キスよりそっちがいいです!」
「本気で言っているのか?」
「へ?」
銀色の短い毛が生え揃った大きな手が顎を救い上げる。からかい交じりの声が一気に冷気を帯びて体感温度が下がる。
黄色の瞳の瞳孔が開いている。なんで?
「結魂の魔法はお互いの同意が無いと発動しませんよね?」
「ああ、そうだな、こちらもそうだ。覚えておけ。この世界では核合わせに同意するという事は子作りに同意したのと同じ事だ」
「へ? え? 子供って、結魂しないとできないですよね??」
「しなくても核合わせして性交渉をすればできる事もある。お前が男か両性相手にそれを言えばあなたの子供が欲しいと言っているのと変わらん。
女相手ならあなたを孕ませたいという事になるか。そうでなくとも、核合わせは軽々しくする物ではない」
顎を掴まれたまま、指が喉をくすぐる。目に見えても視覚情報は意味をなさず堅い爪がかりかり薄い皮膚を引っ掻く。
OTLと違い魂核は信頼する相手にしか晒してはいけないこの世界。符号は散らばっていた。
銀に黒と白が混じる毛並み。白銀の鎧が日差しを照り返す。馬鹿みたいに澄んだ空。
僕が言った言葉がこの人にどう受け取られてしまったのか、頭の中でつながる。
うわぁあああぁと本日何度目になるかの悲鳴を上げごろごろのたうち回る。ごん、と食卓の脚にぶつかると頭の上にフルートグラスが落ちてきた。
普通なら割れるだろうグラスは龍の骨と牙で作った特殊な一品の為壊れることなく、こおんっといい音をさせ頭を痺れさせた。
痛みはいい具合に理性を戻してくれた。うん、謝罪しよう、そうしよう。
「申し訳ございませんでした!」
先ほどと同じ位置で正しく土下座。
「何に対してだ?」
「それは気持ち悪い事を言って不快にさせたことに対してのお詫びです」
「誰も気持ち悪いとは言っていないがな」
「???」
意味が分からない。表情を窺っても機微に疎いので何を考えているかさっぱりだ。
「多少の事では驚かない自信があったが今回は流石に驚いた。だがそれだけだ。お前がそのつもりでは無かったのはすぐ分かったしな」
僕なら会って数日の人に子作りしましょ♡ と言われたらドン引きして距離を取る確信がある。美人であっても理性を疑うし、裏があるなと思うだろう。
それを常識の差から生じた齟齬だと流してくれるのか。なんて心が広いんだ。
「ありがとうございます! 今後は注意しますからどうか見捨てないで下さい!」
アルフリートさんにぽいされたらパーティー探しで野良=見ず知らずの人ともキスしないといけない状況に陥る。おおらかな心で許してもらった事に今は感謝しよう。
▽
僕には圧倒的に常識が不足しており、この機会に話し合うことにした。しかし、根本的な物ほど当たり前だと認識して意識にも上ってこないから何を話すべきかは難しい。食事の美味しい店特集で箸やフォークを使って食べましょうと書かない様に、そうする事が当たり前をわざわざ言ったりしない。
落下したグラスを水洗いして食卓に戻す。アルフリートさんの前に在ったグラスと空瓶等は回収して新しいグラスと清酒を出す。
ランクを上げて純米大吟醸。こっちでも手に入ればいいんだけど。
冷えた瓶に頬を寄せる。ひんやりして気持ちいい。酌をしてワインクーラーに瓶を入れる。温度調整に関しては魔道具って本当に便利。
僕も椅子に座って話を聞くうちにこの世界の性モラルはかなりゆるい事が分かった。
蘇生条件はしっかり聞いておいた。魂核登録をしている状態で体液交換をし、効果時間は24時間。蘇生場所はダンジョン内限定。しかし魔力の濃度の低い低階層では、術者の技量や被蘇生者の残存精神力と魔力によっては失敗することもあるそうだ。
ちなみに、核合わせをして24時間は子供ができる可能性が有るそうです・・・相性とか本人の意思とか諸々絡んでくるが丸一日は危険と。
ヒーラーはPTメンバーと日常的にキスするので恋愛トラブルが発生することも良くあり、キス以上の性的な事に関しての選択権はヒーラーが持つ事が一般的だそうで・・・・。PTメンバーの誰かがヒーラー強姦してPTが瓦解する事が無い様にという考え方みたいだった。
僕がキス以上の事をこちらから求めなければそういった事態が発生しないのはとても安心。性的な事でイニシアチブが取れるとは思えない。
現実逃避を止めるのはよく冷えた甘い水。原料が米だけと思えない梨のような、メロンのような果実の香りが立ち上る。
ゲーム中ではどれだけ食べてもリアルで太ったりしなかったから食道楽に走る人もいた。
この機会にアルフリートさんのステータスを見せてもらった。
PTを組む時には見せ合う時もあるそうだ。レベルによって強さが保証されてるわけでもなく、あくまで目安程度の役立ちっぷりなのでそんな物だろう。
職業は、神性魔法騎士。って。名前もアルフリートのみで他は無い。
「魔法騎士ってめちゃくちゃ珍しくないですか? しかも神性。2生で魔法職とかどんな初生ならあり得るんですか?」
属性魔術騎士なら分かる。魔法職はかなりの上位職だ。易々なれるものでは無い。
「私が捨て子だった事は知っているな?」
「はい、トトさんが親だと聞いています」
「私には前生の記憶がない」
トトさんは創造神様からの神託を受けアルフリートさんを拾い、育てることにした。
魂核は初生ではない事を示しており、数年育てれば記憶も目覚め独り立ちするだろうと考えられていた。
しかしいつまで経っても記憶は目覚めない。そして不可思議な事はたくさんあった。
まず、神殿にもどこにも登録が無い。初生の間神殿にまったく関わらない事はあり得る。しかし、転生はどこでどうやって行われたのか?
次に獣人にも関わらず高い魔力と適性。2生としてはあり得ないとしか言えないステータス。
転生事故と呼ばれる記憶障害は偶にあるそうだった。・・・主に当の本人が過去を忘れたいと心から望んだ時に発生する。
「私には過去が無い。それだけでは無く不自然な点ばかりだ」
自嘲するように低い声で言葉が落ちる。
「もしかしたら私は大罪人なのかもしれん。トトが言っていたように記憶の操作、特に転生時の物は大罪人の恩赦として行われる事がある」
この世界では重い罪を犯した者は転生が許されなくなる。しかし情状酌量の余地がある場合にはそういった措置が取られる事もあるそうだ。
でもその場合には記録がどこかに残っているはずで、不自然な点は残る。
リアルでは前生の記憶なんて無いのが普通だけど、この世界で過去の記憶が無いというのはどれだけ寂しい物なんだろうか。それでも僕は思う。
「過去なんて無くなればいいと僕はよく思います」
「なんだと?」
「アルフリートさんは名前はアルフリートだけなんですよね?」
「そうだ。後の名前は自分で好きな時に付ければいいと長官が言っていた」
「僕の名前、苗字は宝条って教えましたよね? ステータスには記載してないですけど。おかしいと思いませんでした?」
「仕事の都合上苗字を名乗る者もいる。その程度だと思っていたが、何かあるのか?」
「僕の苗字は誰にも教えないで下さい。その苗字は僕にとって捨てたい物なんです。この世界では無くてもいいんですよね? だからもう使いたくないんです」
誠意を示すのに必須かもしれないと何も知らない内はそう思って明らかにしたが、後からくる千波達に知られたら僕はキャラデリしなくてはならなくなるだろう。
「お願いです。知られたくない過去の100や200誰にだってあると思うんです」
「・・また秘密か?」
「いいえ、これが秘密であると開示しました。だから秘密は一個減ったでしょう?」
「物は言い様だな」
この世界には漢字は無い。ステータスもこちらの表音文字での記載だった。
音だけなら北条を連想するだろうし、それなら高名な漫画家さんが引っかかるからそっちから追いかけられてもリアルの僕は捕まらない。でも用心のしすぎでは無いと思う。
「アルフリートさんは必要だって思ってても僕は必要ないと思ってます。相手を理解する上であればいいかもしれないけど、それは明日からのダンジョン観光より重要な事でしょうか? 過去がダンジョン攻略の戦術に必要ですか?」
「必要ではないな」
「でしょう? 知らなくていい事を知ってぎくしゃくするくらいなら、最初から無くていい」
納得はしていない顔だったと思う。過去のすべてを受け止めろなんて傲慢に過ぎる考えだし、自分も誰もそんな事出来ないのに。皆きっとそうなのかもしれない。
「ねぇ、遊びましょうよ。水とラクリマと僕と。嫌なことなんて水に溶けちゃえばいいんです」
やっと誘えた。立ち上がって手を取る。
「そうだな、さっきの状況に私が加わっても誰も見ている者もいないしな」
アルフリートさんは僕の手を掴み腰に手を添えそのままぐいっとってええええ。
綺麗に頭上に持ち上げられぽーいと泉に放物線を描いて投げ捨てられる。
ばっしゃーんと豪快に落下。
鎧も収納して軽装になった彼はこちらに走り寄ってくる。魔術なのか浮遊なのかは不明だが。
引き上げられジャイアントスイング。きゃっきゃとはしゃぐと水の上に引き倒される。影が落ちる。明度の高いカナリアイエローの瞳は穏やかだ。顔にかかる濡れた髪を優しく梳かれる。
そうして戯れていたら風を切る音が上空から響いてきた、頭上からころなあああああ!!!
『ぼくもいっしょにあそぶ!!』
今迄で一番盛大な飛沫もとい津波とともにコロナが急降下&着水。どっぷーんと波にさらわれておかしくて大声で笑った。
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