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1570年8月〜12月、第一次信長包囲網
願証寺、蜂起
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【菅屋長頼、決戦の使者の任務は失敗するも追従して朝倉景鏡に取り入った説、採用】
【柴田勝家、阿波三好の弱点を見事に突いた説、採用】
【阿波三好軍、執権の篠原長房と家督の三好長治が争い始めて戦どころではない説、採用】
【六角義賢、一向一揆にも馬鹿にされる説、採用】
【浅井政元、小谷城の京極丸に蟄居中説、採用】
【願証寺証意、石山本願寺の命令を拒否したら幽閉された説、採用】
【下間頼旦、1535年生まれ説、採用】
【下間頼旦、勝手に伊勢長島で一向一揆を蜂起させ、証意を幽閉した説、採用】
【伊勢長島の一向一揆、1万人を軽く越した説、採用】
【滝川一益、信長の弟の救援に出向こうとしたが出向けなかった説、採用】
【平手久秀、美濃に出張ってて尾張に居なかった説、採用】
【六角義賢、織田に屈して南近江の奪還を諦めて和睦した説、採用】
十月上旬には信長の命令を受けて徳川家康が三河から援軍を南近江に派遣した。
目的は南近江の治安維持活動だが、今年だけでまさかの三度目の出陣であった。
それでも従う徳川を見て、宇佐山城に居る信長は、
(狂犬よりも使えるのう、今の家康は)
と思ったのだった。
◇
十月二十日になっても延暦寺の包囲は続いていた。
浅井・朝倉連合軍が延暦寺に立て籠もって攻撃を仕掛けてこないからだが。
信長はこの日、菅屋長頼に、
「決戦の日取りを認めた書状だ。挑発してこい。殺されぬ程度にだぞ、九右衛門」
書状を渡している。
使者役として比叡山延暦寺に乗り込んだ長頼だったが、朝倉義景という男は織田を本当に見下しており会う事もせず、代わりに朝倉景鏡が出てきた。
仕方なく景鏡に向かって、
「睨み合いばかりではつまらぬでしょう。ここは武士らしく日時を決めて決戦といきませぬか?」
「『ふん、織田ごときが朝倉と対等な訳がなかろうが』というのが我が殿の意思でな」
景鏡の返事を聞いて、ピンときた長頼が、
「なるほど、大変ですね。無能な当主殿を持たれると。朝倉一族の中に居られないのですか、景鏡殿のような優秀な方は他に?」
「これ、無礼であるぞ」
文字面だけ見れば怒ってるが、口調と顔はその追従を喜んでる風だった。
「織田と個人的に誼を結んで下さいますように」
「いやいや、我らは敵であろう」
「いえいえ。それは誤解です。敵は公方様の妹姫が産んだ甥御様を若狭に連れ去った烏帽子親だけですから。新たな朝倉殿と織田は懇意に出来ると思いますよ。信長様も景鏡殿が優秀な事は御存知ですから」
「ん? そうなのか?」
「朝倉が加賀の一向一揆と渡り合えてるのは景鏡殿が居たからな事くらいは織田も承知しておりますので」
「ふむ。では、今後とも良しなに」
「はっ。末長くよろしくお願いします」
こうして菅屋長頼は坂本に布陣した織田の本陣に戻っていき、
信長の元に戻った長頼が、
「浅井長政、朝倉義景の両名に会えず決戦は不発に終わりました」
「そうか」
「ですが、朝倉景鏡は相当不服らしく一門衆ながら織田に裏切るかと」
「・・・この戦場でか?」
「いえ、さすがにそれは無理ですが。朝倉の家督を餌にすれば当主の足を引っ張るくらいするかと」
「では引き続き、繋ぎ留めておくようにな、九右衛門」
信長はそう命令したのだった。
◇
信長が率いる大軍が比叡山延暦寺に釘付けの戦況で、摂津国では三好三人衆軍に阿波三好の援軍2万人が到着して兵数では幕府方を上回っていた訳なのだが。
その阿波三好は崩壊の危機に晒されていた。
悪知恵の柴田の本領発揮だ。
書状一枚で、今や阿波三好は内部分裂する寸前だった。
柴田勝家が野田城に居る阿波三好に送ったのは日取りを決めた決戦状である。
だが、その内容は本命ではない。
本命は宛名にあった。
阿波三好総大将、三好長治殿へ。
これが総てだ。
阿波三好は執権の篠原長房が牛耳っていたが、長房の唯一の弱点は若い主の代行職に過ぎないという事だ。
長房の主は三好実体の実子、三好長治だった。
当然、今回の援軍にも参戦しており、摂津の野田城に長治も滞在していた。
勝家の書状の内容は生前の三好実休の武名を讃えて、その御曹司が指揮する阿波三好軍と戦えるのは武士の誉れと褒めまくっていた訳だが。
三好長治は今年で17歳。
2万人の兵を率いるには経験も浅く、阿波三好の存亡を賭けた戦の指揮を執らせるには不安が残る。
しかし、もう元服しており、敵将の柴田勝家からの書状の所為で、
「オレが指揮を取っても良いよな、長房?」
三好長治には独立心が芽生えていた。
この戦で今から阿波三好軍の指揮を長治に預けるのは不安過ぎて、
「お待ちを、若。せめてこの戦が終わってからにして下さい」
篠原長房は「待った」を掛けたが、長治からすればおかしな話だ。
元々、三好実休が起こした阿波三好は長治の家督なのだから。
よって「家督を乗っ取るつもりか」と不信感を生むには十分だった。
「どうしてだ?」
「この戦に負ければ三好三人衆、阿波三好が再起不能になってしまうからです」
「安心しろ。兵では勝ってるのだ。負けんさ」
「兵を損なわずに勝つのが肝要ですので」
「大丈夫だと言ってるだろ。オレが指揮するからな」
「今回は御自重下さい。途中で指揮する将が変われば兵が動揺しますから」
もっともらしいような事を長房は言ってるが、長治からすれば嘘に聞こえる。
その為、急激に阿波三好軍の執権、篠原長房と、阿波三好の家督継承者の三好長治の関係がここにきて緊張感を漂わせるまでに悪化して、眼の前に敵を攻撃するどころではなくなっていた。
斎藤龍興などは、
(畿内を制圧するこの好機に何をやってるんだ?)
と呆れながらも、柄にもなく、
「御二人とも落ち着いて。敵は織田と幕府ですぞ?」
仲裁をする破目になり、
「別に揉めてはおらんよ。長房が指揮権を返せば済む話なのだから」
「いえいえ、ですから今回の戦の後に」
それでも両者は譲らず出陣どころではなくなっていた。
阿波三好が援軍としてやってきたのに、どうして攻めて来ないのか、不思議に思い、密偵を放っていた松永久秀は、三好義継の若江城で報告を聞き、
(阿波三好の急所を見事に突いたか。池田以外にも面倒なのがいたのだな。家老の柴田か。覚えておこう)
そう織田軍の人材の層の厚さに舌打ちしたのだった。
◇
北近江の小谷城の京極丸に幽閉された浅井政元の許に長政から留守を預かった父親の久政がやってきて、
「困った事になった」
「えっ? もしかして比叡山延暦寺に籠もってた兄上と朝倉軍が織田と決戦して負けたんですか? その割には小谷城の様子は普段と変わらないような」
「違う。まだは延暦寺に長政と朝倉殿は兵と共に籠もっておるよ」
「何をやってるんだか。まあ、朝倉方が朽木谷の国衆と話を付けて延暦寺の裏手の鯖街道から兵糧を運んでるとの事ですから兵糧だけは心配がなさそうですけど」
「その鯖街道に野盗が出て、度々、兵糧の荷を襲ってるそうだ」
「あらら。護衛の兵も付けてないなんて朝倉ってのは本当にマヌケですね」
政元はそう笑ったが、久政が渋い顔で、
「そのマヌケな朝倉がおまえを殺せと言ってきた」
「ええっと、どうしてか聞いても?」
「おまえがワシを説得して小谷城を乗っ取って織田に寝返るとの風聞が延暦寺で流れておるそうだ」
「それを信じたと? 馬鹿馬鹿しい。こっちは座敷牢の中ですのに」
「当然、無視するが、どうなると思うこの戦?」
久政が浅井の今後の行く末を心配すると、
「鯖街道に雪が降って補給が更に困難になったところで延暦寺の僧達が音を上げて、渋々講和ってところじゃないですか」
「織田との和議などある訳がなかろうが。そんな事をすれば浅井が滅ぶぞ」
「信心深い老将達に延暦寺の決定を撥ね退ける気概がある訳もなく、兄上もそれに流されますよ」
ありそう、と思った久政だったが、
「だが朝倉殿が織田との戦を望めば――」
「腰抜け揃いの朝倉の方が兄上よりも和議に乗り気でしょうよ」
「では、和議になる前に決戦が我ら浅井に取って最上の策だと?」
「ええ。連絡が取れるなら兄上に延暦寺を出て戦うように指示して下さい。今が織田を倒す最大の好機ですから。もし織田と和議にでもなったら浅井は滅びるしか道はありませんので」
「ふむ。分かった、書状を出そう」
と返事した久政がふと、
「佐和山城の遠藤が織田に寝返ろうとしてるとの噂があるが、政元はどう思う?」
「浅井が先に忠臣の遠藤を切り捨てたのですから裏切っても仕方がない、と思いますかね」
「なっ、切り捨ててなど・・・」
「佐和山城への救援に向かわずに京を目指したのですから遠藤からすればそう見えても仕方がなく、身の安泰を図っても裏切り者とは呼べないかと」
(そして忠臣の遠藤でさえ見捨てられるのだと知った他の家臣達もどんどん織田方に切り崩されて浅井は滅亡への道をまっしぐらなのだが、父上を怒らせるような事は言わぬに限るな)
「・・・なるほどな」
などと会話したのだった。
◇
信長の軍が比叡山延暦寺に釘付けで身動きが取れないと知って、更に反信長の行動を起こした者が居た。
六角義賢である。
まだ六角の領地だった南近江の奪還を諦めていなかった義賢は11月上旬には三雲氏の甲賀の菩提寺城に入っていた。
その兵数は2000人。
まだそれだけの兵が義賢に味方していたーー訳ではない。
その殆どが一向一揆だったので義賢の命令には従わなかった。
「ワシの命令に従うようにな」
と言った時には百姓か野武士崩れか分からぬ連中に、
「嫌ですよ。腰抜けの六角なんかに」
「だよな、命惜しさに国を譲るなんて何を考えているんだか」
「ぎゃはははは」
と笑われる始末だったのだから。
織田家が拡散した流言の効果が続いていた訳だが
(ぐぬぬぬ。ワシを誰だと心得る。南近江の国主だぞ)
それでも歯を食いしばって一向一揆と行動を共にして甲賀から北上した。
狙いは南近江の東側の美濃と京の街道の遮断だ。
浅井・朝倉連合軍に利する事が一向一揆の狙いだったが、それは逆を返せば織田軍にとっては生命線だ。
なので、南近江の東側の、
横山城には木下秀吉。
佐和山城を包囲してる百々砦には丹羽長秀。
この二将が配置されていた。
そして横山城には軍師の竹中重治までが居る。
佐和山城の遠藤寝返りの流言を拡散した張本人の重治が秀吉に対して、
「秀吉殿、一向一揆を蹴散らして来て下さい。佐和山城の囲みを突破されると面倒ですから」
「だが、一揆の数は2000人だぞ? 横山城を出たら・・・」
「御安心を。横山城と佐和山城を包囲してる織田兵の鉄砲隊、計300人の一斉射撃で散り散りとなりますので1000人を連れて出陣されればよろしいかと。横山城の方は小一郎殿と私が守りますれば」
「分かった」
秀吉はそう了解したが。
秀吉の織田家臣団の地位では佐和山城を包囲している兵は動かせず、佐和山城包囲の指揮官である百々砦に居る丹羽長秀に相談しに出向くと、
「分かったよ、木下殿。但し、指揮はオレが取るぞ」
指揮権を剥奪されたのだった。
後は何も考えずに突進してくる一向一揆を待ち伏せして鉄砲300挺の一斉射撃で300人を死傷させる。
続いて弓矢で攻撃すると、500人ほどが討ち取れて、
「ひぃ、逃げろっ!」
「冗談じゃねえぞ」
残りの一向一揆は逃亡し、
「待て。まだ逃げるな、織田に一矢報いるまでは・・・」
六角義賢は踏み留まろうとしたが、全兵が雪崩れを打って退却したので義賢も退却し、それを丹羽長秀が面白いように追い打ちしたのだった。
その後、
「このまま信長様の許に合流しませんか?」
「持ち場を離れてか?」
「浅井・朝倉の本隊は延暦寺に籠もってるのですから大丈夫でしょう」
と秀吉に乗せられて長秀までが坂本に居る織田の本隊に向かう事となった。
信長公記では箕作城と観音寺城を一向一揆が占拠とあるが、さすがにそれはあり得ず、秀吉の部隊は数回、一向一揆と激突しただけで勢田に到着し、そのまま信長の居る宇佐山城まで合流したのだった。
◇
十一月上旬。
伊勢長島の顔証寺に、摂津の石山本願寺から派遣された下間頼旦が遂に到着した。
無論、証寺の門徒を蜂起させて織田と対抗する為である。
加証寺は本願寺の一家衆で「味方する」と思われたが、願証寺証意が、
「お断りします。本願寺は本願寺、願証寺は願証寺ですので」
断固拒否していた。
まさか断るとは思っておらず、下間頼旦が不思議なものを見るように、
「そんなわがままが通る訳がないでしょうが、これは本願寺顕如様の直々の御命令ですよ」
「信じられませんね。あの温厚な顕如様がそんな荒事を命令する訳がないではありませんか」
「仏敵に対しては兵を挙げますよ」
「仏敵? 誰がです? 織田殿がですか?」
「いいえ、公方様です」
「? 公方様は興福寺の出だと聞いていますが?」
「なので本願寺が嫌いなのですよ」
大和国に本願寺の道場を建てようとした話を知っていた証意が納得したが、
「それでもお断りさせていただきます」
きっぱりと断り、
「そうですか、わかりました」
と下間頼旦は答えたのだが、
言葉とは裏腹に頼旦は独断で伊勢長島の門徒を長島の地で蜂起させた。
「仏敵、織田を退治せよっ!」
「おおっ!」
門徒が武器を持って一向一揆となり、
「いけません、皆さんっ!」
蜂起を聞いて証意は慌てて止めようとしたが、
「証意殿は御病気のようだ。奥の院に隔離するように」
頼旦が願証寺の僧正の証意の幽閉を命じ、屈強な僧兵達に囲まれた証意が、
「なっ、一家衆の私にこんな事をしておまえ達こそ、仏敵ではないか? こんな事、顕如殿が許す訳がない。頼旦、さては謀反を・・・」
奥の院に幽閉されたのだった。
信長から注意するように命令が出ていたが、長島の一向一揆は想像以上に数が多く、
「一向一揆の数が1万を越えてるだと?」
報告を聞いた北伊勢玉郡を任された桑名城の滝川一益は絶句である。
「そんな大軍、抑えられる訳が・・・」
と考えているところに、
「尾張の小木江城から援軍要請です」
「小木江城? いかん。信長様の弟君の居城ではないか。援軍に向かうぞ」
「危険です」
「危険でも行くんだよっ! 兵を出さなかったと分かった方が危険なんだからっ!」
そう言って一益は兵300人を動員して小木江城に向かおうとしたが、
「仏敵、織田を倒せっ!」
「死んでも極楽浄土に行けるぞっ! 戦えっ!」
「おおおっ!」
一向一揆が桑名城にも攻めかかってきて、
「クソったらっ! 鉄砲を撃ちかけよ」
一益は籠城するのがやっとで出陣出来なかった。
尾張国内もそうである。
尾張の総留守居ながら美濃の岐阜城で政務をこなしていた平手久秀は、
「しまった。直ちに尾張に戻らねば・・・」
「待たれい、久秀殿。単身で尾張に帰らす訳に行かぬぞ。危険過ぎる」
家老の林秀貞が慌てて止めた。
「しかし林殿」
「美濃の兵を集める。その手勢を連れて帰られい」
と林秀貞は言ったが、美濃は美濃で一向一揆があり、
救援要請から六日後の十一月二十一日。
六日間は一向一揆の攻撃から耐えた尾張の小木江城は遂に正門が突破された。
小木江城主の津田信興は敵の捕虜になるような恥を嫌い、
「ぐふっ!」
潔く切腹して果てたのだった。
◇
織田軍は何も延暦寺を包囲していただけではない。
十一月二十二日には織田軍と六角義賢の和議が成立した。
六角義賢に最後まで味方した三雲氏と三上氏が宇佐山城までやってきて和議という名の降伏を伝え、降伏を条件に六角義賢、六角義治親子は許す事となった。
はっきり言って、この和議は六角親子に軍配が上がったに他ならない。
何故ならば、翌日には弟の信興死亡の報告が尾張より届いて、
「クソ、信興までが死んだだとっ! 本願寺め、絶対に許さんぞっ!」
信長が荒れに荒れてるのだから。
荒れた状態の信長だったら和議には応じなかったが、和議は成立し、この和議によって六角義賢は南近江の奪還を諦めて退去したのだった。
登場人物、1570年度
三好長治(17)・・・阿波三好の当主。通称、彦二郎。父、三好実休。母、小少将。異父兄、細川真之。官位、阿波守。篠原長房と急激に不仲に。
能力値、お飾りの長治A、鷹狩り好きS、権限を執権の篠原に奪われてるS、そろそろ篠原が邪魔にA、織田よりも敵は篠原S、三好三人衆は好かんA
証寺証意(33)・・・浄土真宗。願証寺4世。伊勢長島の僧正。本願寺の一家衆。本願寺の命令を拒否したが幽閉される。本願寺の邪魔だった証意は来年六月に。
能力値、伊勢長島の僧正A、南無阿弥陀仏SS、戦を好まずS、武器すら好まずA、父の教えB、本山から指示に従わず★
下間頼旦(35)・・・本願寺の坊官。下間一族。石山本願寺より伊勢長島に派遣される。伊勢長島の軍部最高指導者。願証寺の掌握の為に邪魔な証意を幽閉。そして。
能力値、本願寺命の頼旦S、南無阿弥陀仏A、本願寺で下間氏は凄いS、狂信者★★★、本山からの指示☆☆、長島願証寺を掌握☆☆
林秀貞(57)・・・織田家の第一家老。岐阜城下町の普請総奉行。美濃国衆総目付。戦の兵糧奉行。一向一揆の蜂起を美濃で許してしまう。
能力値、織田家の家宰B、歳で槍働きはもう無理S、信勝への寝返りは信長の密命C、信長への忠誠B、信長からの信頼B、織田家臣団での待遇SS
津田信興(24)・・・織田一族。信長の弟。小木江城主。1565年の伊勢攻めに滝川一益と一緒に侵攻してる。一向一揆に攻められて自害する。
能力値、長島願証寺通信興A、織田一族A、信長からの信頼が厚いA、戦はそれほどS、信長の弟はつらいよA、本日の運勢最悪★★★
【柴田勝家、阿波三好の弱点を見事に突いた説、採用】
【阿波三好軍、執権の篠原長房と家督の三好長治が争い始めて戦どころではない説、採用】
【六角義賢、一向一揆にも馬鹿にされる説、採用】
【浅井政元、小谷城の京極丸に蟄居中説、採用】
【願証寺証意、石山本願寺の命令を拒否したら幽閉された説、採用】
【下間頼旦、1535年生まれ説、採用】
【下間頼旦、勝手に伊勢長島で一向一揆を蜂起させ、証意を幽閉した説、採用】
【伊勢長島の一向一揆、1万人を軽く越した説、採用】
【滝川一益、信長の弟の救援に出向こうとしたが出向けなかった説、採用】
【平手久秀、美濃に出張ってて尾張に居なかった説、採用】
【六角義賢、織田に屈して南近江の奪還を諦めて和睦した説、採用】
十月上旬には信長の命令を受けて徳川家康が三河から援軍を南近江に派遣した。
目的は南近江の治安維持活動だが、今年だけでまさかの三度目の出陣であった。
それでも従う徳川を見て、宇佐山城に居る信長は、
(狂犬よりも使えるのう、今の家康は)
と思ったのだった。
◇
十月二十日になっても延暦寺の包囲は続いていた。
浅井・朝倉連合軍が延暦寺に立て籠もって攻撃を仕掛けてこないからだが。
信長はこの日、菅屋長頼に、
「決戦の日取りを認めた書状だ。挑発してこい。殺されぬ程度にだぞ、九右衛門」
書状を渡している。
使者役として比叡山延暦寺に乗り込んだ長頼だったが、朝倉義景という男は織田を本当に見下しており会う事もせず、代わりに朝倉景鏡が出てきた。
仕方なく景鏡に向かって、
「睨み合いばかりではつまらぬでしょう。ここは武士らしく日時を決めて決戦といきませぬか?」
「『ふん、織田ごときが朝倉と対等な訳がなかろうが』というのが我が殿の意思でな」
景鏡の返事を聞いて、ピンときた長頼が、
「なるほど、大変ですね。無能な当主殿を持たれると。朝倉一族の中に居られないのですか、景鏡殿のような優秀な方は他に?」
「これ、無礼であるぞ」
文字面だけ見れば怒ってるが、口調と顔はその追従を喜んでる風だった。
「織田と個人的に誼を結んで下さいますように」
「いやいや、我らは敵であろう」
「いえいえ。それは誤解です。敵は公方様の妹姫が産んだ甥御様を若狭に連れ去った烏帽子親だけですから。新たな朝倉殿と織田は懇意に出来ると思いますよ。信長様も景鏡殿が優秀な事は御存知ですから」
「ん? そうなのか?」
「朝倉が加賀の一向一揆と渡り合えてるのは景鏡殿が居たからな事くらいは織田も承知しておりますので」
「ふむ。では、今後とも良しなに」
「はっ。末長くよろしくお願いします」
こうして菅屋長頼は坂本に布陣した織田の本陣に戻っていき、
信長の元に戻った長頼が、
「浅井長政、朝倉義景の両名に会えず決戦は不発に終わりました」
「そうか」
「ですが、朝倉景鏡は相当不服らしく一門衆ながら織田に裏切るかと」
「・・・この戦場でか?」
「いえ、さすがにそれは無理ですが。朝倉の家督を餌にすれば当主の足を引っ張るくらいするかと」
「では引き続き、繋ぎ留めておくようにな、九右衛門」
信長はそう命令したのだった。
◇
信長が率いる大軍が比叡山延暦寺に釘付けの戦況で、摂津国では三好三人衆軍に阿波三好の援軍2万人が到着して兵数では幕府方を上回っていた訳なのだが。
その阿波三好は崩壊の危機に晒されていた。
悪知恵の柴田の本領発揮だ。
書状一枚で、今や阿波三好は内部分裂する寸前だった。
柴田勝家が野田城に居る阿波三好に送ったのは日取りを決めた決戦状である。
だが、その内容は本命ではない。
本命は宛名にあった。
阿波三好総大将、三好長治殿へ。
これが総てだ。
阿波三好は執権の篠原長房が牛耳っていたが、長房の唯一の弱点は若い主の代行職に過ぎないという事だ。
長房の主は三好実体の実子、三好長治だった。
当然、今回の援軍にも参戦しており、摂津の野田城に長治も滞在していた。
勝家の書状の内容は生前の三好実休の武名を讃えて、その御曹司が指揮する阿波三好軍と戦えるのは武士の誉れと褒めまくっていた訳だが。
三好長治は今年で17歳。
2万人の兵を率いるには経験も浅く、阿波三好の存亡を賭けた戦の指揮を執らせるには不安が残る。
しかし、もう元服しており、敵将の柴田勝家からの書状の所為で、
「オレが指揮を取っても良いよな、長房?」
三好長治には独立心が芽生えていた。
この戦で今から阿波三好軍の指揮を長治に預けるのは不安過ぎて、
「お待ちを、若。せめてこの戦が終わってからにして下さい」
篠原長房は「待った」を掛けたが、長治からすればおかしな話だ。
元々、三好実休が起こした阿波三好は長治の家督なのだから。
よって「家督を乗っ取るつもりか」と不信感を生むには十分だった。
「どうしてだ?」
「この戦に負ければ三好三人衆、阿波三好が再起不能になってしまうからです」
「安心しろ。兵では勝ってるのだ。負けんさ」
「兵を損なわずに勝つのが肝要ですので」
「大丈夫だと言ってるだろ。オレが指揮するからな」
「今回は御自重下さい。途中で指揮する将が変われば兵が動揺しますから」
もっともらしいような事を長房は言ってるが、長治からすれば嘘に聞こえる。
その為、急激に阿波三好軍の執権、篠原長房と、阿波三好の家督継承者の三好長治の関係がここにきて緊張感を漂わせるまでに悪化して、眼の前に敵を攻撃するどころではなくなっていた。
斎藤龍興などは、
(畿内を制圧するこの好機に何をやってるんだ?)
と呆れながらも、柄にもなく、
「御二人とも落ち着いて。敵は織田と幕府ですぞ?」
仲裁をする破目になり、
「別に揉めてはおらんよ。長房が指揮権を返せば済む話なのだから」
「いえいえ、ですから今回の戦の後に」
それでも両者は譲らず出陣どころではなくなっていた。
阿波三好が援軍としてやってきたのに、どうして攻めて来ないのか、不思議に思い、密偵を放っていた松永久秀は、三好義継の若江城で報告を聞き、
(阿波三好の急所を見事に突いたか。池田以外にも面倒なのがいたのだな。家老の柴田か。覚えておこう)
そう織田軍の人材の層の厚さに舌打ちしたのだった。
◇
北近江の小谷城の京極丸に幽閉された浅井政元の許に長政から留守を預かった父親の久政がやってきて、
「困った事になった」
「えっ? もしかして比叡山延暦寺に籠もってた兄上と朝倉軍が織田と決戦して負けたんですか? その割には小谷城の様子は普段と変わらないような」
「違う。まだは延暦寺に長政と朝倉殿は兵と共に籠もっておるよ」
「何をやってるんだか。まあ、朝倉方が朽木谷の国衆と話を付けて延暦寺の裏手の鯖街道から兵糧を運んでるとの事ですから兵糧だけは心配がなさそうですけど」
「その鯖街道に野盗が出て、度々、兵糧の荷を襲ってるそうだ」
「あらら。護衛の兵も付けてないなんて朝倉ってのは本当にマヌケですね」
政元はそう笑ったが、久政が渋い顔で、
「そのマヌケな朝倉がおまえを殺せと言ってきた」
「ええっと、どうしてか聞いても?」
「おまえがワシを説得して小谷城を乗っ取って織田に寝返るとの風聞が延暦寺で流れておるそうだ」
「それを信じたと? 馬鹿馬鹿しい。こっちは座敷牢の中ですのに」
「当然、無視するが、どうなると思うこの戦?」
久政が浅井の今後の行く末を心配すると、
「鯖街道に雪が降って補給が更に困難になったところで延暦寺の僧達が音を上げて、渋々講和ってところじゃないですか」
「織田との和議などある訳がなかろうが。そんな事をすれば浅井が滅ぶぞ」
「信心深い老将達に延暦寺の決定を撥ね退ける気概がある訳もなく、兄上もそれに流されますよ」
ありそう、と思った久政だったが、
「だが朝倉殿が織田との戦を望めば――」
「腰抜け揃いの朝倉の方が兄上よりも和議に乗り気でしょうよ」
「では、和議になる前に決戦が我ら浅井に取って最上の策だと?」
「ええ。連絡が取れるなら兄上に延暦寺を出て戦うように指示して下さい。今が織田を倒す最大の好機ですから。もし織田と和議にでもなったら浅井は滅びるしか道はありませんので」
「ふむ。分かった、書状を出そう」
と返事した久政がふと、
「佐和山城の遠藤が織田に寝返ろうとしてるとの噂があるが、政元はどう思う?」
「浅井が先に忠臣の遠藤を切り捨てたのですから裏切っても仕方がない、と思いますかね」
「なっ、切り捨ててなど・・・」
「佐和山城への救援に向かわずに京を目指したのですから遠藤からすればそう見えても仕方がなく、身の安泰を図っても裏切り者とは呼べないかと」
(そして忠臣の遠藤でさえ見捨てられるのだと知った他の家臣達もどんどん織田方に切り崩されて浅井は滅亡への道をまっしぐらなのだが、父上を怒らせるような事は言わぬに限るな)
「・・・なるほどな」
などと会話したのだった。
◇
信長の軍が比叡山延暦寺に釘付けで身動きが取れないと知って、更に反信長の行動を起こした者が居た。
六角義賢である。
まだ六角の領地だった南近江の奪還を諦めていなかった義賢は11月上旬には三雲氏の甲賀の菩提寺城に入っていた。
その兵数は2000人。
まだそれだけの兵が義賢に味方していたーー訳ではない。
その殆どが一向一揆だったので義賢の命令には従わなかった。
「ワシの命令に従うようにな」
と言った時には百姓か野武士崩れか分からぬ連中に、
「嫌ですよ。腰抜けの六角なんかに」
「だよな、命惜しさに国を譲るなんて何を考えているんだか」
「ぎゃはははは」
と笑われる始末だったのだから。
織田家が拡散した流言の効果が続いていた訳だが
(ぐぬぬぬ。ワシを誰だと心得る。南近江の国主だぞ)
それでも歯を食いしばって一向一揆と行動を共にして甲賀から北上した。
狙いは南近江の東側の美濃と京の街道の遮断だ。
浅井・朝倉連合軍に利する事が一向一揆の狙いだったが、それは逆を返せば織田軍にとっては生命線だ。
なので、南近江の東側の、
横山城には木下秀吉。
佐和山城を包囲してる百々砦には丹羽長秀。
この二将が配置されていた。
そして横山城には軍師の竹中重治までが居る。
佐和山城の遠藤寝返りの流言を拡散した張本人の重治が秀吉に対して、
「秀吉殿、一向一揆を蹴散らして来て下さい。佐和山城の囲みを突破されると面倒ですから」
「だが、一揆の数は2000人だぞ? 横山城を出たら・・・」
「御安心を。横山城と佐和山城を包囲してる織田兵の鉄砲隊、計300人の一斉射撃で散り散りとなりますので1000人を連れて出陣されればよろしいかと。横山城の方は小一郎殿と私が守りますれば」
「分かった」
秀吉はそう了解したが。
秀吉の織田家臣団の地位では佐和山城を包囲している兵は動かせず、佐和山城包囲の指揮官である百々砦に居る丹羽長秀に相談しに出向くと、
「分かったよ、木下殿。但し、指揮はオレが取るぞ」
指揮権を剥奪されたのだった。
後は何も考えずに突進してくる一向一揆を待ち伏せして鉄砲300挺の一斉射撃で300人を死傷させる。
続いて弓矢で攻撃すると、500人ほどが討ち取れて、
「ひぃ、逃げろっ!」
「冗談じゃねえぞ」
残りの一向一揆は逃亡し、
「待て。まだ逃げるな、織田に一矢報いるまでは・・・」
六角義賢は踏み留まろうとしたが、全兵が雪崩れを打って退却したので義賢も退却し、それを丹羽長秀が面白いように追い打ちしたのだった。
その後、
「このまま信長様の許に合流しませんか?」
「持ち場を離れてか?」
「浅井・朝倉の本隊は延暦寺に籠もってるのですから大丈夫でしょう」
と秀吉に乗せられて長秀までが坂本に居る織田の本隊に向かう事となった。
信長公記では箕作城と観音寺城を一向一揆が占拠とあるが、さすがにそれはあり得ず、秀吉の部隊は数回、一向一揆と激突しただけで勢田に到着し、そのまま信長の居る宇佐山城まで合流したのだった。
◇
十一月上旬。
伊勢長島の顔証寺に、摂津の石山本願寺から派遣された下間頼旦が遂に到着した。
無論、証寺の門徒を蜂起させて織田と対抗する為である。
加証寺は本願寺の一家衆で「味方する」と思われたが、願証寺証意が、
「お断りします。本願寺は本願寺、願証寺は願証寺ですので」
断固拒否していた。
まさか断るとは思っておらず、下間頼旦が不思議なものを見るように、
「そんなわがままが通る訳がないでしょうが、これは本願寺顕如様の直々の御命令ですよ」
「信じられませんね。あの温厚な顕如様がそんな荒事を命令する訳がないではありませんか」
「仏敵に対しては兵を挙げますよ」
「仏敵? 誰がです? 織田殿がですか?」
「いいえ、公方様です」
「? 公方様は興福寺の出だと聞いていますが?」
「なので本願寺が嫌いなのですよ」
大和国に本願寺の道場を建てようとした話を知っていた証意が納得したが、
「それでもお断りさせていただきます」
きっぱりと断り、
「そうですか、わかりました」
と下間頼旦は答えたのだが、
言葉とは裏腹に頼旦は独断で伊勢長島の門徒を長島の地で蜂起させた。
「仏敵、織田を退治せよっ!」
「おおっ!」
門徒が武器を持って一向一揆となり、
「いけません、皆さんっ!」
蜂起を聞いて証意は慌てて止めようとしたが、
「証意殿は御病気のようだ。奥の院に隔離するように」
頼旦が願証寺の僧正の証意の幽閉を命じ、屈強な僧兵達に囲まれた証意が、
「なっ、一家衆の私にこんな事をしておまえ達こそ、仏敵ではないか? こんな事、顕如殿が許す訳がない。頼旦、さては謀反を・・・」
奥の院に幽閉されたのだった。
信長から注意するように命令が出ていたが、長島の一向一揆は想像以上に数が多く、
「一向一揆の数が1万を越えてるだと?」
報告を聞いた北伊勢玉郡を任された桑名城の滝川一益は絶句である。
「そんな大軍、抑えられる訳が・・・」
と考えているところに、
「尾張の小木江城から援軍要請です」
「小木江城? いかん。信長様の弟君の居城ではないか。援軍に向かうぞ」
「危険です」
「危険でも行くんだよっ! 兵を出さなかったと分かった方が危険なんだからっ!」
そう言って一益は兵300人を動員して小木江城に向かおうとしたが、
「仏敵、織田を倒せっ!」
「死んでも極楽浄土に行けるぞっ! 戦えっ!」
「おおおっ!」
一向一揆が桑名城にも攻めかかってきて、
「クソったらっ! 鉄砲を撃ちかけよ」
一益は籠城するのがやっとで出陣出来なかった。
尾張国内もそうである。
尾張の総留守居ながら美濃の岐阜城で政務をこなしていた平手久秀は、
「しまった。直ちに尾張に戻らねば・・・」
「待たれい、久秀殿。単身で尾張に帰らす訳に行かぬぞ。危険過ぎる」
家老の林秀貞が慌てて止めた。
「しかし林殿」
「美濃の兵を集める。その手勢を連れて帰られい」
と林秀貞は言ったが、美濃は美濃で一向一揆があり、
救援要請から六日後の十一月二十一日。
六日間は一向一揆の攻撃から耐えた尾張の小木江城は遂に正門が突破された。
小木江城主の津田信興は敵の捕虜になるような恥を嫌い、
「ぐふっ!」
潔く切腹して果てたのだった。
◇
織田軍は何も延暦寺を包囲していただけではない。
十一月二十二日には織田軍と六角義賢の和議が成立した。
六角義賢に最後まで味方した三雲氏と三上氏が宇佐山城までやってきて和議という名の降伏を伝え、降伏を条件に六角義賢、六角義治親子は許す事となった。
はっきり言って、この和議は六角親子に軍配が上がったに他ならない。
何故ならば、翌日には弟の信興死亡の報告が尾張より届いて、
「クソ、信興までが死んだだとっ! 本願寺め、絶対に許さんぞっ!」
信長が荒れに荒れてるのだから。
荒れた状態の信長だったら和議には応じなかったが、和議は成立し、この和議によって六角義賢は南近江の奪還を諦めて退去したのだった。
登場人物、1570年度
三好長治(17)・・・阿波三好の当主。通称、彦二郎。父、三好実休。母、小少将。異父兄、細川真之。官位、阿波守。篠原長房と急激に不仲に。
能力値、お飾りの長治A、鷹狩り好きS、権限を執権の篠原に奪われてるS、そろそろ篠原が邪魔にA、織田よりも敵は篠原S、三好三人衆は好かんA
証寺証意(33)・・・浄土真宗。願証寺4世。伊勢長島の僧正。本願寺の一家衆。本願寺の命令を拒否したが幽閉される。本願寺の邪魔だった証意は来年六月に。
能力値、伊勢長島の僧正A、南無阿弥陀仏SS、戦を好まずS、武器すら好まずA、父の教えB、本山から指示に従わず★
下間頼旦(35)・・・本願寺の坊官。下間一族。石山本願寺より伊勢長島に派遣される。伊勢長島の軍部最高指導者。願証寺の掌握の為に邪魔な証意を幽閉。そして。
能力値、本願寺命の頼旦S、南無阿弥陀仏A、本願寺で下間氏は凄いS、狂信者★★★、本山からの指示☆☆、長島願証寺を掌握☆☆
林秀貞(57)・・・織田家の第一家老。岐阜城下町の普請総奉行。美濃国衆総目付。戦の兵糧奉行。一向一揆の蜂起を美濃で許してしまう。
能力値、織田家の家宰B、歳で槍働きはもう無理S、信勝への寝返りは信長の密命C、信長への忠誠B、信長からの信頼B、織田家臣団での待遇SS
津田信興(24)・・・織田一族。信長の弟。小木江城主。1565年の伊勢攻めに滝川一益と一緒に侵攻してる。一向一揆に攻められて自害する。
能力値、長島願証寺通信興A、織田一族A、信長からの信頼が厚いA、戦はそれほどS、信長の弟はつらいよA、本日の運勢最悪★★★
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