池田恒興

竹井ゴールド

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1570年8月〜12月、第一次信長包囲網

比叡山延暦寺の参戦

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 【朝倉景建、先鋒隊3000人では京に入るのは危険と判断した設、採用】

 【織田信長、摂津に居る段階で延暦寺の焼き討ちを考えた説、採用】

 【足利義昭、幕府の危機を信長と一緒に乗り越える説、採用】

 【朝倉義景、延暦寺に籠もったのは幕府を操る構想があったから説、採用】

 【浅井長政、織田との決戦を望んでいたが義景に邪魔された説、採用】

 【篠原長房、織田軍が摂津から退いてから上陸説、採用】

 【阿波三好の援軍2万人、摂津に到着説、採用】

 【織田信長、延暦寺を包囲した後、悪手だと気付いた説、採用】





 九月二十一日。

 浅井・朝倉軍は森隊が退いた事で宇佐山城を包囲して攻撃を開始したが、同時に先鋒隊3000人は宇佐山城を通過させて京に進発させた。

「またオレかよ、先鋒隊」

 京への先鋒隊3000人の大将を命じられたのは朝倉景建である。

 文句を言いながら進んだ。

 逢坂を抜けて、山科郷や醍醐を入って焼き打ちをしていく。

 二十二日には朝倉軍の先鋒隊3000人は京に入ろうと思えば入れた訳だが。

 問題は3000人という少数の兵で京に入るかどうかだ。

「僅か3000人で攻めるなんて無理だろう。悪名を残すのも嫌だし」

 元々京への上洛に否定的だった朝倉景建は故意に山科郷と醍醐で足を止めたのだった。





 ◇





 森可成と津田信治の討ち死にの情報が摂津の信長の許に届いたのは九月二十三日の事だった。

「聞こえなかった。もう一度言ってくれ」

 報告を聞いて、一番怒ってる時の少し冷めた感じで小馬鹿にしたように笑って、尋ね返した信長に伝令が、

「延暦寺の僧兵に背後から奇襲を受けて戦線が崩れ、九月二十日、森可成殿、津田信治殿、青地茂網殿が討ち死にされました」

「宇佐山城が出て、坂本口で持ち堪えてたと聞いたが、その背後から延暦寺の僧兵どもが奇襲して、前後から挟撃のう。それでは三左でも一溜まりもない、か」

「信長様、5000の兵をオレにお預け下さい。そいつらを皆殺しにしてきますから」

 恒興が口を開くと、平手家の兵を率いた平手汎秀が、

「その部隊にはオレの隊を入れて下さい、信長様」

「義兄上、オレが行きます」

「いえ、勝三郎ではなく、ここは私が指揮を」

 斉藤利治と柴田勝家も立候補したが、信長の裁定は、





「いや、京が落ちては一大事だ。摂津より撤退する」





 だった。

 その撤退命令には同席していた松永久秀が仰天したふりをして、

「お待ちを。それでは摂津が三人衆と阿波三好に取られてしまいますぞ」

(延暦寺までが織田に敵対とは、いやはや。もう少し浅井・朝倉が頑張ってくれると織田が転落して面白い事になるかものう)

「そうはならんさ。惟政とーー松永、おまえが居るのでな」

 信長の冷徹な眼を見て久秀を見据えた。

「・・・」

(ん、何だ、その視線は? ワシが裏切るとでも思っておるのか?)

 と久秀が真意を探ってると、恒興が通訳するように、

「松永殿、一つ質問なのだが」

「何かな、池田殿?」

「延暦寺を燃やすのって、東大寺の大仏を燃やすよりも悪くないよね?」

 軽くそんな質問をした。

 無論、本もとの寺の頂点の延暦寺を燃やす事の方が大罪である。

 恒興の言葉の意味をちゃんと吟味した久秀はさすがに少し動揺しながら、

「な、何を言っておるのだ、池田殿?」

 と答えたが、視界の端で信長が薄く笑ったのを見逃さず、

(まさか、延暦寺を燃やす事を考えて東大寺の大仏を燃やした事になっておるワシを見ておったのか、今?)

「待たれよ。延暦寺はともかく、今の天台座主は帝の弟様で・・・」

「出家したからもう世俗との縁は切れてる、との解釈でいいでしょ? 内裏への援助もしていないみたいだし」

 恒興が物騒な事を更に口にした。

 二条晴安を名乗る誠仁親王と会話する恒興と、京に精通していた久秀の間では比叡山延暦寺の天台座主が「帝の弟」である事は共通認識だったが、信長は意外や今二人が喋ってるのを聞いて初めて知ったのだった。

 それでも信長が素知らぬ顔をしてると、

「それでも帝の弟殿を殺すのは拙いと思うぞ」

「なら、その弟様だけは助けるか。時に京に精通してる松永殿はその弟様の顔を御存知かな? だったら摂津ではなく一緒に近江まで来て・・・」

 恒興の露骨な提案を最後まで聞く事なく、

(巻き込まれて堪るかっ!)

「いやいや、さすがに知らぬわ」

「とか言って本当は知ってるんでしょ、三好長慶殿の片腕だったんだから?」

「確かに二回会った事はあるが、最後に見たのは六年前だ。正直、顔なんて覚えておらんよ。坊主なんてどれも同じ顔に見えるし」

「へ~、意外と使えないんだな~、松永殿って~。信長様、どうします?」

 恒興が信長に最終確認を取ると、

「勝、まずは京に撤退だ。公方様(幕府の家臣も居るので)に遭ってこい」

「はっ、公方様に伝えて参ります」

 そう言って席を立ち、

殿しんがり、いや、摂津担当は権六と惟政、おまえ達だ。天王寺城に残れ、よいな」

「はっ」

「畏まりました」

 勝家と惟政が承知し、

「松永は三好宗家を守れ」

「畏まりました」

 織田軍の撤退準備が始まったのだった。





 足利義昭が居る中嶋城に向かった恒興は、

「公方様、悪い知らせです。逆賊、浅井・朝倉軍に延暦寺の僧兵が味方し、叛逆しました。京が落とされては一大事ですので撤退しますね。公方様も出立準備を願います」

 決定事項を通達した。

 だが、義昭の方は、

「ほえ?」

 とマヌケな声を出しただけだった。

 当然である。

 比叡山延暦寺の座主は帝の弟なのだから。

 なので、恒興に対して残念な子供でも見るような眼差しを向け、

「あのな、恒興。今の延暦寺の座主はおまえも知っての通り、帝の弟御でーー」

「ですので大問題になっております。もし内裏の指示だった場合、公方様と信長様は畿内で孤立してしまいますので。ってか、近江の情勢、まだ伝わってないんですか、公方様に?」

 恒興が真剣に伝えたので、切迫してる状況を理解した義昭が、

「どうなっておるのだ、弥八郎?」

 上野秀政を見た。

 秀政は知ってたらしく言いにくそうに、

「延暦寺が叛逆したなどさすがに信じられず、詳しく確認してから公方様にお伝えしようと・・・」

「今、浅井・朝倉の兵はどこにおるのだ?」

「逢坂を抜けて山科郷から醍醐方面に・・・」

「なっ、京と眼と鼻の先まで迫っているではないか。撤退するぞ」

 義昭がそう言って席を立つ中、

「公方様には京で関白殿に遭って、延暦寺の暴挙に付いて聞いていただきたく」

「任せよ」

「では、我らは三好三人衆軍の追撃を防ぎますので、まずは公方様が撤退を。飯尾殿が率いる織田軍が護衛をしますのでご安心を」

「ああ、わかった」

 こうして撤退を始めたのだった。





 九月二十三日には信長と義昭は京へと帰還した。

 すぐに情報収集である。

 信長は本能寺で村井貞勝と明智光秀に、

「どうなっておる?」

「宇佐山城の森殿、援軍に京より向かった信治様、お討ち死に。山科郷が朝倉軍の先鋒隊に焼かれました」

「浅井、朝倉の兵は京には入って来なかったのか?」

「はい、兵数が少なく。織田軍の帰還を知り、近江に退きましてございまする」

「延暦寺の僧兵が三左を攻撃したのは確実なのだな?」

「はい」

「延暦寺の座主の指図だと思うか?」

「覚恕法親王の指図であるが・・・」

 明智光秀が否定しようとしたが、貞勝が正直に、

「恐らくは。もし噛んでいなければ詫びの書状の一枚も届いているはずですから」

「お待ちを。慎重に事を運ばねば内裏を敵に回しますぞ」

 光秀がそう警告し、

「ふむ。確かにのう」

 そう信長は呟いたのだった。





 二条御所の方では関白の二条晴良が義昭に呼び出されていた。

「おお、よくぞお戻り下さりました、公方殿」

 晴良はそうねぎらったが、猜疑心丸出しの視線で義昭が、

「関白殿、延暦寺の僧兵が織田軍を襲った件、内裏の命令ではございませんよな?」

「無論です。御上おかみも驚かれておりましたので」

「一応確認しますが、本願寺の僧兵が幕府に楯突いた件も無関係なのですね?」

「無論ですよ」

「・・・ならば、両方、潰して構いませんな」

「あのですな、公方殿。延暦寺の座主の覚恕様は・・・」

「わかってますよ。帝の弟様な事くらい。その方には手は出しませんので御安心下さい」

 義昭が勝手にそう約束してしまったのだった。





 九月二十四日には織田軍2万人が近江にまで進軍した。

 対する浅井・朝倉連合軍は「坂本の戦い」と「宇佐山城の戦い」で兵の数を減らして2万3000人。

 まだ兵数は浅井・朝倉連合軍が上回っている。

 このまま決戦かと思われたが、ここで「時期を逸する天才」の朝倉義景の悪いところが出た。





 織田信長は足利義昭を奉じている。

 摂津の戦いにはその足利義昭も戦場いくさばに出ていた。

 浅井長政は足利義昭の事を嫌ったのでいくさ をしても何も感じなかったが、朝倉義景は違う。

 朝倉義景の中では足利義昭を利用して信長の現在の地位を掠め取り、幕府を思いのままに操るという大それた構想があった。

 義昭とは烏帽子子えぼしごという縁がある。

 これを最大限に利用しない手はない。

 その為には「足利義昭に兵を向ける」事だけ避けなければならなかった。





 義景の中で、

 一昨年に義昭の妹婿の若狭を攻めたのは若狭武田と揉めただけ。

 四月の若狭征伐は領内を攻めた織田軍が悪い。

 六月の姉川の戦いは同盟国に援軍を送っただけ。

 なのだから。





 だが、足利義昭に兵を向けると話は違ってくる。

 完全な賊軍である。

 義景の中では「自分はまだ賊軍ではない」との認識なのだ。

 賊軍になる覚悟もなかった。





 そして、織田軍も足利義昭を最大限に利用した。

 足利義昭は征夷大将軍である。

 義昭に逆らえば賊軍になる。

 なので、流言で、

「織田軍6万の中には将軍もいるらしいぞ」

 と散布していたのだ、

 まあ、こんな気の利いた流言をしたのは近江の東端の横山城に居た竹中重治だったのだが。





 織田軍の中に将軍義昭が参戦してると知った義景は、





「延暦寺に籠もるぞ」





 そう決断を下した。

 浅井長政が驚きながら、

「お待ちを、朝倉殿。織田と一戦、交えないのですか?」

「長政殿、お主は何を考えている? 義昭殿に剣を向けれる訳がなかろうが。私は義昭殿の烏帽子親なのだぞ。延暦寺に一先ず籠もるぞ。延暦寺も陣を提供すると言っているのだから」

 こうして兵力で勝る浅井・朝倉軍2万3000人は延暦寺に籠もり、





 織田軍は坂本に到着した九月二十四日、比叡山延暦寺を蟻の這い出る隙間もないくらい完全に包囲したのだった。





 同時に信長は延暦寺に対して通達もしている。

「浅井・朝倉軍を引き渡せ。さもないと寺を燃やすぞ」

 まあ、この通達は無視されたが。





 そして、その日の内に宇佐山城にて森可成と津田信治の遺体と対面した。

 死に際の様子を付き従った森家の家臣が説明した。

「信治様の居る後方の陣を僧兵に襲われ、助けに向かった時には信治様は息が切れる寸前で、その後は可成様が信治様を背負われて宇佐山城を目指しましたが、途中で力尽き・・・」

 お涙頂戴の話だったが、信長以下織田家の家臣団には効果があり、恒興などは涙ぐみながら、

「必ずや仇を討ちますので安らかにお眠り下さい、三左殿」

 と誓ったのだった。





 ◇





 九月二十七日。

 阿波から篠原長房が率いた阿波三好軍2万人が摂津に上陸していた。





 殿しんがりどころかその防衛として摂津に3000人の兵と残っていた柴田勝家は、

(また貧乏籤か。それも家臣の一部を南近江の長光寺城に残した状態で)

 阿波三好軍の摂津到着の報告を聞いてうんざりしたほどである。

 織田・幕府軍の本軍の摂津撤退後、残された兵の士気が見るからに下がっているのだから。





 翌日には阿波三好軍は瓦林城、越水城を落とし、

 十月一日には野田城と福島城に阿波三好軍2万人が入っていた。





 だが、その野田城も松永久秀の流言で大変な事になっており、三好長逸が、

「よ、良く参られたな、長房殿」

「どうされました?」

「い、いや別に」

 十河一存の遺臣が命を狙ってるとの噂を鵜呑みにした長逸は援軍の到着を歓迎しながらも警戒する破目になったのだった。





 ◇





 十月三日。

 その頃には信長も阿波三好軍が合流した摂津の戦況を聞く事となった。

 怒り任せに進軍して比叡山延暦寺の麓を完全に包囲した訳だが、その情報を聞いて宇佐山城に居る信長は遅蒔きに気付いた。

(攻めれないなら、この包囲は悪手だったな)

 と。

 それもこれも延暦寺の天台座主の覚恕の存在だ。

 正親町天皇の弟。

 この「帝の弟」さえいなければ火攻めで、山寺ごと浅井、朝倉軍を燃やしているところなのに。

 だが、帝の弟を殺したらさすがに拙い事くらい信長も分かっており、浅井・朝倉軍が戦わずに延暦寺に籠もった意図も明白だった。

 「延暦寺を攻められない」と見越しての籠城だと。

 浅井、朝倉軍には織田軍と雌雄を決する意志が最初からなかった訳だ。

 そして摂津は面倒臭い状況になっている。

 兵を率いて出向ければ撃退出来るが、延暦寺と摂津の二面作戦は今の織田軍には無理だ。

「どうしたものか」

 宇佐山城内で信長が眼を細めて、

「勝、おまえの考えは?」

「騙し討ちですね」

「・・・具体的には?」

「京の内裏の行事にその弟を呼び出して監禁。その隙には延暦寺を焼くーーって、悪知恵の柴田が摂津に出る前にオレに言ってましたよ」

 恒興が摂津に滞陣してる柴田勝家の所為にして卑怯な作戦を献策した。

「なるほど。だが、我が軍が包囲してたら京に出て来れんだろ、その弟」

「公方様お得意の滅茶苦茶な和議命令を出して貰いますか?」

「相手は賊軍だぞ」

「では帝の勅命で」

「・・・待て、勝。三左を殺した浅井、朝倉と和議をすると言っておるのだよな?」

「勝つ為には禁じ手だろうと使わないと。冥途の三左殿には敵討ちは数年待って貰って」

「・・・浅井と朝倉との和議は禁じ手か」

「それよりも本願寺ですよ。伊勢長島の動きが気になります。他にも六角が動いてるとか。唯一の救いは武田が上杉、北条と揉めていて動けない事くらいですが。徳川の織田家への臣従具合も見ておかないと。武田に寝返ったら尾張を攻めてきますよ、徳川。摂津は悪知恵の柴田が対陣しているので今頃は三人衆の連中の方が大変な事になってるでしょうけど」

「問題山積だな。当初の計画では今頃は北近江を得ているはずだが。どうしてこうなったと思う?」

「そりゃあ、公方様が信長様を真似て本願寺と延暦寺から矢銭を要求したからでしょう。本願寺が寝返らなければ摂津で三好三人衆を潰せて、阿波三好が摂津に上陸する事もなく、延暦寺も干渉せずに三左殿も生きてたんですから」

「・・・オレが公方(呼び捨て)の口車に乗って若狭征伐に動いて浅井を嵌めた事には問題はなかったと思うか?」

 信長が少し弱気になって質問したが、恒興は、

「はい。事前に教えて貰えなかったのは少し癪ですが。浅井は幕府軍だと分かってて信長様に楯突いたんですから。浅井は元々そういう性根の大名だったという事ですよ」

「ふむ。この延暦寺攻めで今すぐ使えそうな禁じ手はあるか、勝?」

「延暦寺の僧を買収。兵糧庫の失火。浅井、朝倉の離反工作。どれも必勝の策とは言えずパッとしませんね。オレのお勧めは偽装和議で相手が油断して撤退してるところを背後から急襲ですが」

「それはさすがに卑怯過ぎるであろうが」

「悪知恵の柴田が考えた事ですから。他にも浅井か朝倉のどちらか片方の一本釣り。摂津方面でもそれは有効ですね」

「もっと、この延暦寺攻めで今すぐ使えそうなのは?」

「では」

 恒興はまるで分かり切った天気でも確認するようにとぼけた顔で、

「延暦寺攻めに公方様を参加させ、前線に出させて公方様が流れ矢で討ち死に。公方様の討ち死にで義憤に駆られた織田軍が公方様の敵討ちとばかりに延暦寺を帝の弟様ごと火攻めする」

 延暦寺の火攻めの大義名分を献策した。

 その策を聞いた信長が総てが解決するとばかりに、

「・・・いいな、それ。公方(呼び捨て)も始末出来て一石二鳥だし」

 飛び付いたが、さすがに見過ごせず信長の傍に控えていた堀秀政が、

「さすがにどうかと」

「駄目か、久太郎?」

「信長様が『公方様を謀殺した』と深読みされる可能性がありますので」

「なるほどのう」

「では、浅井、朝倉方の使者が暴挙に出て公方様に斬り掛かったってのは」

 恒興の更なる献策に信長が、

「おお、それだ」

「それでは完全に織田の落ち度になりますよ」

 と秀政が止めたのだった。





 登場人物、1570年度





 平手汎秀(17)・・・・織田家の家臣。平手久秀の嫡子。幼名、秀千代。別名、甚左衛門。近習として修業の日々。平手隊を率いる。

 能力値、未来の織田家の柱石の汎秀B、祖父、父の信長への貢献B、平手家の御曹司A、信長への忠誠A、信長からの信頼A、織田家臣団での待遇A

 斎藤利治(29)・・・織田家の家臣。加治田城主。斎藤道三の末子。同腹の濃姫の弟。信長の義弟。通称、新五郎。道三の美濃国譲り状を信長に渡す。佐藤家の家督を継承する。

 能力値、蝮の血B、比興の才覚を美顔で隠すS、正直者のふりA、信長への忠誠B、信長からの信頼D、織田家臣団での待遇B
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